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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第三章
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幕 鬼灯(二) 大捕物




 山に分け入ると、まず神森武が敷いた陣を見下ろせる場所を探す事から始めた。


 忍びとして、目には自信がある。自信はあるが、相手からは発見されにくく、相手の口の動きが見え、且つ全体の動きが見えるというような、こちらに都合が良い場所となると流石に限られてくる。


 あまり期待はしていなかったが、それでも歩き回り調べるだけは調べた。しかし、やはりすべてを満たすような場所はなかった。


 それでも、なんとか兵の動きと辛うじて口の動きが判別できる場所を見つけた。


 山肌にある崖の、とある岩の上である。ただ、その場所は、相手からもさぞ見つけやすかろうと思われた。周りはいくらか木々で隠されているのでその場に近づく分には問題がないのだが、肝心の岩のある部分が突出しており、その部分はこちらからも相手がよく観察できる反面、相手からもこちらは丸見えになると思われた。


 だから、相手に見つからないよう兎に角注意を払った。いつ崩れてもおかしくない岩の上に腹ばいになった。しかもその状態で少しでも体が岩に隠れるように、岩の縁の方へと張り付いて観察をする事にしたのだ。すべったら、どうする事も出来ずに崖を転がり落ちる事になるだろう。正直、かなり危ない体勢だ。が、そうでもしなくてはすぐに見つかってしまうので、やむを得なかったのだ。


 そうして観察していると、陣の設営は兵らに任せたまま、神森武は三人の人物を集めた。みな若かった。二人は神森武と同じくらいか、一番体の大きな男はもう少し年上だろうか。先程、藤ヶ崎で兵たちの前に並んでいた三人だった。


 将らを呼んだか。


 そう思ったのだが、経つ時間と共に自信がなくなってきた。


 今朝方の藤ヶ崎での様子から、この三人は将だと考えていたのだが、神森武も含め四人の距離感がおかしかった。とても親しげだった。


 当然ここでは話声は聞こえないが、話し合う雰囲気が、まるで旧知の者同士で歓談をしているかのような気安いものだったのだ。


 神森武は、千賀姫の下に来る前の経歴がまったく分かっていない。だから、おそらくはこの大和の国の人間ではない筈である。あれ程の若者だ。この国出身の者であれば、某かの情報の一つくらいは里の草ならば掴んでくる筈である。しかし、それが一切なく不明。間違いなく与太話の類いではあろうが、天から降りたとの報告すらある程に、突然現れた謎の男だった。


 他国の者の筈だ。少なくとも前領主――水島継高存命中の大和の国では、その名前を聞いた事は一度もない。


 おそらくは、その名が初めて世に出た富山からの逃亡途中が、彼らが初めて知り合った時でもある筈である。


 となると、まだ一月(ひとつき)そこそこという事になる。


 ありえない。


 士族のような体面を気にする連中が、そんな浅い付き合いの者同士で、しかも上下で話をしているのに、こんな雰囲気になるものだろうか。少なくとも、今まで見てきた士族連中の対人関係の様子とはまったく違うものである。


 やはり、何か前提が間違っているのだろうか。


 思考が纏まらず、かなり混乱させられる。しかし、ありえないと私が感じたところで、目の前で、そのあり得ない光景は続いていた。


 結局どれ程考えても、これといった答えを見出す事は出来なかった。そういう事もあるのだと、認識を改める以外に答えの出しようがなかったのだ。


 そして、私がそうして戸惑っている間に、状況の方が先に動いた。


 先程までは皆で楽しそうに雑談をしていたのだが、三人が急に身を正したのだ。それに合わせて、神森武も先程までの雰囲気から三人の将を統べる者へと態度を変える。それがはっきり分かる気配を纏ったのだ。


 やはり、先程の結論で良かったらしい。


 そう思いながら、私は目を凝らし、その口の動きを注意深く読む事にした。


「信吾は『玄武隊』と俺の『朱雀隊』の半分、それから百人隊二隊を率いて山を西側から半包囲。源太は『青龍隊』と残りの『朱雀隊』、それから百人隊二隊を率いてその反対側だ。二人で囲い込んだら、そのまま囲いを狭めていけ。与平は自分の『白虎隊』を率いて山の上から獲物を追え。『白虎隊』は猟師上がりばかりだ。獲物を見つけ出すのも、適切に追いたてるのも得意だろう。与平はその時々の状況を見極めて、信吾あるいは源太に連絡を取って、互いに協力し合って獲物の捕獲に努めてくれ。細かい部分はそれぞれの判断に任せる」


