幕 鬼灯(四) 招聘 その四
永倉平八郎と佐々木伝七郎がこの男を買う訳だ……と、その理由が分かった気がした。
鳥居源太も、神森武の横で本当にうっすらとだが笑みを浮かべている。
太助の方は少し面白くなさそうだ。しかし、どこか誇らしげである様にも見える。そんな、なんとも複雑な表情を浮かべていた。
それを見て、金崎惟春について藤ヶ崎と戦っても勝負にならないと思い知らされた。神森武は水島千賀を支えている。その神森武も、鳥居源太ら部下たちからの信頼によって支えられている。
勝てる訳がなかった。上の能力も、下の士気も、何もかもが違いすぎた。
なるほど、神森武の言葉は勢いに任せただけの言葉ではなかったのだ。
こんな者たちが相手では、金崎の将兵たちではどうあがいても太刀打ちできまい。私らが抜けて藤ヶ崎についたならば、尚更だ。となれば、藤ヶ崎の水島家は、金崎領を手にする事になるだろう。そしてそうなれば、確かに膨れあがった継直の国とも正面切って戦う事が出来る。それだけの地力を藤ヶ崎は手に入れる事になる。
神森武の謀は、大胆なようで綿密な計算の上に成り立っている。
本当に何者なんだろうか、この男は。これ程の男が、今の今まで無名などという事があり得るのだろうか。……あり得たのだろうな。実際、これまでに神森武などという名前は聞いた事もない。この名に悩まされるようになったのは、つい最近だ。
千賀姫は、ものすごい幸運の持ち主と言うしかない。継直から逃げている最中に、こんな男を拾えてしまったのだから。
天の時を得、人の和を育み、地の利を手に入れる……か。確かに、今の藤ヶ崎・水島家には、大国への道を歩めるだけの条件が揃っている。
神森武が言う通り、勝負に出るなら確かにここであろう。
そして、私がそんな事を考えている間も、長や半次様の目は神森武へとまっすぐに注がれていた。神森武も、まったく引く事なく堂々とそれを受け止めている。
周りに一切の雑音がない冬の山の中。ただただ静かな時間が流れていた。
その時間は、衣擦れの音に破られる。長が静かに頭を下げたのだ。
半次様もそれに続いた。それを見て、私も慌てて頭を下げた。
「神森武様。神楽の里は、貴方様に、千賀姫様に従います。どうか、よろしくお願いいたします」
「承知した。よくぞ決断してくれた」
神森武はそう言って大きく一つ頷くと、長に顔を上げるよう促す。私と半次様も、長が顔を上げるのを待って下げた頭を上げた。
そんな私らに、神森武は厳かに言った。
「お前たちのその決断、俺は決して粗末にはしない。今は俺たちの金に仕えてくれてもいい。だが十年後のお前たちに、俺は必ず水島家への忠誠を口にさせてみせる。それが、俺に出来るお前たちの決断への返礼だ」
「楽しみにしております」
神森武の言葉に、長は含みのない朗らかな笑みを見せて、そう答えた。
その日は、日が暮れ星々が輝き始めるまで、神森武……いや、武様と私らの話し合いは続いた。
その中で武様は自分を武と呼ぶ事を許し、私とその部下たち十名ほどを自分の直属の忍びとすることを望まれた。つい先日己の首を狙い、その前には主と恋人の命も狙ったこの私をだ。
正直これには、こちらがそれはどうなのだと問わずにはいられなかった。しかし武様には、
「能力は理解できているし、十分に面識もあるし、これ以上の適任はいないじゃないか」
と軽く笑い飛ばされた。
正直そういう問題ではないと思うのだが、武様が望まれた以上は、私がとやかく言える立場ではない。そして、その通りとなった。
厳密に言うと、それ以前の話だった気がしなくもない。長も二つ返事で了承した為、私の疑問などあっさりと流されたと言うべきだろう。
まあなんにせよ、とりあえず私らは全員、一旦武様の預かりという事になるらしい。その上で、落ち着いた後に御用部屋会議という重臣の会合で、その所属を決定するという事のようだ。
ただ、おそらくは老中筆頭である佐々木様の元に付くという話だった。佐々木様のところの直属でまず諜報部という組織を作り、神楽の者たちは全員そこの所属にするつもりらしい。そして、長をそこの長にするつもりのようだ。本来諜報部の上にあるのは『君主』――つまり千賀姫様との事だが、今は佐々木様が代理だからという事だった。
それだけではない。
実務は三つの班に分ける事を計画していると武様は説明した。
一つは佐々木様の政務部に、一つは武様の軍務部に配され、そして残る一つがお庭番として千賀姫の警護に当たる。そういう構想だそうだ。
その他に、私と部下十名が神森家のお庭番となるとの事だった。
要するに、私は武様個人に仕える忍びという事になる。もちろん神楽と縁が切れるような事もなく、水島家の諜報部の長である長とも密に連絡を取りながら任務に励んで欲しいとの事であった。
