幕 鬼灯(二) 色仕掛け
神森武らは三幻茶屋の方へと歩いて行った。
一行が十分離れるのを見て、客引きを止める。そして一本筋を変え、私も店へと急いだ。
店の裏につくと、店の表の方からは見えないように気をつけながら、店内を窺える厨の方へ向かう。厨では、紅葉が団子を出す為の皿を準備していた。
紅葉へ言葉をかける間も惜しんで、厨ののれんを少しだけそっと手で押し上げた。店の方を確認する。
いた。外の椅子に座っている。
「姉さん?」
「ああ、私だ。今、お客が店に来ただろ?」
「ええ。店の前の長椅子に座っている人たちよ。お茶とお団子を注文したわね。それがどうかしたの?」
その紅葉の答えに私は満足すると、耳元へと口を寄せる。
「顔を覚えときな。男二人のうち、体の小さい方が神森武。大きい方は下の名前は信吾――最近将になった男さ。そして、女童は水島家当主水島千賀――千賀姫で、娘の方は永倉菊――菊姫だ。また店に来るように男連中、特に神森武をたらし込むんだ」
そして、紅葉以外には聞こえないような小さな声で、そう早口で告げた。
紅葉は目を見開いて驚く。だが、流石に声は出さなかった。堪えたようだ。
その様子を見て続ける。
「ただ、菊姫は神森武の事を気に入っているかもしれない。やり過ぎると失敗するよ。いい塩梅に加減しな」
そこまで言うと紅葉も心得たもので、小さく頷き「分かりました」と囁くように返してきた。そしてすぐに、
「じゃあ、姉さん。行ってくるね?」
と、用意した茶と団子を持って厨を出て行った。
さて、さっきの感じだとそれなりには気に入ってはもらえると思うが……、どうだろうね?
ここで紅葉も気に入ってもらえれば、後日またやってくる事も大いに期待できるだろう。そうして常連客にでもなってくれれば、聞こえてくるようになる話もあるだろうさ。
もしそうなってくれれば、私たちとしては最良の展開と言えるだろう。こんな好機は滅多に訪れない。
紅葉……、頑張っておくれよ。
紅葉の成功を、心から願わずにはいられなかった。
祈りにも似た思いを胸に、店の奥から神森武らの様子を伺い続ける。犬上信吾が常に目を光らせているので、相当に注意が必要だった。
神森武は予想通りの反応をした。
紅葉に興味を示してだらしない愛想笑いを浮かべていた。目線は乳の当たりで固まっている。
ふふふ。やはり男だねぇ。紅葉はまだ少し幼いが体だけは大人以上だから、私とはまた違った魅力があるだろう? 存分に楽しんでおくれ。……まあ女連れでは、そうあからさまには楽しめないだろうがね。
神森武が、年相応の若い態度を見せてくれた事で、ここ二日の溜まった鬱憤も少し晴れてくる。こちらを未熟とまで言い放った男の若さは、心を少し軽くした。
紅葉は、茶や団子の皿を配る時にも、さりげなく自分の胸元が神森武から見やすいように動いている。神森武に媚を売っているのを菊姫に感づかれないように、あくまでも自然を装いながら。
まだまだ至らない部分もあるが、中々堂に入っていた。これならば、神森武の脳裏には、この出来事がとても印象深く残る事だろう。
まずまずの出来だと言えた。
あとは、神森武が男色家でない事を祈るばかりだった。こればかりはどうにもならない。もしこれだけやって衆道一筋とか言われたら、流石に泣けてくる。
まあ、この様子ならば、それはなさそうではあるが。
紅葉の胸元に気を取られすぎた神森武が、菊姫に絞られている。
通りを行く人々も、その様子を眺めていた。ある者は好奇心に満ちた目を向け、ある者は妬心に溢れた視線を送っている。有り体に言って、神森武は晒し者になっていた。
その様子を見ながら、私も小さく笑んだ。
そして、店の裏から再び外に出る。勿論、仕上げの為である。神森武には悪いが、今日はもう少しだけ菊姫に怒られてもらうつもりだ。
