幕 鬼灯(四) 神森武の頼み
いくつも突き出される穂先。
私は、それらを時に弾き、時に躱しながら神森武へと迫った。私の先を行っていた紅葉たちも、がむしゃらに突っ込んでいった。
しかし、もうあと少しという距離で、目の前に鳥居源太と太助が立ち塞がった。
鳥居源太……青龍隊を率いる水島家の騎将。その槍裁きの凄まじさは尋常ではなかった。たった一本の槍が、まるで盾だった。その槍が届く範囲に入れば、途端に吹き飛ばされるか突き殺される。近づけない。
だが、あまり驚きはなかった。鳥居源太の力自体は知っていたつもりだし、その通りの力だったというだけの事。ここに彼の者がいた事自体は予想外の出来事だったが、戦うと決めた時には覚悟も出来ていた。
それよりも、太助の方だ。こちらが予想外すぎた。
ついこの間まで、単なる商人の一人息子だった者とは思えない武を見せたのだから、驚くなという方が無理だ。こんなのは聞いていない。
確かに鳥居源太に比べれば遥かにマシではあるものの、それはあくまでもマシというだけでしかなかったのだ。現に、体術を得意とする紅葉と互角に戦ってみせたのだから。
そのせいで、想定外にもうちで一番の戦力を太助にとられてしまい、他の者たちで鳥居源太の猛威に対抗しなくてはいけなくなってしまったのだ。
当然、そんなのは無理な話である。その結果が、これだ。
私たちは、鳥居源太と太助を先頭にした朱雀隊の壁に阻まれ、挙げ句槍隊による包囲を狭められて身動きが取れなくなり、あっけなく捕縛されたのである。
負けた事が悔しいとは思わなかった。思えなかった。
完膚なきまでの敗北。完敗だった。
ここまで一方的にやられるとは思ってもいなかった為に、頭も心もうまく働かない。
だが、これで神楽の村も終わりかと思うと、ただただ哀しくはあった。あの子たちの明日を守ってやれなかったと思うと、その事だけが無念で仕方がない。
金崎惟春は、この敗北を許しはしないだろう。
一昨年の凶作以降借用扱いになっている未納の税分の取り立ても、きっと始まる。あの時、他の村は容赦なく取り立てられ沢山の村が潰れた。私たちに限って情けがかけられるとは、とても思えない。恩を売る必要がなくなるのだから。壊れて使えなくなった人形など、あの男は眉一つ動かすことなく捨てるだろう。
生き残った者たちは、みな体を縄縛され、口にも縄がかけられた。
そして今、そんな私たちの前に神森武は立っている。左右に鳥居源太と太助を置いて、こちらに背中を向けたまま藤ヶ崎の方を見下ろしていた。
「いやあ、ここに来るのも久しぶりだが、相変わらず下がよく見える」
神森武は、目の前に並べて座らされている私たちを無視して、高台からの景色を堪能していた。
しかしすぐに、私たちの方を――いや、私の方を振り向き告げた。
「葉月さん。貴女の負けだ」
その目は決して見下すようなものではなかった。だがその代わりに、ただ厳然と一つの真実を突きつけてくる。
神森武が私に話しかけると同時に、太助が私の口の縄をほどいた。
「ぷっ、ぺっ。……神森武。ずいぶんな扱いじゃないかい」
「早まった事をして欲しくなかったからね」
……ふん。自決するなってか。本当に嫌らしいね。この男は一体どこまで先を読んで動いているんだか。
使う機会を逸した義歯にそっと舌を這わせる。これをかみ砕けば死ねたのだ。
「ふん。私たちをどうしようってんだい? 言っとくが、何もしゃべるつもりはないよ」
「ここは三幻茶屋じゃない。おしゃべりがしたくて、葉月さんの口の縄を解いた訳じゃないさ。……それと、その仕込み毒。使うなよ? 他の者たちもだ。どうしても死にたければ、あとで存分に時間をくれてやる。好きにするがいい。だが、無駄死になるかもしれんぜ? だから、早まらない事だ」
神森武は、私を、そしてその後ろにいる紅葉や銀杏らといった部下たちの方まで見渡して、そう言った。その口調は、威圧するでも侮蔑するでもなく、それこそ三幻茶屋で『葉月』と話していた時と同じ、軽い調子のものだった。
……この男、やはり怖いな。ある意味狂っている。普通じゃない。
「無駄死に? そりゃあ、どういう意味だい」
そう強がるだけで精一杯だった。口が渇いて仕方がない。後ろ手に縛られた手にも、じっとりと嫌な汗が噴き出ていた。
しかし神森武は、そんな私の心は知らぬふりをする。そして私の目をまっすぐに見つめると、うっすらと笑みを浮かべて言った。
「うん。ちょっとお使いを頼みたくてね」
お使い?
