幕 信吾(一) 策というもの その一
その後、互いに挑みかかるような雰囲気だった場を休ませる為、和やかな雑談を交わす。
この時になって、やっと伝七郎様は口を開いた。おそらく、最初から一切口を挟まぬと決めてこの場に臨んだのだろう。我々自身に考えさせる為に。
余裕十分に見えた武殿にしても、黙って見守っていた伝七郎様にしても、本当に尋常な方々ではない。こんな人種を俺は他に知らない。酸いも甘いも経験してきた経験豊富な村の長老たちの中にも、彼らのような人間を見た事はない。
そんな彼らでも不安を持ってはいたのだろう。つい先程までは、そんな事を毛の先程にも感じさせる事はなかったが、雑談をしている時のお二方の顔には安堵の表情が浮かんでいた。
「よし。じゃあ、ちょっと話を本線に戻すぞ? お前らの最初の仕事はな、策の準備だ」
「「「さく?」」」
さくとはなんだ? 先程武殿が言っておられた常識を捨てるという事に繋がるのだろうか?
「ああ、そうだ。寡勢の俺らが、追ってきてる糞野郎どもに熱いキスのおもてなしをしてやる為のな」
きすとはなんだ? 武殿は我々に解らぬ言葉を次々に使う。
「きす?」
与平などはその言葉の調子に何か嗅覚が働いたのか、興味津々に身を乗り出すようにして武殿に尋ねている。
「口づけだ、く・ち・づ・け」
「「く、口づけ?」」
しれっとした顔で武殿は答えてくれるが、敵に口づけするとはどういう意味なんだ? 正直理解が及ばない。
「そうだ。あっつい奴をぶちゅ~~~っとなっ」
なおも武殿は言葉を続ける。非常に悪い顔をしている。しかも、性質の悪そうな顔だ。
こういう顔でにやつく輩とは事を構えてはいけない。俺の感がそう言っている。幸い今回は味方であるのだが。
「で、だ。……おい、おまえら、そろそろ戻ってこいよ? で、具体的に何をやって欲しいかと言うとだな…………」
俺同様に残りの二人も、それぞれ旅立っていたようだ。頭を軽く振り、改めて意識を集中する。
「今度の戦は、お前らの常識からすると、戦ではない戦をする事になる。徹底的に敵に力を発揮させずに、一方的に殺す」
武殿は再び表情を引き締める。腕を組み、俺たちの視線を真正面から受け止めている。
そして、一切躊躇う事なく、はっきりとそう宣言した。
「おまえらの価値観を俺が想像してみるにだな、さながら無辜の民を賊が一方的に虐殺しているようだと思われてしまうかもしれん。兵はおろか、お前らにさえ、だ。なんせ抵抗できぬものを一方的になぶり殺しにする訳だからな」
武殿も今度は難しい表情を隠そうとしていない。
人の心の持ちようの問題だけに、確かに難しい話ではあるし、彼も不安視せずにはおれないのだろう。それはそうだ。肝心な所で我々将や兵が動けなくなったら戦にならない。
「でも、そうであろうがなかろうが、俺たちはそれをやる。まず、これを覚悟してくれ。今お前らの持っている価値観における誇りある戦というのは、この先の水島にはない」
だが、それを押して、そう言い切る。腹をくくれと要求する。
ぬう。とてつもなく過激な事よ。何もかも承知で、我々が当たり前に持っている価値観のすべてを無視すると言うのか。
それが戦場の常識を捨てるという事だと、いや、その一つだと言っているのだろう。
誇りを忘れた獣になれと言ってるのではないのは、俺にもわかる。むしろ、誇りを胸にかき抱いたまま獣になれと言っている。そんな気がする。
彼の目を見る限り、彼は本気だ。その目は、必要なら獣にでもなんにでもなると言っている。そう感じた。
ごくりと喉が鳴る音がした。誰の喉が鳴ったのかわからない。ひょっとしたら、俺自身の喉かもしれない。
伝七郎様は再び黙って話を聞いていた。先程のように何かに祈るようにではなく、ただ静かに黙って話を聞いている。伝七郎様はもうとっくに覚悟を決めておられるのだろう。
