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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第一章
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幕 伝七郎(二) 鳳凰の雛 その一

 彼はどこにいったんだ?


 姫様との会見が終わった後、私が姫様を連れて姫様の部屋へと送り、再び会見が行われた場所へと戻ると彼の姿は消えていた。


「咲殿。武殿はいずこへ行かれたのです? 姿が見えませんが……」


「あっ。伝七郎様。武様なら、先程伝七郎様が姫様と部屋の方へ行かれた後、陣の外に出て行かれました。『ちょっと外に出てくる。すぐ戻る』そう言っておられました」


 ちょうど、まだその場にいた咲殿に聞けば、そのような回答が返ってくる。こちらなど、まったく知らない筈の武殿が外に如何な用があるのだろうか? 


 それに万が一があってはいけない。今更彼を疑う気はないが、彼に何かがあっては大事である。


「そうですか。では、私も少し出かけてきます。武殿はどちらの方へ向かわれましたか?」


「はい。畏まりした。えっと、確か南の方から出て行かれました」


 咲殿は静かに小さく首肯すると、そう教えてくれた。


「ありがとうございます」


「あっ……、はい。いってらっしゃいませ。伝七郎様」


 胸の前で指をモジモジと動かす彼女の手を取って礼を言うと、南へと歩を向ける。


 急ぎ探さねば。今私たちの運命を握っているのは、おそらく彼だ。私ではおそらく耐え切れない。精々何とか姫様を逃がせればといった辺りが、私の紡げる未来の限界だろう。


 でも……、彼が見ている未来はおそらく違う。彼は言った。『奉公する事はできない』と。でも、彼は姫様にこうも言った。『助けて見せようじゃないか』と。


 これは即ち、死を覚悟してどうとか彼が考えていないという証明であろう。


 それに証拠はないが私には何となくわかる。彼の心は助けると言ったあの言葉を嘘にする気はない、と。


 もし、彼が姫様を適当にあしらったのだとしたら、あの時、姫様を見ていた彼の表情の説明がつかない。


 あの表情を偽りでできるのだとしたら、彼は歴史に残る天才的な詐欺師だ。でも、そんな人間にしては、彼は感情を見せすぎだと思う。


 彼は本気でこの退くも進むもままならないと思われる窮地を、正面から切り抜けるつもりの筈だ。私の思いもよらぬ方法で。




 ……いた。木の根元に寝転んで、厳しい表情で空を、いや、天を睨んでいる。


 まだ出会って間もないが、彼はいろんな表情を私に見せた。


 でも、彼がこんな表情をする人間だとは思わなかった。良し悪しなど成した後でゆっくり考えろと言わんばかりの大胆不敵な態度。どこか飄々とし、それを崩さない。それが彼だと私は思っていた。だが、それだけである訳がなかったのだ。


 今の彼は英雄の顔をしている。いや、これは語弊があるか。これから英雄になろうとする人間が、英雄になる前にする顔をしていると言うべきか。


 本来は誰も見る事を許されないだろう決意と不安、そして苦悩の混ざった表現しがたい表情だ。


 そんな彼の悩む姿を見て不安になるのが普通なのであろう。しかし私は、今彼の浮かべているその表情に希望を感じている。


 その理由もはっきりと自覚できている。彼の悩むその姿が、雛が卵の内から殻を叩いている姿と重なって私には見えている。だからだ。


 私は酷い男だ。己の無力を免罪符に、私の負うべき重荷をまったく関係のない彼に背負わせて、その悩む姿に奇跡を信じているのだから。


 しかし、さほど見聞が広いとは言えない若輩者の私にとはいえ、直感的にそう思わせるだけの空気のようなものを、すでに今の武殿は発している。故に私は彼を見て、英雄達のそれに重ねてしまったのだろう。


 この窮地に、頼る事の出来る人材を得たと思った。だが、そのような小さな器の御仁を私たちは拾ったのではないのかもしれない。その発する雰囲気がすでに常人のそれではない。雛は雛でも、彼は鳳凰の雛かもしれない。そう思わずにはいられない雰囲気を彼は纏っていた。


