第百十六話 待ちに待った肉の日、もとい訓練の日でございます でござる
七日後の夜明け前、三人は約束通りに各々が率いる槍、騎馬、弓の特化部隊すべてと、藤ヶ崎を守る守備兵のうちの半分――百人隊四隊を俺の前に並べた。
残りの半分は、当然通常の任務である。
そりゃそうだ。鳥や猪や熊を追っていて、町を賊に襲われましたとか、敵国の侵攻に後手を踏みましたとかになったら目も当てられない。後の世にゲームが作られた時に、俺たちの知力パラメータが哀しい事になってしまう。
歴ゲー大好き人間だった俺としては、それは断固回避したいので、これに異を唱えるつもりはない。
それに、そもそも伝七郎や爺さんに内緒である今回の極秘作戦で、町をカラにする事など流石に出来ない。そんな事をしようものなら、後の言い訳が大変である。
それに十分な数は揃えてくれている。これだけいれば、少なくとも「収穫なしっ!」などという心配はなさそうだ。
俺は満足だった。
朝日に照らされ、整然と並ぶ兵たち。美しかった。
ただ、その最前列に並ぶ三人は、一人は無表情を取り繕ったような顔だし、一人は不敵な笑みを浮かべているし、残る一人が面白そうにニヤついている。
そんな、なんともあれな景色も映ってはいるが、気にしてはいけないだろう。
無論その三人とは、信吾、源太、与平である。
しかし、今の俺はご機嫌なのだ。細かい事を気にするつもりはない。今日こそ肉なのだ。
「はい。本日も快晴なり。絶好の狩り日和でございます、と」
五百人を超える兵列の前に立って、俺は言葉を発する。
これには、いい加減慣れた。
最初の頃はかなり気後れをしたものだが、必要に迫られ兵の指揮を執り続けてきた結果、最近ではどうという事もなくなっていた。内心ドキドキと心臓を高鳴らせていた、こちらに来たばかりの頃を懐かしく思う。あの頃の俺は初々しかった。時間的にはついこないだの事なのだが、色々ありすぎて随分昔の事の様に感じる。
まあ、それはそれとして、だ。
小さな町なら、このまま占領しに向かえそうな兵数である。
ただそんな数の兵で、今からやるのが戦ではなく狩りだというのだから、無理やりやらせている俺が言うのもなんだが、少々の残念臭が漂っているのはやむを得ない事だ。
それに、正直ちょっとだけやりすぎたかなーと思わなくもない。これは、それ程に大規模な訓練と言える。
俺たちが所属する水島家は、かつてやっていたゲームのような何千何万の兵を擁する大国ではない。まだ、顕微鏡で見ないとわからないレベルの一地方領主だ。
そんな領主の軍の訓練風景でこれというのは、紛れもなく大規模だ。
伝七郎や爺さんに内緒でやったのは、これが原因である。バレたら、間違いなく止められる。例えこのままバレずに無事ことを終える事が出来ても、後で必ずバレて大言い訳大会を開催しなくてはならないレベルなのである。
だが、それが分かっていたとしてもやる価値は大いにあった。――――俺的に。
とはいうものの、目的が本当に肉だけというのは流石にマズい。なので、建前である訓練としても、それなりに成果を上げねばならなかった。
だから俺は、この狩りを通して三人衆の用兵を見せて貰おうと考えている。
今まで三人は、俺や伝七郎の指示通りに動いてきた。だが、今後はそれだけでは困る。部将として、判断力、決断力、計画力などに始まりあらゆる力が、今までとは比較にならないレベルで要求されるからだ。
それを見せてもらおうと思っているのだ。
勿論、将だけではない。
今回のこの訓練は、兵にとっては変わり種ながらも間違いなく身体的にもきつく、隊の仲間との連携を問われるものとなる。間違いなく通常の訓練よりは、より実戦に近いものとなるだろう。
無論俺自身も例外ではない。三人の新米将軍だけでなく、同じく新米の軍師である俺も、同様以上の物を問われる事になる筈だ。
