第二百二十五話 三幻茶屋 でござる
敵軍の本陣は、おそらく爺さんの館にある。そう予想していた。
だから俺たちは、そこまでの道をこじ開けて、そのままの勢いでなだれ込んだ。
確かに予想は当たっていた。
しかし、館にいたと思われる敵軍はすでに去った後だった。
この爺さんの館を見る限り、奴らはここを占領し、そうとう舞い上がっていたようだ。館の中はそこかしこが荒らされて色々奪われている。
しかし、この館の人間はみな無事に水島の館へと逃げ込んでおり、人的被害はない。その点は不幸中の幸いだったと言えるだろう。ここに残っていたら、館に押し入ってきた賊共に何をされていたか分かったものではない。この館の様子を見る限り、かなりヤバかっただろうと思われる。
そのぐらいの見事な荒らされようだった。
酒盛りでもやっていたのか、あちこちに飲み食いした残りも散らばっている。財物もあちこちに積み上げられたままだった。結構な枚数の銭が床に散らかっており、去る時に懐に入れられるだけ手に握れるだけは持ち去ったようだ。ただほとんどの箱が積み上げられた状態そのままで放置されている辺り、相当に急いで逃走を図ったらしい。
この状況を見るに、バリケードを突き破ったこちらの勢いに恐れをなした……というのが濃厚な線だろう。多分、奴ら――葉月さんら神楽忍軍以外が想定していた俺たちの力と、実際の俺たちの力の差が大きすぎたのだ。
この藤ヶ崎にやってきて水島の館に襲いかかってみたところ、それ程には強くなかった。それで、何とかなるだろうと勘違いして、奴らは戦い続けていたに違いない。当初は菊が僅かな兵を率いて戦っていただけなのだから、それも理解できなくはない。間抜けだとは思うが。
しかし、そこに高木高俊率いる援軍が到着し、挙げ句に源太や俺までもやってくる。そりゃあ、話も違ってくる。最初とでは戦力が違いすぎるのだから。特に源太と俺の到着は致命的だったろう。数だけの問題ではなく、率いている兵の質がそもそも違う。
それで、こりゃあマズイと泡食って逃げ出した……と、こんなところだろうな。
ここで俺たちを迎え撃っていたら、多分それで終わっていた筈だ。そういう意味では、匪賊などをやっているだけあって流石に鼻はきくらしい。俺たちにとっては、実に面倒な事ではあるが。
独りごちる。
とはいえ、面倒がっていても片付かない。だから、武家町を完全に掌握するべく源太に命じて近隣の館から順番に回らせる事にした。
俺は俺で、完全に制圧した爺さんの館を使わせてもらって、町へと向かうべく迅速に兵を再編成する。
この武家町に関しては、源太に任せておけば逃げ遅れた敵がいても綺麗に掃除してくれるだろうし、少しでも早く町全体を掌握し直しておきたい。
三幻茶屋も早いところ調べておきたいしな。
おそらくは、葉月さんたちはおろか、何か分かるようなものは何も残されていないだろう。
しかし、それでもあそこが葉月さんの拠点だった事には変わりがない。調べておかねばならないだろう。今回の件の黒幕は葉月さん……神楽忍軍……いや、金崎惟春だ。指示の大本は金崎家の筈である。期待は出来ないが、もし命令書の一枚でも残っていれば大収穫である。
そんな事を考えながら、俺は再編し終わった兵たちに向かって号令を掛ける。
「今から市街地へと向かう。ここを掌握し直し、完全に藤ヶ崎の町を俺たちの手に取り戻すぞ。まだ気を抜いてはならない。俺たちが勝ち続けている今こそが、敵にとって反撃に移る最大の好機である。それを忘れてはならない。気を引き締め直せ!」
「「「「応っ!」」」」
「よし。では、出陣する。者ども、あと少しだ。疾く駆けよ!」
「「「「お――――ッ!!」」」」
