第二百二十話 第二次藤ヶ崎防衛戦 でござる その四
「行った……か……」
安心したら、どっと疲れが出てきた。最近ハッタリ大将軍になってばかりだが、そろそろ心身共にゆとりを持って事に臨みたいと切に思う。
葉月さんたちが去って行ったと思われる庭園の方向をずっと眺めていたら、着物の袖がキュッと引っ張られた。
菊だった。
「……来てくれました」
そう言って、目の端をうっすらと濡らしながら無理矢理に笑っている。
俺は菊の後ろ頭に手を伸ばし、そっと抱きしめた。
「ただいま」
「……はい。おかえりなさいませ」
周囲でも朱雀隊の兵たちや他の侍女たちが安堵の溜息を漏らしている中での事だったが、特に気にならなかった。いつもしっかり者の菊が、小さな女の子のように肩を震わせていて、そうしてやりたくて堪らなかった。
どれくらいそうしていただろう。
多分、そんなに長い時間ではない。菊も周りを気にする事なく、俺の肩に頬を寄せ体を預けていた。その顔は返り血と汗で汚れてはいたが、それでも菊はいつも通りに美しかった。そして、ちょいとばかり可愛らしかった。
俺も菊も、二人だけの世界にどっぷりと浸かっていた。しかし、そんな幸せな時間はなかなか続かないものだ。
とある弾丸一発によって、あっさりと破壊された。
確認するまでもなく千賀だった。
菊を抱きしめていたら、腰の辺りにドカンと何かがぶつかってきてぶら下がったのである。
「ぬおっ!?」
気合いと根性で堪えようと試みたが、必死でしがみついてくる千賀の体重には勝てなかった。日々すくすくと育っているようだった。最近また少し大きくなったような気がする。
「こ、怖かったのじゃああぁっ!」
千賀は顔を上げてそう叫ぶと、涙でべしょべしょになった目をギュッとつぶる。そのまま顔を押しつけてきて、ビーと泣いた。
それを見て、菊もようやく本来の笑みを見せてくれる。二人で顔を見合わせて、クスリと笑った。
俺は菊の体に回していた手をほどき、腰にしがみついている千賀を抱き上げた。やはり、だいぶ重くなっている。抱き上げれば、千賀は俺の首っ玉にしがみつき怖かった怖かったと繰り返す。
俺は、気が済むまで千賀の好きにさせた。そりゃあ、本当に怖かっただろう。目の前で切った張ったを見たのは初めてだったろうから。
俺は周囲に目を配る。
敵味方共に屍が何体も転がっている。見知った顔の遺体が普通に転がっていた。お茶を運んできてくれた娘。笑うとえくぼが出来て可愛かった娘。他にも何人か。みんな知った顔だった。そのどれもが、血と汗と土に汚れている。千賀を守る為に、命を張って誇り高く死んでいったのだ。
俺でも直視しようとすればグッとくる。まして千賀は、俺よりもずっと彼女らと近かったのだ。幼いという事を抜きにしても十分にキツいだろう。
いま彼女たちは、生き残った同僚たちの手によって順番に館の奥の部屋へと移されている所だ。不幸中の幸いとでも言おうか、戦場が館内だったおかげで手厚く弔ってやる事が出来る。
しばらくその様を見ていたら、俺の首に回されていた細い腕の力がふっと抜けた。引っ付いている千賀を見ると、顔を涙で濡らしたまま眠ってしまっていた。緊張の糸が切れてしまったのだろう。
流石に幸せそうな寝顔とはいかない。が、眠れたというならそれに越した事はないだろう。
「菊」
俺は千賀を起こさないように、側にいた菊に小声で呼びかける。
「はい?」
「眠ったみたい。多分、限界まで気を張っていたのだろうな……」
「姫様……」
千賀の濡れた寝顔を見て、菊もなんとも痛ましそうな顔をした。本来の千賀の寝顔を日々見ている菊にとって、この寝顔の意味は俺以上に胸に刺さったのだろう。
そうこうしていると、茜ちゃんを後ろに従えた太助がこちらにやってきた。
「神森サマ、これ。このまえ戦った神楽の忍と同じものだ。こんな場所にいても良いのかなどと言っていたのだから今更かも知れないが……」
そう言って、先ほど葉月さんが投げたと思われるクナイを俺に差し出してきた。
