第百三十三話 二水の町に着いたのだが でござる
二水の町――――特に何がという事もない、強いて言えば、やや閑散としているかなというような普通の町だった。
特別治安が悪そうにも見えず、めぼしい何かがある訳でもなく、特徴と言える特徴はどことなく活気に欠けた雰囲気ぐらいだった。藤ヶ崎の商人たちは、目の前を通ると、こちらが逃げ腰になるぐらいに物を売り込んできたが、ここではそんな事もない。
いくらかの行商人ら姿も見え、また、どこそこの商店に運び込まれるものと思われる荷車も走っていたりもするが、町と言うよりはどちらかというと、村落や小さな町の雰囲気に近い。ありふれた集落の姿と言えばその通りなのだが、町ですと言われると「うーん」と唸りたくなる雰囲気だった。
伝七郎が言っていたように、この町はゆっくりと寂れていっているのだろう。
塩造りで発展してきた町だという割に、製塩施設らしきものもまったく見当たらない。先程町の手前で町全体を見渡せるような場所もあったので、ざっくりと見渡してもみたのだが、その時もそれらしい物は見つからなかった。こうして、町の南側――というか南東にある巽門より町中に入ってみても、やはりそれらしい建物は見当たらない。
塩泉は近くの山の中だと伝七郎は言っていたが、ここまでそれらしい物がないとは思わなかった。塩泉とその周囲で、作業を完結させているようだ。
チッ。本当に厄介なこって……。
俺は、足下にあった小石にあたるように、それを軽く蹴飛ばした。
ここまでガッチリと固められると、崩すのも大変である。この町にとって、塩泉とそこから生み出される塩がどういう物なのかという事を改めて考えさせられた。
とは言え、「それじゃあ仕方ありませんね」と言えるようなゆとりは、こちらにもない。なんとかするしかなかった。
門を潜ってすぐの、ちょっとした広場のような場所で、そんな事を考えながら、宿を探しに行かせた兵たちを待っていた。五十人からの兵と共に泊まれるような宿を探しにいかせたので、少々時間が掛かっている。最悪宿を分けても良いのだが、兎に角早く腰を落ち着けたいものだ、などと考え始めていた。
そうして待っている間に、この二水の町を守っていた隊の責任者が、俺たちの到着を聞きつけて慌ててやってきた。老年に差し掛かったくらいの歳の男だった。
どうも、誰が来たのかまでは聞いていなかったようで、俺の名を聞くなり伏して謝罪しだしたのには本当に参った。いくら少々活気が足りない町だとは言っても、ここは大通り。人の姿が結構ある。
もちろん謝罪は、易々と館を焼き討ちされてしまった事についてだ。
とはいえ、少なくともこの責任者に問題があったのならば、とっくに伝七郎が処分を下している筈である。それもされていないし、この責任者を吟味してきてくれとも伝七郎からも頼まれていない。という事は、おそらくは賊に後れをとったという事以外に、この責任者には落ち度はなかったという事だろう。
だが、当の本人は申し訳ありませんとひれ伏してしまっていた。
話にならないので、とりあえず俺は、その謝罪を受け入れた。そうしないと、いつまでも顔を上げようとしないので、そうするしかなかったのだ。
ようやく顔を上げてくれたので、俺は詳しい話を聞く事にした。
ただ彼も、今以て何が何だかほとんど分かっていないようだった。賊の行方すらも分からないそうである。
当日、警備も決して緩くしていた訳でもないのに、忽然と賊が姿を現した原因なども調べ続けているそうだが、これというものはまだ分かっていないそうだ。どうしてそこまで捜査が進まないんだと俺は普通に尋ねたつもりだったが、男は申し訳ございませんと、何か恐ろしい物にでも出会ったかのような顔をして怯えながら、再び謝罪をしだした。
まいった。
