第百二十八話 伝七郎からの依頼 でござる
こうまで状況証拠が揃っていれば、十中八九は間違いない筈だ。
元々敵勢に目をつけられると厄介だとは思っていた。ただこちらの慣習的に、好んでこんな事を仕掛けてくるような奴いた事が、意外と言えば意外だっただけである。そういった意味では予想を外したし、確かに少々驚かされた。
だが、精々がその程度の事だった。
しばらくの間、沈黙が部屋を満たす。
それを断ち切ったのは、再び大きく吐かれた伝七郎の溜息だった。
「……やはり、武殿もそう思われますか」
「それしかないだろう。仕掛けてきたのがどこか、までは分からんがな。最右翼が継直の所で、次点が金崎。それは間違いないが、他の可能性がないとは思わん。この辺りは、もっと詳細に報告を分析するなり、新たに情報を集めるなりしてみないと断定は出来ない。……まあ、継直か金崎で間違いないとは思うがな」
「ほう……、それはどうしてじゃ?」
俺の最後の言葉に爺さんは、それまで瞑っていた目を片方見開き、尋ねてきた。
「簡単な事だ。爺さんが最初に見せてくれた陳情書の分布だよ」
「陳情書の分布?」
爺さんは聞き直してくる。
「ああ、その陳情書が出された土地の場所と言った方が良いか。これらと、その次に見せてくれた請願書の内容、そして最後の帳簿の内容とを合わせて考えてみると浮き上がってくるものがある。それは、これらの書状の中に出てくる野盗とは、装ったものであり意図的に組織されたものである可能性が高いという事。そしてその目的は、俺たちの領土内に運ばれる塩だろうという事」
「それで?」
爺さんは更にそう促してくる。口こそ挟んでこないが、伝七郎も目を鋭くさせながら、真剣に話を聞いていた。
「と、すると、だ。最初に戻って、陳情書を送ってきた辺りの土地が、実際に工作が仕掛けられている場所という事になる。そして、その分布は見事に継直、金崎の領土との国境近辺に集中している。状況証拠は、奴らが黒だと言っているな」
「なる程な」
「なる程なって……、爺さんも、そして伝七郎も、そう考えていたんだろ?」
俺の説明に、顎髭なんか触りながら満足そうに頷いている爺さんに向かって、そう言ってやる。
すると爺さんは微かな笑みと共に、
「どうしてそう思う?」
しれっとそう聞いてきやがった。伝七郎も目を伏せながら、うっすらと笑んでいる。
まったく……。
「どうしてもこうしても、ないだろう。だから、さっきの資料だってばよ。他にも沢山あっただろう書類の中から、あの資料『だけ』を選び出してきておいて、何を言ってるんだ。あの資料は、誰が見ても一つの事しか語っていない。あきらかに答えを持っている人間が選び出した資料だ。だから、二人の目を疑う訳ではないが、断定するにはもっと詳細な分析と、新たな情報の収集が必要だと言ったんだ。状況証拠は黒。肯定できる情報もできればもっと欲しいが、いま特に必要な情報は否定できる情報を探ってみる事だろう。それでほとんど出てこないようならば、より一層その予想の精度が上がる」
敵が謀略を仕掛けてきていると分かった以上は、状況証拠はそれ自体が謀略の一つであるという事もある。だから、この部分は慎重にならないといけない。
と、そう説明をすると、爺さんはうっすらと浮かべていた笑みを深くし、ついには「ガハハハ」と声に出して大笑いをし始めた。
「いや……、やはり流石です」
大笑いをしている爺さんの代わりに、伝七郎がそう言う。奴も、なんか心底嬉しそうな笑みを浮かべていた。
な、なんだよ。一体なんなの? そこまで反応されると、こちらは逆に反応に困るんだが。
「べ、別に大した事はないだろ? 現にお前らだってそう疑ったからこそ、俺の意見も聞いてみようと思ったんだろ? 別にそうまで感心されるような事でもないだろ」
二人の様子に、なんだか不穏な気配を感じ、俺はそう言い返す。なんか過剰に評価している気配がビンビン伝わってくる。これは絶対にヤバイ気配だ。
「ええ。平八郎様と多くの資料を引っ掻き回して、あの資料を見つけました。そして、武殿がおっしゃったように、継直らの工作を疑ったからこそ、武殿にも見てもらい意見を聞いてみようと思いました。――――武殿がおっしゃったように」
大事な事だから二度言いました?