確かに今更と言えば今更だが、動かぬ証拠ではあった。葉月さんも、由利ちゃんも、そしておそらくは美空ちゃんも……神楽のくの一だ。
俺は千賀を菊に預け、先に茜ちゃんに礼を言う。戦いの間中、彼女が千賀を抱きしめて守ってくれていたのだから当然だ。
その後で、太助からクナイを受け取った。万が一に備えて、刃には触れないようにした。忍びの刃物だ。何かが塗ってある事も十分あり得るからだ。
「いや。有り難う。大事な証拠だ」
そう言って懐紙で何重にも厳重に包み、それから懐に入れた。すると、
「武殿。それでは私たちは姫様をゆっくりと休める部屋へとお連れします。本当に来て下さって有り難うございました。また後で参りますので、今は失礼させていただきます」
と菊が俺に伝えてくる。横には、いつの間にか太助の後ろから移動した茜ちゃんもついていた。
「そうだな。その方がいいだろう。それと、そのまま側についてやっていてくれ。目覚めた時に、千賀がよく知る者が側にいた方が良いだろう。俺の方は良いから、そのまま側についていてやってくれ。もし聞きたい事があれば、こちらから顔を出すから」
そう言って、送り出してやる。
すると二人は、生き残った侍女たちに色々と指示を出していた婆さんとともに館の奥へと向かった。
俺と太助は、それを見送った。
その後、高木高俊から状況を聞いた。
あの町の様子を見て違和感を覚えたが、やはりというか彼もあちこちに感じる違和感に首をひねっていた。
その内容を纏めて整理すると――――
一つ、町の門。
抵抗らしい抵抗をする間もなく開かれた。
二つ、あの町の様子。
町が襲われているのに、まるで自分は襲われぬと分かっているかのように開けている店がいくつもあった。大半は戸を閉め息を潜めるようにしていたが、通りに客もいない中、呑気に店を開けて品物の搬入をしていた。
三つ、敵軍の動き。
五百の軍ではなく、もっと小さな部隊単位で動いているようだった。しかし、『軍』としての意思が支離滅裂すぎた。敵の戦のやりようも野卑そのものだったが、兵が送られてくる時機やら兵の配置やらは妙に洗練されていて、歴戦の将に指揮されたどこかの国の正規兵のようだった。
四つ、敵軍の戦い方。
動きだけでなく戦い方そのものも妙なところが多すぎる。野卑な盗賊のように戦ったり、まるでどこかの正規の軍のように戦ったり……自分が何と戦っているのか分からなくなってきた。
と、こんな所らしい。
これらから、まず藤ヶ崎に反乱分子が存在するという事が推測できる。門があっけなく開かれたという事は、その可能性が高い。中に侵入されてとか、色々なケースは勿論考えられるが、抵抗らしい抵抗をする間もなく開けられたというのは一つのポイントになる。買収や埋伏などによって、門兵の中に元々敵が混じっていた可能性を真っ先に疑うべきだ。警戒態勢がきちんと整っていれば、いきなり潜入して開けようとしても、中々そうすんなりとはいかないだろう。
それに、あの町の様子がこの推測に更なる真実味を加えている。
もし手引きしたのが町の人間だったら、そりゃあ自分が襲われる事など恐れはしない。俺ならそこもしっかりと偽装する。頭が回らなかったのか、商売の都合を優先したのかは分からないが、いずれにせよ尻尾を出したに等しいミスをしている。
あとは敵軍の動きだが……。
これは正直わからんな。直接戦ってもいないし、推察するにも材料が足りなさすぎる。ただ、高木高俊がそう言うからには、妙なのは間違いない筈だ。とりあえず、そういう物として理解し作戦を組み立てておくのが妥当だろう。
高俊からそんな報告や意見を聞いた後、次の敵襲に備えた準備と警備をそのまま頼み、俺は朱雀隊の皆に食事と休憩を取る事を命じた。そして俺自身は、太助を連れて本陣となっているという館中央の大広間へと向かう。
とりあえずの危機を脱したとはいえ、まだ何も終わっていないのだ。これから、一つ一つ片付けていく必要があった。