第百十一話 宴会が始まるぞ でござる
千賀に教えてやると、やはり大層喜んだ。
その勢いで色々誤魔化そうと画策してみたが、それは失敗に終わった。ガッデム。
結局それから三日間、千賀の遊び相手をしつつ、伝七郎に押しつけられた軍の組織改革案作成に頭から湯気を出す事となった。
おかげ様で三日間など、目を瞑って開いたら、いつの間にか過ぎていたという感じだ。
そして迎えた宴の日の夕刻――――。
「うはっ。肉じゃ、肉ーっ!」
そう、肉だった。
宴が開かれる大広間にはすでに沢山の膳が並び、中々に壮観な光景が広がっていた。
そして何がうれしいって、ここの所まったく口にしていなかった食材のお姿を発見した事である。なにがしかの鳥の肉の塩焼きだろうか。少量ながらも確かな存在感を持って、膳の上の皿にのっかっていたのである。
まあ、宴会料理なのでアツアツとはいかない。しかしそれでも、肉に飢えていた俺にとっては十二分にご馳走に見えた。
他にも芋やゴボウを炊いた物や山菜の和え物、味噌に漬けた魚の焼き物などもある。皿数だけでも相当だ。
普段の米、汁、菜物、時々焼き物という質素な飯とは雲泥の差であった。もっとも、普段のそれでさえ、こちらの標準からすれば、相当に贅沢な代物ではあるのだが。
”塩け”もいつにも増してあるように見える。
大和の国には海もある。しかし残念ながら継直に押さえられている為、俺らにとってはないものと同じであった。塩は貴重なのだ。だから普段は、思う存分に使うという訳にはなかなかいかないのである。それも理由の一つであろうが、だからここ藤ヶ崎の飯はやや薄味である。
だが今日は、そういうのは無視しているようだ。魚の焼き物をみればわかるが、今日は惜しげもなく、塩もしっかりと振られている。
飽食日本の食事を知っているから、贅沢な膳だとは思いこそすれ、そこまでの驚きはないが、これは紛う事なく非常に贅沢な膳であった。
無論、酒もたんまりと用意されている。
これは、あまり酒に強くない俺にとっては決して喜ばしい物ではないのだが、戦勝の宴で酒がないなどというのはありえないので、やむなしといった所だ。
こちらの酒は製造技術がまだまだ未熟なせいかアルコール濃度はさほど高くないし、安い物だとすっぱい物が多い。良い酒になると酸味も弱まり甘くなると聞いている。そして、澄むのだそうだ。
しかし、そんな物は今まで目にする機会はなかった。だけれども、今日はその澄んだ酒が用意されていた。おそらくは、こちらの世界で今まで俺が見てきた酒と根本的に格が違うものだ。こちらで見たり呑んだりした酒と言えば濁酒ばかりだったが、ぱっと見、記憶にある清酒のように見えた。
爺さんは相当奮発したようだった。
「いやあ。俺の代わりをしてくださったというのに、なんと豪勢な……。俺、こんなご馳走なんて食った事どころか見た事すらないっす」
「俺もない」
与平は感嘆の声を漏らし、源太もそれに同意する。
「そりゃあ、平八郎様が開いて下さったのだし。俺らがやっていた内輪の宴と一緒にするのは失礼だろう。それに大体からして、田舎の村ではたとえ金を出したとしても、これだけの物を揃えられる場所などどこにもない」
そして信吾も、顎に手を当てて唸っていた。
これでも信吾は村長の息子である。その信吾をしてこの反応という事は、源太や与平が吃驚しているのも無理もない話だった。
俺は戦中食と、この世界では間違いなく贅沢に分類されるこの館での食生活しかまだ知らない。だからどうしても、あちらの世界の食事事情と比べてしまうが、今目の前にある膳はやはりそういう代物であるようだった。
俺の目は肉にばかり行っていたが、大変罰当たりだったらしい。
周りの反応を見て、それに気がついた。
「まあ、少々奮発したからの。存分に楽しんでくれ」
驚きを隠せない三人に、爺さんは満足そうにカラカラと笑った。
