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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第二章
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幕 平八郎(一) 逃げ延びた先で




「永倉様、こちらですっ」


 逃げる儂に前方から近づいてくる馬があった。伝七郎に遣わされた早馬の男だった。


「おお、お主は。まだ撤退していなかったのか? 隙を見て西へ抜けろと申しただろう」


「はっ。無論お言葉に従おうと考えておりましたが、その経路が潰されておりましたので。永倉様には折角お気遣い戴いたというのに、申し訳ございません」


「そうか。いや、よい」


「有り難うございます。一応この後、南方から無理やりにでも柳川を渡って、大きく迂回して戻るつもりでおります。しかしこのような事になりましたので、その前に永倉様の撤退だけでもお手伝いできればと参った次第にございます」


「そうか。世話をかけてすまぬな」


「いえ。さ、こちらにございます。お味方も相当数がこちらへと向かいました」


「そうか。では、案内を頼む」


「はっ」


 男はそう応えると、儂を先導して南へと向かって馬を走らせた。


 しばらくそのまま走る。すると、とある山の裾に広がる森にぶつかった。


 男は、森の外周に沿って馬を走らせ始めた。そして獣道の入り口のような場所を見つけると、そこから中へと入って行くと儂に言った。


「こちらです。ほら、ご覧下さいませ。新しい人の足跡がこんなにも。奥へ向かって、ずっと続いております」


 そう言って、地面を指さして儂に見せる。


 なるほど。確かにまだできたばかりと思われる人の足跡が、そこには沢山残っていた。


「うむ」


 それを見ながら、応答を返す。そして、青嵐を降りた。


 見るからに獣道なので、馬を入れるには下馬し手綱を引くしかないのだ。それどころか、いくらかの邪魔な雑木の枝や藪を払いつつ進まねばならないと思われた。その大半は、案内をしてくれている男がやってくれるとはいえ、流石に青嵐に跨がったまま進む事は不可能と思われた。


 男は儂の前に立ち、枝を払いながらこちらに振り向く。そして、


「本来ならば、あの足跡は消しておきたいところです。しかし、すでに我らが駆けてきた馬蹄の跡があの位置までしっかり残っていますからね。今更でしょう。それにあまり悠長に構えているのも危険でございます。いつ追っ手がくるか分かりません。お味方との合流の方を優先しようと思いますが、それでよろしいでしょうか?」


 と、判断の是非を問うてきた。


「構わぬ。それでよい」


 即答する。


 確かに男の忠言通りだと思われた。


 今は人力も、時間もない。単独行動を続けるというのも危険だった。位置はどうしても知れるのだから、追っ手がやってきた時に合流できていない事の方が問題だというのもその通りだろう。


 合流を急ぐべきだと、儂も思った。だから、男の判断を承認した。




 そうして森の中をしばし進む。すると、兵らの姿が見えてきた。大きいとも小さいとも言えぬ沢の畔に、森に逃げ込んだ者らは集まっていた。


 戦は早朝に始まったが、陽はすでに天頂を過ぎていた。


 午後の木漏れ日に照らされた兵らの姿は、それはもう散々なものだった。皆、ぼろ布のような体を引きずっている。今やっと事での一息をついているというのが、ありありと窺える様子だった。


 比較的軽傷の者は川の水を口にしたり、木の根元に背中を預けたり、或いは深い傷を負った仲間の世話をしたりしている。一方傷の深い者らは、少々小綺麗にされた一角に集められ、寝かされていた。そして――――、なんとかここまでは逃げ延びたものの、ここで力尽きてしまった者たちも、それ専用の一角にまとめて寝かされていた。


 再び目を開ける事のない者らに向かって、そっと黙祷を捧げる。そしてそのまま、兵らの間を抜けて奥へと進んでいった。


 この段になると、流石に兵らもそのほとんどが儂の存在に気付き、顔を上げた。


 そんな者たちに向かって言う。


「皆、よく生き残ってくれた。こうも卑劣な真似をされたというのに、本当によく生き抜いてくれた。この平八郎、心から感謝する」


 絶望的な状況でも諦めずに戦い、そして堂々と戦いながら逃げ抜いてくれた兵らに、儂は頭を下げた。


 この者らは、逃げたと言っても無様は一切晒していない。胸を張って誇る事が出来る、自慢の兵たちだった。


 そんな儂を見た兵らは、疲れ切った体に鞭を打ち、立ち上がる。そして静かに、(こうべ)を垂れてきた。


 深手を負ったも達までもが立ち上がろうとした。


 儂は、それを抑えねばならなかった。




 そうして儂の無事を皆に知らせた後、すぐに被害状況の確認に入った。


 報告によると、この場に辿り着いた人数は計三百と八十七名。


 これが、重傷者も含めたすべての生存者の数だった。次の戦に耐えられる人数となると、先程見た感じではおそらくこのうちの七、八割といったところになるだろう。


 八百から三百八十七。減った数は、討ち取られたか、少なくともこの戦の最中の合流はまず絶望的な者たちである。


 半分以下か――――。


 将がこんな事ではいかぬのだが、どうしても重い溜息が漏れた。


 最初その報告を受けた時には、あまりに惨憺たる内容に噛み合わせた歯が鳴った。しかし心を落ち着け冷静さを取り戻すと、むしろよくそれだけ残ったものだと思えた。


 一騎打ちが行われ、習わしに従い両軍の兵たちはそれを少し離れて見守っていた。その最中に、儂らを襲えと指示する者がいて、その命令を下された者らがその命令通りに襲った。


