第二百十七話 第二次藤ヶ崎防衛戦 でござる その一
「煙は上がっていないな」
「だが、武家町の方は騒がしいぞ。館は囲まれてんな」
俺のつぶやきに、側についていた太助がいつになく真面目な声で反応した。
藤ヶ崎まで目と鼻の距離にある、ちょっとした高台で、俺は藤ヶ崎の町の様子を窺っていた。後ろには、強行軍において誰一人として脱落する事なかった朱雀隊の者たちが静かに控えている。
八雲の提案にのって牧場を目指した俺たちは無事交渉に成功し、乗っていた愛馬らを預け購入した馬たちに跨がった。そして駆けに駆けて、ノンストップでやってきたのである。一徹の上に走りっぱなしという人にも馬にも過酷な行軍だったが、そのおかげで八雲の目算通りに一昼夜でこの身を藤ヶ崎まで運ぶ事ができた。
ここから見る限りまだ館も落ちていない。高い代償を払って無茶をやった甲斐もあったというものである。
だが、すべてが良好という訳でもない。
目の前の藤ヶ崎の町が異常だった。
敵に囲まれており非常事態であるのは当然なのだが、そういう事ではなく……。
「……おかしいな。賊に襲われたという話なのに町が静かすぎる。報告でも聞いてはいたが、こうして自分の目で見るとなお奇妙さが目立つ」
目の前の光景が異常すぎて、そう呟かずにはいられなかった。
「どういう事だ?」
太助は怪訝な顔をこちらに向けてきた。
「なんでうちの館なんかを狙ってんだって事。あいつらは阿呆か」
「??」
太助は首を傾げてしまった。
俺は一呼吸を入れて、咬んで砕いて説明をしてやる。
「いいか? 確かに、うちの館の倉にある財物の量はこの町屈指だろう。だが、館には兵がいるんだぞ? ただの賊が手を出すには手強すぎるわ。賊なら、目的は金目の物や女だろう。それを手堅く手に入れようとするならば、そもそも兵の多い町なんか襲わずに里や村を襲うべきだし、金に目がくらんで町を襲うにしても、兵と衝突する前に目的の物を奪ってさっさとずらかるのが常道だ。兵と戦うなど、冒す危険に対して割が合わなさすぎる。まず儲けにならん」
「そんな事いったって、実際に目の前で戦ってんぞ?」
「だから阿呆かと言ったんだ。目的がさっぱり分からんぞ。つか、本当に賊なのか、あれは。藤ヶ崎の町を見ろ。確かにほとんどは戸を閉じて息を殺しているようだが、呑気に店を開いている所も何カ所かある。欲に目がくらんだ賊が町になだれ込んだら、普通目指す先は領主の館ではなくあの商店街だろうが」
そう言って大通りがある町の商業地区の方を指すと、太助はようやく俺が何を言っているのか理解したようだ。
「そりゃあ……そうだろうな。うん、言われてみると確かに変だ」
「だろうが」
「だが、ここでああだこうだと想像していても仕方がない。とっ捕まえてから、ゆっくり検分でもしたらどうだ?」
「言うじゃねぇの。だが、お前の言う通りだ」
「とは言え、もう先頭切って走るなよ」
太助はじっとりとした目で、こちらを見た。ここに来るまで、ずっと俺を追っかけてきたのだ。文句の一つも言いたいという事らしい。
「分かってるよ。町への突撃は朱雀隊の副長にやってもらうさ。俺は後ろで指揮に専念する」
「そうしてくれ。もしあんたになんかあったら、俺が与平さんらにシメられるんだからな」
「分かった、分かった」
頼むぜと言わんばかりの表情で、太助に念押しをされた。田島の町を出てからこっち、先頭を走ってしまったのは正直悪かったと思う。が、むしろ褒めて欲しい。猪になって、そのまま館の中に直行しなかっただけ、まだ理性というものが残っていたじゃないかと。
パンと顔を両手で叩き気持ちを入れ替え、もう一度藤ヶ崎の様子を上から見て頭に焼き付けておく。俯瞰した状態で見られるのは、今が最後だからだ。
町の周り……敵影らしきものはない。
門……開かれたままだ。いきなり押し入ってきたという話で、戦線が館周りに移ったままという事だろう。つまり、制圧こそはされていないが、館周り以外は敵の勢力圏という認識で間違いなさそうだ。
町の中……商店街は人の姿こそないものの、荒らされている様子はない。それどころか開いている店まである。チェックその1。おかしすぎる。そもそも人はどこに消えた? 館か? いや、いくら水島の館でも、流石に藤ヶ崎の全人口を避難はさせられない。周りの村や里に疎開させたのか? いや。報告を聞く限り、うちの人間にそんな事をしている暇はなかった筈だ。
港……町中にある港の様子も、いつもよりも活気がない事以外にあまり変わった様子はない。チェックその2。ここも異常すぎる。いくら戦場から少し離れているとはいえ戦争中だぞ。なんでノンビリ舟が出入りして、荷揚げなんかしているんだ? まるで襲われない事を知っているみたいだ。
