第二百二十二話 反撃の前夜 でござる その二
俺のその言葉を聞いた太助は目を大きく見開いて、その後小さく溜息をつく。
「……いや、すげぇな、あんた。よくあれだけの事で、そこまで見通せるものだ。俺は隣で同じ物を見ていたのだがなあ……。はあ……、俺たちはやっぱり負けるべくして負けたのか……」
今頃とは思わなかった。だが、こいつがここまで気にしていたとは思わなかった。
「俺は一応、ここの軍部の長だぞ?」
「知ってるよ」
「子供に負ける訳にはいかんだろ」
「子供ってなあ……まあ、いいや。でも、一つだけ修正させてもらうぜ。俺らは子供だったから負けた訳じゃあない。確かに、俺もずっと自分の未熟を責めてきた。が、それは間違いだったと今分かった。未熟でもあったかもしれないが、俺たちが負けたのは、ただ単に敵が神森武だったからだ。それに尽きる。腑に落ちた」
太助がそう言うと、室内で話を黙って聞いていた他の者たちの口から笑い声が漏れた。
「あー、ま、兎に角だ」
妙な方向に話が脱線していきそうだったので、急いで修正を図る。決して、太助からの思わぬ評価にどう応えてよいか困ったからではない。
「ああ」
太助の奴も、すぐに話を聞く体勢に戻った。
「もし俺の予想通りだとするとだな、俺たちは防衛戦をしているが、一体何から何を守っているのだという話になる」
「そりゃあ、敵に内通した者以外の者たちを敵から守っているのだろう?」
「その通りだ、太助。だがその者たちは、あいつらが攻勢に出ている内は決して襲われない。そんな決して襲われる事のない味方を敵から守っているんだ、俺たちは。つまりそれは、俺たちは領主であるにも関わらず、これから藤ヶ崎を制圧しようという状況と一緒という事を意味する」
「??」
太助は分かったような分かっていないような顔をした。
「要するに、だ。自分たちの町だけど、これから敵の町を落として自分たちの物にしようというような感覚で戦えばいいって事だ。ただし、外に押し寄せていた匪賊共、葉月さんたち、そして藤ヶ崎の商人たちの一部……大きく分けてこの三つの敵と同時に戦わなくてはならない状況ではある。実際はそれ以上だがな。匪賊が寄せ集めだからだ。分かるか?」
俺は太助に説明しながら、同時に自分の頭の中を整理し続けている。状況は決して良くない。かなりの手詰まり感はある。
だが正直に言うと、高台から藤ヶ崎の町の様子を見た時から俺はずっと何かが引っかかっていた。だから部屋にも戻らずに、こうしてあーでもないこーでもないと考え込んでいるのである。太助を相手に状況を説明しているのも、八割方は自分の中で持っている情報を整理する為だった。
そして、そんな俺はどうやら間違っていなかったらしい。
「ああ……、なるほど。そりゃあ、そうか。奴らが余所の頭の言う事なんか聞く訳ないもんなあ」
太助は、そう言って得心がいったとばかりに二度ほど首を縦に振った。そしてその瞬間、俺は何が引っかかっていたのかを理解したのだ。
口の端が自然と上がるのを感じる。
一つの突破口を俺は見つけた。すると、それと同時に脳の奥から今の状況を覆す為の策が次々と溢れてくる。得てして、何かを思いつく時とはそんなものではあるが、それでも先ほどのまで唸っていた時間はなんだったのだと自分でもおかしくなる程だった。
ただ、まだ形にはなっていなかった。未加工の原材料そのものと言える。もう一度冷徹な目で見直す必要性があった。
俺は、今度こそ自分の部屋に戻る事にした。
本陣が置かれている部屋でゴロゴロとしながら唸っていたと思うと、急に飛び起きて自分の部屋で休むとか言い出す俺に、太助は妙なものでも見るような視線を寄越してくる。だが、今の俺にはまったく気にならなかった。
自分の部屋へと戻る前に、千賀の様子を見に行く事にした。太助も、それに着いてくるらしい。部屋まで行けば今日の護衛の当番がいる筈なので、そこまではという事のようだ。
俺の腕の中で眠ってしまった千賀は、婆さんや菊、茜ちゃんに連れられていった。それ以降はずっと軍務に追い立てられて、様子を見に行く暇もなかったのだが、婆さんらが特に何も言ってこない所からも、おそらくは静かに眠っているのだろう。が、なんのかんのでやはり気にはなる。
千賀は『とても怖かった』といって抱きついてきた。そりゃあ、あんな幼い子が目の前で殺し殺される現場を見れば、恐ろしい以外の感情など抱く余裕もないだろう。糸が切れたように眠ってしまった事も、それを証明している。
千賀は、侍女たちの私室がある区画で休んでいるとは連絡があった。南側の開いている部屋を使っているらしい。つまり、いま俺がいる広間のすぐ北側。廊下を挟んですぐ向こうである。
おそらく、婆さん辺りが決めたのだろう。騒々しいが、忍びのような者たちまで出てくるようでは背に腹は代えられないといったところか。確かにあそこならば、何があっても俺たちが駆けつけるのに時間はかからない。
俺たちは、本陣に使っている部屋を出た。すると、千賀がいる部屋はすぐに分かった。廊下におきよさんが座っていたからだ。
側まで行って尋ねる。
