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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第四章
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幕 菊(一) 藤ヶ崎の館防衛戦 その五

 影がもぞりと動いた。


 咄嗟に、私は姫様を背中に隠すように動く。すると、すぐに茜が駆けてきて姫様を抱き後ろへと下がった。


 他の岩や木の陰からもわらわらと人が湧き始める。


 その者らすべてが枯茶色の装束を身に纏い、顔を覆面で隠していた。ただ、やけに真っ直ぐな刀を持っている者、手甲から伸びる鋭いかぎ爪を日の光にぎらつかせる者、ジャラリと鎖鎌を構える者、鍔のない短刀のような物を構える者……装備は様々だった。


「何者ですっ!」


 私が叫んだときには、他の侍女たちももう気がついており、戦闘態勢に入っていた。二十名ほどが前に立ち、残り十名ほどが後ろで姫様の守りに入っている。たえ様が全体を見て、姫様のお側には茜がいる筈だ。


 茜の役割は本来私が務めていたのだが、茜がやってきたので私と交代した。


 そのおかげで私は前に出られる。


「どいてもらおう。千賀姫のお命頂戴する」


 湧き出た忍びたちは無造作な、しかし隙のない歩みでこちらに近づいていくる。そして、一番最初に姫様が見つけた忍びが、その先頭で口を開いた。女の声だった。


 だが、そんな事はどうでもよい。体を巡る血から、情というぬくもりが失われるのを自分で感じた。


「……どきません。それ以上近づけば貴女が死ぬ事になるでしょう」


 私は手にした長刀を大きく横に薙ぎ、そののち振りかぶる。


 武芸は修めているが、まだ私は人を斬った事がない。


 しかし今、目の前の者たちならば斬れる。そんな自信があった。こんな形で始めて人を斬る事になるとは思ってもいなかったが、不思議と今私はまったく躊躇いを覚えていない。だからだ。


 更に、私の両側にも長刀を構えた味方が配置についた。


 それを見て、こちらに向かって歩いてきていた女忍者――くノ一はその歩みを止める。彼女の両側にも彼女の味方が配置についた。


「ならば無理矢理にでも」


「他人の館に押し入っておいて、今更何の戯れ言を」


 どうやら、この正面のくノ一がこの集団の長らしい。先ほどから応答しているのはこのくノ一だけだった。あとの者は、皆無言で鋭い視線と刃をこちらに向けているだけだ。


 これが武人同士の戦いならば、『いざ』で勝負を始めるところだろう。しかし私たちと彼女らとの戦は、突然投げつけられた飛びクナイを私が払い落とした音で始まった。




 キン、キン、ガツ――ッ。


 あちこちで刃と刃が打ち合わされる。投げつけられる手裏剣、クナイを弾く音。逆にこちらが射った矢が払い落とされる音などが間断なく響き渡った。


 私の前にも先ほどのくノ一を筆頭に、何人かの手勢が襲いかかってくる。


「どけ!」


「どかぬと言ったでしょう!」


 かなりの早さで懐の中に飛び込んでこようとするくノ一を、刃と柄を使って押し戻しながら叫ぶ。くの一の武器は小太刀ほどの長さの直刀なのだが、嫌らしい事に飛びクナイも併用してくる。なかなかに小器用だった。


 それだけではない。


 彼女の攻めと引きに合わせて、彼女の部下たちが連携をとりながら襲いかかってくる。かなりきつい攻撃だった。流石に忍び。先日まで相手をしていた賊らしき者どもとは違う。


 このままではマズイ。


 口惜しいが、認めない訳にはいかなかった。


 私はともかく、他の侍女たちではこの忍びたちの相手は荷が重すぎる。現に左翼が突破されかかっていた。 


「左の方が手薄になってます。誰か向かって!」


「「「はい!」」」


 目の前のくノ一らをにらみ据えながら叫ぶ私に応えて、長刀を握った咲さんら数人が後ろから飛び出してきて突破されかかっていた左翼を支え直す。


 その様子を目の端に入れながら、私は愛用の長刀の柄を大きく振るった。


 すると、飛び込んでこようとしていたくノ一は何かを感じてバッと後ろに飛んだようだ。すると、空振りしてにわかに隙をつくってしまった私に、鎖鎌を持った忍びから分銅が投げつけられた。


 避けられない!


