第百三十話 モテない……なぜだっ!? でござる
そのあと御用部屋を出て自分の部屋へと戻り、着替えた。
時間的に、千賀の習字の時間はもう終わっていると思われるので、俺も今日はこのまま終了である。代わりに、最近始めた剣術や弓術などの武芸の鍛錬を少し多めにやる事にしたのだ。
今日は剣術だから、師範役は信吾だ。ただ、今から訓練場に向かってもいないだろう。まだ約束の時間には早い。
ま、素振りでもしながら待っていればいいさ。
そんな事を考えながら、部屋の隅に立てかけてある木刀――といっても、程よい太さの丸木を削っただけの棒を手に取る。
それにしても、最近は時間がいくら合っても足りない。俺ってば、決してこんな真面目人間ではなかったと思うのだが、気に入らんものにファックと中指立てたばかりに、いつの間にかこんな事になってしまっていた。
今現在の、俺の一日のスケジュールも、冷静になって考えてみると異常な事になっている。
お菊さんに手ずからよそってもらった朝飯を食う。その後、軽く事務仕事。次に昼過ぎまで、乗馬訓練。昼飯なしにも大分慣れてきた。その後は半刻ほど千賀と一緒に文字を書く練習をして、そして晩飯まで、傷ついたプライドを少しでも癒やす為に、全力で武芸の鍛錬に励む。多少は気が紛れる。あとは、夜眠るまで再び事務仕事に戻る。これのどこかでなんとか時間を作り、千賀へのお話を含めた遊び相手も務めもする。
うん。どう考えても頭がおかしいな。自分でも、よくもまあ毎日毎日飽きもせずに、これをやっているもんだと思う。
いくら必要に迫られてとはいえ、我ながら少し異常だろう。
が、どうしても必要だからやらざるを得ない。もしこれをやっておけばよかったと後悔する時がくるとしたら、間違いなくその直後には体か心が死ぬ事になるからだ。
だから、糞意地と、死にたくない死なせたくないのド太い二本柱に支えられて、毎日前向きに取り組んでいるのが現状だった。
とはいえ、こんな生活を続けていられるのも、ゲームやテレビ、漫画、PCといった誘惑のない世界だからこそだろう。根っから真面目一筋の人間ではない俺は、そういった誘惑には弱い。少なくとも、あちらの世界での俺は心底弱かった。だからおそらくは、少々命がかかっていても、誘惑がたっぷりとあったら、こんな生活をしてなどいられないだろう。多分。
かつては暇な時間や、アンニュイな気分の時は、見たい訳でもないテレビの番組をぼうっと眺めていたものだが、こちらではそういった所謂暇つぶしになるものすらない。
自然と、仕事や鍛錬が捗るのだ。恋人とかもいないしねっ。
俺は目からしょっぱい水を垂れ流しながら、自分の部屋を出た。
訓練場へと向かおうと部屋の前を離れると、向こうの方から下女の女の子がお茶を持ってこちらへとやってきた。
「あ、神森様。もう鍛錬に向かわれるのですか。お茶をお出しするのが遅かったようで、申し訳ございません」
お菊さんが一緒の時は、彼女が俺の面倒を見てくれるのだが、彼女は千賀の側近でもある為、俺ばかりにかかずらっている訳にもいかない。最近では、そんな時にはこうして館仕えの女官が色々としてくれるようになっていた。
「いや、むしろ俺の方が申し訳ないよ。わざわざ持ってきてくれたのに。あ、そうだ。折角だし貰うよ。これから汗流すから、水分は必要だ」
そう言って俺は手の中の木刀を近くの壁に立てかけると、盆の上の茶碗に手を伸ばし、立ったままお茶に口をつけた。
「あっ」
そんな俺の行動に、お茶を持ってきてくれた女の子は目を丸くして固まった。が、気にしない。
少々馬鹿っぽく見えるくらい、大した問題ではないのだ。女の子がわざわざ俺の為に持ってきてくれた物を粗末に扱う方が、俺的には大問題である。モッタイナイは日本人の美徳なのだ。
ただ――――。
「あち、あちゃっ」
少々熱かった。大きく呷らなくてよかったと本気で思った。もしそうしていたら、舌の火傷くらいでは済まなかっただろう。しっかりと熱々でした。良い仕事してますね。あちち。
「きゃ。か、神森様っ。大丈夫ですか?」
「あ、あはは。だ、大丈夫」
女の子は急いで帯の中から布を取りだし、俺に渡してくれるが、幸いお茶は零していなかったので、有り難うと礼だけを言って返した。
「そんなに急いで飲んだら、危ないです」
女の子は、「駄目ですよ」とやんわりと俺を叱った。
「ごもっともで」
俺はあははと笑って誤魔化す。
「でも、美味しかったよ。有り難う」
「本当に申し訳ございませんでした。気が利かなくて」
「いやいや、十分気が利いているじゃん。いつもの俺は、鍛錬に行くのはもっと遅いんだし。俺が部屋に戻っているのを見てお茶持ってきてくれるってだけで、十分すぎる程に気が利いてるって」
申し訳なさそうに謝ってくる女の子に、俺は慌ててしまう。だってそうだろう。これのどこに落ち度があるのか不思議でならないが、この子の感覚だと、そうなるらしい。これがご奉公の心なのだろうか。
「本当に神森様はお優しい。流石は菊姫様の――――」
「ん? お菊さんがどうかしたの?」
「あ、いえ。なんでもございません。では、私は失礼致します。今日は、本当に申し訳ございませんでした」
俺が聞き直すと、下女の女の子ははっとしたように口元に手をやり、なんというかそそくさと下がっていってしまった。
まったくもう、一体なんなんだってーのっ!
