第百十七話 狩り、肉、大勝利、その後敗北 でござる
ボテッ。
「…………」
さて、どうしようか?
予め与平に調べてもらい、本日狩り場とする山はすでに決めてある。そこで獲物を追う狩人達も五百名――十分だ。山の主すらも、問題なく狩れるだろう。
今回の狩りが失敗に終わる要素など、とんと見当たらない。
――――ただし、現場に行く事ができれば、だ。
まだ愛馬を持っていない俺は、騎馬隊が所有している馬の中から大人しい馬を、源太に選んで連れてきてもらった。
しかし……。
「……武様? 真面目にやってます?」
与平が真顔で問うてくる。
顔が熱を帯びる。情けなくて、視線を合わせられない。
「……巫山戯ているように見えるか?」
そう返すのが精一杯だった。
そう。俺は本当に馬に乗るのが下手だった。
自分でも驚いている。正直、運動神経にはそこそこ自信があったので、乗りこなす事は出来ないまでももう少し何とかなると思っていたのだ。
これ程とは想定外だった。
いくら一人で乗った事がないといっても、これはない。
運動神経の問題じゃなかったのである。
跨がり動かそうとすると、馬が嫌がって俺を振り落とすのだ。大人しい馬を連れてきてもらっている筈なのに、である。
源太も「何故だ?」と呟き、首を傾げた。
源太はずっと轡近くを持って、馬を抑えてくれていた。だからという事もあろうが、馬も俺が跨がる所までは毎度大人しいのだ。
しかし動かす為に源太が一歩そこから離れると、途端に馬は俺を振り落とそうとするのである。
残念ながら、俺にはそれを御する技はない。当然、その度に振り落とされた。
頑張ったが限界だった。
落馬というものは本当に怖い。うっかり馬に踏まれたり、蹴られたりしたら、それだけで致命傷である。人間など、簡単に壊れるのだ。
笑い事ではなかった。
「武様。こいつで駄目となると、少々厳しいです。やはり今日の所は、今まで通り我々の後ろに跨がった方がよろしいかと」
「残念だが、源太の言う通りだろうなあ」
「これだけ落馬しては危険すぎます。こいつならば或いはと思ったのですが、やはり近道はないようです」
「はあ。悔しいなあ……」
肩が落ちる。
乗りこなせなくとも、せめて跨がってさえいられればと、今日に先立って源太に相談してこの馬も用意してもらったのだが、駄目だったようだ。指揮者として、ない威厳を少しでも埋めようとしたのだが、浅知恵だった。
多分、重心がうまくとれていないのだと思う。それで、背中の違和感が半端ないのだろう。しかも、不慣れな俺が自分の事で一杯一杯になっている事が馬に伝わってしまっているのに違いない。
これが、ランドパークや乗馬クラブで、一般人を乗せる為にしっかりと訓練されたような馬ならば話は変わってくる。多少の事ならば、馬も背中の違和感を耐えてくれるに違いない。しかしこの馬は、例え大人しかろうと、そういう馬ではないのだ。
「……そうだな。流石に無茶だったか。諦めよう。できれば訓練と称して兵を動かす以上、俺も誰かの後ろに乗ってというのは避けたかったのだが……。やむを得まい」
少々甘く考えすぎていたと、思い知らされた。
「おっしゃる事はよく分かるので、私も真剣に選んでみたのですが……。人では、馬に教える事は出来ても強制は出来ません。馬を御するという事は、結局のところ馬に言う事を聞いてもらうという事なのです」
「ごもっともで」
悔しいが、源太の言う通りだろう。あれ程の筋肉の塊なのだ。人が、力尽くでどうこう出来る訳がない。
すると、申し訳なさそうな顔でこちらを見ている源太の代わりに、信吾が俺に言う。
「武殿。今日は私の後ろに乗って下さい。これ以上挑戦するのは、流石に危ないので賛同できかねます。もし武殿に何かあれば、笑い事では済みません。挑戦するにしても、きちんと訓練をしてからにしましょう。我々もご協力致します。明日以降に、きちんと基礎から始めましょう」
