幕 平八郎(一) 東の砦からの報せ
「なっ、なんだとっ?! もう一度申せっ」
東の砦から早馬が届く。
「はっ。申し上げます。北東部国境付近に金崎家と継直が兵を急速に送り込んでいます。乱波の報せでは近々東の砦を襲うとの事。推定敵兵力は千と五百。両家の合流はすでに確認されております。なお継直軍を率いるのは種田忠政。金崎軍の将は三森敦信との事です」
千五百……。なんと言う事だ。
それに、種田忠政と三森敦信。忠政は、敵にするには確かに厄介な所があるものの、所詮は姑息なばかりで三流。だが、問題は三森敦信だ。あれは若いが俊英だ。武だけでも、槍戦をさせたら儂とて五分だろう。
だが何よりも、
「合流済みとはどういう事だっ? もうすでにこちらの領地に侵入しているのか? いや、だがそれはおかしい。忠政はどうやって砦の東へ移動したのだっ?」
継直の領地からここ藤ヶ崎に向かうには、北の砦を通るしかない。
継直の軍隊が、北の砦を避けて東の砦へと来る事は不可能だ。東の砦へと続く道は金崎領の南端へと続いている。継直の領土からその道に出るには、険しい山や森のど真ん中を突っ切ってくるか、或いは一旦東に向かって金崎領に入り南進してくるしか…………。
………………。
まさか……。まさかな。
だがしかし――――、それ以外に方法はない。
「はっ。種田は、金崎領を通って金崎領内で金崎の軍と合流致しました」
流石にこれは想定していなかった。
水島と金崎。両家には、いずれかが相手を食い破る結末しか残されていない――――筈だった。
それが連合を組むなどと。領内に相手の兵を入れるなどと。
あり得ない筈だった。
継直は『水島』としての不倶戴天の敵よりも、儂らが邪魔……いや許容できぬという事か。
あの愚か者めがっっ!!
心の底から怒りが噴き上げてくる。
その時報告にやってきた兵が、儂の怒りの気配に触れ、怯えたように顔を強ばらせたのが目に入った。
いや、駄目だ。今は冷静にならねばならぬ。
噴き上がる怒りを懸命に抑える。頭を一つ振り大きく息を吸い、そして吐いた。
儂が心を落ち着けるのを見て、目の前の兵も人心地がついたようだ。小さく一つ、吐息を漏らした。
心の中で一言、済まぬと詫びる。
この者が悪い訳ではないのだ。無駄に脅かしても仕方がない。
だがそれにしても、だ。
いくら継直がそう思ったとして、どうやって金崎家を動かした?
あそこの現当主は野心家ではあるが、その野心に見合う器はない。気も短く、浅慮が目立つ。
とても、それまでの両家の因縁を忘れてどうこうという気質ではない。家自体は強い。が、当主の質は下の下だ。
いくら継直が、金崎家にとって邪魔な御館様を消した者だと言っても、受け入れる事は出来ぬ筈である。
認めたくはないが、あれも『水島』なのだから。
金崎にとって今回の継直の謀反の件は、ただのお家騒動に過ぎぬ。仇敵の有能な当主が、実の弟の手によって謀殺された。ただそれだけの事なのだ。
忌々しい事ではあるが、奴らとっては確かに喜ばしくはあろう。が、水島家自体は未だ健在で、潰さねばならぬと考える筈なのだ。
それがどうして……。
まさか。いや、いくら継直でもそれは……。だがそうでもなければ、この現状に説明がつかぬ。
やはり売ったのか? ――――国を。
ここ藤ヶ崎かどうかは分からぬ。が、もしこの大和の一部でもくれてやると金崎に話を持っていったとしたら……。
その条件であれば或いはあの金崎の主も、欲の皮を突っ張らして一時的に手を組む事はありえる。この条件であれば、金崎の当主の資質など大して関係なくなる。少し目先の欲を刺激してやるだけで、比較的容易に首を縦に振らせる事ができるだろう。
何度攻めても御館様にあしらわれて、微々たる領土も得る事のなかった金崎である。その金崎にとって、悲願である大和の国侵攻の足がかりとなる土地が手に入るのだ。
色よい返事も聞けるに違いない。
そして一方継直も、周囲から領土を狙われているこの状況で、儂らの制圧に必要な兵力の問題を一気に解決する事ができる。
金崎領と面している地域の兵は、連合を組んでいる間は必要最低限まで削る事が出来るようになる。おまけに金崎からも、儂らを攻め滅ぼす為に兵を出させる事まで出来よう。
もし儂らの方が金崎よりも打倒する優先順位が高いならば、そして継直が御館様より奪い取った国土を仇敵の金崎にくれてやったと仮定するならば、かように説明がつく。ついてしまう。
「……それで? 『近々襲う』という事は、まだ動き出してはいないのだな?」
「はっ。馬を乗り潰しながら早駆けしてまいりましたので、おそらくは。私が東の砦を出たのは早朝です。また東の砦に、乱波からの報せが届いたのは夜明け前でした。ですので、昨夜まではまず間違いないかと」
「そうか」
東の砦まで、ここから一日。準備に一日……、いや急がせれば最低限の準備であれば、なんとか半日でできるか。
だが……、間に合わぬかもしれぬな。
が、捨て置く事も出来ぬ。何もしなければ、間違いなくその連合はここ藤ヶ崎に到達する。そうなれば、現状では打つ手なしだ。
「わかった。こちらからも兵を出す。儂らが着くまで、なんとか耐えよと申し伝えよ」
「はっ」
儂の返事を聞くと、報せにやってきた兵は頭を一つ下げて部屋を下がる。そして廊下を小走り気味に走って、また東の砦へと帰っていった。
「誰かあるっ!」
