第二百十八話 第二次藤ヶ崎防衛戦 でござる その二
門が開かれると高木高俊は櫓から降りてきて、足早に俺の方へと近づいてきた。
「お疲れ様です、神森様」
言葉こそノンビリとしたものだったが、その顔はらしくなく焦っている。
「どうした?」
「はっ。館内に忍びがいくらか侵入したとの報せが届いています。正門、裏門など敵勢に押しかけられ館内に回す手勢が足りておらず、捜索には僅かな人数しか回せておりません。姫様が心配です」
「なんだって……」
背筋を走るものがあった。
直感的に繋がったのだ。神楽の里に向かった時に出会ったあの忍びは『この様な場所にいて良いのか?』と言っていた。
不味すぎる。
「太助ッ!」
「応っ!」
「先頭を任せる。朱雀隊は半分俺についてこい。残りは、ここで高俊の下について守れ。こちらの分隊の頭は柿屋重秀に任せる。さっき高台から見た感じだと、すぐに次の部隊が送られてくる筈だ。ここに来るまでは運良くかち合わなかったが、流石にもう俺の到着による動揺も落ち着いているだろう。おそらく来る」
「はっ! お任せを」
「高木高俊っ」
「はっ」
「すまんが、そういう事でお前はこのままここを頼む。俺は千賀の元へと向かう」
「承知いたしました。姫様の事よろしくお願いいたします」
「承知した。太助急げ! 者ども行くぞッ!」
「応!」
「「「はっ!」」」
俺は太助や朱雀隊のみんなの返事を待つ事なく、千賀の部屋に向かって駆けだした。
正面玄関からだと、千賀の部屋は厨を突っ切っていけば、ほぼ直線でいける。
「急げ!」
かけ声を掛けながら走った。俺のすぐ横には太助がぴったりとついてきてくれているし、それに後ろから沢山の足音がついてきてくれている。
厨を抜けて当主の間へと続く扉の前まで来たところで、三人ほどの兵が血だまりの中に倒れていた。ここを守っていた者たちの変わり果てた姿だった。みな喉を切られていた。声を出す前に始末されたようだ。
「ちっ。急ぐぞ!」
声を掛け、俺は奥へと続く扉を潜ろうとした。
だが、その時である。
「危ない!」
太助が叫んだ。咄嗟に後ろに跳ぶ。
すると先ほどまで俺が居たところを通って、
カン、カン、カン――――ッ。
潜ろうとした扉に、手裏剣が高い音を立てて刺さったのだ。
転がりながら手裏剣が飛んできた方を見る。
「……」
手裏剣を投げた者たちは三名。柱の陰や廊下の曲がり角など、それぞれが死角に隠れていた。
朱雀隊の皆は、慌てて俺を隠すように前に出る。
すると手裏剣を投げつけてきた者たちは、散ってそれぞれが違う方向へと逃げていった。
朱雀隊の者たちも、反射的にその後を追おうとする。が、すぐにその動作を止めた。流石に精兵たちだった。
忍びたちの動きは、どう見ても誘導にしか見えなかったのだ。それに戦の喧騒の中で微かにしか聞こえないが、扉の向こうで剣戟の音がしている。俺が止めるまでもなく、皆それぞれにその事に気がついたようだった。
「すまない。ここから先は下がろう。指揮に専念する。太助ッ!」
兵が手を差し伸べてくれたので、それを手に取りながら起き上がる。
「応ッ」
「お前が俺の代わりに一番槍だ。出来るか?」
念の為に確認する。
「もちろん」
まったく迷いがなかった。太助はニヤリと凶悪な笑みを見せた。
「分かった。では、太助を先頭にこのまま突っ込む。この扉の向こうはすぐに戦場だ。今度は、忍びがいたら遠慮なく切り倒せ。ただ、千賀の安全を最優先にしろ。いいな!」
「「「「はっ」」」」
太助含め、朱雀隊の兵たちも即座の応答を返してきた。ここからが正念場だった。
扉を潜ると、俺たちは脇目も振らず千賀の部屋へと走った。
