幕 平八郎(一) 西の盆地の戦い 一回目 ――一騎打ち――
「敦信殿、出られませいっ! あの老いぼれさえ始末してしまえば、後はどうとでもなるっ!!」
先頭で大暴れしていたこの儂に歯がみをしていたのだろう。あちこち綻び、用をなしていなかった忠政の化けの皮がいよいよ剥がれ落ちた。いや、破れたと言うべきか。三森敦信に向かって叫んでいる。
目でわざわざ奴の様子を確認するまでもなかった。その声からは苛立ちと焦燥しか感じられない。まだまだあちらの方がはるかに有利だというのに、真に肝っ玉が小さい。
もっとも、だからこそ奴はああも卑劣を好むのだろうが。
脳裏に、目を血走らせ唾をまき散らしている彼奴の面が浮かんだ。
真に忌々しい。いっそ彼奴の面を知らなければ、こうも見苦しい絵に脳裏を苛まれる事もなかっただろうに。
だがその一方で、そんな生理的な不愉快さとは別に、儂は苛立ちを覚えていた。真に余計な事ばかりを――――と。
口惜しい事に、儂らの立場から見ると、この流れは本当に不味かった。
忠政の言葉に従い、三森敦信が前に出てくる。名指しをされた三森は、戦が始まる前と全く同じ――表情をどこかに忘れてきたような顔つきのまま、無言で儂の前で止まった。
律儀な奴だ。
馬上にある、無表情の若者を見てそう思う。本来忠政などに顎で使われるような者ではない筈である。だがそれでも、この者は儂と戦おうとしている。
三森が出てくると同時に、周囲は静かになっていった。そして互いの兵は少し距離を置いて、それぞれの陣営に別れた。
そうしてできた場には、儂と三森のみが残る。
受けるといった訳でもないのに、一騎打ちの準備と雰囲気が整っていった。
非常に不味い事ではあったが、もう受けない訳にはいかない。もし受けねば、なんの為に今回この戦を受けたのか分からなくなってしまう。
確実に流言されるだろう。
いま藤ヶ崎の民にとって、藤ヶ崎の統治者は儂だ。そして、自分で言うのも口幅ったいが、儂には名がある。そんな儂が臆病などと誹られては、確実に今後の藤ヶ崎の統治に支障をきたすだろう。
それを許容する訳にはいかなかった。
防衛に失敗して町を奪われるのも論外だが、折角先を託せる者も現れたというのに、傷まるけにして投げ渡すような所行ができようか。
そんな事などできる訳がなかった。儂を信じて下さった御館様にも顔向けできぬ。面目が立たぬどころではない。
いくらか打ち合った所で引き分けるしかないだろう。
そうなれば仕切り直しになる。互いが兵列を整えている間に撤退の段取りを考える事も出来るかもしれぬ。
負けるのは論外としても、下手に勝ってしまうのも問題である。敵の残りのすべてを相手にする事になるだろう。
それは避けねばならなかった。そんな事になれば、間違いなく我が軍は全滅してしまう。
本当に、こちらにとって旨みが全くない一騎打ちだった。
おまけに相手は三森敦信。まだ若いが、その武名はすでに中々のものである。まだ直接槍を合わせた事こそないが、儂でも決して軽く見てよい相手ではないだろう。
「…………」
三森は相も変わらず無言無表情まま、こちらを見ていた。報告に聞いている話ではもっと人間味のある人物のように思えたが、今のこの者からはそういったものは感じられない。
ただし虚ろという訳でもなく、視点の合った視線をこちらに向けてはいた。
どういった理由でこうなっているのかは分からぬが、いずれにせよ、三森敦信本人である事は間違いなかった。気が抜けぬ相手である事だけは間違いなかった。
手に力が入る。しかしぬるりと得物が滑りそうになり、その力みは空回りに終わった。
視線を三森から移す。握る大長刀は、柄といわず刃といわずすでにまっ赤だった。
それを見ていた側にいた兵が、懐から手拭いのようなものを取り出し、儂に差し出してきた。軽く礼を言い受け取り、まず柄を拭う。ついでに刃に着いた油も拭い取った。手入れをした後とは比べられぬが、それでもなんとか一騎打ちに臨める状態にはなった。
血でどろどろになった手拭いを投げ捨て、青嵐を前に進める。
