第百三十二話 二水から戻ったら、とりあえず伝七郎の首を絞めてやろうと思います でござる
山を幾つか越え、森の中を通る街道をそのまま進むと、目的地である二水の町が見えてきた。藤ヶ崎を出て、二日目の夕暮れだった。
連れてきたのが源太とその配下の部隊なので、基本的には全員騎馬である。それを考えると、かなり遅い到着だ。しかし、今回は強行軍ではないので、小隊規模の移動である事もあり、今回の移動には少数ながらも荷駄隊を連れてきていた。そのせいで移動速度をそちらに合わせる事となり、事実上通常の行軍速度程度しかだせなかったのだ。
だが、個人的な事情から言わせてもらうと、むしろそれでよかったと思う。
今回は、俺も自分一人で馬を操り、やってきていた。初陣である。
そんな俺なので、この移動速度は大歓迎であった。おかげで何事もなくやってくる事が出来た。
前に源太が言っていた『普通の馬に普通に乗るくらいの事はもうできる』というのは、本当だった。今でも俺は、静には頻繁に落されている。しかし、そんな俺とは思えないくらいに、自然に馬を操り、ここまで来られた。
今乗っている馬は、俺が静に乗馬を教わる切っ掛けとなった馬である。乗れずに大変困った、例のお馬さんなのだ。
ただ、こういう言い方をすると、まるで馬が悪かったように聞こえるが、悪かったのはあの時の俺の騎乗技術だ。
源太が言っていた通り、実は本当に大人しく乗りやすい馬だったのである。これに乗れなかった俺は相当だったという事が、今の俺にはよく理解できる。
ぶっちゃけ、こんなに大人しく乗りやすい馬に振り落とされるとかネーヨというのが、今の俺の意見だ。静先生と比べたら、もう感動的に従順です。はい。
そんな乗りやすい馬に跨がって、しかも荷駄に合わせて並足で歩くだけだったのだから、何事もなく来られて当然である訳だが、それでも無事初陣を大勝利で飾り、俺は努力が実った満足感を体一杯に感じていた。周りに人がいなかったら、思わず涙の一つも流していたかも知れない。
おかげで、この世界にまた一つ馴染めたという実感も持てたし、また、ちゃんと出来るようになったじゃないかと自信にもなった。
そんな事を思いながら馬の背で揺られていると、
「武様、武様。そろそろ陽も暮れますが、あちらでの宿とかはもう決まっているのですか?」
と、俺のすぐ横を歩いていた源太が、静をこちらに寄せながら、そう尋ねてきた。
馬に乗りながら将同士が会話。
思えば、かつて俺が妄想していたシーンは、こうだった筈である。間違っても、馬の尻に荷物がごとく括られながらの会話ではなかった。静先生に落されまくった甲斐もあったというものである。感無量だった。
俺はご機嫌に、
「まさか。まあ、金は持ってきているから、どっかの宿を押さえられればなあって所だよ。最悪、大部屋一つでも押さえられれば、皆で雑魚寝でもいい。押さえられるといいなあ」
などと、澄まして答えた。
あちらの世界なら、ウェブのシステムなり、電話予約なりすれば一発なのだが、こちらではそうもいかない。かといって、兵を走らせて全部の準備を万端に整えて、それからの出発などというゆとりのある話でもなかった。結局は、着いてみてからのお楽しみだよ的な、こんな方法しかとりようがなかったのだ。
「武様がよろしければ、我々はそれでも一向に構いませんが。夜露を凌ぐ事さえできれば、十分上等です」
「ほんとお前らって逞しいよな。でも、助かるよ。上手く宿が押さえられれば押さえるが、押さえられるかどうかは運次第だからな。――――お前ら、普段の行いは大丈夫か?」
源太に言いがてら、近くにいた俺らと同年代くらいの若い兵に、そんな冗談を振ってみた。すると、
「はっ。もちろん大丈夫……と信じておりますっ」
と、若い兵は少し考える仕草を見せた後、勢いに任せてそう断言してきた。
「おー、それは期待しよう」
若い兵の言葉に俺がそう応えると、周りで軽く笑いが起こった。
そんな笑い声がおさまったあと源太は、
「まあ、町にはそれなりの数の宿もある筈です。贅沢さえ言わなければ、宿がとれないなどという事は、まずないでしょう」
と、俺に向かって言った。
「多いとはいえ、所詮この程度の人数だしな。つか、藤ヶ崎みたいに、ここには館はないのか? 何の説明もなく、伝七郎の奴から『今回は宿を利用して下さいね』などと言われて、金の入った袋を渡された訳だが」
俺は、なんのかんので、こちらの感覚をまだ物にしきれていないから、伝七郎の言葉と金の入った袋を、そのまま素直に受け取ってしまった。
しかし、よくよく考えてみると、町ならば、そこを治める為の某かがある筈なのだ。現に俺たちは、二水の町を奪い返した後も兵を駐屯させている。となれば、その兵を入れている某かの『ガラ』がある筈なのだ。
すると俺の質問に、源太は真顔のまま、あっけらかんと答える。
「ああ、それは今館が使えない状態だからですよ」
なんですと? そんな話は聞いていませんよ?