というか、問われるようにするつもりだ。
その為に一つ決めている事がある。
俺は今回、直接兵には指示を出さない。そのすべてを三人の将に対して出すつもりでいた。
こうすれば軍師から将、将から兵への命令系統が確立し、現時点における各々の問題点がはっきりと浮き上がってくるだろうというのが、俺の見立てだ。
「さて、諸君。新しく編成されてまだ間もないが、本日は実戦により近い形態での訓練を行う。とはいっても、模擬戦ではない。山狩りを行う。狩猟だ。ある程度の説明は、各々の将から聞いているだろう――――」
皆の前に立った俺は、そんなもっともらしい挨拶を皮切りに、今日の訓練の趣旨や意義などを大真面目な顔で語っていった。
俺から末端の兵に至るまで、お遊びではなく本気でやらないと、本当にただのバーベキュー大会になってしまう。それでは不味いのだ。
まあそこは、軍師とはそういう人種なのだと理解してもらいたい。口から生まれたような人間でないと、たとえ新米であろうとも軍師を名乗る資格などないのである。
だから三人とも、そんな呆れたような顔をしないように。
そんな訳で、兵たちの最前列に並んでいる三人を俺の視線は飛び越えていく。気にしちゃいけないのである。
「――――という訳で、山狩りに出発する。いいかっ! たかが狩りと侮るなよっ。これは訓練であるっ! 故に、獲物の一匹も捕らえられないような隊は、一ヶ月訓練量を倍にするからなっ。それが嫌なら、気合いを入れろっ! その代わり一番手柄の隊には、酒を一樽俺から進呈しよう。今晩楽しめるぞ? 存分に励めっ!」
「「「「おおーっ!」」」」
罰を発表したら即ゲンナリとした表情をし、目の前に餌をぶら下げてやったら士気は一気に跳ね上がった。
効果は抜群だった。酒を用意した甲斐があったというものである。
二日程前に、放ったらかしになっていた俺の給金が決まり、出た。その金を使って用意したのだが、正解だったようだ。兵らのやる気が目に見えて変わった。
やはり人は、大人も子供も物で釣るに限る。
それが出来るようになったのは、伝七郎がきちんと出すものを出してくれたからなので感謝せねばならないだろう。
が、まあ、あれは嬉しさ半分、哀しさ半分だったが。
あの日、御用部屋に呼び出された。
行ってみれば、伝七郎の奴がなんの前振りもなく、「私と同じと言う事で」としれっとした顔で言う。横に一抱え出来るくらいの袋と小箱が幾つか用意されていた。
話を聞けば、準備金と論功行賞による賞金および年末までの給金との事だった。給金は通常年始に一年分の支払いらしいが、今回は今年がもう残り少ないので、年俸を残り月で月割りにして出したらしい。
そして、
「少なくて申し訳ありません。まともに武殿の功績で論功行賞を行ったら、今後の町の運営に支障が出てしまいます。またいずれかの機会に合わせて検討しますので、今はこれで勘弁して下さい」
と、伝七郎は大層申し訳なさそうな顔で言った。
だがそれを聞いて、俺の顎が落ちたのは言うまでもない。
伝七郎は、現在の水島家の『家臣筆頭』である。そんな奴と同じだそうな。
月割りとか、論功行賞が分割払いになってしまったとか、そういう話は今はどうでもよろしい。だがその部分は、しれっと言ってはいかん部分だろう――と思わずにはいられなかった。
伝七郎。お前は申し訳ないと思う部分が、間違いなく大きくズレている。
当然、その額は半端ない額になっている。……おそらく。
というのも、俺がこちらの貨幣価値をまだ理解できていないので、どれ程もらえたのかを俺は正確に把握する事ができなかった。
しかしその時一緒にいた爺さんが、「一人で館住まいも大変だろうから住処はこのままとして、最低限『蔵』はいるな。部屋に入れていたら、そう遠くないうちに生活できなくなるぞ。小僧、どうする?」などと言っていたので、とりあえず大変な額になっているのは間違いない筈だ。