「爺さん、本気出したな……」
「おうともよ。いろいろな礼でもあるでの。ケチをするものではないわ」
俺たちは広間の奥に集まって座りながら、まだ揃いきらぬ宴の参加予定者らを待って、そんな話を交わす。
そうして待つうちに、仕事を終えた者たちが続々と広間に集まってきた。次郎右衛門や又兵衛も部屋にやってきた。
「平八郎様。私どもまでお招きいただき、誠に恐縮でございます」
「何を言うか。そちらも立派に働いてくれたではないか」
「いえいえ、私どもなど大した事はしておりませんよ。にも関わらず、兵らにまでも酒を振るまって下さって。今日は皆、旨い酒を呑んで大いに楽しむ事でしょう」
「うむ。喜んで貰えれば何よりだ」
「はい。有り難うございます」
次郎右衛門は爺さんに、そう礼を言っている。
兵たちにも配ったのか。やるな爺さん。本当に大盤振る舞いだな。
そんな事を思っていると、久しぶりに顔を合わせた俺の所にまで、次郎右衛門は挨拶に来てくれた。俺たちは、そのまま北の砦での戦の話に花を咲かせた。
そうこうするうちに、参加者は全員集まったようだ。
いよいよ開宴である。しかし、まだ始まりはしない。
この宴の主催は爺さんだが、当主である千賀も参加予定となっている。その為、最後の入場は千賀であり、宴は千賀の到着をもって始まりとなるのである。
そして、その千賀の下には伝七郎が行っており、奴が連れてくる手筈となっていた。
ドンッ、ドンッ、ドンッ。
ゆったりとした間で、三つ太鼓が打ち鳴らされる。
「千賀姫様、御なーり――――っ」
太鼓の音が響いた後、小姓のやや甲高い声が部屋を駆けた。
それを聞き、皆がそれぞれの席へと足早に戻る。そしてその一拍後、再び小姓の声が響いた。
「千賀姫様、御入室――――っ」
それと同時に、着座のまま皆が一斉に頭を下げた。俺もそれに倣う。
するとすぐに、襖が開けられる音がした。幾人かの足音がこちらへと近づいてくる。
俺は部屋のかなり奥――上座のすぐ下あたりに、爺さんと並んで座っていたので、その足音が目の前にくるまで数秒かかった。
が、目の前まで来ると、頭を下げたままそっと視線だけを上げる。
あの足は、前から千賀、婆さん、伝七郎、お菊さん――だな。
そう読んだ所ですぐに、
「皆の者、面を上げよ」
との伝七郎の声が発された。頭を上げる。
やはり見立て通りだったな。先程見当をつけた通りの面々がそこにいた。
そこで爺さんが席を立つ。そして千賀の横へと行くと、千賀を立たせて共に皆の前に立った。
「皆の衆、先の戦では本当にご苦労だった。今宵は存分に食って呑んで、その疲れを癒やしてもらいたい」
これは本来千賀の科白だったろうが、千賀には到底無理だ。だからだろう、爺さんが代わりに言っている。
しかし、その直後に可愛らしい幼女の甲高い声が広間に響いた。
「のじゃぁっ!」
「えい、おー」とでもかけ声を上げそうなくらい、千賀は両手を振り上げ吠えたのだった。
姫様は頑張った。
つか、「のじゃ」ってなんだよ。「のじゃ」って。どっちだ、これをやらせた奴は。爺さんか、伝七郎かっ。
確かに可愛かったけどさ。本人もいたくご満悦だし。
だがなんつーか、すげーインチキじゃね?
なんかすべての事柄をなぎ倒して、めでたしめでたしで締められてしまうような雰囲気がある。強烈に卑怯技臭かった。
まあ、俺がいくら胸の中で毒づいた所で、会場はほっこりしてしまっているので無駄なんですけどね。どちらが計画したのかは分からないが、その狙い通りの雰囲気になっていた。
外は冷たい晩秋の夜風が吹いているのに、なぜか部屋の中は小春日和の正午といった感じだ。
千賀は水島の家にとって、やはり小さな太陽なのだ。あいつが笑っていれば、そこは明るくなり、また暖かくなるのである。
そんな空気の中、宴は始まったのだった。