「どゆ事? まさか次郎右衛門殿ってば、ここ落す時に頑張り過ぎたの? 報告書には、そんな事書いてなかったぞ?」
あの人は、そういうタイプには見えなかったが。爺さんならば、場合によっては、しれっとした顔でやってしまいそうではあるが。とは言え、常識人ぽく見えても爺さんの右腕だからなあ。もしかしたら、そういう所もあるのか?
「そうではありません。山崎様は、ここにいた継直の所の者どもに、正々堂々と正面から戦を挑み、それを破ってこの二水を取り戻されました。決して、誰にも後ろ指を指されるような事をされておりません」
うぐっ。
「すまんね。後ろ指指されるような戦ばかりしてて」
「それに関しては、我々も覚悟致しましたし。ただ、今回の山崎様の二水の町攻略においては、そうではなかったと。それだけですよ?」
源太は、この俺の言葉にも、やはり真顔のまま、あっけらかんと答えた。
ああ。そうだよな。お前らはもう覚悟してくれているんだ。これは流石にかっこ悪かったな。
「ああ、分かっている。言ってみただけだ。すまんね」
うん、分かっていた。源太は言葉を飾らなかっただけだ。このきょとんとした顔を見るまでもなく、その言葉には何も含んではいなかった。
ただ、俺の心のどこかに、後ろめたいような気持ちが僅かにあっただけだ。俺は敵となった者に対して、そんな事をしたら悪いなどという気持ちはまったく持ち合わせていないが、こいつらに対してはその俺の価値観を強要している自覚はあった。それ故に、ついひねた事を言ってしまったのだ。
だから、二度目の『すまん』は本当の意味での謝罪だった。
これを俺が気にしている事自体が、ある意味こいつらを侮辱しているとも言えるからだ。無論そんなつもりは毛ほどもないが、それでも、その覚悟を軽んじているとも受け取れるのである。
だから、心密かに反省しながら、さっさと話を変える。
「ただそうなると、ここの館はなんで使えなくなってんだ?」
かっこ悪すぎた。あれは、俺が呑み込んでおかなくてはいけない言葉だった。それくらいは、汚れる事を無理強いした俺の義務というものだろう。
源太は、そんな俺の気持ちを知ってか知らずかは分からないが、さっきの俺の言葉を気にした様子はまったくなく、俺の質問に答えた。
「この間、正体不明の賊徒に火を付けられたのですよ。ここの館は藤ヶ崎の館みたく大きくはないそうですが、結構派手に燃えたらしいですよ。藤ヶ崎に来ていた行商人から、そう聞きました」
「正体不明の賊徒って……。それに、この間っていつ頃だ?」
「まだひと月も経ってないと思いますよ。山崎様が三沢に向かう時に、この二水の警備に関しても厳にしていったらしいのですが、それでも襲われたようですね」
「サボ……、あー、えっと、怠業? うん。見廻りや見張りの怠業とかはなかったのか?」
「伝七郎様から聞いた話では、それらしい事はなかったようですよ。当日も、きちっと決められた通りに、任務をこなしていたようです」
「ちっ、伝七郎の野郎。大事な事を黙っていやがって」
「はは。そうではないでしょう」
思わず口をついた伝七郎への文句を聞いて、源太は笑った。
「どゆ事?」
「別に隠しておけと言われてはいないので、話の流れ上ご説明を致しましたが、伝七郎様は、おそらくそこの部分も含めて武様に判断して貰いたかったのでしょう。今回の塩の件といい、今の二水の町は少々きな臭い。信吾の奴が供を連れて行くようにと、武様に進言する程にです。だから武様には、ご自身の目で見て頂いて、その意見を聞きたいと、伝七郎様は思ったのでしょう。その為にも、余計な事を言って、武様の判断の邪魔をしたくなかったのだと思いますよ?」
「そうかねー」
源太の言っている言葉の意味は分かるのだが、なんか納得がいかなかった。とはいえ、まあ、多分そうだろうなとは思う。というか、それ以外に、俺に黙っている理由がない。
それぞれが別件なのか、それとも関係があるのか。おそらくは、それすらもはっきりしていないのだろう。
俺の納得してない様子に、源太は更に言葉を足してきた。
「我々程度ならば、たとえ真偽不明の状態でも警告を兼ねて伝えてくれるでしょうが、現段階ではこの館の件と塩の件が関係があるかどうかも分かっていないようですからなあ。武様の判断を聞きたいと伝七郎様が思われているならば、いらぬ影響を与えかねないような不明確な情報など口にせぬでしょう」
源太は真顔で、そう言ったのである。
そう言われてもですな……。
こいつもそうだが、伝七郎の奴も、爺さんも、皆買いかぶりすぎだっちゅーの。そんなに必要以上に買われても、俺が大変じゃないか。
胸の奥に溜まっていた空気を、ゆっくりと全部吐き出す。口の端から、もしゃあっと、煙のような何かでも出てきそうだった。