幕 鬼灯(二) 小水之魚
それから数日後に、本国に戻れと惟春からの命が届いた。おそらくは、そこで某かの新たな命が与えられるのだと思う。ただ、結構込み入った内容なのかもしれない。書状に命が書かれていなかったという事は、そういう事だ。
継直のところに出された時のように、無茶ぶりでなければよいがと願わずにはいられない。報酬との釣り合いさえとれていれば大概の命には従うつもりではいるが、危険は少ないに越した事はないのだ。
そんな事を考えながら、本国の美和の町へと急いだ。そして美和の金崎の館に着くと、すぐに惟春との謁見を求めた。金崎の重臣達に軽んじられているせいで、金崎の幕下にあっても、当主との謁見には時間がかかるのだ。
だが今日は珍しく、拝謁を申し出ると、すぐに奥へと向かうよう小姓より伝えられた。
やはり何かをやらされるようだ。
その思いが強くなる。
私は、惟春の指示を伝えに来た小姓に案内されながら、館奥の謁見の間へと移動した。
この美和にある金崎の館は金崎家の本拠地の館だけあって、富山や藤ヶ崎にある水島の館に負けず劣らずの規模を誇る。
館を囲う白漆喰の壁も、藤ヶ崎の水島館に対抗して作られたものだ。
平屋の大きな屋敷である事も同じであるが、基本的に水島の物より、やや広く大きく作られている。またそれ以上の顕著な差として、この美和の館は少々成金趣味が強い。力を誇示しているのだ。藤ヶ崎の水島館が見えない所に銭を使っているのに対し、ここ美和の金崎館は見える所に金を使っている傾向が強い。装飾も派手なものが好んで用いられ、その色彩も豪華な物ばかりだ。現当主である金崎惟春もそういった物を好む傾向が強くあるが、館全体がそうである所から、代々の金崎家の傾向自体がそうであると思われる。
そしてそれらの事実は、金崎家の思いとは裏腹に、長きにわたって金崎家が水島家に対してどういう思いを抱いていたかを、誰よりも雄弁に語ってくれていた。
よく磨かれた廊下を進み、絵師の手による金粉もちりばめられた豪奢な襖を、小姓に開けてもらう。
案内役を務めてくれた小姓は、謁見の間の手前にある控えの間にて控えていた小姓と言葉を交わす。そしてその小姓と謁見の間の小姓とのやり取りを経て、ようやく中へと入る許可が出る。
相変わらずの、何かと権威や体裁を気にする家風である。
中に入ると広い板の間となっており、もうすでに金崎惟春と小姓二名、そしてもう一人――黒頭巾に黒装束の大柄な人物が待っていた。
見るからに胡散臭い。だが、おそらくはかなり強い。座っている姿に隙はないし、体格ばかりでなく筋もしっかり鍛えられたそれだ。首まわりや肩まわりから腕にかけての筋は、あきらかに鍛えあげられたそれである。
何者か?
それとなく警戒をしながら、私は惟春への帰還の挨拶を済ませる事にした。
「お待たせして申し訳ございません。鬼灯、ただいま戻りました」
「ほっほっ。早かったのう」
「お呼びいただければ、いつでも疾く参ります」
本当にそう思っているかは分からないが、私のその言葉にさも満足そうな様子で、惟春は数度頷いて見せた。
「それで、本日のご用件は」
「ほっほっ。相も変わらず、主は生真面目じゃのう」
一緒にいて楽しい相手ではないからね。早く済ませたいだけさね。
この金崎惟春は、領民が厳しい税の取り立てで飢えと闘い苦しんでいるなか贅を貪り、体を締まりなくぶくぶくと肥え太らせているような男だ。持っている銭以外に魅力などない。
もっとも、銭に仕えているような私にとっては、出す物は出してくれているので、良い雇用主だとは言えるが。
だが、そもそも統治者がこうだからこそ、我が神楽の里のように銭を稼ぐべく汚れ仕事に精を出さねばならないような村や里もでてくるのだ。それを思うと、決して好意的には受け止められぬし、当然心から尽くす気になど到底ならぬ主だ。
雇用条件の良い仕事場の雇用主――それが私にとっての金崎惟春という男である。
そんな金崎家から私に払われる銭は、文字通り金崎領の領民の命が姿を変えた物と言える。尊い銭だ。しかし私にとって、それがどのような銭かは問題ではない。銭は銭。それ以上でも以下でもない。どれ程尊い銭だろうと、逆に汚れた銭だろうと、仕事に釣り合うだけの額が支払われれば、それでよい。どのような銭であれ、一両で買える米の量は変わりはしないのだ。
生きる為とは言え、神楽の里は汚れ仕事を生業に選んだ。そして、私はその里の者である。綺麗汚いを問えるほど、この身は清くはない。
