第百二十七話 藤ヶ崎の町の泣き所を狙われた でござる
伝七郎の要請に応じて、千賀の部屋を一緒に出る。そして、御用部屋へと向かった。
「何かあったのか?」
「ええ、まだ直接的に何かがあったという訳ではないのですが、最近塩が不足気味になっていて、値が高騰し始めているのです」
塩――――言わずと知れた必需品である。塩のない生活というものも世の中にはあるらしいが、基本的には人の生命活動を支える物であり、まったくないという生活をするのは難しい。そればかりではない。こちらの世界でも調味料の代表格であるとともに、保存という観点からも、技術の発達したむこうの世界以上になくてはならないものである。故に、その重要性は極めて高い。
「不味くね?」
「不味いですねぇ。そろそろ某かの手を打たないと、領民の生活に大きな影響が出てしまうでしょう。大問題です」
廊下を歩きながら、そんな会話を交わす。伝七郎は、そののんびりとした口調とは裏腹に、非常に困ったという渋りきった表情だ。
「つか、なんで急に不足したよ? 塩なんかは生活必需品だし、当然専売制で、流通を完全に押さえていたんだろ?」
「ええ。ただ、それはこの間までの話です。前領主継高様の頃には領内に海もありました。製塩場もありましたので、そこで塩を作り、御用商人に下ろして領内に流通させてもいました。しかし、今そこは継直に奪われておりますので、専売の品とは言っても……」
「御用商人が他所から仕入れてくる塩の売り上げを撥ねていただけ、と」
要するに、専売制にして流通を押さえてはいるものの、その流通量や価格まではコントロールしきれていないという事である。
「……はい」
伝七郎は言い難くそうにはしながらも、はっきりと頷いた。
俺たちの領土の立地条件的に、塩の供給は商人に頼るしかない。そんな状況で、二水、三沢、須郷と領土が増えたのも、賄いきれなくなった原因の一つと予想される。どの町も山の中で、海には遠い。だから、その分も仕入れなくてはいけなくなったが、それが十分にできていないのだろう。
でも……。
「それにしたって急だな。お前らだって、普段から気を配ってはいたんだろ?」
「それは勿論。でも、なんの傾向もなく突然に不足しはじめたのですよ。まだ蔵に備蓄されている分を放出しているので、早々にどうにかなるという事はありませんが。ただこのままだと、そう遠くなく供給しきれなくなります。そうなれば、塩の値が一息にありえない値段にまで高騰するでしょう」
伝七郎は目と目の間を揉みほぐしながら、説明をしている。本当に疲れているのだろう。
「その動きばかりは、いくら専売の品といえども、抑える事は出来ません。御用商人といえども、仕入れ値を割って物を売れなどと命じる事はできません。その結果、正規の販路の塩でも、とんでもない値が付く事になるでしょう。もちろん、それで止まる訳がありません。こちらに品がない以上、密売品が出回り始めて、そちらが市場を仕切る事になっていくと思われます。そうなってしまえば売価は天井知らずです。その頃には、民達も今のように黙ったままではいてくれないでしょう」
説明が終わると伝七郎は、大きく一つ溜息を吐いた。
そりゃそうだ。まだうちの国は安定していない。この上、更に国情が混乱するかもしれない事態など、勘弁してくれと思って当たり前だ。
「で、このままでは不味いという事で、ちょっと調べてみたんですよ」
伝七郎は気を取り直したように顔を上げ、こちらを向いて言った。
「ほう……。つまり、そこで何かが出たから、俺の意見も聞いてみたいと」
「ご明察です。相変わらず話が早くて、とても助かります」
先程までの難しそうな顔を崩して、伝七郎はうっすらと笑顔を浮かべた。
俺は御用部屋に着くまでに、伝七郎から聞いた話を元に想定できる状況を整理していった。
というか、俺としては、来るべき物が来たと感じていた。うちにとって塩が弁慶の泣き所であるのは、明々白々だったからだ。
うちの領土はすべて陸の上にある。海岸線は遠い。しかも国境線の向こうは、そのほとんどが敵国である。藤ヶ崎の南にある霧賀領だけが交戦状態にないだけだ。他は直接的な戦闘行為こそまだなくとも、虎視眈々と侵略の機会を窺っている。その他は継直、金崎となるので言及するまでもない。