 神森武の言葉はまだ続く。


「ただしっ。今日は訓練も兼ねているので、俺からも将である各々に指示が行く事もあると思う。その時には、こちらの指示に”必ず”従うように。それと、獲物の発見時、及び各将間で依頼や連絡を行った時には、必ず同じ内容でこちらにも報告を寄越してくれ。要するに、判断は各々に任せるが、その結果は必ず知らせろという事だ。これは、獲物を捕るという目的から見ればまったく意味がない事だが、訓練という側面からは大いに意味がある。必ず守ってくれ」


「「「はっ」」」


 ふむ。やはり、あの三人は将だね。それも神森武が直接指揮を執るほどの地位の高い将だ。信吾、源太、与平と神森武は言っていたな。


 だが、聞いた事がない。


 一番体が大きい若者が信吾。色男の源太。まるで少年のような幼い顔立ちの与平。新しい将の名と顔がわかったのは行幸だった。これを知る事ができただけでも、今日の成果としては上々だ。


 そうほくそ笑みながら、その後もしばらくの間、そのまま様子を窺った。そして、私は後悔した。


 神森武と五百にも及ぼうかという兵たちが、本当に”狩り”を始めたからだ。


 物の例えではなかったのである。


 神森武は一体何を考えているのだろうか――と、私は頭が痛くなった。


 本当に呆れた。何をしでかすつもりかと、気負って探りに来た自分が馬鹿みたいではないか。正直、がっかりした。


 私は、あまりの兵の多さと神森武が率いているという事実に、再びの侵攻を確信していた。だが蓋を開けてみれば、ただの訓練だった。人を狩るのではなく、獣を狩りにきていたのである。


 それはつまり、私から継直への土産話がなくなった事を意味していた。ご機嫌伺いもできなくなったのだ。


 惟春に対しても同様だった。


 金崎家が継直の領地を奪おうとするならば、もう少し継直の力を削いでおきたいだろう。先の藤ヶ崎攻略戦が失敗に終わった以上、考えをそちらに切り替えている筈である。


 となると、ここで藤ヶ崎勢がもう少し頑張ってくれた方が、金崎家としては都合がいい。藤ヶ崎勢に快進撃を続けられすぎても困るが、今となっては、もう少々藤ヶ崎勢が継直の力を削いでくれた方が、金崎家としては望ましいだろう。


 しかし、それも今の目の前にいる者たちには期待できない。継直の領土に向かっていないのだから、期待のしようもない。


 こんな話を持っていったところで、小指の先程も惟春の興味を引けはしないだろう。


 そっと溜息を一つ吐く。


 そして、位置を変える事にした。先程の神森武の指示を考えると、このままここにいては簡単に見つかってしまうからだ。


 私は崖から離れ、山を下り裾の森の中へと入っていく。先程までの丸見えの場所と異なり、身を隠す場所にも事欠かない。いま山から出るのは危険だ。だから、これが最良の判断である。




 山裾の森の中に移って、どれ程の時間が経ったか。陽はとっくに天頂をすぎて西に(かし)いでいた。


 先程の崖よりは、随分と見渡せる範囲は狭くなってしまったが、それでも神森武の着座している姿はなんとか見える場所を見つけた。今度は木の枝の上で、しかも屈み続けなくてはならなかったが、贅沢は言えない。


 同じ姿勢をとり続けて、固まりかけている筋にげんなりとしながらも、陣の様子を注意深く探り続けた。


 何人もの使者が陣に出入りをしている。口を読む限り、狩りの成果やら将同志でどういう連携を取っているのかが逐一報告されているようだ。先程の神森武の命令が守られているのだろう。


 やれやれ。これ以上は何も得られそうにないね。


 私は緊張させていた気をそっと緩めた。


 その時だった。


 陣から三騎、馬が走ったと思ったら、しばらくして、プォーッとホラ貝が鳴りだしたのである。


 ドンッ、ドンッ、ドンッッ。


 次いで太鼓が打ち鳴らされた。


 な、なんだい突然っ。


 突然の出来事に、何事かと様子を窺った。


 すると、それまで山を囲んでいた将兵らが突然その囲みを解き、まるでこちらを挟み込むように山肌に沿って動き出していたのだ。


 な、なんだと?!


