幕 平八郎(一) 西の盆地の戦い 一回目 ――単騎――
「おおぉぉぉおっ!!」
自慢の大長刀を振り回す。
昨今戦場ではあまり選ばれる事のない古い武具だが、儂はこれが好きだった。特別に誂え、肉厚で刃幅も広く作られたこれは、武辺の者でも並では到底扱えない。
しかし若い頃から、これと共に戦場を駆けてきた。
儂の手にはこれが合う。心行くまで戦えた。
薙げば一振りで二つ三つと首を刎ね、振り下ろせば先の重量で堅い鉄の鎧すらも裂ける。自慢の相棒だった。
そしてそれ振り回せる体躯の儂が、そんな得物を持って戦場で戦うにはもう一人――いや、もう一頭の相棒がいる。
それを務めてくれているのが青嵐だった。
歴代の相棒は皆雄大な馬格を持つ馬たちだった。しかし今の相棒である青嵐は、その中でもとりわけ体が大きく力も強い。そして、頑健で足も速かった。
そんな儂らは、合図の鼓を打ち鳴らすと同時に敵陣へと突っ込んでいった。
まともにぶつかっても、無駄に兵を損じるだけである。それだけの数の差が彼我にはあった。だから、せめてその前に敵の気組みだけでも挫いておきたかったのだ。
無論危険な行為である。だが普通にぶつかっては、最初の一合で打ちのめされかねないのだ。無駄に兵を損じない為にも、そうするしかなかった。
この戦最初の獲物は、駆け込んでくる敵の一番槍の騎馬武者達だった。
重く長大な大長刀を振り回し、ごうごうと重く響く太刀風の中に、それらを血祭りに上げていった。
一人、二人、三四五……。それ以上は数えるのが追いつかない。面倒になって、数えるのを止めた。これもいつもの事だった。
そして騎馬武者らを倒した事によって開いた道を通り、更に敵陣奥へと切り込んで行く。そのまま真っ直ぐに、騎馬隊後方にいた長槍を持った足軽らの中へと突き進んだ。
そしてそこでも、我が刃の通り過ぎた後には幾つもの血飛沫が上がった。
儂らの数の少なさに気をよくし、圧殺せんと喜喜として攻め寄せる輩には、よい気付け薬となったようだった。明確に敵の足が止まる。
安酒に酔って、気だけ大きくなられてもな――――と独りごちる。顔は自然と酷薄な笑みを作った。
そしてそのまま手を止める事なく、大長刀を振るい続けた。周りを囲もうとする敵の足軽らは、次々とそうして振るわれる刃の餌食になっていった。
ここまでは順調に、儂の思い描いた通りに事が進んでいる。
ただ、今相手をしている足軽らは、長槍を持っているだけにいくらただの足軽と言えども、騎馬の武者達以上に油断は出来なかった。
しかし、背中を取られる事はほとんどない。相棒の青嵐が取らせないからだ。
青嵐は背後に回られる事を嫌い、警戒すべき相手をなるべく前に置こうとする。人より視界の広い青嵐にとって、囲もうとする相手を察知する事自体は大して難しくないようだ。
そして、そう動いてくれるおかげで儂はすこぶる戦いやすかった。斬るべき敵がきちんと前にいるのだから、これ程戦いやすいものはない。
それに……、青嵐はその警戒圏内を敵が冒そうとすると、その強靱な後ろ足で蹴り飛ばした。儂が気付いているだけでも、今日すでに二人を蹴り殺している。
おかげで、ほとんど正面と長槍による攻撃を警戒するだけで済んだ。こういう周りを敵に囲まれる状況で戦うには、これ程心強い騎馬も他になかった。
「邪魔だ邪魔だ邪魔だっ! 死にたい者のみ前に出よっ!」
右に左に、上に下に。
赤黒く染まった鋼の刃が、重く鈍い輝きを放ちながら翻り続ける――――。
そして更なる血飛沫を生んだ。
太刀風が起こる度に、儂の周囲は赤く染まっていった。
振り下ろされる刃が頭蓋を叩き割れば、赤く濡れた白い肉片が飛んだ。柄杓でぶち撒かれたかのような血の塊も飛んできた。