だが、話を聞かない事にはどうにもならない。俺はもう謝罪はいいから、原因を話してくれと懇願した。むしろ俺の方が泣きたいくらいだった。下手に地位が高くなると、こういう事もあるのだと勉強させて貰った。
そうして、なんとか聞きだした話によると、責任者の男の言い分としては、町の人間が非協力的なので、情報らしい情報が集まらないのだそうだ。といっても、あからさまに逆らう訳ではなく、ただただ何を聞いても知らないと答えるだけなので、こちらもどうにも出来ないのですと、男は悔しそうに歯を噛みしめながら俺たちに話した。
そんなこんなで、館を襲った賊徒がどこに消えたのかも、今以て不明だった。町人にも広く問うたが、何かを報せに館を訪れた者は零だったそうだ。
なるほど。男の言う非協力的ってのは、そういう事かと納得した。多分俺たちが水島の人間だからだろう。
仕方がないので、お前たちは賊が火を放つ所を見たのかと尋ねたが、それに対しても『兵の誰もがそれらしい者を見ておらず、気がついた時には館が燃え上がっていた』との事である。
責任者の男は何も答えられない事に本当に悔しそうにしていたが、それが偽る事のない事実のようだった。
結局、源太から聞いた話以上の新しい情報は何も得られなかった。
ただ一つ男の話で確認できた事は、館を何者かに襲撃されたあの日、間違いなく兵たちはサボっていなかったという事だけだった。少なくとも、現場の責任者であるこの男は、俺に対してそう証言した。
賊徒は夜闇に紛れて館を襲ったらしいが、町にある三つの門――北西の乾門、北東の艮門、南東の巽門はすべてしっかりと閉じられ、門番も立っていたそうだ。見廻りの兵も、決められていた通りに出ていたとの事である。
男の、屈辱を堪えるかのようなしかめた表情をしながら、それらを簡潔に報告していく様子に、下手に庇うとかえって誇りを傷つけそうに感じた。だから俺は、ただ「そうか」とだけ答え、現在守備隊はどこに本部を置いているのかと話を変えた。
今現在、守備隊は、館内の建物がところどころ焼け落ちていて使い物にならない館の敷地内に、仮設の掘っ立て小屋を建てて、そこで寝起きをして任務を続けているという。
それを聞き、流石にこのままという訳にもいかないと思った。
色々と効率も悪くなるし、様々な管理が甘くなりすぎる。し、就労環境も劣悪すぎる。戦の真っ最中ならやむを得ないが、普段からこれはないだろう。いずれ兵たちの士気も落ちて、そこをつけ込まれるような事も起きかねない。
金がかかる事ばかりで頭が痛いが、早急に復旧の為の予算を組む必要があるだろう。
だから俺は、責任者の男に後日そちらに行くと伝えた。
予算を組む為にも概算だけでも見積もる必要がある。その為の視察が必要だった。
それに、賊徒が主に館のどこを狙ったのかも、この目で見ておきたかったので、館はそのままかと責任者に確認したら、そのままだとの事だった。これは僥倖だった。
最後にその責任者に「苦労である」とだけ言った。それを聞いた責任者は、感極まったように再び平伏してしまった。
そんな彼に再び顔を上げさせて、俺は乗ってきた馬たちの厩の手配を頼んだ。男は、それならば、館の方でお預かりいたしますと答えた。なんでも、人の住むところよりもよっぽど被害が軽かったらしく、厩はほぼそのまま使える状態で残っているので、そちらで馬は預かれるとの事だった。
とりあえず、ほっとする。
人の住む場所も大変だが、乗ってきた五十頭からの馬の置き場所や世話だって大変なのだ。それが片づいただけでも、肩の荷が少し軽くなったような気がした。
責任者の男は俺たちの馬を預かるべく、「すぐに部下を寄越します」と俺に言い、足早に館へと戻っていった。おそらくは俺に能力を疑われたくないのだろう。
なんというか、やはり疲れる。せめて社会人をやってからこちらに来ていたら、こういうのにもスッと適応できたかなあと、つい詮ない事を考えてしまったくらいだった。