「おきよさん。千賀はまだ寝てる?」
「お疲れ様です、武様。はい、姫様はずっと眠っていらっしゃいます」
「婆さんや菊は?」
「お二人とも中です」
「そう、じゃちょっと中に入れて?」
「はい、畏まりました。あ、そうだ」
「ん?」
「あの、本当に有り難うございました。おかげで無事姫様もお守する事も出来ましたし、私も命を長らえる事が出来ました」
「あー、もう少し早く着ければ、もっと良かったんだけどね。ごめんね」
おきよさんは、今日何人もの同僚を失っている。
「そんな! もともと、こんなに早く着ける訳なかったって、菊ちゃん言ってましたよ? どんな方法を使ったのか想像もできないって。それは、武様が急げるだけ急いで下さったという事ではないですか。謝っていただくなど、とんでもございません!」
おきよさんは、そう力説してくれる。
思わず苦笑いが浮かぶ。そして、俺は口の前で指を一本立てて答えた。
「そんな大声出すと千賀が起きちゃうよ」
「あっ、すみません。つい……」
おきよさんは少し恥ずかしそうに肩をすくめ、そしてすぐに襖を開けてくれた。
すると、中にいた婆さん、菊、茜ちゃん、咲ちゃん……その他十一人の侍女たちが全員こちらを見ていた。部屋の前で、あれだけ騒げばさもありなんである。
それにしても……、ずいぶんと減ってしまったな。
千賀の侍女たちを、俺は全員知っている。だから、誰がこの場にいないのかがすぐに分かった。その子らの顔が頭に浮かび、哀しい気持ちと感謝の念が胸に満ちる。
もちろん、この場にいないうちの何人かは生きてはいる筈だ。手傷を負い、こことは違う場所で休んでいる者もいるだろう。
だが、少なくない数が今日命を落とした事は、紛れもない事実だった。
俺は胸の中で感謝の言葉と祈りの言葉を彼女らに贈った。その後、部屋の奥に敷かれた布団の方へと歩いて行く。そして、その布団の側に座っていた菊に声を掛けた。
「千賀は良い子で寝てる?」
「はい」
菊は俺に返事をしながらも心配そうな顔で、眠っている千賀の顔をのぞき込んだ。確かに、俺の知っている千賀の寝顔と比べても決して幸せそうな寝顔ではない。が、それでも確かにスヤスヤと眠っていた。
「そっか……」
俺も寝ている千賀の脇に腰を下ろす。
「よく頑張ったな」
寝ている千賀の頭に手をやって、ゆったりと撫でてやった。すると、気のせいかも知れないが、千賀の眉根に寄っていた皺が少し伸びたような気がした。
その時、後ろから声が掛けられた。
「小僧……本当にご苦労だった。おかげで姫様は無事に済んだ。感謝する」
婆さんだった。振り返ると、やけに神妙な顔をして俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「どうした、婆さん。らしくないじゃないか。婆さんなら、『遅い! もっと早く来ぬか、馬鹿者が!』くらいは言うかと思ったが」
俺は、婆さんの気持ちを察してわざとそう答える。
「……まったくお主は……。いや、それでこそ小僧かの」
しかし婆さんはそう言って、俺に向かって静かに一つ頭を下げる。起こした顔は、らしくない優しい笑みを浮かべていた。そんな気遣いは十年早い。儂にはお見通しじゃという事らしい。
俺は、軽く肩をすくめて見せる。
「なんの事だかさっぱり分からんね。婆さん、疲れているようだな。もう歳なんだから、あんま無理するとポックリ逝くぞ? 俺たちの到着で兵の数も揃った。だから、もう婆さんらが気張らなくてもいい。戦は俺たちの仕事だ。だから、今日からは枕を高くして寝ていてくれ。あとは俺たちでちゃちゃっと片付けるから。な、太助?」
「い、いきなり話を振るな。え、あ、その。それはそれとして、お任せ下さい」
ずっと黙ったまま俺の後ろに控えていた太助は、俺に噛みついたと思うと婆さんに向かって静かに頭を下げる。
婆さんはそんな太助と俺を交互に見た。俺は、再び肩をすくめてみせる。すると婆さんは、
「ふぁっふぁっ。うむうむ。よろしく頼むよ。よい若者じゃな、茜」
といつもの調子で若者をからかったのだった。
太助同様に突然話を振られた茜ちゃんは、一瞬ビクッとしたがすぐに顔を真っ赤にして小さくなってしまう。そんな茜ちゃんを見て、太助も顔をにわかに赤く染めた。婆さんは、そんな二人の様子に満足そうだった。
そのあと婆さんや菊と軽く話をし、すぐに部屋を後にする事にした。あんまり騒いでは千賀も起きてしまうし、俺も先ほど思いついた策をもう一度よく検討しないといけなかったからだ。
俺は部屋からの去り際に菊の耳元で、そっと伝える。
「菊にまた会えた。千賀にまた会えた。……よく頑張ったね。そして、有り難う」
俺の本心のすべてだった。
すると菊は、見る見る間に目を潤ませた。そして目の端を指の背で押さえながら、
「はい」
と朗らかな笑みを見せてくれたのである。
俺は、俺の中の男が心の底から満足感を覚えるのを感じた。
そして、この日の夜半過ぎ――。
田島からの援軍第二陣となる吉次が率いる騎兵百と、伝七郎の所から出た源太率いる青龍隊百が、続いてここ藤ヶ崎へと到着した。