表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第二章
136/454

幕 平八郎(一) 東の砦落ちる

「承知致しました。姫様の事はお任せ下さい」


 菊は、儂の頼みには即座にそう答えてくれた。


 ただ頼みは聞いてくれたものの、なおも儂の身を案ずる娘への対応に苦労する事となった。それを何とか宥め話を終える。そして再び、出陣に向けての準備へと戻る事にした。


 可能な限り急いだ。


 しかし最低限の準備が整ったと報告が来たのは翌朝だった。朝日とどちらが早かったのかというような刻限になっていた。


 もうあと少ししたら、東の砦に向けて出発する予定だ。


 今回の出陣は、姫様には内密にしておくように昨晩菊へと伝えた。ひっそりと発つつもりである。


 伝七郎らに続き儂までもなどという事になれば、無駄に不安を煽ってしまうだろう。無用にその幼い心を不安がらせるような真似は、極力避けたかった。


 出陣に向けての準備が終わったとの報告を受けた後、井戸端へと向かった。


 そこで染みる朝日に目を細めながら、冷水を浴び身を清める。徹夜明けでぼうっと火照った体の表面を、桶からぶちまけた冷たい水が流れ落ちていった。井戸水の冷たさと朝のきりっとした寒気は、ぼやけがちの意識に活を入れてくれる。


 意識が細く鋭く、研ぎ澄まされていく。これから戦場に向かうに相応しい心持ちへと変わっていった。もうすでに何度こうしてきたか分からないが、とても好きだった。戦場で武器を振っている時以外では、武人としての自分をもっとも自覚できるからだ。


 その後部屋へと戻り、人を呼ぶ。共に長く戦場を駆けてきた愛用の鎧を身に纏った。


 そして戦支度が整い終わる頃合いに、厨から侍女が湯漬けを用意して運んでくる。出陣前だ。のんびり座って飯など食う気分にはならぬし、またその時間もない。戦の前は、これが一番だった。


 碗を受け取り立ったまま、ざぶざぶと飯をかき込み飲み下してゆく。碗を空にすると、


「ふぅ……」


 と大きく、胸に溜まった息を捨てる。


 そして空になった碗と箸を侍女に突き出し、


「出るぞっ!」


 と館の者たちに向けて、そう大声で宣言した。




 そのまま藤ヶ崎を発ち、八百程の兵を率いて東の砦に向けて街道沿いに進んだ。今はまだ道半ばといったところか。


 乱波を放って、すでに二刻ほど経っていた。


 東の砦がもしすでに落ちているならば、このままそこまで進軍してしまうと大変な事になる。正直この救援、間に合わぬかもしれぬという不安が、東の砦からの報せが届いたその時からあった。その為用心して、現在の砦の状態を確認させるべく、乱波を放ったのだ。


 ただでさえ、今回の戦は儂らにとって良い材料は何もなかった。兵の士気でさえも、最悪といって過言ではない酷い状態である。


 武士たる者、そんな覚悟の足りぬ事では士道不覚悟というのは容易い。だが、無理もなかった。武士も人なのだ。


 東の砦の兵は二百程。儂らと合わせても千。敵勢の方が多かった。


 それに、これでさえ最高に都合の良い見積もりである。儂らに最も都合が良い様に事が進んで、この条件で戦えるという有様だった。


 砦の兵の数は二百。もし千五百の敵に布告でもされれば、まず間違いなく何も出来ずに敗北する。そして砦は奪われる。


 その時には兵力差は約倍まで広がり、物資の補給もかなわぬ上に、こちらからあ奴らに布告をせねばならなくなる。となれば、戦場を選ぶ権利までもが奪われる事になるのである。


 どう考えてみても良い要素などなかった。更に言うならば、儂らが知らぬだけで、もうすでにそうなってしまっている事も大いにあり得た。皆の者の士気が上がらぬのも無理のない事だった。