「……武殿、このような所におられましたか。探しましたよ?」


 寝転んでいた彼はその身を起こし、胡坐をかく。


「んあ? 伝七郎か。なにか緊急事態か?」


 彼は私が話しかけると、先程の表情をすっと仮面の裏に隠してしまう。やはり、そうだ。あれは何人も見る事が許されぬ顔なのだ。


「いえ。……ただ礼を言いたくて」


「礼?」


 彼は不思議そうに小首をかしげている。


「いえ。わからなくていいのです。ただ、私が礼を言いたかっただけですから」




 ありがとうございます──……。


 ────姫様を守ると言ってくれて。


 ありがとうございます──……。


 ────姫様の心までも守ってくれて。


 ありがとうございます──……。


 ────私たちの前に現れてくれて。




「よくわからんが、まあいい。それで、俺も協力するといった。おまえも協力して欲しいと言った。俺にどんな事を望んでいる? そりゃあ、この状況だ。千賀だったっけか? あの子の前で言ってたように、あの子たちを逃亡させるのを手伝えってのは分かる。けど、具体的にこれをしてくれってのは、もう決めてるのか?」


 彼は怪訝な表情を浮かべたまま、そんな事を言った。きっと本当にわかってはいないのだろうが、別に彼が知らなくてもいい事だ。だから、彼への期待だけを口にする。


「武殿には私と共に知恵を絞ってももらいたいし、盛吉を一蹴できるほどの武芸達者なら、兵も率いていただきたいです」


 これを聞いた彼は少々慌てた。そして、それは先走り過ぎた意見だと反論する。こうして話をしている限り、そんな事はないと思う。だが、彼が早いというなら、それを無理強いするまい。


 彼は次いで軍の現状についての説明を私に求めた。


 その中に策と兵站という言葉があった。私たちの世界にはない言葉だ。


 聞けば、策というのは戦場で効率的に物事をなす為の方法の事のようである。そして、兵站とは私たちで言うところの荷駄などでの物資輸送の事であろうか?


 だが、それよりも着目すべきは、それらを含めた私たちの会話が終わるにつれての、彼の気配の変化だ。まさに劇的だった。


 驚愕から困惑を経て、最後に至ったのはなんだったのだろうか? 私の目には確信と映る。


「……。喜べ、伝七郎。もしかすると、もしかするかもしれん。なんとかなるかもよ?」


 そして、その時、私は殻にひびが入る音を聞いた気がした。




 武殿が地図を確認したいと言うので、陣へと移動する。


 しかし、その間も私たちの情報の摺り合わせは続く。今は時間が惜しい。それは彼と私の一分の誤差もない意見の一致だ。


 彼は次々に確認し、時に私に指示を出す事を要求する。


 すごい……。想像以上にすごい。私たちとは全く違う角度からものを見て判断しているのがはっきりとわかる。異世界の人間だから? 本当にそれだけなのだろうか? 確かにそれは事実の一端ではあるだろうが、彼は彼が思っている以上の資質を秘めているのではないのだろうか。


 それとも彼がいた世界というのは、日常に戦と謀事が溢れるような、私たちには想像もできないほど血生臭い世界なのだろうか?


 そうであれば、まだ多少はこの彼と私の差も理解ができるというものだ。


 しかし、彼の視点のその多彩さには、本当に驚かされる。正直、今の私では、話についていく事すら満足にできてないと言わざるを得ない。


 私がそう口を滑らすと、彼は深く目を閉じると首を振り、そんなものは些細な差だと謙遜する。


 だが、些細な差である訳がない。絶望的な差なのだ。


 切所を迎えている、まさに今この場にあって、その差を埋める術がないものを絶望的だと言わずして、何を絶望的だと言えばいいのか。


 この差は、どう言葉を尽くしても埋めがたい差であるとしか言いようがないではないか。


 しかし、己の無力を噛みしめる暇もなく、彼はそのまま将を選ぶように進言し、更にその時に注意すべき点まで噛み砕いて説明してくれる。


 先程の謙遜していた時の表情を一転させ、諭そうとするかのような真剣な表情でそれを語る。


 曰く、すでに兵の人望がある人物を選べ。曰く、私が絶対の信用を置く人間を選べ、と。


 彼は些細な差だと言う同じ口で、それらを注意点として挙げた。こんな基準で将を選んだなどという話を、私は聞いた事すらないというのに。


 私たちの世界では、世襲で将になる事が殆どだ。その元のご先祖様は、何か功を立てて将となったのではあるが、基本的に役職は親から子へと世襲で継がれていく。


 能力やその人物個人に着目しているだけで十分異様なのだ。


 私も本来はそうあるべきだとは思っていた。でも、彼にとってそれはすでに当たり前の事。


 慣習に二の足を踏んでいた私と、すでにそれが当たり前の彼。これだけでも、すでに決定的な差である。


 彼は何でもない事のように、そう意見をしてくれる。私が再び絶望的な差だと言っても、彼は(おど)けた様にこう言っただけだった。


「まあ、いいや。そんな事はここを生き延びて、糞野郎をシバキ倒した後で、咲ちゃんに茶でも入れてもらって縁側で話そうか。ん?」

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