第二百二十七話 軍師の知恵 でござる
吉次に呼ばれて商業地区の荒らされた商店を幾つか見た後、俺は南門へと向かった。そして今は、館へと戻ってきている。本陣に使っている部屋の外に出て、時折雪が交じる冷たい夜風を浴びながら、俺は今回の一件について考えていた。
――――俺たちは藤ヶ崎の町を取り戻した。
賊共を町の外に追い出し、内通した商人たちが一人残らず死んだ今、そう言って問題はないだろう。北門に向かわせた百人組の組長からも、港であの反物屋のような虐殺と強奪があったと聞いた。揃いも揃って、欲の皮を突っ張らせて馬鹿な事をしたものである。
あの者たちは、何がそんなに気に入らなかったと言うのか。
それを思うと、どうにもイラッと来るものがあるが、冷静になって考えてみれば答えなど一つである。
ここまで大それた真似をした理由は、『利益』の為以外には考えられない。あいつらは商人なのだから。
つまり、俺たちについているよりも、金崎についた方があいつらにとっては得だったのだ。
しかし俺たちは、あいつらに大きく損をさせた覚えはない。少なくとも表面的には。
となると、一番可能性が高いのは、あいつらが碌でもない事を裏でやっていたという可能性。
あいつらにとって、俺たちの施政は不都合だったのだ。改革と称して色々やった中に、あいつらの利益を損なう部分が某かあったに違いない。
奴らの動機は、多分そんな『些細なもの』だったのではなかろうか。だが奴らにとっては、それだけでも動くに足る理由だった……。
俺は、とんでもない思い違いをしていたのかもしれない。
善政を敷けば、民は喜びついてくる――――
夢を見ていたつもりはない。
だが、どこか頭の縁の方で、そんな甘い事を考えていたのではないだろうか。
一口に民と言っても、色々な民がいる。善良な者もいれば、陽の下を歩けぬ者もいる。それらをすべて引っくるめて『民』と呼ぶのだ。
善良な民が善良に暮らせる世の中を作ればいい。それはその通りだが、善良ではない人間の扱いをなおざりにしては、決してそれをなしえる事はないだろう。善良な民が手を出せない部分なのだから、どのような形であれ、国がきちんと処理をしないといけなかったのだ。
施政者は、良い事をしても悪い事をしても『民』には恨まれるもの……。
それを失念していた事が、決定的に不味かった。
取り締まるなり懐柔するなり方法は多々あろう。だが、あの内通していた商人たちのような存在を予めしっかりと認識して、対策を立てておくべきだった。
これは、俺の、いや俺たち御用部屋の三人の大失策だったと言うしかない。危うく、ここ藤ヶ崎はおろか千賀の命までとられかけたのだ。絶対に同じ事を繰り返してはいけない。
直面していた危機が一段落して落ち着いてきた脳みそは、そんな風に俺に猛省を求めてきた。
正直、悔しくて仕方ない。藤ヶ崎に入って以降、それなりにうまく治められていた自信があったのだ。だが今回の事件は、そんな俺の自信を木っ端微塵にしてくれた。
いずれにせよ、とりあえずは今回の件を決着させるのがまずは最優先だ。
現状では、関わった商人たちは皆死んだようだが、商人たちと結託し門を開けた者たちはまだ残っている。
今は、そこまでの調査をしている時間は流石にない。だがもう少し落ち着いてから、きっちりと調べ上げてくれる。
これをいい加減に放置してしまうと、組織としての規律が保てなくなる。敵を許しても、裏切りだけは許してはならない――――。
とりあえずの結論は出たものの、目下やるべき事は葉月さんとその下にいる匪賊共の相手だ。
未だ相当数が残っている。まだまだ予断を許す状況ではない。
だが、いささか先を見通しやすい状況ではあるだろう。
相当数の兵が残っているという事は、それなりに色々な物が必要になるという事でもある。
水、糧食、武具、医薬品などの消耗品は勿論の事、それだけの数の兵が潜む事ができる場所もいる。