呼び込みを止めて店に戻ってきたような振りをする為に、店から少し離れた場所へと移動した。そしてそこから、改めて店へと戻る。
ふふっ。まだ怒られているようだね。
菊姫の焼き餅は未だ治まってはおらず、神森武はまだ説教の真っ最中だった。紅葉も中々やるようになったものである。
しかし私は、そんな事は全く知らない顔をして、一行へと近づいていった。そして、
「あら、さっきのお兄さんじゃないかい。何、怒られているんだい?」
と、少々のしなを作りながら驚いて見せた。
すると、神森武はそれにも反応した。
おやおや。いま怒られている最中なのに、今度は私の乳かい。神森武は結構な好色家なのかねぇ。それならそれで、色々とやりやすくはなるが。でも今は、もう少し慎んだ方がいいんじゃないのかい? そうもあからさまだと――――。
「――――んーっ。もう!」
案の定、菊姫が癇癪を起こした。
勿論こちらに目が向くように私たちが振る舞ったせいなのだが、こうもあっさりと思い通りに動いてくれると嬉しくなってしまう。先日、いいようにやられてしまった身としては尚更だ。
ただ、こうして見ていると、神森武は好色というよりも初心なのかもしれないと思った。年頃の男らしく助平ではあるが、なんというかぎこちない。女の扱い方や、女への態度に不慣れさを感じるのだ。
そうなると、それはそれでまた今後が面白い。”色んな意味で”、だ。女が好きであってくれれば、それだけで申し分はない。工夫のし甲斐もある。
まだ頬を膨らませている菊姫には申し訳ないが、もう一押しさせてもらうとしよう。
「あらあら、お兄さん。駄目だよ。私ではなく、ちゃんとお姉さんの方をみていなくちゃね。失礼ってもんさ」
口元に手を寄せ更にしなを作りながら、そう嘯いて見せた。
すると神森武は、菊姫の方向へと向き直った。こちらを見ないようにしながら、菊姫の顔を見つめ、ご機嫌を取ろうと必死になっている。
おやおや、なんとも可愛い事を……。
そう思うと堪えきれずに、思わず笑ってしまった。
んー。これはもう疑う余地はないね。この二人はそういう関係なのだろう。どこまで話が進んでいるのかは分からないが、当人同士の気持ちは向き合っているようだ。
昨日、神森武の私室の天井裏で得た予想が確信に変わった。それにもう一つ――とても重要な物が見られた。
それは千賀姫と神森武の関係だ。
千賀姫は、菊姫と神森武の間に座り、団子をおいしそうに頬張ってはニコニコとしていた。自分の分を食べ終われば、神森武の皿にまで手を伸ばした。また、菊姫の神森武への説教が始まるまでは、ニコニコしながら菊姫なり、神森武なりに話しかけていた。
まだ水島家での日は浅い筈の神森武ではあるが、千賀姫の信頼は極めて厚いようだ。
こうして見ている範囲では、菊姫と比べても見劣っていないように見える。守り役の佐々木伝七郎が同行せずに、世話役の菊姫と護衛の将のみで、こうして出でてきているという点も無視は出来ないだろう。
神森武を、ただの有能な新参として見てはいけないのかもしれない。少なくとも、上層部にはしっかりと溶け込んでいる。
これを見誤ると、肝心な所で判断を誤りそうだ――――そう思った。
私がそんな事を考えている間も、菊姫と神森武は子犬がじゃれつき合うかのような痴話喧嘩を続けていた。
「さんざんだ……」
「知りません。武殿が悪いんです」
菊姫は顔を横に背けてしまい、神森武は狼狽えている。
ふむ。折角の機会だし、もう少し踏み込んでおこうかね。
「たける……。お兄さん、もしかして神森武様かい?」
「へ? あ、ああ、確かに俺は神森武だけど、なんでお姉さんが俺の名前を知ってるの?」
ほう。まだ自分の名が高まっているのを知らないのかい。今この町で、武などという珍しい名を呼べば誰だって真っ先にそう問うだろうよ。情報に疎い訳でもあるまいに、意外に自分の事には鈍いのかね?