突き出される槍を打ち払い、伸びた腕を返した刃で切り落とせば、その場に大層な血の泉もできた。
儂は得物を振り続けた。ただただ懸命に。
そして十を超える敵兵を屍に変えた辺りだろうか。ようやく我が兵らが追いついてきた。
ちょうどよい頃合いだった。
敵勢は儂の勢いに押されて、揃って恐怖の色をその面に浮かべていた。士気は落ち、それが動きにも現れていた。腰が引けて、動作も鈍くなっている。
この戦法をとるに当たって、期待した通りとなっていた。
そうして勢いを失った敵勢に、我が兵らは迷う事なく突撃をかけていった。
「さぁぁあっ!!」
「くたばれぃっ!!」
まずは長槍を手にした騎馬武者達が、裂帛の気合いと共に突っ込んできた。
騎馬同士がぶつかり、或いは互いに槍を受け落馬する者。突き負け絶命する者。そして突き勝ち、更に儂の後へと追ってくる者。――――その結果は様々だった。
しかし騎馬の勝負は、全体的な印象として我が軍に軍配が上がったようだった。
数の差も、騎馬に限れば全体の数の差ほどには開いていない。そのせいもあってか、弛まぬ努力で鍛え上げられた武質と練り上げられた気迫の差によって、少々の数の差を埋めて合わせて押し勝っていた。
そうして勝ち得た道を通り、長槍を手にしたこちらの足軽達も次々と到着する。そしてその勢いのまま、腰だめに槍を構えて突き込んでいった。その穂先は、呆然と立ちすくんでいる敵足軽らや、落馬するなどして無防備な状態となった敵騎兵らを次々と貫いていった。
『邪魔な障害』を排除すると、その槍は大きく縦に振り下ろされる。混乱した味方に阻まれ身動きが取りにくくなっている者らが、次の獲物に選ばれていた。
そうして、互いの命の灯火を吹き消しあいながら、徐々に敵と味方が混ざっていった。
乱戦になろうとしていた。
そろそろ態勢を整え直す頃合いか。そして、もう一度だ。
そう考え、指示を出そうとした。その時だった。
「えぇい。あのような小勢を相手に、何を手こずっておるのかっ!」
忠政がそうがなり散らす声が、儂のいる場所まで聞こえてきたのである。
こちらにとってはあまり歓迎できる事ではないが、種田忠政、三森敦信の両将は、彼我の兵力差をよく理解していた。各々の軍の最後方に陣取っていた。
もっともそれ故に単騎突撃による強襲をかけられたのだが。危険ではあっても、打つ手が残っていたのは、この状況ではそれだけで幸運と思うべき事だろう。
そしてそれは図に当たり、存外成果を上げていた。
しかし――――。
数の差は歴然なのである。この勢いも、そう長くは持つ訳がなかった。
現に、戦況は悪い方向に傾きつつある。喚き散らす忠政の声に怯えながら、敵の兵らがやけ糞ぎみに目を血走らせ始めたのだ。
これは儂らにとってうまくなかった。
戦いで冷静さを欠くのは好ましい事ではない。しかし、力による無理押しが通るような戦力差がある場合、そうした狂気の暴走でも容易に押し潰されてしまう。そしてそこで押し負けてしまえば、敵は冷静さを取り戻し、折角挫いた戦意も復活してしまうのだ。
ただ……。
文句を言うだけならば、将でなくとも出来るのだがな――――。
儂は、忠政のそのだみ声をせせら笑った。
とはいえ、奴に尻を叩かれた敵勢が盛り返しつつあるのも事実だった。決して褒められた指揮ではないが。
それを考えれば、もう少し何とかしておきたかったがここらが限界だった。引き時を誤ると、兵数差が兵数差だけに、ただの一度で大惨事に繋がるからだ。
そう考え、儂は、方針を『態勢を立て直す事』から『撤退』に切り替えようとした。
しかしその時、再び忠政が叫んだのである。