だが、そんな場所は限られてくる。葉月さんが賊を率いて動く選択をしたなら、彼女が選べる選択肢はグッと減ってくるだろう。兵を保持する選択をしたという事は、その兵で再度この藤ヶ崎を襲う事を考えている筈なのだから。
つまり、ここ藤ヶ崎に近く、且つそれだけの兵を隠せて、更には大量の物資を予め隠しておける場所に、今彼女らはいるという事になる。
敵兵は五百か、それ以上……。
この藤ヶ崎近辺で、これらの条件が揃う場所は数えるほどしかない。
故に、そこに偵察を派遣すれば――――
「神森サマ。見つかったみたいだぜ」
町を取り戻したその日の夜には、彼女らの居場所が割れた。太助の奴が伝令の言葉を持って部屋へとやってきた。
俺は、太助のその言葉に部屋の中へと戻る。部屋の中にいた源太や高俊も、俺が座った場所へと集まってきた。
いくら敵に忍びがいようとも、ある程度離れて様子を見る事が出来ればざっくりと探る事ぐらいは出来る。くれぐれも無茶をせず、予想したいくつかの場所に彼女らがいるかどうかの確認だけをしてくれと申し渡していたのだ。そして、そのうちの一つが見事に当たったようだった。
太助の言葉を聞き、ニヤリ――思わず笑みが漏れる。
「ようやく片付けられそうですな」
高俊はそう言って、組んだ腕はそのままに深く一つ息を吐いた。高俊は真っ先に援軍で駆けつけてくれたので、今いる中では一番長く葉月さんらに付き合っている。それだけに、とても感情のこもった言葉だった。
翌朝出陣し、再び昨日と同じ布陣で葉月さんらがいる場所へと向かう。
葉月さんが選んだ場所――――。
そこは奇しくも、藤ヶ崎に籠もっていた爺さんを相手に、俺たちが陣を張った場所だった。
場所は藤ヶ崎からは目と鼻の先。高台になっていて、藤ヶ崎の町の様子を見下ろす事が出来る。あの時、俺もあの場所から藤ヶ崎の町を眺めて、あれこれ考えたものだ。
おそらく、こちらが動けばすぐに葉月さんも気づく。
それが、あの場所に決めた理由だろうから。
あの高台までは、馬に全速で駆けさせれば三十分もあれば着く。しかし、足軽を連れて、その後すぐに戦闘が起こる事まで想定してとなると、こちらの行軍スピードをそんなに上げる訳にもいかない。
到着まで、二、三時間といったところか。
俺たちは葉月さんらがいる高台に向かって、ゆっくりと街道沿いに進んだ。
山に向かって吹く風が降り積もった雪を巻き上げている。いささか、空と風の機嫌は悪い。
しかし、それならそれで構わなかった。『これ』は、きっと彼女らよりも俺たちに味方してくれる――そう確信していたから。
そして、ようやく到着する。日の位置は天頂からはだいぶ遠い。まだ十時くらいだろう。
俺は目の前の光景に、やっぱりという感想しか湧いてこなかった。
「あー、やっぱり気づかれてんな。数も多そうだ」
「そうなのか?」
俺の独り言に太助が反応した。
俺は、そんな太助の方を振り返って、
「そうなのだ、ってな。見ろよ、煙が上っている」
と前方――葉月さんらがいる山の方を指さす。
炊飯の煙が、寒風の中三本ほど踊っていた。
「……飯の煙が上っているなら気づかれていないんじゃないのか?」
太助は不思議そうな顔をして、俺を見た。
「あの場所の事は、俺も良く知っている。あそこから、こちらはよく見えるんだ。それにな。彼女らがこちらに気づいていないとしよう……」
「ああ」
「むしろ、そうであればこそ、気づかずに飯の煙を上げる事などありえないんだ」
「なぜ? 気づいていないなら飯を炊く為に煙を上げるだろ?」
「彼女たちは今、隠れている真っ最中だ。それを忘れちゃいかんよ。いつ見つかるかもしれないという時に『狼煙』を上げる馬鹿はいない。少なくとも彼女は忍びだぞ。あり得んな」
「あ……」
俺が苦笑すると、太助は少し恥ずかしそうに頬を掻いた。
「つまり、あれは偽装。俺たちに見せる為にわざと煙を上げている。それ故に、あの煙を見ただけでも、居場所がバレている事を彼女らが知っていると分かる」