扉を開くと剣戟の音がはっきりと聞こえてきたのである。多数の忍び装束の敵と侍女たちがそこかしこで戦っていたのだ。判断には困らなかった。
「茜ッ!」
先頭を突き進む太助が叫んだ。なんだかんだで、やはり心配だったらしい。だが、俺も太助の事は笑えない。俺の目も真っ先に菊と千賀を探した。
「ちいぃっ。なんだいなんだい、これはッ!」
一人の忍びが大きな声を上げるのが聞こえた。女の声だった。そちらを向くと、その側に菊も居た。額に汗を浮かべ肩で息をしていたが、俺の顔をチラリと見るとかすかに笑んだ。
よかった……間に合った。
俺は心底に安堵した。菊が無事なら、まず間違いなく千賀も無事だろう。そう思えたからだ。残念ながら、千賀の姿は今俺がいる場所からは見えない。見えるのは当主の間の入り口付近と庭園だけだ。千賀は当主の間の奥だろう。
そう判断した時、
「神森武……」
先ほど叫んだくノ一がこちらを振り向いた。
顔を隠しているが、声ばかりでなく体型でも判断が出来た。一生懸命に押さえつけているようだが、かなりグラマーな体型をしているようで隠しきれていない。
だがもう一人、彼女以上に隠せぬ体を持ったくノ一がいた。
さきのくノ一を守るように、ずいっと前に出てきた忍びもまたくノ一だったのだ。胸元を見るだけで性別は一目瞭然だった。
ただ、そんな事よりもだ。正直俺は唖然としていた。
あのくノ一の声だ。聞き覚えがあった。
若干声音が違うようだが間違いない。なにせ、何度も通ったのだから。
菊やくノ一二人の方へと俺はゆっくりと向かう。護衛の兵も黙ってそれについてきてくれた。
「まさか……葉月さんか?」
俺は先ほど声を上げたくノ一に声を掛けた。
「ふん。流石は女好きだね。声を変えていても見破られたか」
くノ一……葉月さんはすんなりと認めた。悪びれている様子もない。その手には、隙あらば投げつけようとしている飛びクナイがギラついている。
「となると……そっちは由利ちゃんか……」
「…………」
もう一人のくノ一にも目を滑らせる。が、こちらは温度のない瞳でこちらの挙動を探ったまま口を開かなかった。その冷たい目つきは、あの明るい由利ちゃんのものとは似ても似つかなかった。だが、目の色だけは確かに同じものだった。
咄嗟に美空ちゃんの姿も探してみる。が、彼女くらいの体格の者は見つけられない。
とりあえず、この場にいるのは二人のようだった。しかし、それでも美空ちゃんだけが例外という事はないだろう。
なんてこった……。
周りで続いている戦いの喧騒が遠のくような感覚を覚えた。
だが、相手が誰だろうと俺のやらねばならない事は一つしかない。
腹をくくり直す。腰の刀をゆっくりと引き抜いた。
そして、目の前でかぎ爪をギラつかせながらこちらの挙動を窺っている由利ちゃんを警戒しつつ菊の方へと向かう。
俺たちは互いに警戒し合い、反時計回りにゆっくりと回った。その間も、周りでは朱雀隊の者たちと侍女衆が葉月率いる忍者軍団と激しく戦っていた。俺たちの周りだけに時間がゆっくりと流れているのである。互いにうかつに仕掛けられないせいで、そうなってしまった。
じりじりと動いているうちに、ようやく菊の側まで来る。本当ならば、今すぐにでも抱きしめたいところだが、それは叶わない。きっちりとこの騒ぎを片付けて、後で心ゆくまでしようと思う。
「お待たせ」
俺は葉月さんや由利ちゃんたちから目を離さず、隣の菊に向かって言った。
菊も全く身じろぎせず、葉月さんたちの方に向けて長刀を構えながら応えた。
「信じていました……」
視線を葉月さんらから切る訳にも行かず、その表情を見る事は出来ない。が、その声音だけで菊の心情が痛いほど伝わってきた。戦場にそぐわぬ涙声だった。