第百十五話 狩りに行こうと思います でござる
軍の再編成案が実行され、末端の兵たちもそれぞれの所属が決まった翌日の朝、各々の下に配属された兵たちの所へと移動しようとしている。信吾ら三人を見つけた。
渡りに船である。
俺は三人の下へと、足早に近づいていった。三人も気づき、足を止める。
「お前ら、準備しなさい」
開口一番、要求を伝える。
とうとう色々と我慢できなくなった。親父譲りの神森の血が騒ぐ。目的の達成に向けて真っ直ぐ突き進む熱い血だ。
やはり俺は橋の下の子ではなく、正真正銘あの親父の息子だったようだ。
「「「は?」」」
ただ、あまりにも唐突すぎたらしい。信吾、源太、与平の三人は、揃って「何が?」と書かれた顔をこちらに向けた。
なんだ、なんだ。その腑抜けた返事はっ。
「……狩りです。狩りに行こうと思います。各々部隊の準備をさせておくように。本日は部隊編成後初日ですが、訓練として山狩りに向かおうと思います。ええ、そう決めました。部隊の練度は大切だと思うのです」
俺は澄ました顔を作って、そう説明する。
「は、はあ」
「いや、いきなりそうおっしゃられても」
「というか、なんなんです? そのらしくないしゃべり方」
信吾はやや狼狽し、源太は真顔で無理と言い、そして与平が似合わぬ冷静さを発揮して、やや斜め上からの突っ込みを入れてきた。
「色々とあるんだ。察しろ、与平」
「あはは。要するに、もう我慢ならん――――って事ですか」
よく分かっているじゃないか。
「待て待て、与平。そりゃあ武殿はここの所部屋に籠もりきりで働いておられた。気も滅入っていよう。だが、気分転換で部隊を動かしては不味いだろう。そもそも何で部隊まで動かす必要があるんだ」
すでにニヤついている与平に、信吾はそんな至極ごもっともな指摘をしてくれていた。
信吾。世の中理屈じゃない事は一杯あるんだ。それに今回は部隊必要でしょ。少人数で行って捕り損ねたら、今度こそ本当に血の涙を流す自信がありますよ? あれは目に悪いんです。
「いや、狩りだろう? そりゃ確実に獲物を捕るなら、人数多い方が良いに決まってる。――――要するに、肉食いたいんですよね、武様?」
「はい」
即答した。
その通りだ、与平。もっとビシッと言ってやれ。こいつは何も分かっていない。だがな、与平? その通りなんだが、お前俺の本心ぶっちゃけ過ぎ。もう少しオブラートに包んだ表現を心がけるように。あ、でもビシッと言うんだぞ?
「「は?」」
今度は流石の源太も愉快な顔をした。信吾と二人で顔を見合わせていた。
だが、それは置いておきたい。今日は、与平無双の日だった。褒め称えたいと思います。いつにも増して、察しが良かった。訝しく感じなくもないが、それでも拍手を送りたい。
「与平。お前、ESPにでも目覚めたのか? すばらしいぞ。」
「いー、えす、ぴー? なんです、それ?」
「超能力……っつか、えーと、読心術?」
「読唇術なら、そりゃあそれなりに出来ますよ。当然じゃないですか」
一体何を言っていると言わんばかりに、与平はきょとんとした顔で俺を見た。
「なんだと?!」
俺は目を見開き、与平に勢いよく尋ね返す。
この神森武。よもや、そんな返しがくるとは、夢にも思わなんだわ。お前、凄すぎだろ。ここ、もしかして超能力とか普通にある世界だったの?
すると与平は、あまりの俺の勢いに若干引いた。
「そ、そりゃ俺猟師でしたし。仲間何人かで大物狙う事もあったし。声なんか出したら、せっかくの獲物が逃げちゃうじゃないですか。猟師なら誰でも、ある程度は出来る筈ですよ? それに、仲間内だけで通用するこんな手信号もあるっす。ほら」
そして、そんなに驚くような事じゃあないでしょうと力説しながら、手でいくつかの形を作って見せてくれた。
は? ああ、読心術じゃなくて、読唇術か。
「ああ、いやいや違う。読むのは唇じゃなくて心の方だ。読”心”術っ」
「え? そんなの出来る訳ないじゃないですか。やだなあ、武様。いくら俺に学がないからって、からかわないで下さいよ」
いや、からかった訳じゃないよっ?