三森の前へと移動した。
「さて、お待たせしたかな? 三森敦信殿……でよろしいか?」
「いかにも、三森敦信にござる」
話しかければ、無表情のままではあるものの、思いの外応答はしっかりと返ってきた。
「さようか。拙者は永倉平八郎にござる。貴公にいかなる事情があるかは存ぜぬが、出てきたという事は『やる』という事でよろしいか?」
「…………」
「よろしいか?」
「……結構にござる」
あまりにも聞いている彼奴の人物像と異なるので、少々鎌をかけつつ尋ねてみれば、沈黙が返ってくる。
その沈黙は、下手な解答よりも事実を雄弁に語っていた。
どうやら某かの理由があるようだ。身の自由が利かぬ状況なのだろう。本心の部分では、今日のこの戦自体乗り気ではなさそうだった。
もっとも、乗り気ではない理由はなんとなく想像がついた。おそらくは忠政のこの戦運びが大いに不満なのだろう。話しに聞いているこの者の気性からいっても、武人として誇れぬこの忠政のやり様に反感を覚えない訳がなかった。
だが、やるらしい。金崎と継直の力関係を考えると、その点にも何故にと疑問は残るが、それでも忠政の声に応えて、その言葉に従うようだった。
それも武人の道――とも言える。
が、彼奴のこの行動が武人が故なのか、或いは他に何か理由があるのか。それは、儂には分からない。
彼奴は無言のまま、その手にある槍を構えた。
やや太め朱色の柄に、片鎌のついた通常よりも大振りの穂先がついている。それは、話に聞いていた通りの三森敦信の槍だった。その穂先はこちらに向けられている。
こちらも、敵方の事情まで斟酌してやれるほど余裕がある訳でもない。し、またその義理もない。
やると言うならば、やるまでだった。
こんな状態ではあるが、それでも三森敦信は三森敦信。勇名轟く此奴相手に遠慮や手加減をする余裕などまったくないのだ。
まして、そんな強力な相手を、倒さずにいなさねばならないのだ。どれ程の難事となろうか――やってみなければ想像もつかなかった。
ただ例えそうであろうとも、その隙を突いてさっさと撤退する事が、今の儂らにとって最良の方針だった。
作法に従い、儂の方から声をかける。
「では、参るぞ?」
「いざ」
それに三森も応えた。
そして、一騎打ちは始まった。
「おおおっ!」
「せぇぇい!」
ガッ! カカンッカンッ、ブンッッ――――――
左から切り上げた刃が、槍の柄で止められた。と思うと、間髪を入れずに三連突きが目、喉、心の臓を襲う。
それを先程の三森同様に、柄を使って払っていった。そしてその動作を利用して、受ける動作の最後を天頂からの一撃に繋げる。
互いに動きを止めない。流れるような動きの中で、攻防は目まぐるしく入れ替わった。
そして、槍のお株を奪うような突きを三森に見舞う。しかし、
カンッ――――――
その一撃も、三森は槍を巻き込むように使って軌道をずらしてしまった。
強かった。報告にあった以上に強い。
無論舐めていた訳ではないが、想定していたよりもはるかに達者だった。紛う事なく達人の域の業だった。
この歳で槍大将を任されているのは伊達ではないらしい。槍兵の指揮ばかりではなく、本人の腕前も『槍大将』だったのだ。
その後も、幾度となく互いの武具を打ち合い、刃を交えた。
しかし互いに決定的な一撃を放てずにいた。そうして時間ばかりが過ぎていく。
流石に、双方息が上がってきた。
このままでは不味かった。
なにせ、あ奴の方が若いのだ。このまま続ければ、先に力尽きるのは間違いなく儂の方だった。
なんとかこの状況を打開できないかと必死に考える。しかし、これと言えるような案は何も浮かばなかった。
焦れてくる。
ヒュッ――――――!
その心の隙を突くようにして、三森の閃光のような突きが顔の真ん中目がけて飛んできた。咄嗟に顔を逸らしてそれを避けるも、頬の皮が裂けた。
まずい。何とかせねば。
焦燥を精神力で無理矢理抑えこみ、なんとか冷静さを保つべく努力をする。
しかしその時、それは起こった。いや、起こされたのである。
再び、あの下衆が口を開いたのだ。