武殿は、我々が頭の中で整理をつける時間をくれているのだろうか。我々の目を見ながら、じっと待ってくれている。
先を急がず、我々の気持ちの整理が終わるのを見計らっているように見えた。
「そ、それで……」
辛うじて、それだけを口にする。正直、これから武殿が何を言い出すのか、想像するだに恐ろしい。
「ん。それで、だ。今回は敵を罠にかける。敢えて先に言っておこう。敵を人だと思うな。これは狩りだ。ただ獣を獲る為に罠を張り、極力こちらが傷つく事無く、安全に肉を手に入れる。そういう戦いだ。人だと思うと、戦だと思うと、この世界の人間には忌避感が募るかもしれん。慣れるまでは、人と戦っているのではないと思う方がいいだろう」
時々、彼の言葉の端々に不思議な感覚を覚える。先程の知らない言葉もそうだが、『この世界の人間には』とはどういう意味なのだろう。そのうち機会があったら聞いてみたい。
だが、今はそんな事よりも、我々がなすべきを知り理解すべきだ。
「まず、隘路に人の背の高さ程度の深さの穴を掘ってくれ。道幅いっぱいの幅と……そうだな、人二人分の高さ程度の奥行で頼む」
武殿は机の前から離れ、我々の前まで来ると、小枝で地面に絵を描きながら説明していく。
「次に隘路の入り口に梯子をかけてくれ。両方の崖に上れるようにな」
こちらから見て、隘路の入り口部分の両側に梯子のようなものを描く。
「そしたら、まわりに大量にある枯草を刈って、乾燥した小枝を拾い集めてくれ。これを人の背丈を二回りは超える巨大な球状に纏めてくれ。数は……そうだな。二十ほどでいい。これを後で説明する四ヶ所に分けて設置してくれ」
……武殿はいったい何をするつもりなんだ? これは戦の準備だよな?
「それが終わったら、小川から一抱えほどの大きさの石を運んで、こんな感じで等間隔で山積みしてくれ。細かい場所は現地でまた指示しよう。他には油だが、これも可能な限り小分けにして、等間隔に設置だ。かなり忙しくなると思うが、道永の軍がここに到着する前にこの作業を終えたい。あと作業の順番は今説明した順で必ず行ってくれ。特に落とし穴な。最悪奴らが早く着く事も想定しておかないといけない」
むう。見事に我々が知る戦ではないな。確かに狩りと言われた方がしっくりくる指示内容だ。なるほど、我々に習わしへの拘りがあっては困る訳だ。
与平などは、あきらかに乗り気だ。それはそうだろう。猟師の奴にとって、これは慣れ親しんだ作業であり本分だ。これで戦をするという部分だけが、不慣れなだけで。
源太は、ただただ驚いている。しかし、拒絶する雰囲気は微塵もない。まったく新しい戦に戸惑っているだけだろう。だが、基本的に我々の中で最も戦というものに適性があるのは、この源太だ。体躯に恵まれ、冷静で、頭もまわる。おまけに視野も広い。おそらく武殿の戦に一番最初に慣れるのも源太だろう。
そんな我々の反応を面白そうに武殿は眺めている。先程我々に覚悟を促した時のそれとは、あきらかに異なる雰囲気だ。我々の反応が、彼にとってそれ程好ましかったという事か。
「武殿。念の為に聞きますが、実際の戦はどう戦うおつもりで?」
「ん? 多分お前が思ってる通りだぞ。まずこの様に進路と退路を炎の球で塞いで、投石。多分敵は脇に隠れるから、そこにも火を放つ。これで炎の檻の完成だ。後は投石を再開して、しぶとく残る奴は弓で仕留める」
武殿は予想通りの答えをあっさりと返してくる。やはり、まったく迷いがない。彼は本気だ。
我々が知る戦の礼節からすれば、これは明らかな禁忌であるが、彼は礼を知らぬ蛮人ではない。それは、今回話をさせてもらってよくわかった。
にもかかわらず、そうであるという事はその知恵も肝も覚悟もすべてが飛び抜けているという事だ。
我々は何もかもが足りない状況で戦う事を余儀なくされたが、ぎりぎりの瀬戸際でとんでもない幸運を拾ったのかもしれない。