第百話 藤ヶ崎への帰路で でござる
他の皆は、俺と爺さんの会話に口を挟んでこなかった。ただ黙って、俺たちの交わす言葉を聞いていた。
そして俺への忠告を最後に爺さんも黙り、その場を静寂が包む。少し離れた場所で、兵たちが作業をしている音が聞こえてくるだけとなった。
そこで俺は逸れた話を元に戻す事にした。
「まあ、そういう訳で、だ。今回どこまで手を加えるにせよ、今後は今までとは異なる方針で砦を運用したい。当然、改修もその方針に沿ったものにしたい。伝七郎、決断してくれ」
そう言って、俺は伝七郎の方へと向き直る。言うべき事は言ったと思う。後は伝七郎の判断を待つばかりだった。
皆の視線も伝七郎に集中した。
三人は勿論、爺さんもここでは口を開くような真似はしない。流石に前任の大将だった。頂点の重みを知っている。俺の意見と反対の立場に関しては、敢えて説明しなくても伝七郎はもう知っている。だからもし、前任の大将の己が口を開けば、新任の大将である伝七郎の判断に必要外の影響を与えてしまう。爺さんの沈黙は、おそらくそれを弁えてのものに違いなかった。
再び静寂が流れた。俺に決断を促された伝七郎は、静かに目を閉じ、しばらくの時を思案に耽る。そして、
「…………分かりました、武殿。承認します。この件は、武殿が中心となって話を進めて下さい。ああ、でも予算の都合もありますから、まず先に計画を提出して下さいね。それを元に、その計画になるべく沿えるよう、武殿と平八郎様と私で改めて協議する事にしましょう」
と、俺の目を見てはっきりと口にした。
「そうか。有り難う、伝七郎。藤ヶ崎に戻ったら、俺はまずそれから取り組もう。じゃあ、今日のところは必要最小限という事で、俺の方から砦の兵たちには指示を出しておく。それでいいか?」
「はい、結構です」
そして、この問いにも伝七郎は即答を返した。
ほう……。
その伝七郎の顔を見て、俺は今これを言う事に決めた。
「最後に一度だけ確認させてもらうぜ? 伝七郎」
「はい」
「この『方針』で進める。それが水島の軍を統べる者の意思である――そう俺は理解したが、それで間違いないか?」
先程結構だと言った時の伝七郎の顔に、すでに迷いはなかった。だからこの問いに対する答えは聞かなくても分かっている。
でも『軍師』である俺は、『大将』である伝七郎に、この問いに対する答えを皆の前で言う舞台を整えねばならなかった。それは今であり、そして紛う事なく俺の役目なのだ。
伝七郎も、その辺りは承知していたようだ。改めて何故問うというような、間抜けな事は言わない。一つ頷き、大将としての下知を下す。
躊躇いなく、はっきりと『応え』た。
「その通りです」
言葉に余計な修飾は一切なかった。
しかし、だからこそ俺は、そこに大将としての威厳と覚悟を見た気がした。
伝七郎がそう応えるならば、俺にもとるべき態度があった。静かにその場で片膝を折る。そして、深くそっと頭を下げた。
三人衆も、そして爺さんも、そんな俺に続いた。
そんな『儀式』の後、俺はいくつかのざっくりとした指示を出した。
いや、それだけに止めたと言うべきか。
やはり予算取りがされていない為、込み入った指示は出せない。それに、この砦を含めた四つの砦は、現状国防の要となる施設である。その為中途半端に取りかかると、無防備な腹を晒す時間が長くなりすぎるのが怖かった。故に作業に取りかかるには、どの作業も基本的には一区切り分やり通せるだけの見通しが必要だった。
だから、必要最小限の指示だけしか出せなかったのだ。
まず東門の前と、砦の下を通る街道に土塁を築く。街道は封鎖した。その代わりに、砦の南側を関所として解放するようにする。
正直言うと、できれば関所を設けたくはなかった。だが色々考えてみた結果、ベストではなくベターな選択として、採用せざるをえなかった。
まだ国土が小さい新生水島家としては、商取引による税収は正に生命線である。その為、商取引の不活性化に繋がるような事は極力避けたかった。
だが今は、それに目をつぶってでも、その気になれば敵兵が藤ヶ崎まで素通りできるこの状況を改善したかったのだ。聞いた話では、実際忠政の奴はそう言って爺さんを脅したとか。
まさにカレー味のう○ことう○こ味のカレーに匹敵するような、究極の選択だった事は言うまでもない。
忠政のような輩が他にもいないとは限らないし、もし仮にいなかったとしても、これから俺が示す戦いによって、これからこの世界の常識は変化する筈だった。旧来の考え方のままでは、俺たち以外が一方的に損失を被る事になるからだ。俺がそういう戦い方をする以上、俺が勝てば勝つ程、確実にそうなっていく筈なのである。
例え世界が変わろうとも、人は人。そのくらいの知恵と柔軟性は、この世界の人にも当然ある筈だった。
他にも、東西の門の両脇に五十人程は上れる様な櫓を建てる事にした。俺自身のイメージとしては、そこまで大きいとは言いがたい弓櫓だ。しかしこちらの世界では、これでも従来のものから比べると比較的大きなものと言えるだろう。
この櫓はこの世界の従来のもの同様物見櫓も兼ねているが、弓櫓としても使用する事を前提としたものだ。細かい部分は工兵らが工夫し改めて上申してくるだろうが、俺は大きさと高さ、そして、
後で周囲に漆喰で簡単な防火処理を施した板を張り巡らす事だけを伝えた。