「おや、まあ。ご存知ないのかい。お兄さんの名前は、今やこの町で知らない者はいないと思うよ。千賀姫様をお守りし、無双の知略を持って追っ手を千切っては投げ、千切っては投げ――――」
と、そう説明を続けてやろうとした。すると横から、
「そうじゃぞ。たけるは――――」
と千賀姫が口を挟もうとしてきた。それを菊姫が慌てて止めていた。
「?? どうしたんだい、お姉さん?」
惚けて尋ねる。
「いえ、なんでもございません。”妹”が失礼致しました。続きをどうぞ」
菊姫は笑って誤魔化そうと必死だった。
まあ、そうだろうねぇ。ここで千賀姫の正体がばれてしまうのは問題だろうねぇ。この町にやってきた時に大立ち回りを演じたみたいだが、大半はその顔も知らないだろうしね。今はまだ顔を領民に覚えさせる益よりも、顔を隠した方がより益があるだろう。安全だ。賢い選択だとは思うよ。
まあもっとも、隠すべき相手である私にはもうとっくにバレている訳だがね。
だが、そこは知らぬ振りをして話を続ける。ここでそれを暴いても私には無益だからだ。それどころか、こうして顔も見せている以上、今のこの姿の私を警戒される事は損以外の何ものでもない。
「そうかい? えーと、どこまで言ったかねぇ。そうそう。千切っては投げだね。そればかりか、この町を守る為に、奪われた北の砦も取り返し、更には東の砦に攻め寄せてきた敵勢まで一蹴してしまったというじゃないかい。佐々木様と共に、『水島に伏龍鳳雛あり』と庶人の間では持ちきりですよ」
知っている筈のない情報が口から漏れる事のない様に、最大限の注意を払いながら自然体を貫く。そして素朴な町民の一人を装って、あくまでも町人目線の話をしていった。
「ちょ、ちょ、ちょ。お姉さん?」
「なんだい?」
「その話、どこから広まってるんだ? どこで聞いた?」
「さあ? 私は町の若衆から聞いただけだからねぇ。それにしても噂の大賢人が、こんなにも若いお兄さんだったとはねぇ」
その問いにも、そうやって誤魔化した。この情報の発信源は永倉平八郎だ。だが、それを私が知っていてはおかしいからだ。
だがその問いには、私の代わりに信吾と呼ばれていた将が答えた。永倉平八郎の目的も。
思っていた通り、やはりお家の力の喧伝だったようだ。
それはそうだろう。勢力としてはまだ劣勢の藤ヶ崎の水島家ならば、こんなよいネタを使わない手はない。流石に永倉平八郎はやり手だったというだけの事だ。
もっとも、神森武はその事が理解できていないようには見えなかったが、大いに不服があるようだったが。
さて、今日はこのぐらいかね。これ以上は、不自然な印象を残すね。
「私にはなんだかよくわからないが、まあ、ゆっくりしてっておくれよ」
私は、唖然としながらブツブツと呟いている神森武にそう言うと、店の奥へと引っ込んだ。
それからも中からそれとなく、一行の様子を見ていたが、特に何事もなく、残っている団子を食い、茶を飲み干すと、店を出て行った。
帰り際にもちらっと顔をみせ「是非、またお越し下さいな」と見送ったが、特にこちらを怪しんでいる様子はなかった。
神森武には、紅葉の事といい、私の事といい、強く印象に残った事だろう。
棚ぼたの機会を利用したにしては、十分やれたと思う。種は蒔けただろう。あとは、どんな実が採れるかだ。