沢山もらえる事は、良い事だ――――。
それはその通りである。が、世の習いとして、それには少々の条件が付く。
それが素直に喜べない理由だ。
要するに、俺の給金が伝七郎と一緒と言う事は、同じだけ背負って下さいねという伝七郎の無言の要求に他ならない。
無条件ならば確かに沢山貰える方が良い。当たり前だ。しかしこの場合、沢山貰えると言う事は、確実に「こんにちわ。地獄の毎日」なのである。俺の当初の目的であった『食うに困らんだけ働いて、美少女と退廃的な生活』とは対極の状況が正式に決定してしまうのであった。
世の中甘くないのである。ちゃんと等価に出来ているのだ。
まあ、それは置いておいて、だ。
俺は給料を貰って真っ先に爺さんに聞いた。肉屋はどこだ? と。千賀に食われて、結構尾を引いていたからだ。
だが無情にも、爺さんから返ってきた言葉は「そんな店はないぞ」だった。
宴会に出したあの肉はどこから手に入れたんだと問うも、宴会の為にわざわざ猟師を雇って捕ってこさせたのだと返ってくる。
俺は発狂しそうになった。
だが、爺さんはそう言うけれど、俺の冷静な部分がおそらくそんな事はないだろうと思った。
なぜならば、先程爺さんも猟師を雇ったと言っていたし、もっと身近なところでは与平も元猟師であったからだ。要するに、きちんと猟師という職業が成立しているのである。
捕った獲物を、自前で消費する事もあるだろう。だがどこかで、金なり物なりに交換もしている筈なのだ。
人間はたくましい。上流社会との接点があるような店ではないだろうが、必ずそれを商売にする奴らがでてくる筈である。そう思った。
だがしかし、藤ヶ崎を統べていた爺さんが知らんという以上、俺の知り合いにはもっと知らない人間しかいない。だから、その場では詰んだ。
爺さんのその言葉に、がっくりと肩から力が抜けたのをしっかりと覚えている。
だが、たった一つではあるが希望の光が残されていた。俺は見逃さなかった。すばらしい執念だったと思う。
そう。
ないなら、捕ってくればいいじゃない――――。
これである。
それに気が付くと、自然と目の前の金に使い道も見出せるというものであった。
――――景品を出してやれば、それなりに士気もあがるじゃないか、と。肉食える確率激アップ。俺頭よくね? と。
伝七郎同様、餌としてはちょっと大盤振る舞いだろう。それは認める。
だがしかし、その価値はあると思った。
もとの世界と違って、酒は非常に高価だ。だから当然、酒を一樽も買えば、それなりの出費にはなる。しかし、こちらには肉屋がないらしい。つまり、金をいくら出しても肉は買えないのだ。
じゃあ、その価値は十分あるじゃないか――となる訳である。
そして、ここに至った。
「武様が必死すぎて笑える」
黙れ、与平。あの日鳥を食った奴には、俺を批判する資格などないっ。
「まあ、出来たての部隊なんだ。かなり奇抜と言えば奇抜だが、一体感を培うには悪くはない」
そうだろう、源太。今日のお前は輝いて見えるぞっ。
「何にしてもだ。もうここまで来てしまったんだ。折角だから楽しもう」
一番呆れかえっていた信吾の有り難いお言葉である。こいつは一見固そうなくせに、意外と話が分かったりする。ノリも悪くない。
お前のその存外いい加減な所が、俺は大好きだ。その柔軟性を今後も大事にしてくれ。
兵たちの前で、三人の将が小声で交わしている言葉を聞きながら、俺はそんな事を考えていた。
いいさ、いいさ。今の俺は大概の事が許せるよ。
俺は必死だよ? 与平。その通りだ。肉食いたいんだよ、肉っ! もう肉が食えれば、他には何も文句を言わんってレベルなんだってばよ。
――――だから、お前ら。必ず獲物を捕ってこい。坊主だけは絶対に許さんぞ?