いずれにせよ、ずいぶんと大胆な話である。
本当に、いきなり私たちを水島の中央部に放り込もうという計画だったのだ。長や半次様も、どう発言をしてよいものかと慌てていたくらいである。
だが、当の武様はあっけらかんとしたものだった。すこぶる機嫌良さそうに、
「いやあ、よろしく頼むよ。お前らが頑張ってくれるとな、俺がすっごくすっごく助かるんだよ。期待させてもらうからな」
と笑っていた。
本当に期待しているのは、この扱いだけでも十二分に理解できる。出来なければ阿呆だろう。これは、それほどの扱いだ。賭けてもいい。どこに雇われようが、この上など絶対にあり得ないだろう。
その後、長と半次様は一旦里へと戻る事になった。私は、武様、鳥居様、太助殿の三人とともに田島へと戻る。
長らは、武様より田島から出る水島家の兵の受け入れ準備を依頼されていた。その為、私が乗ってきた馬を使い急いで戻っていった。
朽木の町に川島朝矩と三森敦信の二将が大勢の兵と共にまだいるからだ。
鳥居様の話では、佐々木様が初戦に大勝した為、かなりの数を減らせている筈だという話だったが、川島朝矩はともかく三森敦信がいる以上は、決して油断出来ない。
だから私は、田島へと戻る道中で、三森敦信の危険性について上申する事にした。いきなりの話でどこまで信じてもらえるかは不安だったが、神楽を束ねた以上、なんとかして話を聞いてもらいたかった。それ程に、三森敦信という男は今の金崎家においては群を抜いた俊英なのだ。
しかし、武様はあっさりと大きく頷いた。
「だな。あれは無能の対極だ。油断するつもりはない。葉月さん、他に何か知っておいた方が良い事はある? あったら全部教えてくれ」
心の底からホッとする。すでに、ある程度は把握しているらしい。
それに……やはり、まったく違う。上が有能であるだけで、こうも仕事のしがいがあるものかと思わずにはいられない。
だが、そんな事の前に私は訂正しなくてはいけなかった。
「武様。これからは鬼灯とお呼び下さい。葉月は、潜入時に使う偽りの名です」
「あ、なるほど。そういう事だったのか」
武様は、そんな簡単な説明ですべてを察してくれた。
「もしかして、由利ちゃんや美空ちゃんも?」
「はい。由利は紅葉。美空は銀杏です」
「なるほど……。すごく……忍者っぽいなっ!」
武様はちらと後ろを振り向くと、とても子供っぽい顔をされて目を輝かせていた。武様の本当の姿を見た後だけに、どうにも調子が狂ってしまう。思わずカクッと顎が落ちそうになった。
だが、これも武様なのだろう。茶屋に通ってくれていた頃に見せてくれていた姿も、間違いなく本物の神森武だったのだ。
そう思うと、顔が自然と笑みを作る。
「ふふ……はい。私はくノ一ですから」
すると、武様は再び前を向いて押し黙ってしまった。気分を害してしまったのかと不安になった。だが、どうもそういう事ではなさそうだった。小さく、「ん~」と唸っている。
「どうかなされましたか?」
「いや……、別に今のままでも良いんだけど、普段は葉月さんだった頃と同じように話してくれてもいいんだよ?」
武様は、前を向いて馬を走らせたまま、そう言った。
ああ……そんな事か。
「いえ。私は貴方様の臣となったのですから、そういう訳にもいかないでしょう」
「太助なんか酷いもんだぞ?」
「お、俺?」
突然武様に話を振られて、横を走っていた太助殿が慌てる。
「ふふ。まあ、そこはそれ。私はまだ貴方様の臣となったばかりです。今はまだ、人前ではこの方がよろしいでしょう。おいおい、直させていただきます」
「そっか。なら、はづ……鬼灯さんの好きなようにしてくれ」
「鬼灯で結構です」
「ん、分かった」
武様は、本当に変わったお方だった。決して常人の枠には収まらない。だが、それだけに期待をさせられる。
この方の元へとやってきた事は、神楽にとっても、私個人にとっても、大きな転機となるような気がする。今まで生き残らせてくれた私の『感』が、そう教えてくれていた。
2015.8.03 拙作をいつもお読みいただき、有り難うございます。活動報告で宣言していた通り、四章は今回で終わりです。そして最終章に入る前に、千賀を主人公とする短編を新規投稿として投稿する予定です。詳しくは活動報告に書いておきますので、ご一読いただければと思います。
2015.809 『姫様勘弁してよっ! 短編集』のアドレスはhttp://ncode.syosetu.com/n8285cu/ となっております。一つ目は千賀のお話です。是非、こちらも読んでやって下さい。