「……なるほど」
太助は、俺の説明にうむむと唸った。
「で、だ。太助」
「ん?」
「葉月さんは、なぜ煙を上げているのか……分かるか?」
「え……」
突然俺が問うたので、太助の奴は慌てていた。
あ……、こりゃ駄目だ。分かっていない。
目が泳いでいる。
俺は小さく溜息をついた後、太助に説明してやる事にした。
「煙の数を数えてみろ」
「煙の数?」
太助は首を傾げながら、再び三本の煙の方を見る。俺もそちらに視線を移した。
「ああ。煙が三筋上っているだろ」
「ああ」
「少ない。俺たちが討った数から計算しても、もっと沢山上っていないと数が合わない」
「逃げ散ってしまったのでは?」
「……と俺たちに考えて欲しいのだろうな。実際の数よりも少なく見せようとしている。それは間違いない」
「だー。もう、訳分からん。どうしてだよっ」
再びこちらを振り向いた太助は、頭を掻きむしりだした。八雲と違い、どちらかと言えば『筋肉ですべてを解決』の太助である。ここらが今の限界のようだった。
「いいか? もし葉月さんの手持ちの兵が本当に少ないならば、さっきの『彼女らがこちらに気づいていなかった場合』の話と一緒で、隠れて逃げ通す事を選ぶだろう。少ない人数で正面から大軍にぶつかろうとする馬鹿は、そういない」
「う……」
苦い思い出がよみがえったのか、太助は嫌な顔をした。俺は、それを横目で見ながら話を続ける。
「つまり、だ。あの煙自体が、俺らの接近に気がついている事を示していると同時に、葉月さんの所にそこそこ以上の兵が残っているって事も示しているんだな」
俺はニッコリと笑いながら、太助を振り向く。
「で、だ。そこそこ以上に兵がいるにしては、煙の数がやけに少ないという状況が目の前にある。という事は、某かの思惑がそこにあるという事も分かる訳だ。少なくとも、兵力を偽りたいという葉月さんの希望は見て取れる訳だからな」
「……源太さんも言ってたけど、ホント敵に回したくねぇ……」
「『水島などいらん。帰れ!』と言っていた気骨はどうした?」
少し顔を引きつらせている太助にそう言って、からかうような視線を向けてやる。いつもなら「うるせー」と返ってくるところだろう。しかし、
「今もちゃんとあるよ! ただ、その前にやらねばならん事が山のようにあると知っただけだ!」
と素直なのかどうなのか分からない逆ギレをされた。まあ、それなりに成長はしているのだろう、多分。
「ほかほか。まあ、頑張れ。で、話を戻すがな。敵が手持ちの兵を少なく見せようとするという事は、それを見て俺たちに油断して欲しいと思っているという事でもある。……要するに、だ。兵が伏せられているという事だな。伏兵による奇襲を警戒しとこうか。あとは罠にも注意……かな?」
今度は、ニヤリと嫌らしい笑みを作って見せてやった。
太助はしばらく俺の顔をジッと見た後、これ見よがしに二度ほど横に大きく首を振った。
そんな太助に、今まで俺たちの話を黙って聞いていた重秀が、
「はっはっはっ。確かに、太助が神森様に勝つにはやる事が山のようにあるようだ。精進しろ、太助」
と、バシバシとその肩を叩く。
「うー、はい……」
悔しそうに唸りつつも頷く太助。そんな太助を見て重秀は満足そうに笑っている。だが、すぐに好々爺然とした表情をスッとおさめて尋ねてきた。
「それで、鳥居様らへの伝令はどういたしますか?」
俺は少し考えてから、
「……あの高台へと続く山道に入る前に、一度打ち合わせよう。山道入り口の半里手前で一度小休憩をとる。そのように伝えてくれ」
と答える。
「はっ」
重秀は首肯し、伝令を送るべく俺と太助の下から離れていった。
俺は再び三本の煙を見る。
さて……、どうしてくれようか。
そう思うとぶるりと体が大きく震えた。この時始めて、『本物』の武者震いというものを知った。