第十三話 転迷開悟 でござる その二
「ご苦労でした。下がって休んでください」
「はっ。失礼いたします」
「武殿。とうとう来ましたな……って、どうされました?」
近い。それに陣を張っているだと? これはチャンスだぞ? なんせ奴らは夜襲なんて考えてもいない筈なんだ。だが……。
「ん。いや、なんでもない。そうだな。作業の進み具合を確認しに行こうか?」
「? ……はい。参りましょう」
……駄目だな。作業をほとんどぶっ通しでさせていたんだ。それに専用の訓練もしていない兵が疲労困憊で夜間なんかに戦える訳がない。訓練してないのはお互い様だが、それはつまり、こちらに奇襲以外のアドバンテージがないという事だ。逆にやられるな。疲れてない上に相手の方が多いんだから。
ここは相手が休む時間をくれたと感謝するだけにとどめておくべきか。
……焦るな。欲をかいちゃいかん。落ち着くんだ。調子に乗って失敗したら、失うのはゲームのデータじゃないんだぞ。皆を無駄死にさせるのか? あの娘らを物言わぬ骸にするつもりか? クールだ。クールに行くんだ。病気を発症させて、余裕かましてるくらいで気持ち的には丁度いいんだ。落ち着け。落ち着け、俺。
「なあ、伝七郎」
「はい。なんです?」
昨日に引き続き、空には落ちてきそうなほど星が輝いている。もう少し心にゆとりを持って眺める事ができれば、さぞ感動できるだろう。
「念の為に確認するが、こちらでは夜に戦はするか? お前の話だとまずやらなそうだが……」
「よ、夜に戦ですか? ありえません。まさか今から仕掛けるつもりですか?」
「いや、やらん。一瞬やろうかと思ったが、やめた。何れやる時は来るだろうが、もっと効果的な瞬間を得られるまでとっとく。今回は失敗する確率が高いし、成功してもいまいちだろう。なにより、こっちの被害が馬鹿にならん」
「は、はあ」
伝七郎はわかったような、わかってないような微妙な返事を返してくる。まあ、いいさ。そのうち、こういう考え方にも慣れてくるだろう。能力はあるんだから。
「ん。今確認したのは、奴らに夜襲をかけられる可能性を考慮しただけだ。ないなら、いいさ。あとは天気なんだが……とりあえず空見た限りでは晴れてるよな? これは、明日も晴れでいいか? こっちの事はわからないから、俺の感は役に立たん。もっとも、自然により近いこっちの人間の方が、あっちこっち関係なく正しく感を働かせそうだが……」
「? は、はい。明日は晴れですね。おそらく、しばらくは晴れ続きでしょう」
「そっか……。道天地までは揃った。将と法はどうだろうな? ま、話に聞く限り、屑の主に屑がくっついた訳で……法だけがある訳ないな。法も勝ち、と。将は……、脳筋だといいなぁ」
もう気分は三国志の軍師様だな。でも、その実、中身はまるで違う。俺は不安に押し潰されそうな自分を助けたくて、全力で大丈夫な理由を探してるだけだ。そんな情けない軍師など、いはしない。
────だけど……、それはわかっているけれどっ。
とにかく何でもいいから、俺は安心が欲しいんだよっ────……。
「なんなんですか? それは?」
「ああ。あちらの世界の、昔の偉い先生が書いた戦争丸秘本の話だ」
実際古臭いからって、捨てたもんでもないんだよ。孫子だけに限らず。
「そんなものまであるんですね。こっちにあるのは戦争儀礼書くらいです……」
「そりゃあ……。でも、政経書や農学書、算術書とか、他にもいろいろあるだろ?」
「そうですね。全くない訳ではありませんが、ほとんどないと言った方がいいかもしれません。口伝がほとんどではないでしょうか? 師から弟子へ、あるいは親から子へ経験が伝えられてるのが現状だと思います」
「まじかよ……」
こりゃこの先、人材を発掘するのは思ったよりも難航しそうだな。平均値は低そうだ……。
いや待て。結局、伝七郎と同じで、知らんだけというケースも少なくないのではなかろうか。
もともとの素質から駄目じゃなければ、教えれば何とでもなる。即戦力が少ないだけで、人材がいないと判断するのは早計だ。
まあ、でも、そんな事はこの火事場を何とかしてからの話か……。
「ご苦労様です。源太。作業の進み具合はどうですか?」
「ああ、伝七郎様。お疲れ様です。少々遅れましたが、こちらはちょうど終わったところです。かなりの数揃えられましたよ。信吾の方も掘り終っている筈ですし、与平の方も大方終わっている筈です」
「そうですか。では、武殿の指定した位置に運んでおいて下さい。油も前と後ろの二か所に分けて配置しておいて下さい。そこまで終えましたら、後は休んでください。見張り当番の兵たちには作業を早めに切り上げるよう、すでに指示してありますので、あなたたちは全員休んでいただいて結構です。ゆっくり眠って、明日の戦に備えてください。本当にお疲れ様でした」
「本当にご苦労さん。ゆっくり休んで、疲れをとってくれ。明日の戦は俺たちにとって生と死を決める戦いになる。万全で挑もう」
生と死を分ける戦いになる……か。万全で挑もう、ね。笑わせる。おまえは万全なのかよ?