また変な事を言い出した。この男は一体何を考えているのだろうか。この男ほどの者が、それをして意味があると思っているのだろうか。とてもそうは思えないが……。
念の為に確認する。
「はっ。神森武ともあろう者が何を抜けた事を。私らなんかに捕虜の価値などあるものか。使いなどと、一体どこに使いに行けと言うんだい。金崎惟春は、私らの事など歯牙にもかけないよ」
自分で言っていて哀しくなってくるが、間違いなくそうなる筈。あの男の事だ。私らが捕らえられたと聞いても眉一つ動かすまい。
……いや、そんな事はないか。眉をひそめて、報告をした者を面倒臭そうに追い払うだろう。
「はは。惟春と話すほど俺も暇してないよ。これから死ぬ奴と仲良くしてどうしようっていうの? それとも何か? 奴はそれ程に魅力的なのか? もしそうだとしたら、俺の下調べが足らなさすぎたなぁ」
神森武はカラカラと笑いながら、そんな冗談を言った。
相も変わらず惚けた事を言う。金崎惟春が魅力的だなんて言う奴は、どこにもいやしないだろう。そんな分かりきった事を言ってはぐらかして、この者は一体何がしたいのだろうか。
「ずいぶんと遠回しだね。はっきり言いなよ! あんた、私に一体何をさせたいのさ!」
少しいらついていた。
そして、それが神森武の狙いである事も理解できている。しかし、噛みつかずにはいられなかった。
すると神森武は、待ってましたという顔をした。思った通りのようだ。
ニコリと笑い、縛られて座らされた私の前に屈む。そして、視線の高さを合わせるとジッと私の目を見つめてきた。
神森武はすごんでなどいない。だが、とてつもなく怖い目をしていた。どこまでも真っ直ぐに、私の心の奥底まで突き通してくる。
こんなに怖い視線を浴びたのは、生まれてはじめてだった。何もかもを見透かしてくる。そんな目だった。
後ろ手に縛られた手が、更に汗ばむと同時に痺れてくる。だがそれは、縄で縛られているからではないだろう。
「流石、葉月さん。思った通りに話が早い。それでこそだよ。そう。使いに行って欲しい先は惟春のところなんかじゃない。神楽の里の長の所だ」
神森武は静かに告げた。
なんだって?
……なるほど、そういう事かい。
「あはは。金崎から水島に乗り換えろと言うつもりか。私たちも、ずいぶんと軽く見られたものだ」
「どうしてそう思う?」
神森武は否定する事なく、そしてまったく悪びれる様子もなく尋ねてくる。
そして、そんな神森武の様子に侮られた気がして、私は思わず語気強く叫んでしまった。
「私たちは忍びだ! 一度受けた命は――――」
なんとしてでも成し遂げる。そう続けようとした。でも、出来なかった。神森武が割り込んできたからだ。
「その忠は、惟春には届いているのか?」
「…………」
流石に痛いところを突いてくる。言葉を続けられなかった。それどころか、視線を合わせたままでいられない。
思わず視線を反らしてしまった。
しかし、神森武はそれを許してくれない。
「届いていまい。その思いは尊い。そうであればこそ欲しい。だから、その思いを侮辱する気は俺にはない……が、そんな尊い『お前』たちの思いも奴には届いていない。届かない」
はっきりと、ただ一つの真実を告げるかのように、神森武は断言する。
私は、思わずハッと顔を上げた。そして、気がついた。神森武の顔つきが変わっていた。つい先ほどまでの茶屋で見ていた兄ちゃんのものではなく、水島家の家老の顔になっていたのだ。
「此度の戦の結果に寄らず、アレを仰いでいる限り神楽に明日はないぞ? それは、俺よりもお前たちの方がよく分かっている筈だ。それでもなお忠義を尽くすだけの価値がある主なのか、アレは」
「…………」
悔しいが返す言葉がなかった。
「だから、交渉だ。そして、葉月。その相手はお前では駄目だ。神楽の一族の命運がかかっている。長の下へと走って欲しい」
「……私がそのまま逃げるとは――――」
「思っていない」
またも最後まで言わせてもらえなかった。
「俺は、葉月――お前の事も買っている。だから、そこまで愚かだとは思っていない」
神森武は、真顔のままそう言い切った。
「俺はお前たちに同情している訳ではない。お前たちの力を認めたからこそ、迎え入れたいと考えている。これは招聘だ」
――――ゴクリ。
神森武は、別に語気強く語っている訳ではない。だがその言葉に、話す姿に、圧倒された。いま目の前にいる神森武は、私が知っている神森武とはまったく重ならなかった。
……これが神森武。水島の鳳雛の、本当の姿か。
そんな感想しか出てこない。鳥居源太と太助の二人を左右に侍らし語りかけてくる神森武は、私が知っているどの将よりも将だった。纏っている気配自体が、こんな年若い男が纏っていて良いものではなかった。
「……だがもし、それでも逃げるというならば、それでもいい」
神森武は、なお私の目を捕らえて放さない。
「損得の天秤も揺らせぬ忍びに用はない。その程度ならば、手に入らなくとも惜しくはない。……そうなれば、俺は己の見る目のなさに恥じ入るだろう。だが、それだけだ。その後は、予定通りに神楽を潰して金崎も潰す。俺たちには、この道しか残っていないからな。必ずそうしてみせる」
……なんという自信、いや覚悟だろうか。
上っ面はどこにでもいる兄ちゃんだ。だが一皮剥けば、その身のうちに鬼を飼っている。
神森武の千里眼ばかりに気をとられ、これを見抜けなかった事を悔やまずにはいられなかった。今更、後の祭りだ。これを見抜けなかった時点で、もう勝ち目などなかったのだ。
私たちは、いや私は、負けるべくして負けたのだ。