第百十四話 組織を再編する でござる
あてっ、痛てっ。つーッ……。
翌朝、ここの所しっかりと体が覚え込んだ体内時計は、アルコールの侵略にも負けずにしっかりと働いてくれた。
ただし、目覚めは最悪だった。目覚まし機能と目覚めは別なようだ。
見事に二日酔いになっていた。
ムカつく胃と痛む頭を抱えながら、気分を一新するべく井戸端へと向かう。
お菊さんのおかげで無理な酒を呑まされた訳でも、嫌な酒を呷った訳でもないのだが、なんというかやはり彼女に注がれる酒が嬉しくて、気がつかないうちに過ごしてしまっていたようだ。
今日ばかりは完全に自業自得だと思われたが、それでも今この時ばかりは顔がしかむのを我慢できない。
うー、気持ちわり……。
まだ朝日は昇りかけだ。廊下も澄んだ朝の空気で満ちている。
そんな中を歩いて進んだ。
「寒っ」
冷たい風が肌襦袢一枚の体を撫でた。ぶるぶるっと身が震える。すっかり秋も深まってきて、冬がすぐそこまで近づいているのを感じた。
そういや、すっかりこの格好にも慣れたな……。
こちらに来た時に着ていた制服や下着などは、もう着ていない。
初めて人を斬った時に頭から血を被ったせいでもあったが、その事以上に、替えがない俺の出身を唯一の証明するものだったからだ。
あんな生地は、まだここには存在しない。
幸い普通の黒の学ランなので、返り血の染み自体はなんとかなったが、血を被った事がそれを考える切っ掛けとなった。
この先何があるか分からないし、こういうものは取っておくに限るだろうと。
以降、こちらの物を着て生活するようにしていた。
おかげで、遠目にはこちらの人間っぽく見えるようになったと思う。あちらとこちらの習俗の差から来る挙動の不自然さばかりは、どうにもならないが。
そのまま歩き、誰も居ない井戸端で水を汲む。そして、顔を洗い、歯を磨いた。
さっぱりとして、気持ちも少ししゃっきりとする。二日酔いも、先程までよりは幾分かマシになったような気がした。
そのまま部屋へと戻る。
そして、伝七郎から貰った薄い青の裃に、藍の半袴をはいた。何着か貰ったので色が違う事はあるが、最近の俺は裃半袴のこの姿だった。
着替え終わる頃、部屋の外から声をかけられた。
「武殿……、武殿。もう起きておられますか?」
お菊さんであった。
藤ヶ崎の防衛計画が出来上がって以降も、彼女はずっと俺の仕事をサポートし続けてくれていた。身の回りの世話までも、こうして変わらずやってくれている。
これが伝七郎の策ならば、なかなかの物と言わざるを得ない。これで、俺の性能が三倍は変わる。
やる気その物が違いますよ。
惚れた女の前では、大概の男は良い格好したいものなのだ。無論、俺も例外ではない。
「ああ、もう起きているよ」
「失礼します」
お菊さんはそう言うと、襖を開けて中へと入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
互いの目を見て、交わす挨拶。
こんな何でもないただの挨拶だが、それを普通に交わせる今に、俺は幸せを感じていた。
あちらにいた時には、朝「おはよう」などと挨拶を交わす仲の良い女の子などいなかったから余計だ。
その状況を無理やり改善すべく、お知り合いになりたい女の子らに片っ端から声をかけたが、「死ねっ!」とか「キモっ!」といった言葉しか返ってきた例しがない。
俺の使っていた布団を片付けてくれているお菊さんの背中を見ながら、そんな過去を思いだしていた。そして再び、あまりにも違いすぎる環境に、感謝の念が起こるのである。
しかし、ふと疑問が浮かぶ。
あれ? でも、あれじゃね? お菊さんってば、爺さんの娘なんだから、ぶっちゃけ相当良い所の娘じゃね? こんな事する必要なくね?
千賀の世話は、まだ分かる。千賀が当主という立場であるから、その側仕えもそれなりの立場の者でなくては――というのは常識的な話と言えるだろう。あちらでも、王や王族の側近とかでは、そういう話は決して珍しくはない。というか、そちらが主流だった筈だ。
だが、俺は?
どう考えても、そんなやんごとない人らにわざわざお世話して貰わねばならない人間ではなかった。百歩譲っても、普通の侍女までだろう。
じゃあ、なんで?
結局、そこに辿り着く。仕事のサポートは、やっている仕事が仕事なので彼女がサポートに付いてくれたとしても、なんら不思議はない。しかし、この身の回りの世話に関しては、明らかに彼女でなくてはならない理由はなかった。
強いて言えば、俺が喜ぶくらいしか理由らしきものはないのである。
もしかして、それが理由?