 刹那の判断で避けるのを諦め、振るった柄をそのまま分銅に当てて鎖を絡みとる。そして、柄を振った勢いを殺す事なく、そのまま円を描くようにして鎖を引き寄せながら、よろめいた忍びの肩口に刃を振り下ろした。


 ぞぶり。


 忍びはその一撃で血を吹き上げながら絶命した。天井にも、そして私にも飛び散った血が振りかかる。


 が、気にしている余裕などなかった。次がすぐにやってきたからだ。


 後ろで姫様は、さぞ怖い思いをしているだろう。出来る事ならば、こんな戦場など見せたくなかった。こんな私自身も見て欲しくはなかった。


 しかし今は、堪えてもらうしかなかった。


「ちっ。流石は永倉平八郎の娘って事かい。本当にやる」


 目の前のくノ一が吐き捨てるようにして言う。顔は覆面の下だが、その目が焦っていた。


 父の方針で、女ながらも私は幼い頃より武芸を嗜んでいる。そして、それなりの術を修めた自信もある。そう簡単には負けてやるつもりはなかった。


「そう思うならば大人しく引きなさい。私がいる以上は、絶対に姫様に手は出させません。無駄に命を落とす事になるでしょう」


「ふん。引けるものなら引くさね。こちらにも都合があるんだ。ここで引く訳にはいかない」


「ならば死んでもらうだけです」


「それも御免こうむるよッ!」


 くノ一は再びクナイを投げつけてきた。


「くっ!」


 しまった!


 来る時の分からぬ投擲に体が思わず動いてしまった。仰け反って躱してしまったのだ。


 が、


 キンッ。


 姫様の周りを固めている侍女衆がなんとか処理してくれた。危なかった。クナイは私ではなく、私を狙ったフリをしてその後ろの姫様を狙ったのだ。


「ヒッ」


 自分を抱きしめて体を盾にして守ってくれている茜に、姫様が力の限りにすがりついていた。茜は顔を真っ青にしながらも必死で姫様を庇ってくれている。いつもどこかおどおどとした所のある茜だったが、どうやら私の見る目がなかっただけらしい。存外芯は強いようだ。


 私はホッとしながら、目をくノ一の方へと戻そうと思った。しかし、


「戦の最中によそ見はするもんじゃないよ?」


 そんな気配はなかったのに、すぐ側でくノ一の声がした。ちょっと目を離した隙に懐へ飛び込まれてしまったのだ。


「くっ」


 くノ一はその手の刀を巧みに使い、連続で斬りかかってくる。八方から嵐のような連撃が私を襲った。


「ぐっ」


 キン、カン、キン、カン、ガキッ。


 いくらか浅く切りつけられた。だが、なんとか致命傷になるような太刀筋は防いだ。剣と長刀の柄で力比べになる。


「ちぃ。本当に腕の立つ姫様だね」


 今ので仕留められると思っていたらしいくノ一は、心底忌ま忌ましそうにそう唸った。


「そう簡単にやられる訳にはいかないのですッ」


 気組みで負けないように吠える。


 だが、今のは本当に危なかった。思わず姫様の方に気を取られてしまった。己の未熟を恥じずにはいられない。気遣ったつもりで、その事によって逆に姫様を危険に晒してしまったのだから。


