第二百十九話 第二次藤ヶ崎防衛戦 でござる その三
さて、どうしたものか。
千賀の無事を確認する前に、侵入してきた敵の首領格らしい葉月さんと遭遇してしまった。というか、あまりに意表をつかれた為、うっかり最前線に出てきてしまった。護衛の者たちはきちんと側についてきてくれているが、少々うかつだったのは認めざるを得ない。今更、じゃあそう言う事でという訳にもいかないだろう。参った。
菊が前に出てきている以上、どうあがいても俺が後ろで我慢できていたとは思えないが、それはそれだ。
まあ、とは言えだ。千賀の元には太助が行っているし、俺自身の安全はどこに行った? という件以外には特に問題はないだろう。信吾らがこの場にいなくてよかった。こんな場面を見られたら、また大将たる者うんぬんと始まっていたに違いない。
さて……、とりあえずは時間稼ぎだな。
周りの戦況は、俺たちの突入によりこちらが有利と言っていい。このまま葉月さんらを封じて固めておけば、ほどなくこちらの勝利となると思われる。葉月さんがジッと大人しくしているとも思えないが、こちらにある幾多の手の中でもっとも安全な手と言えるだろう。
ついでに某かの情報でも得られたら言う事はない。
「茶店の看板娘たちが、こんなところにどんな用事があったんだ? ずいぶんと物騒な物も持っているようだが」
刃を打ち合う音や怒号が響く戦場にそぐわぬ呑気な声――三幻茶屋で彼女らに語りかけていたのと同じ声音で尋ねる。ただ、俺の体でその声に同調しているのは首から上だけだった。手足と『腹』は、明確に目の前の彼女を敵と認識している。
「ふん。惚けた事を。むろん千賀姫の首を所望してやってきたのさ」
「それはそれは。だが、それはうちで一番の宝物なんでね。死んでもくれてやる訳にはいかんのだ。お引き取り願えないかな」
「勿論くれるとは思っていないさ。だから、こうして力尽くで頂戴しに来たのさね」
のんびりした会話を交わす。だが、互いの目、互いの腕は、それぞれの敵の首を刈りとるべく僅かな隙でもないかと窺っていた。
葉月さんも由利ちゃんもその周りの忍びたちも、腰を落としてじりじりと距離を詰めてくる。
無論俺も腰を落として、いつでも俊敏に動けるように備えていた。そんな俺の側に菊が寄ってくる。
「……武殿。お下がり下さい。あの者たち、結構やります。相当に訓練されている」
そして、そう呟く。
素人目にもそれは分かった。菊くらいに武芸を修めた者ならば、尚の事それが分かるのだろう。俺を護衛している朱雀隊の者たちもそう感じているようで、葉月さんたちがじりじりとこちらに迫って来始めたのと同時に、俺の前に躍り出てきている。
「そうだね。残念ながら、俺の腕では相手するのは少し厳しそうだ。部下たちに任せるとしよう。だが、菊も一旦下がって千賀の側に張り付いてくれ。あいつらは忍びだ。何をやってくるか分からん。何があってもすぐに千賀を守れる場所にいてくれ」
「畏まりました」
菊くらいの武があれば十分以上に戦える。それは俺にも分かっているし、彼女自身も分かっている。だが菊は、俺の指示に異議を唱える事はなかった。あっさりと頷き、葉月さんらを警戒しながら下がる俺の前に出た。
盾になってくれるつもりらしい。
正直、男としては情けないものがあるがやむえなかった。なにせ、菊と俺とではこと武に関しては比べようがない程の差があるのだから。黙って俺の前に出てくれたのは、彼女なりの気遣いだろう。
まあ、いざとなれば肉の盾作戦で守れば良い。腕の一本も覚悟すれば、俺でも何とかなるだろう。ここは素直に菊の愛に甘えよう。
こっそりそんな事を考えながら、葉月さんらの方を向いたまま、菊と二人で後ずさるようにして下がる。
「くっ。神森武ッ。女の影に隠れて逃げるのかッ」
葉月さんは焦った顔で俺に吠えた。
俺は真顔で答える。
「その通り! 菊の尻を眺めながらなら、俺は大概の事は受け入れられる!」
「た、武殿!?」