 驚かずにはいられなかった。


 狩りではなかったのか? 焦り、思考がそこにばかり行き着いてしまう。


 見つかった?!


 心の臓が早鐘のように脈打った。舌がチッと小さく音を鳴らす。


 ここにいたって、先程の判断の誤りを悔いる。ホラ貝が鳴った時点で、脇目も振らず逃げていれば、まだ楽に逃げられた。あそこで状況を確認しようと欲張ったのが、運の尽きだった。


 だが、こういう時にこそ冷静さを保たねばならない。冷静さを失えば、その時は本当に終わってしまう。仲間のそういう最期を、もう何度も見てきている。


 私は自分にそう言い聞かせながら大きく息を吸い、そしてすべての焦燥と共に、ゆっくりと静かに、その胸の息を吐き出した。


 よしっ。


 そう気合いを入れ直して、即座に行動に移る。足を動かす。


 もうすでに左右から完全に挟み込まれ、もうすでに山に上るか、山を下るかの選択しか私には許されていない。


 流石に神森武。早いし、抜かりがない。本当に手強い。何が呆れただ。何ががっかりだ。とんでもない話だ。


 もう二路しか残っていない。非常に旨くない展開だ。


 さて、どうするか――――。


 選択を迫られる。


 これは完全に見つかっているねぇ。とりあえず、これ以上ここに止まって隠れているのは危険だ。まったく、見事に謀られたよ。


 何が狩りなんだと憤らずにはいられない。これは人狩りというのだ。言葉は正確に使ってもらいたい。


 状況を確認していると、ついついそんな愚痴じみた思考へと流れ着いてしまう。そんな事を思っている時ではないとは思うが、それこそが素直な気持ちだった。


 しかし、いつ気付かれたのだろう。


 それが分からない。おそらく当初は、本当に狩りを兼ねた訓練だった筈だ。途中で私に気が付いて、私を捕らえるべく動きを変えた筈である。


 そして私は、気付かれた事に最後の最後まで気が付かなかったのだ。


 間抜けにも程があった。神森武が動き出すまで、まったく気付かなかった。


 今にして思うと、崖で様子を伺っていたあの時、三人の将を呼んで”必ず従え”と伝えていたあの指示――あれが怪しい。あれは、獣を囲い込む振りをして、自分たちを見ている怪しい人物――私を囲い込む為のものだったのではないのか。


 もしそうだとすると、将らに山を囲ませた時には、すでに気付かれていたという事になる。


 だがしかし、将らはあの指示の後、普通に狩りをしていた。その時間は、結構なものだったと思う。


 そう考えると、あの時点で気付かれていたと考えるのは、私の考えすぎなのだろうか。だが現に、私はこうして見つかっている。


 ならば、何時?


 カリッと音がした。ハッと手元を見ると、無意識に親指の爪をかみ切っていた。


 いけない。今はそれどころではないのだ。


 何時気付かれたかは分からない。


 陣からも何度も将らに向かって使いを出していた。おそらくは、その中にこの私を捕らえる為の指示もあったのだ。だから貝と太鼓で将らは一息に動いた。それまでは、まったくその素振りすらも見せなかったのに。


 凄まじい用兵だ。そう言わざるを得ない。道永が完膚なきまでにやられた訳である。舐めていたつもりはないが、私の認識でも神森武と正対するにはまだ足りなかったのだ。


 あの男は極めて危険だ。それを確信した。


 だが、私もこのまま諦める訳にはいかない。なんとか逃げ切ってみせる。


 どこかに逃げ道は残されていないかと必死に探した。すると、山を下る方向に一本の逃走経路を見出す事が出来た。もう一度、冷静に確認をする。やはり、そこだけ囲みに穴が開いている。


 だが――――、あまりにもあからさまだった。


 陣からいくらかでも兵をだせば、すぐに塞げるような穴なのに、そのまま放置されている。


 その部分だけに、まったく兵が展開されていない。そして、まったく動いていない神森武からも近い。


 …………罠か。


 そうとしか思えなかった。だが、もうそこにしか逃げ道はなかった。


 悩む。


 しかし、こうしている間も包囲網は狭まってきている。考える時間すらも、もういくらも残っていない。山頂方向からも兵が降りてきているのを感じる。微かにではあるが、気配を感じる。間違いない。