そんな立地条件では、国内で賄えない必需品は弱点以外の何物でもない。もし俺ならば、そんなおいしい物を見逃したりはしない。
だから、いつかは狙われるのでないかと思っていた。それ故に今回の件の感想は、伝七郎には悪いが、思ったよりも早く来たなというだけだった。
頭の整理が終わる頃、丁度よい具合に御用部屋へと着いた。
部屋で勤務に励んでいる官吏たちは、俺の顔を見るとみな頭を深く下げてくる。俺もそれに応えて、軽く手を上げ皆を労った。
そうして挨拶を交わしながら御用部屋の奥へと進み、伝七郎、爺さん、俺しか入る事が許されていない部屋へと入った。小さな奥の間ではあるが、この部屋こそが正に現・水島家のコントロールセンターなのだ。
中にはすでに爺さんもいた。
「爺さんまでもか」
「小僧来たか。早うこっちに来て座れ。そして、これを見て欲しいのだ」
落ち着いてはいるものの、爺さんもやや難しい表情で俺を急かした。
俺もそれに逆らう事なく爺さんの右斜め前に座る。伝七郎も同様に、俺と反対側の斜め前に腰を下ろした。狭い奥の間で、大の男三人が頭を付き合わせながら座り込む。
するとすぐに爺さんが、「読め」と何枚かの書状を渡してきた。
それらは、いずれも国境辺りの里からの陳情書であり、『最近特に野盗の類いが多くなった。その姿を頻繁に目にするようになった。今のままではいつ襲われるのかと不安でならない。何とかして欲しい』と、噛み砕けばそういう内容のものだった。
「次にこれじゃ」
始めに渡された数枚の書状に目を通し終わるのを見計らって、爺さんは次の書状を渡してくる。
今度の物は請願書……になるのだろうか。厳密に言えば違うのかも知れないが、藤ヶ崎に店を構える御用商人からの話を、うちの官吏が纏めた物だった。ただ、形は請願書の形を取っていた。
中身を要約すると、『野盗に荷を奪われる事が多くなった。このままでは真っ当に商売が出来ない。何とかしてくれ』という事であった。
「それは、見ての通りここの官吏からの報告書のようなものではあるが、似たような内容で、二水や三沢、須郷の座からも、こちらは陳情書という形で届いている。そして最後にこれだ」
と、今度は官吏が纏めたらしい帳簿の様なものが渡された。それは本の形で綴られた物だった。
「それの八枚目の所を見てみろ」
俺はページを捲って、言われた所に目をやる。
そこには、御用品のうち単価が一品一品異なるような品ではない、いわゆる国を安定させる為に御用品となっているような必需品に関する取引値――年始めの物価と現在の物価が、前年と比して並べて記載されていた。
さっき伝七郎が言っていた『調べた』とは、これの事だろう。
ざっと目を通していく。
すると、爺さんがこれを見せて何を言わんとしているのかが、すぐに分かった。
すでに、塩の値段が年始の倍以上になっていたのだ。
伝七郎は先程値が高騰し始めていると言っていたが、正直そのレベルではないだろう。元々領土のすべてが山岳部といってよいうちでは、塩は製塩施設のある海岸部と比べれば二、三倍にはなっている筈なのだ。そこからの更に倍である。
「爺さん。これは……」
「うむ。明らかにおかしいのう」
「そこで、この三つの物を見て、武殿はどのように思われたのか。是非その考えを、お伺いしたいのですよ」
それまで黙っていた伝七郎が、そう尋ねてきた。今の奴の顔は、先程まで見せていたようなしかめっ面に戻っていた。
どの様にも、この様にもない。こんなものは答えは一つだ。まず間違いない。
俺は書状から顔を上げる。そして、伝七郎と爺さんの顔を交互に見た。
「……二人とも、それぞれに答えは持っているんだよな?」
「無論じゃ」
「ええ」
二人とも頷く。
「じゃあ、皆でそれぞれの答えを言うとしようか」
俺は、二人の目を一人ずつ見つめながら、そう提案した。
「面白い」
「では」
俺たちは互いの呼吸を計りながら、口を開いた。
「「「塩不足を画策している者がいる」」」
三人の声は、見事なまでに重なった。