無論この櫓自体簡易的なものではあるし、防火処理一つにしても、漆喰以外にどこまでの工夫がされるのかは分からないが、こちらの世界にある従来の櫓とは、明確に設計思想から異なる異質な櫓ができあがる筈である。
櫓の他にも、門へと続く側道の崖上に、落石計の為の準備をし隠しておくよう指示もした。直接的なダメージもさることながら、道永と戦った時と同様に、ここの側道は敵の身動きを封じる事が出来そうだったからだ。門の前まで引きつけておいて後ろで石を落してやれば、櫓の弓でやりたい放題である。風向き次第では、ちょいと油を撒いて火矢など射かけたら、まさに地獄焼きとなるだろう。
他にも手を出したいところは沢山あった。が、当面はこの程度までだろうと、泣く泣く諦めた。
ゲームと違って、手順が格段に面倒だと思った事は言うまでもない。なにせゲームでは、ボタン一つで何から何まで終了して、いきなり工事が始まるのだ。下手をすれば、ボタンを一度押しただけで物が出来上がっている。そんなものと比較になる訳がなかった。
そんな事は分かっていた。だがそれでも、いっそ本当にボタン一つで出来たらなあと思わずにはいられなかった。そんなあり得ない事を夢想する程度には、心底から作業を急ぎたかった。
とはいえ、だ。
焦っても良い事はない――――焦燥感がわく度に、念仏のように何度も何度も、それを口の中で唱え続けた。
砦で一泊し、予定通り俺たちは藤ヶ崎へと戻る事にした。
ただ予定とは異なり、信吾を砦に残す事になった。兵も四百程を残した。それは、今回の戦を生き残った兵の半分強にあたる。
これならば今後に控えている作業も早く片付くだろうし、今敗れたばかりの金崎は言うに及ばず、他の領主達へのけん制効果もそれなりに期待できる筈との計算だった。
しかしながら、現状最良の選択枝はこの俺自身もここに残るというものだろう。俺の発想に基づいて作業が行われるのである。俺自身が指揮を執った方が、よりスムーズに事が片付いてゆくのは明白というものだ。
だが、それはできなかった。
何せ、俺には藤ヶ崎にやるべき事が残されている。最後の後始末が。それに、もう一つ――――。
いずれにせよ、俺にとってこの戦はまだ終わっていない。
藤ヶ崎へと戻る道中、歩く馬の背で、
「とりあえず一息はつけたものの、戻ってももう一仕事残っていますね」
と、確認するような調子で、前を見たまま伝七郎は言った。当然、下村茂助他の事だ。
「まあな。だが、あれは布石だ。打つ機会があるのに、打たずにおく手はないさ」
「そうですね」
「ん~……、それにだ。茂助の件もそうだが、できればもう一手、今打っておきたい手がある。だから俺たちが本当に一息をつけるのは、その後になるだろうな」
首だけで後ろを振り返りながら話す伝七郎に、その背で俺は少し考えてからそう答えた。
すると伝七郎と横にいた爺さんが、
「もう一手?」
「茂助の件?」
と、それぞれが聞き直してきた。
俺は軽く苦笑しながら、
「俺の口は一つだよ。伝七郎の方は、藤ヶ崎に着いたら改めてご相談だ。簡単に内容を言っておくと、『出来る事なら今のこの機に領土を増やしておきたい――だから攻め込もう』って話だ。それが出来るのかどうかも含めて要検討の、まだ只の思いつきの段階なんだがな。んで、爺さんの方は――――」
そう言うと、伝七郎は驚いたような顔をした。が、実行可能かどうかは検討が足りなさすぎたので、言葉通りまだ只の思いつきであった。無論判断としては十分ありだと思うからこその提案ではあったが。
そして伝七郎への回答が終わると、今度は爺さんの方を向いて、こちらにも答える。
いま藤ヶ崎に継直のところの将がいる事、そしてその将を、これから俺たちがどうしようと考えているかについてを説明していった。
「ほう……。ほんに、お主は色々と考えるのう。……これは忠政の奴も災難だったな」
俺の説明を聞いた爺さんは、なんとも言えないという顔をして、ぽつりとそう漏らした。
まあ、正面から正々堂々をモットーとするようなこの世界の武人からすれば、俺が茂助を使って今回やろうとしている事は好ましいと思える訳がない。当然、複雑な感情も湧くだろう。
だが、それはそれでいいのだ。
こういう汚い事を考えるのは俺の仕事。そしてそれを呑んでみせるのは、伝七郎の仕事。――――それぞれに役目というものがあるのだ。
こういう汚い戦は、この世界の将ならば通常考えなくても良い事なのである。
だから、好ましいとは思わなくていい。ただ理解してさえくれれば。
もっとも、爺さん自身は大将として、こういう汚れた水は今までにも散々呷ってきただろう。だから、先程のような反応になってしまったに違いなかった。
現に複雑な表情をしながらも、それ以上を言い募るような事はなかった。表情が微妙になってしまっているのは、きっと性分的にただ好かない――という事だと思う。
少なくとも俺は、そう読み取った。だから俺も、この件はさらっと流す事にした。
「そうだよお、爺さん。俺の目の前で、こんな巫山戯た真似をしでかして、ご免なさいが通じる訳がないじゃあないかあ。俺の器は、驚く程ちっちゃいんだぞお」
そして、思うがままに悪い顔を作って、くけけと笑ってやった。
すると爺さんは、そんな俺を見て片眉を上げた。そして大きく一つ、溜息を吐いて言うのである。
「小僧。お主のは器が小さいのではない。ただ単に、悪タレなだけだ」