号令に、駆け出す吉次率いる騎馬隊。源太を武家町に残してきたので代打だった。とは言え、先ほどは源太についてよくやっていた。十分いける筈だ。真ん中に俺。朱雀隊はどうとでも動ける技量があるので、これを核にする。そして最後尾が足軽の槍隊だ。
合計三百ほど。
退却を始めた敵軍を追撃し、逃げ遅れた敵を狩るくらいなら十分な兵力である。
全軍揃って市街地の入り口までやってくる。
が、ここにもすでに敵の姿はなかった。少なくとも百単位の兵力で残っている気配はない。敵勢の大半は、すでに町の外へと逃げ延びているようだった。
逃げ足だけは一流だな……。
俺は町の様子からそう判断し、部隊を分けて迅速に後処理に入る事にした。
「吉次」
「はい」
「お前は、そのまま部隊を率いて敵に内通したとおぼしき商人たちの店を回れ。そして、もし商人たちが生き残っていたら身柄を確保しろ」
「生き残っていたらって……そういう事です?」
吉次の奴は、嫌そうに顔をしかめて聞き直してくる。
「ああ、言葉通りの意味だ。俺のハッタリのせいで、葉月さんらに殺されているかも知れないし、仮にそこを凌いだとしても奴らが雇った賊に殺されているだろう。なにせ賊だからな。今まで襲われなかったのは雇い主だからだ。しかし、仕事は失敗して報酬を得られる見込みがなくなった。そうしたら、賊共がどう動くかなんて明白だろ? まあ、自業自得だな。だが、油断はするなよ? 多分もういないとは思うが、欲の皮を突っ張らせたのがまだ残っている可能性はある。それに注意しろ」
「うぇぇ……はい。承知いたしました」
「足軽隊は御神川を挟んで北側半分を巡回し、そのまま北門に向かってくれ。そして北門を押さえたら、そのまま守備につくように。おそらく敵勢はすでに町の外だとは思うが、抜けた方角は、おそらく北だろう。だから、警戒を厳にしてくれ」
「はっ」
「俺は敵の忍軍の拠点とおぼしき茶屋――三幻茶屋に向かった後、市街地の南半分の巡回を担当し、そのまま南門へと向かう。もし何か連絡があれば、その辺りを探すように」
俺が確認するように吉次と百人組長に目をやると、二人とも了解したとばかりに頷き返してきた。
俺はそれに満足し一つ頷くと、
「よし、では行けっ!」
と命じた。
「「はっ!」」
二人は鋭く応答を返してくると、すぐに動き出す。それぞれの部隊を引き連れて役目を全うするべく駆けだしていった。
さて……。
俺の方もまだゆっくりはしていられない。俺も朱雀隊とともに、三幻茶屋へと急いだ。
しかし、茶屋には誰もいなかった。予想通りであっただけなのに、思わず溜息が一つ漏れる。
見慣れた店先の戸は閉め切られ、その戸を打ち壊して中へと押し入ったが、雰囲気からして少なくとも数日以上……おそらくはもっと長い間、人の出入りがなかったようだ。旅行から自分の家に帰ってきた時に感じるあの独特な空気で、店の中が満たされていた。
何より、中が綺麗に片付きすぎている。
厨に食べ物が残されていないのは勿論、茶店用の厨にも材料が残っていなかった。事を起こす前に、一度綺麗に片付けたようだ。
中々に用心深い事で……。
期待していた訳ではない。ないのだが、ここまで徹底されると、やはり面白くはない。身の回りの物でこれならば、『仕事』関連のものが残っている事はまずないだろう。
とは言え、念の為に兵たちに探すように命じた。
朱雀隊の兵たちは、半分が周囲の警戒に当たり、残りの半分が三幻茶屋の中に入ってあちらこちらをひっくり返し始める。
そして、思った通り何も出てこなかった。
隠し扉に隠し部屋、隠し倉庫、そして罠など……俺の厨二心を刺激してくれる面白い物は結構出てきた。しかし、肝心の神楽の里という組織が窺えるような物、あるいは今回の藤ヶ崎襲撃計画に関わる物などは一切出てこなかった。いかにも忍者屋敷といったからくり仕掛けの数々から、敵が忍びであるという事を今更ながらに再確認できただけだったのだ。