いやいや、まさか。流石にそれは自惚れすぎだ。まだそこまで話を進められてはいない。まだ口説く所まですら行ってないのに、それが理由になる訳ないじゃないか。対象が彼女なら分かるぞ? だがこの場合、対象は俺だ。あり得ない。
ほのかな期待が芽生えたその直後、これまでにさんざん躾られてきた現実によって、俺は踏みとどまる事に成功した。芽自体を全力で叩き潰した。
分析に妄想は不要なのである。
とはいえ、自惚れではなく、高嶺の花を手にできる可能性が出て来たとは思う。だが、だからこそ、ありえない妄想で、その可能性を失うような真似などしてはならないのだ。
俺は気合いを入れ直す。
「武殿? どうなされたのです? 急に拳など握って」
お菊さんは不思議そうな顔をして、こちらを見ていた。
「いや、なんでもない」
ちょっと恥ずかしかった。
その後も彼女の世話になった。朝食を用意して貰い、それを食す。
献立自体は飽食日本の生まれである俺から見ると質素な物と言わざるを得ないが、彼女に給仕される飯は、やはり旨く感じた。
酒に荒れた胃袋はまだ時折ムカつきを覚えるものの、そこはそれだった。流石は俺の胃袋といった所で、彼女の手からの物ならばと、諸手を挙げて歓迎してみせた。
朝食の後、伝七郎に押しつけられた軍政を担うべく、懸命に仕事に励む。
こなせる自信があった訳ではない。すべき仕事と割り切っただけだ。
どうせ他の仕事を要求したところで、職種が変わるだけで難度自体は変わらないに決まっているのである。かといって、本気でニートする訳にもいかない。
ここは、本職でニートするのが非常に難しい世界なのだ。「働きたくないでござる」は通用しない。館の中にいると一見そうは見えないが、働かないと即飢え死に、いや働いてさえ飢え死にする事も珍しくないというかなりハードな世界なのである。
この世界で働かずに生きる方法を、俺は今以て思いついていなかった。故に働くしかないのである。
やる内容が無理かどうかなどは、物の例えではなく、”やった”後で語るしかないないのだ。
とはいうものの、流石の俺もこれを悟るまでには、それなりの紆余曲折があった。
初日、信吾と源太に両腕を抱えられ、NASAに捕まったグレイの写真のごとく、執務室までドナドナされていったのは良い思い出である。仔牛の気持ちがよく分かりました。
そんな訳で、とりあえず今日も組織図の作成なのである。
これは厳密に言えば、俺だけが担当する仕事ではない。政務の方にも及ぶ内容だからだ。取り扱いは御用部屋となる。
今俺は、その協議の為のひな形を作っていた。
大まかな人事と、外骨格を検討しているのである。これを叩き台にして、再び御用部屋で三者会談の予定だ。
政庁の方の組織図に関しては、今伝七郎の方でそのひな形を作っているだろう。だから俺は、軍の方を作るという訳である。
とりあえず軍を再編成するにあたり、基本方針として専門部隊の創設を盛り込んだ。
現行では小隊長である百人組長の下で、いろいろな兵種が混ざって、百人一単位で動いている。
これを半分は従来のままに、残り半分を一単位十人とした専門部隊に組み替えたのだ。弓兵なら弓兵で、騎馬兵なら騎馬兵で、工兵なら工兵で、荷駄隊なら荷駄隊でといった具合にである。
そのつもりはなかったが、これは俺たち富山からの逃走組にはすでになじみのある形だった。信吾らを小隊長にして、俺がその様に使っていたからだ。
これで、その部隊の特定分野に関する練度が飛躍的に上がるし、特徴を最大限に引き出せるようになる筈であった。
また、組織の構造的な変更点として、役職の増設も行う。
一地方の領主率いる軍だったせいか、爺さんは旧水島家では侍大将という地位だった。なのに千賀の親父さんの直下で、家の軍を率いていたのである。
これを変更した。
侍大将を百人組五隊まで率いる事が出来る権限とした。その上に部将という地位を作った。部将は侍大将三人もしくは、新設の特化部隊を率いる者たちだ。そしてその上は、御用部屋になる。御用部屋は軍務組織だけを司る訳でも、政務だけを司る訳でもない。当主である千賀の直下組織という位置である。
そしてそれぞれの大まかな配置は、御用部屋を大老と老中として、大老を爺さん。老中を伝七郎と俺。部将に三人衆や次郎右衛門、高木高俊他数名。侍大将は、又兵衛ら古参の百人組長から昇格させ、また彼らに推薦させた者のうちから必要な人数を補填する事とした。
大まかにはそんな感じになっている。無論、実際にはもっと細かくするつもりだ。そして、これと伝七郎が作る組織図をリンクさせて、新生水島家臣団として組織を組む予定だ。
もっとも、まだこの新生水島家は、家の規模がそこまで大きくはない。というか、小さい。
なので、ここまでの細分化は現段階では必要ではなかった。
