第百二十五話 爺さんに晒し上げにされた でござる
「さんざんだ……」
「知りません。武殿が悪いんです」
愚痴がこぼれるも、お菊さんはプイッと横を向いてしまい、なんともすげないお言葉が返ってきた。
千賀はまだポカンとした顔で、お菊さんと俺の顔を交互に見上げているし。
珍しいのだろうな。仕事を手伝ってくれているので、最近は俺も一緒にいる時間が長いのだが、こんなお菊さんは一度も見た事がなかったし。
でも……。
いつものクールビューティーなお菊さんもいいけれど、同年代の女の子を意識できる今日のお菊さんも悪くない。つか、大変よろしい。
そんな事を思う俺は、やはり節操がないのかも知れないが、でもいいものはいいのだ。
おそらくはただ不愉快なだけなんだろうけれど、拗ねているようにも見えるそんなお菊さんは、とても新鮮で可愛らしかった。
とは言え、いつまでもこのままという訳にもいかないだろう。少しでも機嫌を直してもらうべく、俺は「ごめん、ごめん」と声をかけようとした。
しかしそれは、この事態の元凶であるお姉さんによって遮られた。
「たける……。お兄さん、もしかしてあの神森武様かい?」
「へ? あ、ああ、確かに俺は神森武だけど、なんでお姉さんが俺の名前知ってるの?」
突然フルネームを呼ばれ、驚いた。
そりゃあそうである。さっきから「武」とは呼ばれているが、誰も「神森」などとは呼んでいない。
つか、『どの』神森武様なんだってばよ。
こんな短い問いかけの中に、ツッコミどころが満載であった。
なんでこのお姉さんが知っている?
俺の警戒心は一気に高まった。だが護衛を務めてくれている信吾は、これにまったく反応しようとはしなかった。
なぜだ? 俺には訳が分からなかった。
無理やりのんびりとしたままの表情を保ちつつ、その表情とは裏腹に目まぐるしく脳みそを動かす。しかしすぐに、
「おやまあ、ご存じないのかい。お兄さんの名前は、今やこの町で知らない者はいないと思うよ?」
と、その答えをお姉さん自身がしれっと言ったのである。
は?
「千賀姫様をお守りし、無双の知略を持って追っ手を千切っては投げ、千切っては投げ――――」
「そうじゃぞ。たけるは――――」
お姉さんがそう説明する横から、話が自分にも分かる部分に入った途端、割って入ろうとした千賀の口をお菊さんが慌てて塞ぐ。そりゃそうだ。正体がばれる。
「?? どうしたんだい、お姉さん?」
お姉さんは軽く小首を傾げる仕草をしながら、お菊さんにそう問うた。
「いえ、なんでもございません。”妹”が失礼致しました。続きをどうぞ」
お菊さんは「ホホホ……」と笑って誤魔化していた。
「そうかい? えーと、どこまで話したかねぇ。そうそう。千切っては投げだね。そればかりか、この町を守る為に、奪われた北の砦も取り返し、更には東の砦に攻め寄せてきた敵勢まで一蹴してしまったというじゃないかい。佐々木様と共に、『水島に伏龍鳳雛あり』と庶人の間では持ちきりだよ」
……は?
どゆ事?
信吾の方を振り向く。
が、信吾の奴はどこか誇らしげに、重々しく一つ頷いただけだった。
(頷いちゃうんかよ! 『うん』じゃねぇよ『うん』じゃっ!)と思ったのは、言うまでもない。
「ちょ、ちょ、ちょ。お姉さん?」
「なんだい?」
「その話、どこから広まってるんだ? どこで聞いた?」
「さあ? 私は町の若衆から聞いただけだからねぇ。それにしても噂の大賢人様が、こんなにも若いお兄さんだったとはねぇ」
そう言ってお姉さんは、口元を抑えながら「ふふ」と笑う。色っぽい流し目を添えながら。
そしてそれと同時に、再び横で戦闘力の上昇を感じた。
が、それにはお姉さんの流し目に気がつかないふりをする事で、なんとか回避を試みる。
試みは成功し、程なく収まった。
よし、少し分かってきた。要は、女のプライドを傷つけなければ良いのだろう。デート中に他の女に目を奪われなければいいんだ。
まあ、それはそれとして、である。肝心の元凶の方が分からず仕舞いだ。
「一体誰だよ……」
そう呟かずにはいられなかった。
しかし、それに即答する声があった。信吾である。
「平八郎様ですよ、武殿」
なんですと?