いや、なんかそんなギャグっぽい雰囲気じゃないな。伝七郎は、俺の目を真っ直ぐに見てそう言う。
「だったら――――」
なんとか過大評価を修正しようと口を開こうとしたのだが、
「はは。武殿?」
伝七郎に言葉を被せられて失敗に終わる。
「な、なんだよ」
「私が流石と言ったのは、あの資料から継直と金崎の工作の可能性を見出した事に対してではありませんよ。勿論、あんな流し読みですぐに見つけたのも、やはり流石とは思いますが」
伝七郎はそう言って、俺たちの輪の中で散らかっている、先程の資料の一つを手に取る。そして、それを持ち上げ俺に見せながら、更に言葉を続けた。
「私が流石と言ったのは、これを見て『断定できない』と言った事。そして、私や平八郎様の意図まで正確に読み切った事。恐ろしいですね。本当に、貴方が敵ではなくて良かった」
伝七郎は、口では恐ろしいなどと言っているが、顔はとても嬉しそうに笑っていた。
ハァ。こりゃ駄目だ。こいつらがこういう顔をしている時は、俺が何言っても聞きゃあしないんだ。
まだ短い付き合いだが、もういい加減俺も学習していた。
俺はこれ見よがしに大きな溜息を一つ吐き、
「お前は、そればっかだな」
と、言ってやる。
だが伝七郎には、柳に風だった。
「それだけ、何度も何度も思う程だという事ですよ」
先程までピンと張り詰めていた空気が和やかなものに変わっていた。
「まあ、貶されている訳でもなし、良いではないか。優秀であるに越した事はないのだ。主らが有能であればあるほど、水島の明日は明るい。貪欲に遠慮なく、更に更にと優秀になっていってくれ」
大笑いした後黙ってニヤニヤと俺たちの会話を聞いていた爺さんが、そんな事を言って、未だ若い俺たちをからかった。
「へえへえ。じゃあ精々頑張るとしようかね。んで、若いもんをからかって喜んでいる不良爺に、さっさと引導を渡してくれるとしよう。縁側で飲む茶は旨いぞ、爺さん?」
「おう、いいな。悠々自適な毎日か。憧れるのう」
俺の悪態に爺さんは、再び「ガハハ」と豪快な笑い声を上げた。
「ふふふ。平八郎様にそうまで焚きつけられては精進せぬ訳にも参りませんね」
「なに他人事みたいな事言ってんだ? お前もに決まってるだろ」
「はは。承知しておりますとも。私ももっともっと精進します」
これだから優等生は。
伝七郎の奴は、何のためらいもなくそう言い切った。これは、俺には真似出来ない。
そしてその言葉を聞いた爺さんは、それまでの馬鹿笑いを引っ込めて、真剣な目をして言う。
「そうじゃ。二人とも精進するがよい。お主らがそうして切磋琢磨している限り、水島は絶対に安泰だ」
わかっているさ。
なんとか爺さんの期待には応えてやりたい。俺も、そしておそらくは伝七郎もそう思っている。
心から忠義を誓った主を自分の手の届かぬ所で失った爺さん。後悔と、届け先を失った忠の心を糧に、命をかけてこの藤ヶ崎を守ろうとした。それこそ、その大事な主の忘れ形見からさえも。
俺たちは、そんな爺さんから、この藤ヶ崎を譲り受けている。託されている。
そこには当然、爺さんの様々な思いも乗っている。藤ヶ崎というガラだけを受け取ったつもりはない。俺も伝七郎も、そこまで恥知らずではない。
爺さん自身は、水島の家をきちんと盛りたてて千賀を支えてもらえれば、他に何も望まないと言うだろう。
が、託された方――俺や伝七郎がそれのみで是とするか否かはまた別の話である。
爺さんが何を思ってこの藤ヶ崎を守り抜こうとしたのか――――俺たちはそれを知っている。
俺たちは、それを軽んずるつもりはない。そう簡単には考えていないつもりだ。
とは言え、それを口にするつもりもない。
「まあ手始めに、この策を吹っ掛けてきている奴らから洗うかね」
空気を戻す為というのもあるが、まだ話も片付いていないので、そちらに話を戻す。伝七郎も何かを心に刻むように一瞬目を閉じて、その後にこちらを向いた。
何にせよ、この工作を放っておくのは、明らかに不味い。早急な対応を講じる必要があるのは間違いなかった。
「はい。誰が仕掛けてきているにせよ、この件は我々にとって重大な問題です。政軍一丸となって当たるべき内容でしょう。武殿は、警備体制の再構築を含めた軍務面から、私は政務面から主導し、迅速な解決を目指しましょう。平八郎様には適宜どちらにも関わって頂きたく思いますが……、負担が掛かりすぎるでしょうか」
「問題ない。大いにこき使うが良い」
「申し訳ございません。助かります」
「俺も承知した。どの道やるしかない。この件はほっとくと本当に大変な事になるだろうからな。やれるかどうか分からんなどと言ってられん。なんとかするさ」
「有り難うございます」
伝七郎は家臣筆頭として、俺たちに正式な助けを求めているのだ。俺にせよ、爺さんにせよ、否やはなかった。
これは一種の儀式のようなものなのだった。
そしてこの儀式が円滑に執り行われている。それは、組織が正常に働いているという証であった。
「ああ、そうそう。大事な事を頼み忘れる所でした」
伝七郎は、俺たちに下げていた頭を突然はね上げた。
「ん?」
「武殿。二水の町へ行って欲しいのですよ」