第百三十九話 二水の町の館にて でござる その一
そのまま町の大通りに沿って北西に進み、折れる。燃えた館までは、その道を真っ直ぐ行くだけだ。大通りと比べれば、その道幅はその半分ほどしかない。まあそれでも、この町の平均からすれば広い方だと思う。早駆けの馬でも二、いや乗り手次第では三頭横並びで走らせられるだろう。
この道は、巽屋に向かう時にも通った道である。そして昨日、田村屋の茜ちゃんが館を襲った者たちが馬で駆けて逃げていったと証言した道でもあった。館の前から、田村屋の前を通り、大通りも渡ってそのまま真っ直ぐに駆けると艮門へと出る。
ちなみに他の二つの門――乾門と巽門は、この二水の町を貫く大通り、つまり巽屋がある通りの両端にある。北西にあるのが乾門で、南東にあるのが巽門だ。
決して広いとは言いがたい今歩いているこの道ではあるが、こういった点からも、この町にとって主要な通りの一本ではある事は見て取れる。
しかしながら、朝方通ったとき同様に真昼の今でも人通りがほとんどない。見る事ができるのは、点々とある民家と、その庭先にある小さな畑で作られている大根くらいである。
それらの道脇に点在する民家は、どれもが年季の入った色をしており、真新しい色をした物は一軒もなかった。建物の至る所に見られる、適当な板を当てて修繕された跡も、何かを語りかけてくるかのようだった。
畑の方を見ても、周囲にはかなり雑草が生え放題になっており、頻繁に手入れをしているようには見受けられない。
何というか、活気は言うに及ばず、人の気力というものをまったく感じない風景だった。俺たちの歩く音と、時折風に揺すられる――道端に生えた雑草たちのさざめきしか聞こえてこないというのは相当なものだと言えるだろう。雑音らしい雑音が、まったくしない。夜になれば、虫たちの演奏会が、まるでクラシックのコンサートのような雰囲気の中で行われるのだろうと思われる程だった。
大通りほどではないにせよ、この道は本来もう少し人の活動する気配があってしかるべき道のはずである。しかし現実は、真っ昼間から閑散という言葉も生温い状況であった。
こんな状況を目の当たりにすると、この町――特にその長たる巽屋為右衛門こと仁水為右衛門が水島家を恨む理由も、少しは理解できなくもなかった。
塩でブイブイ言わせていた頃は、巽屋のあったあの大通りももっと栄えていただろうし、この道もこんな風ではなくもっと活気があった筈だ。商店の数もずっと多かったに違いない。この地を訪れる商人の数も、今の状態からは想像も出来ないほど多かった事だろう。
だがまあ、それはそれである。こちらも必死なのだ。手心を加えるつもりは全くない。
ただそれでも、ほとんど人とすれ違わない静かな道を歩いていると、この町に僅かばかりの同情を感じたのも事実だった。
田村屋の前を素通りし、更に少し行った所に件の館はある。
館は、いま歩いてきた艮門へと続く道と、巽門を潜って町の中に入ったところにある広場から北西方向へと真っ直ぐに伸びる道の交差点――そのV字の角地にあった。
館の前に着いて、敷地の外から見える部分だけでも観察してみると、もうその時点で「うわー……」と声が漏れた。
なぜ?
見るからに、修繕に金が掛かりそうだったからだ。
完全に焼け落ちている訳ではないが、ここから見ただけでも何カ所も焦げているのである。
手当たり次第かよっ。
思わず足下の小石を蹴り飛ばしてしまった。
蹴り飛ばした小石は、館の門前に立つ二人の兵の片方の元まで転がっていく。その兵はちらりと目線だけで、こちらの様子を伺ってきた。
あ、いけね。
俺は身を正す。そんな俺とどちらが先かというタイミングで、源太が門番に告げた。
「神森武様だ。ここの責任者の下まで案内せよ」
俺たちは門番をしていたうちの一人に連れられ、敷地の中を奥へと向かう。
その道中も館の様子を軽く確認したが、外から見た以上に酷い事になっていた。ただし、延焼が酷いとか、あるいは柱が芯まで炭化すほど酷く焼けているとか、そういう事ではない。
あちこち焼け焦げている割には、崩れ落ちているような所は少なかった。
ただ、そこかしこの土壁が煤で汚れていたり、いくつもの梁や桁が焼け焦げていた。渡り廊下にすらも、焼けたような跡が何カ所か見えた。
非常に広範囲にわたって、火付けの痕跡が見られたのである。こうして歩きながら見ただけでも、これだった。本気で一つ一つ数えていったら、相当な数になるだろう。
ただ、なあ……。
うーん……。
思わず、鼻からそんな声が漏れ出る。
ここの責任者から詳しい話を聞いてみないとなんとも言えないが、なんというかものすごい違和感を覚えた。すっきりしない。気持ち悪いのだ。
ただ問題は、俺自身なぜそこまで気持ち悪く思っているのかが分からない事だった。説明できないのだ。ただただ、すっきりしない気持ち悪さを感じるのである。
非常にもどかしかった。
そんな俺の様子には気付かず、門番の男は生真面目に前を見据えたまま、俺たちを中庭の方へと案内していく。そして、中庭に着いた。
わお。掘っ立て小屋がいっぱい建ってらー。
聞いていた通りに、中庭がまるでどこかの国のスラム街にでもなったかのようだった。
案内してくれた門番は、それらの掘っ立て小屋の中でもそれなりに見られる小屋の前へと俺たちを連れて行った。そしてその入り口で、俺――神森武を案内してきた旨を述べた。
すると中から、ひどく慌てたようにしながら、先日顔を合わせたここの責任者が、扉代わりの筵をまくって飛び出してきた。
いやー、仮にも役人の詰め所が筵の扉って不味くないか?
飛び出してきた人間そっちのけで、俺は思わずそんな事を思ってしまう。
この館はやはりどうにかしないといけないだろう。思わず疑問形を使ってしまったが、不味くないかとか誰に聞くまでもなく不味かった。
「これはこれは、神森様。お出迎えもせず、大変申し訳ありません。――――おい、どうして連絡を寄越さなかったのだっ」
男が出て来た小屋を見ながら、そんな事を考えていると、その責任者の男はまず俺に謝罪し、そして俺たちを案内してきた男を叱責した。
「ああ、すまん。それは俺たちが悪い。すぐにここへ案内するように言ったせいだ。門番は二人だったから、彼に案内を頼んだせいで、こちらに寄越す人がいなくなってしまったのだろう」
門を空にする訳にもいかんからな。門番は最善を尽くしたと思う。
だから、俺はそう言って、叱責に「申し訳ありません」とだけ答える真面目そうな兵の代わりに弁明した。
こんな一言でも、後で落ちる雷の量は減るだろう。せめて、そのぐらいはしておかないと、ちょっと申し訳がなかった。
今回のはちょっと俺の配慮がたらなかった。自分の立場に対する認識がまだ甘かったのだ。
ここは水島の組織であり、俺は水島の老中だ。俺が兵に物を言えば、その通りになってしまうのである。「すぐに案内しろ」と言えば、本当に「すぐ」になってしまうのだ。「ちょっと待ってくれ」とは絶対にならない。俺に近しい者たちならば、それなりに言ってくれるだろうが、一般の将兵らにそれを期待するのは無理というものだった。
今回は悪気があった訳ではない。が、早く自分の立場というものに慣れないと、やはり色々と問題が起こるなと考えさせられたのだった。