「いえ。まだ御館様よりいただいていた任の途中でございますゆえ。いま藤ヶ崎は急速に変化しております。少し目を離すと、置いて行かれそうになるほどにございます。その辺りは、書状にてご報告してある通りでございます」
「うむ」
「千賀姫と共に町へと入った者どもも曲者揃い。一時の油断もなりませぬ。今は少しでも情報を手に入れておきませぬと、金崎のお家にも大きな被害を及ぼすかもしれませんぬ」
「佐々木伝七郎と神森武……だったかの?」
「はい。その他にも新たに将に取り立てられた者らもおります。見ておりますと、かなり優秀な者らであるように見受けられます。佐々木伝七郎や神森武の手足となって、縦横に動いているようです」
「ふむ……。継高めが弟に討たれて死に、ようやく大和の国を手に入れられるようになったかと思っておったのだがのう。継直の奴めに協力しすぎたかと考えておったくらいなのじゃが、この分だと継直の領土を藤ヶ崎に食わせて国力を低く均すより、藤ヶ崎勢をなんとかした方がよいかもしれぬのう」
惟春は、困ったような顔を作りながらも、のんびりとした口調でそんな事を言った。
なるほど。そういう事か。
今日呼ばれた訳が少し見えてきた。
と、その時だった。
「と、まあ、そこでの話よ。鬼灯。御館様に主を呼んでもらったのは」
今まで黙っていた黒頭巾の男が、こちらに向き直って話に割って入ってきたのである。
この声は……。
「ふふ。気がつかなかったか。……御館様、お言葉に従い、儂は今後この姿でお仕え致したく存じます。鬼灯も気付かぬ程ならば、問題はございますまい」
私が驚きに目を見開くと、”道永”は惟春に向き直ってそう言った。惟春も満足そうに言葉を返す。
「そうじゃの。名も同影とでも改めるが良かろう。道永の字のそれぞれに違う字を当ててみた」
「どうえい……にございますか?」
「同じ影と書く。今のお前にはぴったりの名であろう?」
「なるほど……。承知致しました。今後は同影と名乗りましょう」
やはり道永だったか。なるほど。惟春に、道永を抱えるに当たっての問題点を忠言はしたが、こうきたか。
「これはこれは。気がつかずに大変失礼致しました。お久しぶりにございます、『同影殿』。ご健勝のようで何よりにございます」
「うむ。健勝……とはいかぬがな。まだまだ火傷の傷は癒えきらぬし、足はもう以前のようには動かぬ」
そう言って道永は、自身の左足をパンと一つ叩いた。
「左様にございますか。ですが貴方ほどの武芸者ならば、そんなものは大して不利にもなりますまい」
「ふん。健常であるに越した事はないがの。だが儂は、奴らの首を獲る為ならば、たとえ腕一本になっても槍を振るってみせるぞ」
「ほっほっ。それは頼もしい。それでこそ同影を我が臣下に迎えた価値があるというものよ。期待しておるぞ」
私と道永の会話を黙って聞いていた惟春は、そう言いながらうっすらと笑みを浮かべた。
「はっ」
道永は、その言葉にも惟春の方へと向き直り、きちんと応える。
「なるほど。それで同影殿。先ほど御館様に私を呼び寄せてもらったとおっしゃっておられましたが、何か私にお話でもございましたか?」
「おお、おお。そうだった。のう、鬼灯」
「はい」
「主に少々手伝ってもらいたいのよ」
道永は先程までの笑いながらの会話から、その目つきや声音を一変させた。
そら来た。
予想通りの展開である。
「手伝え……と。何をでございますか?」
「うむ。先の藤ヶ崎攻略戦では、継直も、そして金崎家も痛い目を見た。藤ヶ崎勢を舐めすぎていた。それもある。あるが、種田忠政は兎も角、三森敦信は無能ではない。御館様の命を果たせなかったという点においては擁護のしようもないが、相手があの神森武や佐々木伝七郎であれば、あのような戦い方をしてあの程度の兵の損失で済ませて帰ってきたというのは無能ではない証明に他ならない。奴らを知らずに戦って、この程度で済んだのは僥倖とさえ言えるだろう」
「ほう……。彼奴らはそれ程のものか」
「はっ。私も同様に一度は痛い目をみた身。忌々しくも、口惜しくもございますが、それを認めぬ事には対処のしようもございません。もしそれを認めぬままもう一度戦えば、次も確実に辛酸を舐めさせられる――そういう相手にございます」
私への説明の途中で疑問を挟んできた惟春に、道永は向き直ってそう説明した。
先の一件で、余程悔しい思いをしたと思われる。
「ふむ。では、敦信めに蟄居を命じたのは誤りだと、同影は申すのだな?」
惟春はその口調とは裏腹に、ほんの刹那の時、目を鋭く光らせた。が、道永も伊達に歳を食ってはいなかった。きちんと気配を感じ取り、