「面目ない。そうしよう」
「はい」
舐めすぎていた。
馬が大人しいとか大人しくないとか、そういう問題じゃなかったのだ。こちらでいう乗馬というものが、あちらの世界の乗馬とは似て非なるものであるという事を失念していた俺の失敗だった。
こちらの馬は、農耕馬や戦馬であり、人を我慢して乗せる事を徹底して覚えさせた馬ではない。別の方向に素質が伸ばしてある馬たちだった。
それを同じに考えていたのだから、冷静に考えてみれば、そりゃあ失敗に終わるというものである。
俺は、大人しく信吾の後ろに乗せてもらう事にした。
それにて、ようやく俺たちは目的地に向かって移動を開始できたのだった。
信吾の後ろで、歩く馬の背に揺られながら言う。
「戻ってきたら、よろしくな。流石に、いつまでもこのままじゃ不味い」
「了解しました。なあに、大丈夫です。すぐ乗れるようになりますよ」
信吾は手綱を握り、真っ直ぐに前を見据えたまま、そう答えた。
横で源太や与平も言う。
「おまかせ下さい」
「へへへ。びしっといきますから、覚悟しておいて下さいね」
おう……。なんかやな予感がびんびんするぜ……。
そう思うが、こちらは教えてもらう身である。顔を引き攣らせながら、「ありがとう」と答えるしかなかった。
「しかし武殿の故郷では、馬はいなかったのですか?」
信吾がそんな疑問を投げかけてきた。
「いや、いたよ。ただ、移動手段としては使われなくなってすでに久しいな。俺もそうだった訳だが、ほとんどの人間が馬に乗った事なんてないと思う」
「ほう……」
そんな会話を交わしながら後続の足軽らがついてこられる速度で、俺たちはゆっくりと目的地に向かって馬を歩かせた。
無事目的地に着いた俺たちは、すぐに狩りという名の訓練を開始した。
すっかり周りが明るくなる事には到着して、すでに昼過ぎである。狩りは大成功だった。
兎六羽、雉一羽、鳩三羽、猪二頭、熊一頭――これが本日の戦果だ。
半日でこれである。数日あれば、山を狩り尽くさんばかりの勢いだった。心配になって与平に聞いたくらいである。まあその与平は苦笑しながら、「何度もやったらまずいと思うけれど、まあ大丈夫だと思いますよ」と言っていたので、多分大丈夫だろう。
肉が食いたいというだけの俺の我が儘で、山を一つを駄目にしたとあっては流石に寝覚めが悪いし、ご近所の猟師の皆さんにも申し訳なさすぎる。
与平のその言葉を聞いて、俺はホッと胸を撫で下ろした。
裏向きの戦果はこの様に上々であった訳だが、表向きの建前の方も戦果は上々だった。
俺が考えていたよりも、三人の新米将軍の指揮能力はずっと高かったのだ。
これまで一緒に戦ってきていたので、無様な結果にはなるまいとだけは確信していた。しかし、結果はその想定以上のものだった。
適切な判断、的確で過不足のない指示、すばやい行動と、目を見張るものがあった。そして実際の用兵も、将になったばかりとはとても思えない程に見事な統率だった。
もちろん、その三人に使われる兵たちも、編成直後とは思えない見事な連携を見せてくれていた。
正直、今日無様を見せたのは、この俺一人だと思われる。将にも、兵にも大満足した。
俺の目的は置いておいて、今日この訓練をやってよかったと心から思う。この将兵らなら、信じて思い切った策も打ち出せる。そう思えたからだ。
まあ、一頭猪だか熊だか分からないが、何かを取り逃したとの報告は上がっていたが、それはご愛嬌である。
――――俺が指示伝達の確認とその実行に関して試した時の事だ。
俺はわざと意味不明な指示を出した。それでも兵がきちんと指示通りに動くかどうかを確認する為だ。
当然指示を出した俺も、その先に本当に獲物がいるなどとは思っていなかった。しかし、偶然そこに獲物がいたのである。
