第百十八話 畜産を考える でござる
翌朝、起きて飯を食う。残念な事に皿が一つ減ってはいたが。
今日も甲斐甲斐しく給仕をしてくれているお菊さんに聞く。
「千賀はもう起きたの? 朝ご飯食べた?」
「はい」
「満足してた?」
「ええ。おいしい、おいしいと大変嬉しそうに食べておられましたよ。姫様お肉大好きですから。たえ様はお小言を言っておられましたが」
そりゃ、よかった。俺も泣いた甲斐があるってもんだ。だが、婆さんの方はどういう事だ?
「へ? 何で?」
「良家の子女が四つ足の獣を口にするなど、という事ですよ」
お菊さんはそう言って、小さく笑う。
ああ、そう言えば――――と思い出す。元いた世界でもそんな時代があったな、と。仏教の影響だったと思ったが、まあなんにしろ、ここでは今そういう認識なのだろう。そしておそらくは、良家の『子女』というより良家の『者』だろうな。四つ足の獣を口にする事自体が下賤という認識なのだろう。
「でもその割りに、お菊さんは特に気にしてなさそうだね」
「ええ。私は幼い頃から時々口にしておりましたから、特に忌避感はありません。父が好きで、よく狩りなどなさっておられましたから。その時には、屋敷の方にも持ち帰り下さりましたので」
なるほど。周りと違って、お菊さんにとっては割となじみのある食材だって事か。
「ああ、そうなんだ。じゃあ今度からは、千賀の分だけじゃなくてお菊さんの分も持って帰ってくるよ。どのみち、千賀の分は持って帰ってこないと今日みたいに奪われるだろうからな。一人分も二人分もおんなじだ」
お菊さんの言葉に、俺は少し戯けてそう応える。するとお菊さんは、口元を抑えて小さく笑った。
「あら、嬉しい。有り難うございます」
そして、ニッコリと微笑んでくれる。
この微笑みが見られるだけでも、余分に頑張る価値はある。アルコールの強い酒を口にした時のような、カッとくる高揚をその微笑みに覚える。
でも、なんとなく、こう一人で気分高ぶらせているのは格好悪い気がして、俺はそれを隠すように笑おうとした。
が、どうも頬の筋肉がうまく動かなかった。ぶっさいくな笑顔になっていないか心配になった。それでもなんとか会話が続くように頑張ってみた。
「あ、うん。コホン。ああ、その。問題ないさ。それに栄養のバランスは大事だよ。なんのかんので、肉食ってのは体を強くする」
ドキドキと脈打つ心臓の鼓動を隠しながら、早口でそんな事を言ってみたり。
だがお菊さんは、目を少し見開いてコテッと首を傾げた。その仕草は、千賀のそれにそっくりだった。
「えいようのばらんす?」
しまった。
「あっ、ごめん。えーと、そうだな。滋養がつくってのは分かる?」
「はい」
「そういう事なんだよ。なんでも均等にきちんと食べると、人の体ってのは、より大きくより強くなっていくんだ。これは、これから成長していく千賀はもちろん、大人だって例外じゃないんだぜ? だから、変な習慣で偏食をするのは止めた方がいいんだよ」
「まあ、そうなのですか。しかし、武殿は本当に物知りなのですね」
「えっ? あ、ああ、まあ、それなりには……ね」
俺は頬を掻きながら、そう答える。
なんかカンニングをしたような気がして、再び舌が滑らかさを失った。が、それでもお菊さんから感心したような尊敬の眼差しを向けられるのは悪い気がしなかった。
そして、そこで俺はふと気付いた。
つか、あれじゃね? 肉食うようになれば、体が大きく強くなっていく事は分かっているんだ。
明治以降の日本人の大型化、第二次大戦後それに拍車がかかっているのも、肉食の影響は小さくない。というか、ほぼそれが原因とすら言える。付随して、様々な病気の原因となるなど他の問題も発生したが、総括すれば良い事だったと結論できよう。
ならば、だ。
庶民レベルで肉食文化を花咲かせる事が出来れば、周りと比較して相当有利にならないか?
周りが肉食を拒否しているなら、これは間違いなくある筈だった。
無論、今日明日の話ではない。十年、二十年先の話である。だが、おそらくは明確な差となって、強い水島軍の理由となるだろう。
そんなイメージが、お菊さんと話していて唐突に思い浮かんだのである。
とはいえ、これをやろうとすると、片付けなくてはならない問題が多すぎる。
まず肉食を文化とするには、ある程度の流通量を確保しなくては話にならない。ごく少量を流通させても、金持ちの食い物か珍品扱いされるだけだ。
そもそも、一部の人間だけが口にするような物では、富国の象徴の一つになる事はあっても、強国には結びつかない。これでは本末転倒である。
それだけではない。もっと最悪なパターンとして、流通させてみたものの習俗的な背景もあって見向きもされないという事だって起こりうる。今現在、上流社会では忌避されている食い物なのだから。
となると、本格的に国が牧畜を振興して消費に対する十分な供給を確保しつつ、人々の認識を改革する必要がある。無論そんな物は上から強制したりしても、決して根付かない。根付かせたければ、まず流行を生み出して、それから奨励するという手順になる筈だ。
が、飢饉のように人間様が飢える事もあるような今の食糧事情で、畜産をする為の穀物をどう確保するのか。いや、そもそも消費と簡単に言うが、庶民が物買う金もってねぇよ。どうすんだ? とか。
パッと考えただけでも問題点はいくらでも上がる。
食肉文化を根付かせるには、解決しなくてはならない問題が山積みだった。いずれにせよ、すぐのすぐにどうこうできるような話ではない事だけは間違いない。
ただ、国家百年の計に類する話としては、これは大ありな話だと思う。明らかに兵一人の力が変わる話だからだ。あちらの世界の現代戦よりも、兵個人の体力の影響が非常に大きいこちらの戦争である。軍としてみた時に出る差はとてつもなく大きくなるだろう。
そうだな……。いきなり大々的にやるのではなく、俺が準備を始めるというくらいは有りかも知れない。どのみち、畜産をするにも研究から必要になるんだ。
ここにも海外はあるのだろうか。あったとして、すでに牛、豚、鶏は入ってきているのか。
それらがなければ、某かの獣から品種改良する所から始めなくてはいけない。
現段階では、この前捕ってきたから雉、鳩、兎、猪、熊はいる事が分かっている。馬もいる。なじみのラインナップだし、この分なら、鹿とかもいるだろう。
牛や豚、鶏も存在だけはしていそうな気がする。ただ問題は、身近なところにいるかどうかだ。
まあ何にせよ、これは一度御用部屋にかけてみてもいいと思った。爺さんや伝七郎と、国の行く末を語り合うには良い題材と言えよう。
今度話をしてみるか――――そう思った。
一歩一歩である。
自分がその立場に放り込まれた今、切実にそう思う。
少々の進んだ知識や物事の結果を知っていたとしても、大した事は出来はしないのだ。発展に近道はないのである。
食後、お菊さんに入れてもらったお茶を啜りながら、そんな事を思った。