「いえ。命を達する事が出来なかったのは、三森敦信の責にございます。重臣の方々のご意見を汲み、御館様がお決めになった事なれば、私などが口を挟む筋にはございません」
と、如才のない対処をした。しかしそれでも、
「ただ今の藤ヶ崎は、そういう相手であるというのも事実にございます」
と、そう続けた。
うーん……。確かに同じ失敗をしたくないというのは分かるんだがねぇ。なんというか、らしくないねぇ。
とは言え、言っている事は正しい。
「はい。私もそれには同意させていただきます。相応の備えを以て当たらねば、決して勝ちが見込める相手ではございません。先の藤ヶ崎攻略戦は、負けるべくして負けた戦かと……。もしかすると今の藤ヶ崎は、先代水島継高の時よりも厄介な相手かもしれません」
「ほう。鬼灯までもがそれ程に評価するか」
私までもが道永の評価に同意した事には、惟春も少し驚いたようだ。
継高を引き合いに出したのは、我ながら成功だったのかもしれない。惟春は継高に辛酸を舐めさせられ続けていたので、継高こそが最悪の障害と認識していたに違いない。しかし、それと同等以上だと言われたので、驚かずにはいられなかったようだ。
「はい。今の藤ヶ崎は一筋縄でいく相手ではございません」
「そこまでか」
「はい」
「うむ。それで、だ」
道永は、惟春への私の説明が終わるのを待っていたようだった。機を謀っていたかのような間で、私の方を向き話を戻す。
「力で押して駄目ならば、搦め手を使ってみようかと思うのだ」
これには、今度は私が驚かされた。あの道永が搦め手などと。
「搦め手……。貴方がそのような事をおっしゃるとは夢にも思いませんでした。正直驚いています」
「鬼灯、茶化すな。奴ら――特に神森武は平気な顔をして、当たり前のようにそういう手を使ってくる。主も、それはもう知っているのではないか? もう随分経つ。情報も集まってきていよう。そして、だ。そういう相手と戦うには、やはりそれに相応しい戦い方というものがあるのだ。儂は、それを身を以て学んだのだよ」
歯ぎしりも一緒に聞こえてきそうな程に声をくぐもらせながら、道永はゆっくりとだがそう言い切った。
「なるほど……。それで?」
道永の決意に、話の先を促す。
「うむ。最近、二水、三沢、須郷の三つの町を藤ヶ崎は取り戻した。まだそれ程大きくはないが、藤ヶ崎の町一つと比べれば、随分と国情が安定してしまうだろう。それは、我々にとって都合が良くない」
「はい」
それはその通りだろう。
「だから、少々揺さぶってやろうと思うのだよ」
道永は結論を口にせず、遠回り遠回りに、如何にそれが難事であるかを強調するように説明をしていっている。
なぜ? と思った。先程からの”らしくなさ”といい、あまりにも八島道永らしくない。いくら考えを改めたとはいえ、三つ子の魂百までで、そうそうその本質は変わる物ではない筈なのに。
しかし、一体何を……と考えた所で、すぐにその答えが頭に浮かんだ。
ああ、そうか。惟春に売り込んでいるのか。一応仕官を請われてやってきたという形だが、道永には金崎での功は何もない。だから、これから自分が成す事の価値を高めようとしているのだ――――と。
自分も、よくやる手であった。
なる程。そういう事ならば、私もその思惑に乗ろうじゃないか。私も功績は高く見積もってもらいたいからね。それに……、道永に貸しを作っておくのも悪くはない。
「流石は同影殿。やはり直接戦った経験のあるなしは、大きゅうございますね。それで、私は何をお手伝いすればよろしいのでございましょうか?」
惟春が道永の頼みを聞いて私を呼んだ以上、惟春の考えは私に道永の手伝いをさせるという事で決まっている筈。逆らっても得はない。ならば、ここは自ら協力を申し出た方が、道永に貸しを作れる分だけ私が得をする。それが最良だろう。
私のその返事を聞くと、道永の目が笑った。
「話が早くて助かる。ところで、のう、鬼灯よ」
「はい」
急になんだろうね。
「藤ヶ崎の町は陸上水上問わず交通の要衝であり、商工業も活発だ。良い水もあり、土壌も豊かで、周辺の農村では米などもよく実る。とても優れた発展するべくして発展した町だ」
「はい」
急に何を……。
「だが場所柄、絶たれると本当に厄介な物もあるのよ……」
押し殺した声で、道永はそう言う。
ああ、そう言う事か。そこまで聞けば、道永らが私に何をやらせたいのか察しがついた。
「お主に手伝ってもらいたいのはな――――」
道永は自身の計画を細かく説明していった。そしてそれは、予想した通りの内容だった。ただその計画案は、かつて武一辺倒だった道永の案とは到底思えないものだった。