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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第二章
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幕 平八郎(一) 暖かい小さな体

 彼奴らがこの藤ヶ崎にやってきてちょうど六日目の事――――その朝、伝七郎らは北の砦を奪い返す為にこの町を発った。


 それを見送る事はしなかった。儂はまだ、そこにいてよい者ではない。


 だからその様を、ただ遠くから見て思う。


 あ奴らは皆、幸せ者だ。姫様に見送られ戦えるのだから、と。


 少なくとも、かつての水島で腐り果てた家臣団の命で戦い死んでいった者たちと比べれば、間違いなく幸せだと思えた。十二分なほどに。


 そんな思いを胸に自室へと戻る。その間に気持ちを切り替えた。


 ここのところあの者らの手助けばかりしていたが、こちらはこちらでやらねばならぬ事があるのだ。


 部屋に戻ると、東の砦からの報告が来ていた。国境にきな臭い動きが見えるとの事だった。


 報告を見た当初はいつもの事かと思ったのだが、報告を読み進めて行くと、どうもそうではなさそうである。


 その内容が、いつものものよりも具体的で詳細だった。それに加えて、書簡自体にも普段は書かれない決定的な言葉が記されていた。


 金崎に本格的な侵攻の兆しあり――――。


 そう言葉にされていた。


 普段は状況の変化のみで、侵攻の兆しありとまでは言ってこない。そしてその根拠としての数字だ。平常時に報告されてくる数字とは比較にならないものが記されていた。移動している人と物資の量が文字通り一つ桁が違う。


 だがこの報告の本当に決定的な部分は、その数字をこちらが把握できた事に尽きる。


 おそらくは、金崎が巧遅よりも拙速を選んでいるが故だと推測できるからだ。侵攻の兆しがあると報告してきているのに、その報告される情報が普段よりもより細やかになっているというのは、その可能性が極めて高くなる。


 素直に最短に近い経路で、人や物資を移動しているのだ。だからこうまでも容易に、詳細な数字を把握できたのだろう。


 そろそろ動きがある、か。


 今まで小競り合いを繰り返してきたが、とうとう本格的な侵攻に晒されようとしている。


 正直、天を呪わずにはいられない。


 時が悪すぎた。伝七郎らを今見送った所でこれとは……と。


 そのせいで、北の戦線を下げる事ができない。東の砦に援軍を振り向けねばならないが、その為の兵を集めるにしても、ただでさえ足りない藤ヶ崎の兵を更に分ける――それだけしか方法がなかった。


 再度、現状をよく考えてみる。


 大きく動いているのは、報告にある金崎――北東方面だ。


 あそこは元々我々との因縁が深い家である事もあり、いつ動き出しても不思議はない。小競り合いは日常茶飯事に繰り返してきた間柄だ。そこに継直が反旗を翻した。金崎から見たら、まさに絶好機である。ここ藤ヶ崎は事実上孤立した状態なのだ。


 では、他の勢力はどうだろうか。


 まず大和の国は、現在ここ藤ヶ崎と継直の領土に別れている。


 しかし割れたと言っても、大和の国の大半を手中にした継直の領土は、ここ藤ヶ崎とは大きく状況が異なる。


 口惜しいが、あ奴は今回の一件を極めて手際よく進めた。それ故に旧領の戦力を、ほぼそのまま浪費することなく今の領土を手にしている。故に周りが手を出すには、単純に機ではない。


 兵の数だけで言うならば、御館様ご存命の頃の大和の国を攻め滅ぼすのとほぼ同数の兵が必要になるからだ。


 大和の国の周囲の領主どものうち、継直の領地に接してはいるがここ藤ヶ崎に接していない者たち――西の三浦、津田は動きが見られぬし、今後もまず動かぬだろう。単純に継直を攻め滅ぼすには、力が足りない。今少し継直が消耗していたら分からなかったが、まず間違いないだろう。


 南の霧賀が動くとしたら、まず始めにここ藤ヶ崎を攻めるしかないが、不文律ながらも水島家とは不戦状態が長い。今回このお家騒動が起こっても、特に動きはみられなかった。静観している。無論油断はできないが、おそらくはここも動かぬだろう。


 となると、金崎以外で一番警戒すべきは、やはり東の佐方だ。


 まだ具体的な動きは報告されてはおらぬが、あそこは機と見ればいつでも襲いかかってくる。


 当主の領土拡大に対する意欲――いや野望は、金崎の比ではない。儂らが弱って腹を見せれば、自慢の騎馬隊の機動力を駆使して、あっという間に攻め込んできて食い破ろうとするだろう。