結果、兵は指示通りに動いたが、獲物を追えという命令ではなく移動せよという命令であった為、追い込みが不完全なものとなってしまい捕り損ねてしまったのだ。当然である。指示そのものが、獲物がいる事を想定して出したものではないのだから。
故に、これは兵の失態ではない。これを失敗と責めるのはお門違いという物である。
三人の将も、兵たちもおそらくはおかしな命令だとは思っただろう。だがその命令にはきちんと従い、しっかりと動いて見せた。だから俺的には、それだけで十分評価に値するのだ。
こうして訓練は無事に終わった。
いよいよ念願の焼き肉パーティーである。
そりゃもう、思う存分食った。
冬眠前でしっかりと脂ののった肉は甘く、塩のみの味付けだったが、心から旨いと感じた。至福の一時だった。
これでしばらくは、粗食にも耐えられそうである。
結局景品の酒は、与平の所の弓特化部隊が持っていった。猟師のみで編成されている部隊である事もあり、今日の条件では流石に分があったようだ。もっとも、仲間達に集られて、速攻で樽は開けられていたが。
どこにもハイエナはいるものだとその光景を眺めながら、先日俺の鳥を持っていった可愛いハイエナさんの顔を思い浮かべた。
こうして今日の目的は無事達成した。表裏共に大成果の一日だった。
訓練後のお楽しみも終わり、俺たちは町へと戻る事にする。まあ当然と言えば当然ではあるが、俺の今日はまだ終わりではないのだ。
そう、お説教が残っているのである。
案の定、伝七郎も爺さんも、俺の暴走にはすでに気付いていたようだ。町に戻り館の門を潜ると、門番から『戻ったら御用部屋にすぐ来るように』との爺さんの言伝をもらった。
当然と言えば当然であろう。俺は観念して、その言葉に従いすぐに御用部屋へと向かう事にした。
すると待ち構えていた二人は、御用部屋の隣にある俺たち家老衆のみが入れる小部屋へ、すぐに俺を連行した。
そして小一時間、二人からコンコンと説教を受ける羽目になった。
が、悔いはなかった。俺は今満腹、もとい満足していた。
そして二人の長い説教が終わると、ようやく今日が終わったと俺は一息をついたのだが、今日という日はそれだけでは終わらなかったのである。
この前ほんの少しだけ認めてやったというのに、神や仏は調子に乗った。ちゃんと見ているぞ――とばかりに、天罰を当てやがった。
二人の説教を受けた後、俺は今日昼に行けなかった日課であるお話をしに、千賀の部屋へと向かったのだが、その時にそれは起こったのである。
クン、クン、クン。
いつもの様に、胡座をかいた俺の膝の上に千賀は乗ってこようとした。しかしその動作を途中で止めて、俺の胸元に鼻をくっつけるようにして匂いを嗅ぎ始めたのだ。ちっこい鼻をひくひくとさせ、まるで子犬のようだった。
横にいたお菊さんや婆さんは「はしたない」といって止めさせようとしたが、千賀は言う事を聞かなかった。
そして、一言。
「なにかおいしそうな匂いがするのじゃ」
どきっとした。ドラマなどで、香水の残り香を奥さんに問われる旦那の様な気分になった。
「き、気のせいじゃない?」
「おいしそうな匂いがするのじゃ」
俺は誤魔化そうとした。正直に言えば、「ずるいのじゃ」と返ってくるに決まっているからだ。この前のを見る限り、こいつは間違いなくお肉大好き幼女である。誤魔化すしかなかった。
しかし、千賀は誤魔化されてはくれなかった。俺の顔を見上げる目が据わっていた。
オウ……、ジーザス。
そりゃあそうだ。煙をバンバン出しながら、肉を焼いて食ったのだ。体に匂いが染みついてしまっている。どうにもならなかった。
ゲロるしかなくなり、本当の事を言った。
そしてその結果、予想通りの反応が千賀から返ってくる事となった。
そのせいで、明日のお楽しみ用にと持ち帰っていた一塊の猪の肉は、御当主様に献上する仕儀と相成りました。ええ、神は死んだと思います。
まあ、何にしてもである。
人間悪い事は出来ないものだと思い知る事になった。