ここ最近こればっかなのだ。一体どういう事なのか。
周りに女の子は沢山いる。楽しく会話なんかもしていたりする。あちらにいた頃とは大違いだ。
だが――――、そこまでなのである。これはどういう事なのか。
まあ、俺はお菊さんを何とか口説き落としたいと心から思っているしー、最近は距離もグッと近くなってきたような気がしなくもないしー、別にあっちゃこっちゃで恋愛したいとかは思わないが。それでもこうまで何もないというのはどうかと思うんだ。
モテないにも程があるだろう。ただでさえ振り向いて貰いたい相手が高嶺の花過ぎるというのに、失敗したらもう他は期待できないとかありえねぇよ。トゥルーエンドとバッドエンドしかないゲームなんか大嫌いだ。分岐はもっと沢山あるべきだと思います。
元いた世界での俺と違って、今の俺には地位がある。よく分からん過程を経て得たものではあるが、間違いなく世間的にも一目置かれるだけのものの筈である。
そのせいもあるのだろうが、侍女やら下女やらの館の女官たちから向けられる視線は、未だかつて女から向けられた事のないものばかりだ。もちろん視線ばかりではない。扱いからして違う。
とにかく皆優しいし、暖かい。
なのに、これなのだ。
それに、もう一つ解せない事がある。
信吾から聞いた話によると、いま町では、かの伏龍鳳雛の鳳雛として、俺の名声はますます高まっているという。俺自身はほとんど館に引き籠もり状態だというのに、だ。爺さんの指示で兵らが奮闘した結果であろうが、今現在藤ヶ崎の町で一番ホットな話題であるらしく、もうわざわざ広めなくとも勝手に育ち始めているらしい。
真剣にこの事態を捉えると、すぐに部屋にとって返して首を吊りたくなってくるので、それは考えない事にしようと思う。ただまあ、要するに、俺も伝七郎もちょっとした町の人気者、話題の人――――と、そういう事だ。
引きこもり状態の俺である。顔すら、そうして噂をする町の者たちのほとんどが知らない筈なのだが、尾ひれどころか胸びれ腹びれまでついて、理想の、あるいは期待する神森武像が、藤ヶ崎の町中で華麗に泳いでいるらしい。
と、ここで、である。
何が解せないのかというと、そんな『理想の俺』でさえ、なぜモテないのかという部分が解せないのである。そんな現実離れした『理想の俺』にでさえも、町の若い娘さんたちにモテモテですよという話が、何故かどこからも聞こえてこないのである。
あちらの世界にいた頃の俺ならば、まだ分かる。
あの頃も今と同じく、女の子とごくごく普通に恋愛がしたいと、俺は頑張っていた。いたが、その結果女の子から向けられた視線は、それはもう冷たいものだった。バナナで釘が打てるレベルである。
中・高と性への目覚めを覚えてから、ずっと頑張ってきたつもりだが、結局その事態は最後まで変わらなかった。きっと女の子からみて、俺は色々と魅力が足りないのだろう。だから、そういう結果になったのだ。
でもこれは、思い出すと泣けては来るが、それでも分かりやすい結果ではあった。状況と反応が一致していた。
だが今は、そうではない。
例えば館の中で、女官たちから俺に向けられる視線は冷凍光線ではないし、声をかけても誰も逃げない。むしろ楽しそうに、話に付き合ってくれたりする。「お疲れ様です」とお茶を差し入れてくれたり、鍛錬で汗まみれ泥まみれになっていれば、手拭いを持ってきてくれたりもするのだ。
最近は俺も忙しくなってきており、俺の方からお菊さんの予定に合わせられる時が少なくなってきている。そんな中、お菊さんの方が俺に合わせてくれているような状態だ。おそらくは、かなり無理をしてくれているのだと思う。本当に有り難い話である。
ただ、それでもどうにもならない時もある。
つまり俺の周りには、いま沢山の女の子が溢れかえっている状況なのである。しかもどの娘も嫌々そうだったり、面倒そうには見えない。むしろ、どの娘も非常に好意的に見える。少なくとも、俺の目の前ではそうだった。
なのに、色っぽい話が一つもないって、どゆ事?
嘗ての俺ならば、「周りに女の子が沢山いるイコールもてているって事じゃあないか。リア充死ね」くらいの事は言ったと思う。
だが今の俺には、これがモテている状態ではないという事くらいは分かった。
そりゃあ、そうだ。こんだけ周りに女の子がいるのに、色っぽい話がまったくないというのは、それ以外の何物でもないだろう。先へ進もうという気配が、どこにもまったくないのである。
『周りに女イコールもてもて』などという都市伝説を信じていた過去の自分をぶん殴ってやりたくて仕方がない。世の中には、フラグが全部へし折れているようなケースもあるのだと教えてやりたかった。
なぜだ――――と思わずにはいられない。
いや、分かってはいる。
俺がそれ以上を望むなど、身の程知らずだという事くらいは理解している。ただ認めたくはないだけだ。
ちょっぴり思わずにはいられないじゃないか。
たまには何かの間違いがあってもいいだろう、と。
プログラムにはバグがつきものだろう。一人ぐらい趣味の悪い娘がいてもいいじゃないか、と。
しかし、これがまたびっくりするぐらいいないのである。世の中の仕組みを作っている奴らは、何故そんなところだけは優秀なのだろうか。