 襲われたこちらの兵は、言ってみれば背中から殴られたに等しかった。多勢に無勢の状態で、更に背中から殴られたのだ。惨憺たる状況ではあるが、これでもよく残ったと言うべきだった。


 あれは武家の戦ではあってはならない事だった。野盗でも、なかなかあれはやらないだろう。そんな知恵がないというのもあるが、野盗でさえもあれは格好悪いと思うからだ。


 まだ本当に背中から不意を突いて殴る方が、聞こえが良い。


 こちらが流言するまでもなく、兵らの口から伝わりこの暴挙は世間に広まるに違いなかった。これを止めるのは至難の業なのだ。


 故に継直も、そして金崎も、その武名は地に堕ちる事になるだろう。


 だが、そこまで考えて、ふと引っかかった。


 む? いや、そうだ。こんな真似をして、忠政は一体どう収拾をつけるつもりだったのだ……?


 今更と言えば今更であったが、今の今までそれに気付かなかった。冷静を保っていたつもりであったが、やはりそれなりに動揺していたらしい。


 考えてみた。しかし、儂はすぐに考えるのを止めた。


 一つだけ、それに収拾をつける方法を思いついたからだ。そしてそれは――――、考えるだけでも魂が穢れそうな、極めておぞましいものであった。



――――あの戦に参加した者”すべて”を、殺してしまうつもりだったなどと……。



 敵味方関係なく全員殺して、その責任を儂らに押しつけてしまえば、どのような卑劣も漏れない。語られる口がその場ですべて消えるのだから。


 あ奴は元々頭のおかしい男であったが、どうやら下衆さに磨きがかかっているようだった。


 そうして自身の思考に顔を歪めていると、伝七郎より遣わされた男が、再び儂の前までやってくる。


 ここまで一緒であったならばと、怪我人の多い我が部下達に混じり、情報の整理に助力してくれていたのだ。


「永倉様。そろそろ佐々木様の元へと戻ろうと思います」


 と、男は膝を着き言う。一通りの仕事を終えて、ここを発つ前に儂の所へと報告にやってきたようだった。


「そうか。主には本当に世話になったな。本来役目にない事ばかりであったにも関わらず――――感謝する」


「いえ。お役に立てたならば、何よりにございます」


「うむ。道中気をつけろよ? 儂らが逃げたせいで、思わぬ所にまで敵は兵を出しているかもしれぬ。主は絶対に伝七郎らの元に戻らねばならぬ。だから、今度は決して油断するでないぞ?」


「はっ。お気遣い感謝致します」


「うむ。……ああ、それとな?」


 男と会話をしていて、一つ大事な事を思い出す。伝七郎らに伝えてもらわねばならない事があった。


 こちらの状況なども最重要情報である。無論それも間違いなく伝えてもらわねばならない。だが儂が伝えてもらいたいそれは――――、儂自身の言葉として伝七郎に、そしてあの小僧に持っていってもらいたい言葉だった。


 それは、この現状を踏まえて出した儂の結論だった。


 儂のその呼びかけに応えて、男は跪き垂れていた(こうべ)を上げた。そして儂の言葉の続きを待っている。


「よいか? これは儂の言葉として、伝七郎と神森武――あの二人に伝えよ。間違えるなよ? 主自身の口で、直接本人に伝えてくれ。これだけは、これ以上間に人を介してはならぬ」


「はっ。承知致しました」


「うむ。で、その内容はだ――――」


 そう前置きをして、まずは敵方のあの大兵力について。次に藤ヶ崎の町への攻撃に注意してもらいたい事。続いてあくまでも敵軍に傾注し、こちらを気にしすぎる事なく存分に戦って欲しい事を伝えた。そして――――。


「――――そして、佐々木伝七郎を此度の戦の総大将とする。藤ヶ崎とこの永倉平八郎は、約定に従い千賀姫の軍門に降る。延いては、佐々木伝七郎『殿』の旗下に入る。必要とあらば、存分に使われたし、と」


 儂が語り出すと、男はそれまで以上に表情を締めた。


 周囲でばたばたと各々の役目に従事していた者らも、その手を、その足を止めて、儂の方を振り返る。


 若き者らは真剣な顔つきで、儂のその言葉を聞いていた。古兵(ふるつわもの)らはうっすらと笑みを浮かべながら目を閉じた。そして何かを噛みしめるように、何度も何度も浅く頷いた。


 それらの視線の真ん中で、跪いていた男は再び深く頭を下げる。


「はっ。確かに承りました。お二方に必ずやお伝え致します」

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