 気持ちを引き締め直し集中する。


 その後も一進一退の攻防戦になった。


 高木殿からの援軍は来ない。どうやら、向こうも手一杯になっているようだ。


「……よし。もらった」


 そんなおり、目の前のくノ一がそう呟く。


「一体なんの……」


 何の事だと言おうとした。だが、言えなかった。


 ザッ。


 こちらの援軍ではなく、敵方の援軍が到着してしまったのだ。その数は十名と少ない。だが、その十名も忍びだった。同じ枯れ茶色の装束を身に纏い、顔は覆面で隠している。


 そんな……。


 思わず絶望した。こちらも二十数名いる。しかしそれでも、今まで目の前の十名に手こずっていたのだ。それが敵の数が倍になる。たった十名。されど十名だった。


 こちらは侍女が二十名。あちらは訓練された忍びが二十名。共に何人かがすでに命を落としているが、この後どちらがこの場を支配する事になるかは明らかだった。


 もう駄目か……。


 すり足で後ろに少しずつ下がりながら、私の中の冷静な部分がそう呟く。


 たえ様が、姫様を連れて逃げる準備に入ってくれているだろう。こうなっては、私たちはここでこの身を盾にして、しばらくの時間を稼ぐのみである。


 武殿、すみません……。


 心の中で詫びる。折角もらってくれると言ってくれたのに、お仕えする事はもう出来そうになかった。


 長刀を握り直す。


「……覚悟して参りなさい。この命尽きようとも一人も通しません」


「肝の据わり方も流石だね。いいだろう。なら菊姫、お前から先に……」


 その時だった。


 プォーン。


 ホラ貝が鳴る。


 くノ一の言葉は最後まで口にされなかった。くノ一はこちらに気を配りながらもチラチラと周囲を窺っていた。


 プオーン。


 まただ。ホラ貝の音が響き渡った。


 屋敷の中ではなかった。少し音が遠い。それに、それだけではなかった。ドン、ドン、ドン――ッ。太鼓の音も鳴り響き出す。


「な、なんだい、これは……」


 くノ一も、その部下たちも揃って動揺していた。流石に無様な姿こそ晒していなかったが、皆何事かとキョロキョロと辺りを見回している。


 どうやら敵のものではないようだった。かと言って、私にも訳が分からなかった。次の援軍が着くには早すぎる。


 だが、その予想は見事に外れる事になった。敵の忍びが駆け込んできて叫んだのだ。


館外(やかたそと)に敵の軍が到着しました! その数百。旗印は鳳凰紋! 飛び鳳凰の丸です!」


「そんな馬鹿な! 早すぎる!」


 目の前のくノ一は目を剥いた。


「うそ……」


 私の口からも思わず漏れた。


 まだ来る訳がないのだ。来られる訳がないのだ。


 私が使いの者をやって、まだ四日目。使いが着いてすぐにこちらに向かってくれたとしても、いくらなんでも早すぎる。あの人は往復で六日はかかる所にいた筈だ。


 だが、もしこの地で鳳凰紋が掲げられているならば、それは『神森武』以外にはありえない。


 飛び鳳凰に丸……旗印が必要だからと、鳳雛・神森武の紋として選ばれた印。


 最初武殿は恥ずかしそうに拒んでいたのだが、現物を見て「……格好いいな。家紋もこれでいいや」などと言って採用してしまった紋である。


 鳳凰紋を持つ将は他にはいないのだ。


「来てくれた……やっぱり、あの人は来てくれたッ!」


 驚きに満たされた頭の中が喜びに塗り替えられる。


 どうやったのかは分からない。でもあの人の事だから、誰にも思いつかないような方法でやってきてくれたのだ。


「みんな! もう少し、もう少しの辛抱です! 武殿が到着しました!」


 私は、仲間の侍女らすべてに聞こえるように声を張り上げる。


 その言葉は敵を威圧し、仲間たちには勇気を与えた。


「さあ、形勢は逆転しましたね。まだやりますか?」


 厳しい目をしてこちらを睨んでいるくノ一へと振り向き、声を掛ける。


「ここで失敗したら、こちらも後がないんでね。下がる訳にもいかないのさ。それに、まだ今はこちらの方が有利なのを忘れてもらっては困る!」


 しかしくノ一は、すぐに冷静になって私の問いかけに答える。そして、サッと腕を振った。


 すると彼女の後ろに控えていた忍びたちも、また先ほどここにやってきた十名ほどの忍びたちも間髪入れずに動き出した。揃って猛然と襲いかかってきたのだった。

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