守備隊の責任者の男が帰ってからしばらくして、宿がとれたと源太が伝えにやってきた。
連れられてその宿までやってきたのだが、その宿は、町の中心からはやや外れにある小さなボロ宿だった。
ここにくるまでの道中も何件かの建物はあったが、それ以外は畑といった景観で、この宿がぽつんと建っている始末である。おそらく昔は、この辺りにも商店などが沢山あったのだろうが、町の衰退と供にそれらが姿を消していって、こうなったのだろう。
これで商売がなりたっているのかと、心配になった程だった。
この町は賑わっている町とは言えないまでも、まだそれなりには商人たちや旅人の姿も見られる。宿もそれなりの数があるように見えた。ただし、それらはすべて大通りにあった。
要するに、この宿屋はやや不便な場所に建っているのである。しかし、そんな宿だからこそ、俺たちを受け入れてくれたのかもしれない。
町の中心部にあるそれなりに大きな宿屋は、その悉くが某かの理由をつけて、やんわりとではあるが俺たちの宿泊を断ってきたとの事だった。唯一この外れにある宿屋だけが、俺たちを受け入れてくれたそうだ。
確かに五十人分の部屋ともなれば、急に申し入れても対応できない事もあるだろう。だが、『悉く』という部分がなんとも言えない。
やはり俺たち水島の人間は、この町の人間にとって、決して喜ばしい客ではないようだった。
そんな中、小さなうらぶれた宿ながらも、ほぼ貸し切りで俺たちに部屋を提供してくれたこの宿には、深く感謝したい所である。
その宿の名は『田村屋』と言った。
一応二階建ての建物は、一目で分かる程にあちこち傷んでいる。また、当然ように畳などない板の間の宿屋であった。
俺の感覚だと、地方の町で片隅にひっそりと残っている一泊二、三千円の安民宿に近い感じの代物だった。俺たちはその二階をぶち抜きで借りる事にしたのだ。
田村屋は、老夫婦と、その孫と思われる俺よりも二つ三つ年下と思われる女の子とで営まれていた。その女の子は少々線が細く、また、どことなく気弱そうだった。しかしそれでも、精一杯元気に、そして一生懸命に、老夫婦を手伝って俺たちをもてなそうとしてくれた。
俺的にはそれだけで、むしろこのボロ宿でよかったとさえ思えた。女の子にお世話して貰うのって、とっても幸せです。
とは言え、きちんと確認はしておく。
「なあ、茜ちゃん。今って、この町は繁忙期……、えーっと、かき入れ時というか、外からお客が沢山来ていて忙しい時期なん?」
庶民の女の子である。つい、いつも通りの物言いをしてしまいそうになったが、それを砕いて尋ね直した。
「いえ。神森様もおそらくはもうご覧になったと思いますが、その……、ここは最近は、この町に来られるお客様の数も減りましたので……」
繁忙期などないってか……。
茜ちゃんは、俺の質問に少しおどおどとした様子ながらも、はっきりとそう口にした。少し言葉を選ぶような素振りを見せたのも、俺たちが水島の人間だからだろう。宿をとった時に、俺ははっきりとそう名乗っている。
「やっぱそうだよなあ」
びくびくとしながらこちらの顔色を窺っている茜ちゃんに、俺は何も気付かぬ振りをしながら、そう答えた。彼女は、それに少し驚いたようだった。もしかしたら、彼女なりに相当の覚悟をしながらの恨み節だったのかもしれない。その割に、俺たちの世話はきちんとしてくれているのだから、彼女はまだ年端もいかないのにすでにプロなんだなと、俺は妙なところで感心してしまった。市街地を牛耳っている爺さま方にも、是非見習って貰いたい。
茜ちゃんの話で確信が確定に変わった。市街地にある大きな宿屋が、繁忙期でもないのに揃って満杯などという事はあり得ない。一軒二軒ならともかく、挙って満杯などという、この事態である。
要するに、他に理由があるという事である。そして、その理由など一つしかないだろう。