が、俺たちの誰もがこのままで終わるつもりはない。だから、先を見越した組織構造を初めから作っておく事にしたのだ。大老、老中、部将といった名称も、そう言った目論見があって、わざと持ち出した。
とはいえ、現状をみるに、結構いい加減になると思う。
大老は、向こうの世界だと必要に応じて作られたと学んだ。しかし今回は、まず間違いなくただの名誉職扱いになるだろう。
爺さん自身も、伝七郎に後を譲って、今回で言うところの部将のようなつもりでいる。
だから爺さんは、俺が爺さんを大老に置いた構想を話し出すと、すぐに待ったをかけてきた。そして部将の地位を主張した。しかし伝七郎の「お願いですから、上にいて下さい」という懇願に負けて、爺さんが折れる事になっただけである。
俺の老中も、そうだった。
御用部屋でざっくりと構想を二人に話した時には、俺の地位は部将として話をしたのだが、それに即NGを出されて老中として伝七郎の横に座る事になってしまったのだ。
とは言え、総大将として後方に伝七郎がいるので、必要とあらば俺は前線に出ていくつもりでいる。ただでさえ余裕がない俺たちなので、俺は俺たちの数少ない強みを捨てる気はサラサラなかった。
比較的根は真面目な性格の者たちばかりの我が陣営において、卑怯を卑怯と思わぬ俺のような人間は、自分で言うのも何だが貴重だった。
俺は自分の良心には従うが、敵の思い込みに付き合う気はまったくない。「卑劣? 分かった。話は終わった後で聞く」といったメンタルを持つ人間である。こんな糞真面目な習慣を持った世界の戦争で、より楽に勝ちに行こうとするならば、こういった類いの人間を使わない手はないだろう。
なんにせよ、俺も爺さんも、伝七郎にごねられて当初と違った地位になってしまっただけだった。ただそれでも、各々やるべき事は決まっているので、決まった地位は地位として、実際の役目は何も変わっていない。だから組織構造としては、いい加減にならざるを得ないだろうという訳である。
千賀といい、伝七郎といい、一体なんなんだろうか――とは思う。
飯が食えるだけの仕事。可愛い嫁。ビバ自堕落な生活というささやかな俺の目標は、この段階でもうすでに夢となっていた。あいつらは、俺に負担をかける天才だった。害意がないところが、また最悪なのだ。
まあ、なんにしても、である。
このように、良く言えば流動的、悪く言えばいい加減な組織になってしまうのは避けようがない。俺も他人の事は言えないが、みな我が儘なのだ。
それでも俺たち組織の上層部では、案件ごとの上と下の区別はしっかりとついているので、大して問題は起こらないだろうとは思っている。
社長副社長などの役職名と、組織内における実際の力関係が一致しない会社のような感じになるだけだと想像できた。
ああいうので問題が起こるのは各々が分を超えた時だが、その時の為に今回の地位がある。その時には、今回決めた地位の持つ権限に従って判断すればよい。
だから今回作った大老には、実務的な権限は一つも認めていない。その代わりに、御用部屋のスーパーバイザーのようになっているのだ。要するに、今この時に限っては、俺と伝七郎のお目付役という事である。しかしこの構造は、俺たちから世代が変わっても、きっと有効に作用するだろうと思っている。
これに関しては、爺さんに説明したらすこぶる好評だった。
爺さんの考えと伝七郎の誓願を共に受け入れたよい折衷案であったからだが、それを横に置いても良い構造だと爺さんは評価してくれた。
では、実務の方はどうするのかと言えば、そこは当然当主を頂点において、ピラミッド構造を構築する。千賀が幼い今は、老中筆頭となる伝七郎に実務権限が集中する構造である。
こうしておけば、『経営陣』から降りてくる命令が一貫している限り、『経営陣』の内部が流動的になっていても、下から見て何も問題はないだろう。組織の下部は従来の形とほとんど変わりがないので、戸惑う事も少ない筈だ。
要するに今回の軍組織改革案を総括すると、特化部隊が出来るだけでほとんど今まで通りだけど、俺たち上層部の人間は皆肩書きがついてしまった為、背負う荷物が重くなってしまいました――という内容である。
ただ、これを行う事により、今までよりも効率よく動けるようにはなる筈である。それだけでも、やる意味はあった。
これは、俺たち御用部屋の三人の一致した意見だ。
とは言え、正直笑えない話でもあった。必要だと思って自分で考えた内容ではあるものの、泣きそうである。
そんな、自分の首の締め方を考えるような時間を俺は過ごしていた。この案を作るという事は、そういう事だった。
一日、二日と日を追うごとにストレスが溜まっていく。今まで同様に、お菊さんが側にいてくれた事だけが救いの日々であった。
しかし、それでも限界はあるのだ。人間溜まる物は溜まるのである。