儂ものんびりしていられない。すぐに人を呼び、出陣の準備に取りかかった。
武士や陣夫などの招集。陣容の決定。物資、兵糧の準備。武具の手配。伝七郎らに分けてしまって足りぬ物資の手配。荷駄の手配。そして、それでも足りぬ物資や荷駄馬の徴発。特に馬は伝七郎らにくれてやっていて館にはほとんど残っていなかった。その分はどうしても町から徴発せざるをえない。
急ぎやらねばならない事だけでも、この様だ。まだまだある。急な報せに、戦場に着く前から、さながら戦であった。
夜、出陣に向けての準備は着々と進んではいるものの、未だ終わる気配はない。まだ皆走っていた。
その中儂は、菊の部屋へと向かった。
いざという時の為に、指示をしておかなくてはならなかった。今回は、守り切れる保証がない。もしもの時には、姫様をお連れして逃げてもらわねばならないのだ。
小僧と交わした約定もあるしな。
そう独りごちる。
これだけの事をしでかしておいて、またもや主を守れなかったなどという事にでもなったならば、流石に情けなさ過ぎるだろう。いや、それ以前の問題だ。そもそも儂が許容できぬ。
そんな事を考えながら廊下を進んでゆくと、すぐに菊の部屋へと着いた。
儂の娘ではあるが、他の侍女らと同じ部屋だ。ただ、姫様付の侍女衆――側仕えの中では上位にあるので、個室が割り当てられてはいる。
その娘の部屋だが、襖の間から光が漏れていなかった。すでに眠ってしまったかもしれないと声をかけてみるも、反応がない。
まだ姫様の元か……と、当たりをつける。そして、(しかしそうなると……)と、しばし考えた。
直接行って話をする訳にもいかない。話の内容が内容だ。
結局菊を呼びに使いの者を向かわせた。そして儂自身は、己の部屋で菊が来るのを待つ事にする。
部屋に戻ると油に火を灯し、部屋の奥へと腰を落ち着けた。そうして灯した油の光に、揺れる己の影を眺めながら、菊がやってくるのを待った。
しばらくすると、廊下から声がかけられる。
「父上。菊です。お呼びだとの事にございますが」
「うむ。入れ」
「はい。では、失礼します」
返事をすると、襖を開けて菊が中へと入ってくる。そして儂の前までやってくると、すっと両膝を折った。
「いきなり呼びつけて済まぬな。姫様のお側にいたのか?」
「はい。そろそろ姫様はお休みの時間なので、その準備をしておりました」
「む? 邪魔をしてしまったか?」
「いえ。咲さんが代って下さいましたので」
「咲?」
「私と同じ、姫様のお付きの者です」
「そうか」
どうやら姫様の寝床の準備をし添い寝を務めるところだったようだ。邪魔をしてしまったようだが、是非もなかった。
「それでな、菊」
儂はいきなり本題に入る。
言いにくい話ではあるが、話を先延ばしにしても仕方がなかった。それに、今は時間も貴重なのだ。
「はい」
改まって自分に話をしようとする父親に、菊は少々面食らいながらも、すぐに表情を引き締め直して姿勢を正した。そして、儂の言葉に耳を傾ける。
「いきなり呼びつけたのには訳があってな。実はこの町の東に、通称『東の砦』と呼ばれる砦があるのだが、そこに金崎の軍勢が侵攻してきているとの報せが入った。しかも、継直の大戯けのところの軍勢も、それに合流しているらしい」
儂がそう言うと、菊は目を丸くした。そして、その後すぐに目を細める。
「しかし父上。水島と金崎の因縁は決して浅くありませぬ。そんな――――」
そう言葉を続けようとする娘の言葉を遮り、説明をする。言いたい事は皆まで言わなくても容易に想像がついた。両家をそれなりに知る者ならば、誰だってそう思うだろう。
「うむ。お前の言いたい事はよく分かる。儂とて知らせを聞いた時には、我が耳を疑った。が、間違いではないらしい。あの奸賊めは、おそらくは国までも売り渡しおったのだ」
「そんなまさか……」
儂の言葉に菊は絶句する。それはそうだろう。国土を仇敵にくれてやる為に、御館様は国も命も奪われたのかと誰だって思う。一体何の為に御館様も奥方様も命を奪われたのかと思わずにいられる訳がない。
だが、菊には今その事を考えてもらいたくはなかった。姫様のお命の事だけを考えて欲しかった。だから、
「まあ、そちらの事は良い。儂が当たる。菊、お前には別に頼みたい事があるのだ」
と伝えた。
すると菊はすぐに頭を切り換えてくれ、話の先を促すように、真剣な表情で儂の目を見つめた。
「はい。どのような事にございましょうか?」
「正直、今回は守り切れるかどうかわからぬ」
「そんな父上っ!」
突然の弱気な儂の台詞に、菊はたじろいだ。儂がこんな台詞を吐くなどとは想像だにしていなかったのだろう。思わず腰を上げ膝立ちになり、思わず声を荒げてしまう菊。その表情は、儂を案ずる色で一杯だった。
だが儂はそれを黙らせる。
「いいから、しっかりと聞くのだ。菊」
儂を気遣っての事だとは重々に承知しているが、ここはきちんと気持ちを整理してもらわねばならなかった。さもなければ、姫様に危険が及ぶ。それは絶対に避けなければならない。
「はい……」
やや感情が高ぶりかけた菊を諭すように殊更静かに語りかけると、菊はすぐに返事をし、再び口元をきゅっと結んだ。そして浮いた腰を下ろすと、崩れた足を整え、その背筋をすっと伸ばした。
儂の次の言葉を待って、今はまっすぐに儂の目を見つめている。
それでよい。
儂は頷く。
そしてもしもの時に備えて、姫様を信頼する愛娘に再び託した。