 このままでは非常に不味い。将として、無論それは承知している。しかし、その負の思考を打破できる材料が何もないのが非情に痛い。


 項垂れがちに歩む兵らをそれとなく観察しながら、戦が始まる前までには何とかせねばならぬと、あれこれ思考し続けた。


 すると、前方遠くに騎馬がこちらに向けて駆けてくるのが見えた。


 先程放った乱波だった。


 そのまま道沿いに進み、戻ってくる乱波と合流する。


 到着した乱波は馬から飛び降りた。周りの兵が乱波が乗っていた馬の手綱をとって落ち着かせている。


 しかしその乱波はそれには目もくれず、すぐに儂の元へと駆け寄った。そして片膝をついて、口早に報告をする。


「申し上げます。東の砦はすでに陥落。砦は金崎らの兵で溢れかえっております」


 ……やはり間に合わなかったか。


 予想していたとはいえ、辛くまた厳しい報せであった。


「それで彼奴らは皆砦か? 砦の者たちは? 戦場は?」


「はっ。敵勢は皆砦に入った模様。少なくとも道中で接触する事も、また大規模に展開されている部隊も見かる事もありませんでした。砦の兵は……、全滅です。砦の者らは砦の更に東の峡谷にて決死の戦に臨んだようです。あの狭く深い谷の底では逃げる事はかなわなかったでしょう。戦場の地形的に逃げる道を捨てて、少数で多数に少しでも打撃を与える道を選んだものと思われます。結果、雄々しく獅子奮迅の働きの末、全員力尽きたものと……」


 乱波の任につく者にしては、時に言葉を詰らせ、時に言葉の最後を濁しつつの”らしくない”報告をしてきた。


 現場には凄惨な光景が残っていたのだろう。


 すぐにそう思い至った。話を聞いて脳裏に浮かんだ光景は、今までに何度も見てきた光景だった。そしてそれは、見慣れた者が見てもそうなり得るものであった。


 儂は「耐えよ」と、藤ヶ崎にやってきた早馬に伝えた。が、いくら儂が耐えよと申したところで、二百と千五百の数の差で布告なんぞされれば、背中に回られぬ様な場所で戦い散るか、逃げるかしか道などないのだ。


 そして砦の兵らは、戦い散る方を選んだのである。


 真の武士(もののふ)であった。正に忠勇の士である。家臣の腐敗具合を嘆きながら亡くなられた御館様に、是非とも報告したい水島が誇るべき立派な家臣たちであった。


 この潔くも苛烈な最期を遂げた砦の兵らに、武士としての敬意と、大将としての感謝の念をもって、刹那の黙祷を捧げた。


 それから、


「そうか。ご苦労。下がれ」


 と目の前の乱波に告げた。


「はっ」


 任務を全うし砦の様子を知らせてくれた乱波は、そう返事をすると一つ頭を深く下げ着いていた片膝を上げた。そして、下がっていった。


 どうする……。


 砦の者らの心意気を無駄にするような真似は断じて出来ぬ。あの者らの志は、絶対に粗末に扱ってはならないものだ。だが、このまま当たり前に戦に臨んでも、まず間違いなく敗北してしまう。そして儂の敗北はそれ即ち、あの餓狼どもに藤ヶ崎までの障害なき道を開いてしまう事なのだ。


 どちらも受け入れる事は出来ない。出来る訳がない。


 だが……、どうする――――。


 どうにもならない。


 だがそれでも。どうにもならなくとも。誰かが成さねばならぬ……。成してのけねば――――すべてが終わるっ。


 油断すると地を這おうとする視線に、何度も活を入れる。弱気が芽生える度に、何度でも何度でも己の心を叱咤する。


 そして前を――落ちた東の砦ある方角を見据え続けた。


 そこには、死の匂いなど全くしない光景が広がっていた。秋晴れの空の下、紅葉した木々に彩られた山々が、ゆったりとそこに座している。それは真に美しく、そして静かな光景だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