武家町……パラパラと人影も見えるし、ところどころに小部隊の姿も見える。ここらは多少戦禍の跡が見える。将兵らの家族は館に逃げ込めたのだろうか。うまくやってくれているといいのだが。いずれにせよ、敵の陣はここら辺りのようだ。部隊が出入りして、館の方へ向かったり帰ったりしているから間違いないだろう。
そして、館……囲まれており、ここが最前線だ。ここらでは館正面の門しか見えないが、まだ改造間もない二重門の一枚目はすでに破られていた。奥の門を巡って攻防が繰り広げられているのが見える。チャンスだった。いま後ろから突っ込めば、敵方が混乱すること間違いなしである。騎馬の機動力は失われるが、朱雀隊の皆が正面からの殴り合いで賊ごときに後れを取るとは思えない。相手が同じ精兵だと言うのなら話は別だが、そうとも思えない。俺の到着までに館を落とせていない事からも、それは明白だ。つまり、ただの賊ではなかったとしても、朱雀隊の敵ではない。おまけに、さきの神楽忍軍との戦いと違って戦場には罠がない。
単純な力比べでも負けるとは思えない。
方針は決まった。
「正面玄関にたむろしている連中のケツを蹴り上げるぞ、副長!」
俺は、後ろで静かに控えていた朱雀隊の方を向いて声を上げた。俺の呼びかけに朱雀隊副長・柿屋重秀が白い髭を揺らしながら応える。
「はっ!」
「正面玄関に突っ込み、館に押し入ろうとしている不届き者どもに誰に喧嘩を売っているのか教えてこい」
「はっ!」
「旧・正門を潜ったら、そのまま敵を右奥か左奥に追い詰めろ。敵が固まれば、高木高俊が勝敗を決してくれる。門脇の櫓からの矢であっさり片付く筈だ」
「はっ!」
「俺の護衛には十名残ってくれればいい。その他は、この初撃に加わってくれ。お前たちの力ならばどうやっても勝てるだろうが、こちらの被害は出来るだけ少なくしたい。継直の首を上げるまで、まだまだやる事は山ほどある。簡単に死んでくれるなよ?」
最後は、少し冗談交じりに巫山戯てみせた。すると重秀も軽く笑う。そして、
「はは。もちろん承知しております。このぐらいの事はササッと片付けてみせますとも。我らは水島の鳳雛直属の精鋭部隊・朱雀隊ですぞ?」
と返してきた。
重秀は初老にさしかかろうかという年齢のベテランで、本来ならば俺が偉そうな口を叩ける相手ではないのだが、快く俺の下で働いてくれている偉丈夫である。もちろん精鋭部隊の副長をやれるくらいなので、頭も回るし度胸も良いし腕もすこぶる立つ。
しかし、俺に付き合えるような人物だけあって、やはりどこか変なのであった。だから、このぐらいの返しは平気でする。
ただ俺は、そんな柿屋重秀を朱雀隊の副長として本当に信頼していた。だから、
「頼りにしている」
と今度は真顔で伝えた。そして、それにも重秀は期待通りの反応を寄越すのであった。
「おまかせを」
その後、俺たちはまっすぐに藤ヶ崎の町を目指した。
誰もいない開かれたままの南門を抜け、市街を駆ける。そんな俺たちの姿を見て、驚いたような表情をする町の住人たちもいた。
先ほど高台の上で見た通りに、やはり町の大半の店は閉まり中に人が居るのかどうかも分からない状態だった。普段は活気に溢れている道にも、客たちの姿はない。しかし何軒かの商店は開いており、呑気にも荷の搬入などをしている。
明らかに妙だった。が、俺はそれは後回しにする事にした。
もちろん重要な疑問点ではあったが、それ以上に俺は早く千賀や菊の安全を確保したかった。ここまでやったのに、寄り道をしてあと少しというところで間に合わなかったら、俺は自分を許せなくなるだろう。だからだ。
私情? だからどうした。
全俺の一致した意見だった。
そんな俺の気持ちを汲んでくれたのか、朱雀隊の皆の活躍は見事なものだった。
鍔迫り合いのような状態になっていた正面玄関前に臆する事なく果敢に突っ込んで、あっという間に玄関前にいた敵兵を、二枚扉で挟まれた空間の右奥に押し込んでしまったのだ。
そして、正面玄関の指揮を執っていた高木高俊も見事だった。俺の信頼に応えてくれた。朱雀隊の動きに俺の意図を察知し、阿吽の呼吸で固まった敵勢に矢の一斉射を打ち込んだのである。
勝負は一瞬でついた。
後方からの不意打ちに混乱した敵勢は、なす術もなくハリネズミになった。パッと見ではあるがこちらの弓兵の数はそう多くない。だから、ばらけていれば対処できていただろう。しかし押し込まれてしまった為、良い的になっていた。
「よし。あとは後方からの攻撃に気をつけろ」
正面玄関にたむろっていた敵兵があらかた片付いたのを見届け、俺は柿屋重秀にそう指示を出す。そしてそれと同時に、側で護衛してくれていた太助が櫓の上にいる高木高俊に向かって声を張り上げた。
「神森武様、ご帰還ッ。開門せよ」
すると、
「開門!」
高木高俊の号令が響き、先ほどまで敵勢が躍起になって開けようとしていた水島館正門の二番門がギィ――と重い音を立てて開いた。