それを聞き、俺は頭を抱えた。
厨二な二つ名までついて、話が異常に膨れあがって町中に広まっているだけでも頭が痛いというのに、よりにもよってそれを広めたのが爺さんだという。俺が頭を抱えたとて、一体どこの誰がそれを責める事ができようか。
でも、言われてみれば、そうである。『伏龍』だの『鳳雛』だのといった三国志の世界で有名な軍師の二つ名を、こちらで俺がしゃべった相手は爺さんしかいない。
よくよく考えれば、話の出所など明らかだったのだ。
まったく。なんつー事をしでかしてくれたんだ、あの糞ジジイ。
厨二ネームとか、ノートにしたためてこっそりと机の底に沈めておく物であって、世間様に大公開する物ではないんだってばよ。リアルで広まったら、恥ずかしくて死ねるんだっちゅーのっ。
「……爺さんか」
思わず口からポツリと漏れた。背中からモジャアっと黒い何かが出てきそうだった。
横ではお菊さんが、「父上が?」などと呟いていたが、今回ばかりは彼女は味方になってくれそうにない。なぜか、むしろ満足そうにしていたりするからだ。とてもではないが、俺と一緒になって爺さんに文句を言ってくれそうな様子ではない。
千賀は論外だ。さっきお菊さんに口を押さえられて以降は、再び団子との格闘を再開している。もうすでに、こちらへの興味を完全に失っていた。
そんなお嬢さん方二人を眺めつつ嘆息する俺を見て、信吾の説明は続いた。
「ええ。優秀な臣下が今なお多くあるという事は、今の水島にとって大いに宣伝すべき事だとおっしゃっておられました。我々にも、町の者たちに伝七郎様共々武殿の事を大いに語るべしとお命じになっておられます。だから兵たちも、町に呑みに行った時などは、自慢話がてら普通に話をしているようですよ。最近は、むしろ噂を聞いた町の者――とくに若者たちから、お二方の話を聞かせてくれとせがまれるようですな」
「なんてこった……」
「まあ、英雄譚という物はいつの時代も好まれる物ですからな。ましてその英雄が身近にいるとなれば、そりゃあ近くにいる者から話の一つも聞きたくなるでしょう。民達が武殿の話をせがむというのも道理というものです」
そう言うと、信吾は「まあ、英雄の宿命って奴ですな。はっはっはっ」と笑った。
他人事だと思って軽く言いやがる。あー。
こうなってしまった仕組みは理解できた。しかし、それが納得いくかどうかは、また別の話というものである。
「…………」
言葉がでてこない。
現実逃避がてら、お菊さんに口元を拭いてもらっている千賀を眺める。
あーあ。口元が団子でべとべとだ。
そんな千賀は、布を口元に当てられ「んー、んー」言っていた。
「そんな死んだ魚みたいな目をしなくてもいいじゃあないですか。不名誉な事ではなく、大変な名誉ですよ。ただただ才と実績に相応しい名声を、武殿は得られただけではないですか」
信吾は、一体何を凹む事があるのかと言わんばかりに、しきりと首を傾げていた。
まあそりゃあ、何とか名を売り歴史に名を残そうとする武人達の価値観からは理解できない事なのかも知れませんがね。リアルで厨二な世界に生きている奴はこれだから……。
俺としてはそうとしか思えなかった。
けれども、未だ冷静な部分はこうも思うのである。
今となっては、俺もその厨二な世界の住人なんだよなあ――――と。
そうしてしばらくは、乾いた笑いを漏らしながら俺は現実逃避を続けた。なんとか尻を上げる気力が戻ってきた頃には、俺のお茶はすっかり冷め切っていた。
団子はほとんど食えず、またもや千賀に食われてしまったが、歩き通しの足腰を休める事は出来た。千賀ももうすっかり元気いっぱいだ。
「さて、そろそろ出ようか」
俺がそう声をかけると、お菊さんは静かに頷いてそっと腰を上げ、千賀も座っていた長椅子から、ぴょんと飛び降りた。信吾はそんな千賀の後ろに再び付く。
まあ、色々と想定外の事態が起こったり、思いもしなかった話を聞く事になったりしたが、総じて考えてみれば、ここに来て良かったと言えるだろう。
団子もお茶も美味しかったし、綺麗な姉妹がやっている茶店を発見できたのは、今後の俺の藤ヶ崎ライフにとって、大いにプラスであったと言える。美人を眺める事が出来るというのは、それだけで生活に張りが出るというものだからだ。
お菊さんを毎日眺める事ができる俺がこんな事を言ったら、他の男達からは呪詛が飛んできそうではあるが、これこそが偽りない男の本音というものである。美人ってもんは、何人いてもいいものなのだ。
そんな事を思いながら俺は勘定を置き、再び店の中から出て来た色っぽいお姉さんに「お茶上手かったよ。教えてくれて有り難う」と礼を言った。するとそのお姉さんは、男心をくすぐる笑みと共に「是非、またお越し下さいな」と店を出る俺たちを見送ってくれた。
見た目がゴージャスすぎてそうと見えにくくはあるが、流石に商売人だった。最後まで抜かりなく営業をかけていた。
だが問題ない。プロとして接客してくれるというならば、寧ろ逆に安心である。また町に来る楽しみもできたというものだ。
むふ。いやー、町って楽しいよね。
ついさっき少々凹むショッキングな話を聞かされはしたが、今日は概ね楽しかった。そう思うと、下がっていたテンションも少しずつ戻ってきた。
そして俺は、千賀と手を繋ぐその反対側で、肩と腕が擦れるほどにすぐ横を歩くお菊さんに、そっと腕を抓られたのである。顔に出したつもりはなかったのだが。
女ってエスパーすぎると思う。