「はっ。有難うございます」
源太に始まり、源太の班の人間を一人ずつ周り、俺たちはその一人一人に労いの言葉をかけていく。
みんな、いい笑顔で返事を返してくれる。源太たちといい、こいつらといい、ほんとお人好し過ぎるよな。追い込まれてるくせにさ。ホント気のいい奴らだよ。よく俺みたいな、よくわからん輩を信用するもんだ。
千賀にしても、伝七郎にしてもだ。こいつら、なんで俺なんかをここまであっさり信用する?
千賀はまだ小さいからな。よくわかっていない所もあるだろう。でも、子どもって、会って一日、二日であんな笑顔を向けるものだろうか? あれはどこか安心を含んだ笑顔だったぞ。まるで親に向けるような信頼の笑顔だ。
それに伝七郎なんかは俺に言わせれば異常なレベルだ。なぜ、ここまで信用できるんだ?
でも、なあ。だからこそ。だからこそ、だ。こいつらを無駄に死なせる訳にはいかないじゃないか。そんな事になったら、俺は俺を許せるのか? 許せないだろう?
だったら……だったら、やるしかないだろうが。俺はいったい何を悩んでるんだ。さっきからっ。
その後、信吾や与平の班の元へも行き、同様に労いの言葉をかけ、作業の終了を確認した。やはり、源太のところの班とまったく何も変わらなかった。
みな俺を信じているんだ、と改めて認識させられただけだった。突然湧いて出た俺を。何の実績もない俺を。そして、俺を信じた伝七郎を信じている。いや、違うな。あってるけど、違ってる。
信用に張っているのは自分らの命、そして、おそらくは奴らの価値観的にそれ以上である千賀の命だ。伝七郎を通してとか、そんな温い話はただの俺の言い訳だ。
奴らも守りたいだけなんだ。
そして、俺なら守れるかもしれないと、何も見えない闇の中で、俺の言葉にわずかな希望の光を見出したからこそ、余念なくそれに賭けているんだ。
なんか、少し気持ち、いや、脳みそがすっきりとしてくるのを感じる。今日は眠れないと思ったが、十分眠れそうだ。
翌朝無事陽が昇り、差し込む光が瞼の裏にも届く。
我が事ながら太いな。爆睡か?
────ああ、よく眠れた。
心身ともに疲労しているのもあるだろう。無事奴らの襲来前に準備も整ったから安堵もしただろう。でも、それだけじゃないよな? なんとなくはわかってるんだろ?
千賀を、お菊さんらを、伝七郎を、源太や信吾や与平を、そして、みんなを、俺自身が守りたいと思ってしまった。出会って大した時間も経ってない他人を、本気で。責任感からじゃなく。だよな?
────そうだな。それで間違ってない。その為に正真正銘、全身全霊を尽くすと決めた。多分、今俺は何にも動じず采配を振るえる。そんな気がする。だって、ほら、俺って単純だからさ。
今回の件が終われば、名実ともにただの高校生には戻れなくなっているだろうな。必要とあらば、躊躇いなく人を殺せる人間になっている筈だから。すでに一人殺してはいるが……違うよな? 俺は俺の意思で人を殺せるようになっているだろう。なれてなければ、おまえは骸になっている。
────それでも構わない。それでもなんとかしたい。それに今回俺は可能な限り殺すつもりだった。端から。そういう戦略だ。
その通りだ。奴らに俺等を狙うという事がどういう事なのかという事を肌で感じさせる必要があるから。そうなるように、そうするように今回の策のすべてを『俺』が考えたのだから。成功すれば、当然そのようになるだろう。
────そう。『俺』が殺すんだ。『俺』の意思で。ここは平和な世界じゃない。そして、俺を守ってくれるものもない。これから先、そうしなければ、そうならなければ、俺はこの世界で生きる事は出来ない。まして、何かを守る事などできはしない────……。
だよなぁ……。うん。
準備は整った、な。
出るのはなんだ? 鬼か? 蛇か?
やるだけやった。死ぬ程考えた。腹も決まった。──なんでも来やがれっ!