 もっともそれは、ここ藤ヶ崎に限らず、継直の領も例外ではない。奪えそうならば奪う。佐方が攻め込んでくるとしたら、理由が単純明快だからだ。


 そんな事を考えながら、庭の木々を眺めていた。すると、


 バン――――――――ッ


 と、部屋の襖が大きな音を立てて勢いよく開かれる。そして、


「へーーーーえーーーーじーーーーぃーーーーっ!!」


 と叫ぶ姫様が、だだだっと駆け込んできた。


 儂の部屋で、こんな襖の開け方をする者など一人しかいない。が、なにせ一年間なかったので、思わず身構えそうになった。


「姫様っ! お待ち下さい、姫様っ! そんなに走っては危のうございますっ!」


 遠くで、慌てたようにそう叫ぶ菊の声が聞こえた。そしてすぐに、急いで後を追って走ってきた菊が息を弾ませて、この場に着いた。


 もっともその時には、すでに姫様は儂へと飛びつき、抱きとめた腕の中でご満悦だったが。


 まだ部屋の入り口で息を弾ませている菊を尻目に、


「おーー。ひげーーーー。ひっさしぶりなのじゃーーーーっ。ごっわごわなのじゃーーーーっ」


 と、儂の顎髭を引っ張って笑っておられる。少々痛い。


 そんな姫様を見て菊は、「姫様っ! はしたのうございますっ!」と目をつり上げた。


 しかし姫様は、儂の腕の中で、ただただ楽しそうに笑っていた。


 そんな姫様を見ていると、ここ一年の色彩のなかった生活に色が戻った気がする。


 やはりこの温もりを、継直の野心の贄になどできぬ。これはなんとしても守らねばならぬ温もりだ――――。


 姫様の幼子らしい暖かさに、その思いが強くなるのを感じた。


 そんな儂の思いを知ってか知らずか、姫様は相も変わらず髭を引っ張ったり、子猫が甘えるみたく顔をぐりぐりと儂の胸に押しつけたりと、やりたい放題好き放題だった。


「もう姫様は……」と、折角説教をしても話を聞いていない姫様に、菊は眉を八の字にして溜息を吐く。儂としては「まあまあ……」と宥めざるをえない。


 だが菊は、そんな儂をじっとりとした目で見据えて言った。


「父上はすぐにそうやって姫様を甘やかすのですから。甘やかしてばかりでは、姫様の為にはなりませんよ?」


 う、うむ。


 しかし、本当に真面目な娘だ。この娘はいったい誰に似たのだろうな。これの母も儂も、ここまで堅くはなかった筈だが。はて……。


 結局極めてごもっともな事を言う娘に押されて、「是非もなし」と悔し紛れに一言呟くだけが儂の精一杯であった。


 姫様も菊も、伝七郎らの見送りの帰りとの事だった。先程儂が見ていた時からは大分時間が経っていると思うが、それでもその間ずっとあの場にいたらしい。出兵の檄だけではなく、どうやら本当に見送っていたようだ。


 そして部屋へと戻る途中で突然姫様が、「平じいはいずこかや?」と尋ねられたそうだ。そして、「せっかくいっしょなのに、ぜんぜんあそんでくれんのじゃあっ!」と思い出したように騒ぎ出したとの事だった。


 菊はうっかりと、「部屋ではないですか」と答えてしまったらしい。


 以降は――――まあ、姫様らしいと言えば、らしい出来事だった。


「それにしても、姫様は儂の部屋をよくご存じでしたな?」


「んみ? そんなの簡単じゃぞ? おりそうなとこをばーーっと開けたらやっぱりおったのじゃっ」


 ばーーっと適当に開けられてしまった訳か。


 どんなもんだとでも言わんばかりの自慢げな笑顔で、姫様はふんぞり返っている。


 おっ、とと、危ない。反り返って落ちそうになる姫様を抱き直しながら、本当に天真爛漫な事だと苦笑が漏れた。


 菊の奴もそれを聞き、再び困ったような表情をして溜息を吐きながらも、堪えきれずに笑顔を漏らしていた。




 だがそんな暖かな時間は、たった一つの冷たい報せに押し流されていった。


 翌日の昼前の事だった。

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