 まずいね。


 山頂方向から来ている奴らは、囲んでいる奴らと違って多分攻撃を仕掛けてくる。


 さっき神森が上に送ったのは、猟師で構成された部隊だった筈だ。なるほど、しっかりと風上を避けながら、気配を殺して近づいてきている。流石に本職だね。こういう場所では私たちよりも、うまいかもしれない。気配に気づけたのも、私がたまたま忍びだったからだ。普通、これはなかなか気づけまいよ。


 どうする? 相手も目や耳はいいし、気配を探るのにも長けている。


 やはり、このままここにいるのは危険だ。行くしかないか。


 私はそう腹を括ると、急いで木を降り、そのまま森の中を駆けに駆けた。


「いたぞ! 逃げたっ!」


 チッ。流石に気付くのが早い。もう見つかったか。


「逃がすなっ! 回り込んで矢を打ち込めっ!」


「このまま坊主は嫌だぞ。鍛錬倍は御免だっ!」


「大物みたいだな。仕留めたら、もしかしたら一番手柄も狙えるか?」


 訓練された耳が、矢を打ち込んでくる弓兵たちのそんな会話を拾う。


 冗談じゃないよ。そう簡単にやられてやる訳にもいかんさね。でも、やはり気付かれていたか。神森武……。なんて油断のならない奴っ。


 木の陰に隠れても藪の中に飛び込んでも、弓兵たちは見失う事も諦める事もなく、私を捕縛すべく正確に矢を打ち込んできた。


 走る足に枯れた草木が絡まる。尖った枝が頬に当たり、微かに皮膚を破った。


 それでも足を止める訳にはいかなかった。止めたら、確実に弓矢の餌食になるからだ。


 狙いがすばらしく正確だった。動きながら乱立する木々を盾にして、なんとか凌いでいるのが現状である。止まった私など、容易に射貫くだろう。


 それにもうじき森を抜ける。そこを抜けられれば逃げ切れる。


 はぁ、はぁ、はぁ。


 流石に息も上がってきた。が、そんな事には構っていられない。今もビュンビュンと空を割きながら、私目がけて何本も矢が飛んできているのだ。


 だが、この道は…………。


 この先に罠が仕掛けられているかもしれない。その事が脳裏を過ぎる。しかし――――。


 儘よ。


 私は、駆ける足を更に速く動かす。もう行くしかないのだ。




 しかし、その私の覚悟に反して、拍子抜けする程にあっさりと私は逃げ切れてしまった。


 何もなかったのだ。あのこれ見よがしなばかりに残されていた逃走経路には、何も仕掛けられていなかったのだ。


 今は先程までいた山の隣の山中で、両手足を投げ出して、地面の上に大の字になっていた。


 心の臓が、まるで乱れ打たれる太鼓のように音を発している。汗も、装束がしっとりと湿る程に、全身にかいていた。


 疲れた……。


 だが、そんな体以上に頭の方が疲れていた。まったく意味が分からなかった。


 未だ乱れている息以上に、私の思考は混乱していた。


 わざとか? 泳がされているのか?


 色々と考えてみるが、やはりこれという答えが出せない。とてつもなく気持ちが悪い。


 しかしとりあえずは、あの場を逃れられたという事だけは確かのようだった。もう、先程の弓兵たちも追ってきていない。


 起き上がって、確認の為に神森武の陣が遠目にでも見える位置へと移動する。そうして見てみると、山を囲んでいた者たちも陣へとすでに戻ってきていて、火をおこそうとしていた。


 まだ夕刻前だし、ここは藤ヶ崎の町からもそれ程遠くはない。今から戻っても、陽が暮れる前には戻れるだろう。


 わざわざここで野営の仕度などする必要はない筈である。


 本当に分からない。あの男は一体何を考えているのだ?


 その時、風がほつれた髪を一筋舞わせた。


 その髪を戻すついでに、乱れた装束の体裁を軽く整えた。そして、頬に流れる汗を肩口で拭う。頬に痛みが走った。肩口を見れば、汗に混じって少々血が着いていた。


 自分の体を改めて見てみれば、装束もいたる所が裂けて、ぼろぼろになっていた。


 ふぅ――――っ。


 改めて、大きく息を一つ吐く。


 本当によく助かったものだ。なんで助かったのか――その理由が分からない気持ち悪さは未だ残っているが、それでも今私は捕まる事もなく、死ぬ事もなく、こうして無事でいる。


 まずはそれに感謝をしよう。


 そう結論づけると、私はとりあえず三幻茶屋へと戻る事にした。

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