葉月さんも、そして俺の前で気を張って守ってくれていた菊も、あまりと言えばあまりな俺の返答に大きく目を見開いた。二人だけではない。周りにいた忍びたちも目をまん丸にかっ開く。
俺の言葉に、僅かな動揺も見せなかったのは朱雀隊の者たちだけだった。
言われた葉月さんと、出汁にされた菊の二人は顔を真っ赤にした。
ただし、その理由は違った。葉月さんは目をつり上げて顔を紅潮させたが、菊はどこか恥ずかしそうに腰をよじっている。状況が状況じゃなかったら、飛びついて抱き締めたくなるほどに可愛らしかった。
葉月さんは俺を挑発しようとしたのだろうが、あまりに巫山戯た反応が返ってきたせいで逆に頭に血を上らせたらしい。口をぱくぱくとさせている。覆面で隠した口元が微かに動いていた。そして、
「お巫山戯でないよっ!」
葉月さんが叫んだ。葉月さんだけでなく、正気に戻った由利ちゃんや他の忍びたちも再び殺気を放ち始める。
周りでも、怒号と剣戟の音が絶え間なく響き、一人また一人と敵味方ともに死者を出している最中の事だった。彼女の怒りは、誰に聞いても理解を得られる事だろう。
だが、俺に対してその姿を見せたのは失敗というものだ。
彼女が叫んだ時の声音と口調は、三幻茶屋で俺の接客をしてくれていた時のものと同じだった。今までの若干押し殺したような声音がどこかに行ってしまっていた。
俺は、こちらを睨む葉月さんから目を離さず迅速に考える。
馬鹿馬鹿しいが思わぬ形で主導権が握れてしまった。こうもうまくいくとは思わなかったが、何事もやってみるものだ。葉月さん、意外に真面目さんらしいな。もっと食えないイメージがあったが、どうしてどうして。これなら、冷静になる前に畳みかければあるいは……。
今度はことさら真面目な顔を作って応える。
「巫山戯てなんかいないさ。ここに来る前に『やけに落ち着いた』町の様子を見てね。ちょいとうちの兵たちを向かわせてみたんだよ。そしたら、皆さん素直に元気よく、『色々』とお話ししてくれたのさ」
賭けだった。
自分の感を信じて、釣りにいく。
奴らが関与している証拠はまだない。でも、もし俺の予想が当たらずとも当からずなら……。
「あいつら裏切ったのかいッ!」
某かの反応を見せてくれるだろう。今の彼女のように。この状況ならいけると思ったが、見事に針にかかった。
「そう水島を舐めてもらっては困るよ、葉月さん。俺の到着で兵力も逆転した。俺自慢の騎馬隊『三百』が外のならず者どもを踏みつぶす為に待機している。あとは、館の兵に号令を掛けて挟めばそれで終わりだ。悪いが、もう俺には敗戦の目は見えていない。余裕の一つも見せられるさ」
「くっ」
「俺も、伊達に鳳雛などとは呼ばれていないんだよ。さあ、どうする葉月さん。もう少し頑張ってみるかい? 出来れば、そうしてくれると有り難いのだが」
俺は最高に愉快だと言わんばかりに、調子に乗ってぺらぺらとしゃべった。普段の葉月さんだったら、多少いぶかったかもしれない。だが、今の葉月さんにはそれは無理だろう。彼女の逃げ道の悉くが俺に塞がれていったのだから。
彼女の心中は、追い込まれてそれどころではない筈なのだ。
それ故に、いま自分を囲んでいる壁がすべて『張りぼて』だとは気づかない。気づけない。
俺の言葉を信じてしまった葉月さんには、取れる行動は一つしかないだろう。この館を囲んでいる兵たちを失えば、彼女にとって巻き返しを図るのも容易ではなくなる。確かに千賀の首を上げれば、それですべてをペイできるだろうが、俺と朱雀隊が乱入してきた以上分が悪いという言葉も生ぬるい成功率だ。
だから、こうなる。
「……引くよッ!」
葉月さんは、そう言うと俺や菊に向かってクナイを何本か飛ばし、そのあと煙玉を地面に投げつけてきた。
「きゃっ!」
菊は驚きに声を上げる。
「菊ッ! 注意しろ! 逃がしても良い。前には来させるな!」
「は、はい!」
辺りに白い煙が立ちこめる。
他の侍女たちも、俺が菊に発した警告を耳にし、咳き込みながらも辺りへの警戒を怠らなかった。
煙はすぐに晴れた。
その時には、葉月さん、由利ちゃん、そして他の忍びたちも、みな姿を消していた。