しかし、与平は呆れかえったような目で俺を見た。
納得いかない。まるで俺が悪いみたいじゃん。
「ちょっと待った。にくって……肉?」
それまで黙って俺と与平の話を聞いていた信吾が、そういって割り込んできた。そして、なぜか俺じゃなくて、与平に聞いていた。
ガッデム。
「そだよ、信吾。武様、この前の宴会の時、姫様におかず取られて、すんごい切なそうな顔してたし。俺、遠目で見てた」
なんだ、ただののぞき魔だったか。
気付いていたなら、千賀を止めろよ。それができないなら、せめて教えてくれっ。つか、あれ? って事は、お菊さんのお酌でデレデレしてたとこ見てたの? 趣味悪すぎるだろうが。死んだらいいと思う。
俺はこの件について、小一時間ほど与平に説いて教えたい気持ちで一杯だった。だが、出来なかった。
与平のその言葉を聞いた信吾が、溜息を吐かんばかりの態度でこちらに振り向いたからだ。
な、なんだよ。
「……武殿。そんなに食いたかったのなら、私に言って下されば、私の分を差し上げましたのに……」
そう言う信吾の隣では、源太がいつも通りのクールフェイスを維持したまま、細かく肩を震わせていやがった。
う、うっせ。そんなこれ見よがしに、呆れかえるんじゃありませんよ。俺のガラスのハートが傷つくでしょうがっ。これまでに何度も何度も女の子に砕かれてきたハートですよ? 接着剤で貼り合わせて何とか保っているような、繊細なハートなんですよ? デコピン一発でアウトなんです。
つーか、訓練だと言ってるじゃん。俺に確認する事もなく、与平の言葉で一発ファイナルアンサーですか。…………その通りなんだけどさ。
だが、納得いかない。俺は誤魔化す為に必死で考えた。
「い、いや。だから新しく編成し直した訳だし、ここは、そう、そうだよ。将と兵の一体感を高める為にですね。うん。兎に角これは、れっきとした訓練なんです」
ああ、うん。駄目だね。
自分でもそう思った。全く以て、何も誤魔化せそうになかった。
「いや、武様? 一体感と言ってもですね。当然の事ではありますが、まだ一度も新しく配属された兵たちを率いて訓練すらした事ありませんしー。それどころか、皆の前で挨拶すらしてないですしー。流石にこれで、いきなり実戦的な訓練――ってのは無理があるかと。いっそ『肉食いたいぜ、肉』って言った方が、まだ信吾を黙らせる事ができるんじゃないですかね」
明らかに俺をからかう気満々の与平がそう言ってきた。だが、今日の俺はその程度ではへこたれないのだ。
「じゃあ、それで」
再び即答で返した。
切実だった。このところ当たり前のように命が危険にさらされていたし、身の丈に合わん責任と仕事を背負っていたしで、ストレスが大変な事になっていた。
遊びたいです。
肉食いたいですっ。
肉……、肉ッ、肉ッッ、肉ッッッ!!
俺は牛や馬じゃあねぇんだよっ。もう、草や穀物は食い飽きたんだってばよっ。アツアツの肉汁っ! 舌に溶ける甘い脂っっ! お・に・くが食べたいんですッッ!!
でもねー、やっぱ格好悪いじゃん?
幼女におかず取られて涙目だったから、それをなんとしても取り戻す――だなんて。だから、察しようよ。な?
俺は言葉で言えぬ思いを視線に乗せて、切々と訴えかけた。
ターゲットは信吾である。俺をからかう気満々の与平や、堪えきれずにとうとう吹き出した源太など論外であった。こいつらからでも良いっちゃ良いが、訴えかっけた途端にたっぷりと楽しまれるのは目に見えている。だから、落すなら信吾なのだ。
そして、その俺の読みは見事に当たった。視線に込めた熱い思いは、見事信吾の心を揺り動かした。
決して、諦められた訳ではない筈である。
「あ、ああ、その、なんです? とりあえず、武殿のお気持ちはよーく分かりました。兵にも準備させます。確かに訓練にもなりますからな。ただ、やはり今日は無理です。せめて七日下さい。流石に初日から狩りというのは問題ありすぎです。まともに部隊を動かす事もままなりません」
俺の熱視線に根負けした信吾は、俺に付き合う方向に方針を変えてはくれた。ただ、日にちを寄越せと言ってきた。
このあたりが落としどころだった。これ以上は望めまい。むしろ、俺の我が儘が通っただけでも吃驚である。
俺は頷き、「じゃあ、そうしよう」と信吾に伝える。
その傍らでは、相も変わらず源太が顔を押さえてクックッと喉を鳴らして笑い、与平は「久しぶりの狩りだなー」と腕を回してノリノリだった。