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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第二章
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幕 平八郎(一) 鳳雛

 廊下を進んで角を曲がると、姫様は廊下の途中で軒先に足を放り出し、ぷらぷらと遊ばせながら頬を膨らませて座っていた。


 儂らがやってきた事に気づき、顔だけをこちらにお向けになる。


 そして開口一番、「たけるはひどい奴なのじゃ。見たか、でんしちろー? いつもあーやって、妾をいじめるのじゃぞ? 『めっ』なのじゃ。ちゃんとおしおきしてたもー」と両腕を振り上げ、力一杯に訴えかけてくるのだった。


 名指しを受けた伝七郎も、眉を八の字にしてどうしたものかと苦笑いだ。


 結局皆で、小僧が悪いと姫様に同調しつつ、あの手この手で姫様を宥めた。


 ただ、この加減が難しい。


 いっそ小僧を悪し様に言えれば楽なのだが、姫様の目に入らぬ所に置けば良いと儂が言えば、「妾をいじめるのは『めっ』なのじゃ。でも、たけると会えなくなるのはやーなのじゃ」と何をどうしろというのかという言葉が返ってくる。


 ただ他の二人にとって、これは容易に想像がついた答えだったようだ。儂が姫様にそう言った段階で、揃って「「それは駄目かと……」」とまったく同じ言葉を口にした。


 その後も、大の男三人が揃って廊下に膝をつきながら、姫様の訴えを――というか、正味小僧の悪口を聞き続けた。


 すると、興が乗ってきたらしい姫様は立ち上がる。そして体を一杯に使って、今までどのようにして小僧が姫様をいじめてきたかを力説しだした。


 嵐が過ぎ去るのを、ただひたすら待つ船乗りの心境で待つ事しばし――――。


 さんざん悪口を言ってようやくすっきりしたらしい姫様が「よきにはからうがよいぞ」と高笑いをなさった。


 何をどう良きに計らえば良いのか……。


 それは多分、ここにいる三人全員が分からなかっただろう。しかし儂らは、揃ってただ首肯するのだった。


 やはり、紛う事なく姫様であった。日々健やかにお育ちのようで、何よりである。


 この後、すっきりとしてにこにことご機嫌な姫様と、菊ら侍女衆を、揃って館の奥へと案内した。


 そこは、当主の間を含め水島家の方々のみが使用できる領域だ。


 当たり前の事ながら、その辺りの警備はこの館でもっとも固い。流石に富山の館程ではないが、それでもここ藤ヶ崎に限れば、姫様がお過ごしになるのに一番相応しい場所と言える。


 この藤ヶ崎の館は、政務が行われる棟などがある土地と隣接しており、門一つで繋がっている。またその機構の一部に至っては、屋敷の中にも置かれていた。


 故に純粋に水島家のお屋敷と呼べる部分は、まとめて奥に集められているのである。


 姫様らをその領域にある当主の間へとご案内した後今度は、姫様をお守りし、ここまで戦ってついてきてくれた忠勇の士らの寝床の手配を開始した。


 これには一つ、当てがあった。


 幸いというべきかどうかは難しいところではあるが、ここ藤ヶ崎から出ていった者らの屋敷である。


 これを流用すれば、この場をしのぐ事ぐらいは容易に出来るだろう。中級武士どころか、上級武士の屋敷だった建物も空いている。どれもつい先頃まで、そこで人が生活していた建物だ。臨時の宿としては贅沢すぎる程であった。


 ただ念の為に使いの者を走らせ、無人となった屋敷町の館のいくつかを確認させる。すると、やはりまだ出て行って日が浅い事もあり、そのまま使えそうだとの報告が上がってきた。


 その報せを受け、儂はその旨を伝七郎へと伝えた。


 ただ、今日の所は流石にすぐのすぐという訳にもいかないので、館の方に入ってもらう。屋敷への割り振りは、明日以降だ。


 伝七郎らは、正門を潜るとすぐにある広場に兵を入れ、そこで各部屋へと割り振っていった。儂はその様を眺めながら、手の回らぬ所を埋めていく。まだこの藤ヶ崎を姫様の手にお渡しできていない以上、それは儂の役目だった。


 その作業はなんとか夕刻前には終わった。西の空を見ても、まだ焼けてはいない。


 そしてその他一通りの手配も終わる頃、伝七郎が声をかけてくる。


「平八郎様、何から何まで本当に有り難うございます」


 そう言いながら、頭を一つ下げてきたのだった。


「構わぬ。このぐらいの融通は利かせてやらねば、またあの小僧に何を言われるか分かったものではないからな」


「ふふふ。『潔く北の砦に単騎突撃してこい』ですか?」


「応よ。まったく、年寄りは大切にせいと言っておけ」


「ふふふ。はい、伝えておきます」


 先の論戦で、最後に小僧が言い放った言葉を出汁にして少々はぐらかしてみたのだが、どうも見透かされているようだ。だが、それならばそれでよかった。


 そんな事を考えていると、伝七郎はふっと空を見上げた。


 その視線の先を追ってみると、魚の鱗のような雲が青空に広がっている。だが、その他には(とび)が一羽飛んできたぐらいで、特に目を引く物は何もなかった。


 しかしとても感慨深そうな目で、空を眺め続けていた。


「どうかしたのか?」


 その様子が気になり、再び儂も空を見上げた。二人して空を見上げている姿は、端からみればさぞ滑稽だったろう。


 しかし、見上げた空にはやはり何もない。今度は注意深く目をこらして眺めたが、何もなかった。先程やってきた鳶がくるくると回っているだけである。


 だが伝七郎は、その何もない空を見上げたまま動かない。


 しかししばらくして、


「ちょうど……」


 と、伝七郎はまさに言葉を漏らすような声で話し出す。


「うん?」


「ちょうどあのように、突然やってきたのです。武殿は……」


「ふむ」


 見ていたのは鳶……か?


「そして、絶体絶命の私たちを救ってくれた。自身の命を張ってまで。信じられますか? その時まで私たちの誰とも縁もゆかりもなかった人物なんですよ、彼」


「…………」


「あの方は、この世界と異なる世界からやってきたそうです」


「……戯れ言か?」


 異なる世界とな? まあ、あの小僧は能力うんぬんばかりでなく、色々と普通ではなかったが……。


 だが、それ故にこうも人を引き寄せるのだろう。伝七郎とて人を見る目はあるが、決定的なのは姫様だ。


 姫様は本当に人を見ている。現に昔から継直には懐かなかった。おそらく他の誰よりも、あの叔父の醜さが見えていたのだろう。その姫様にああも懐かれているのだから、それは本物と言える。


 そしてそれが本物だという事は、同時に本物の馬鹿だという事に他ならない。今の伝七郎の話の通りであれば、本気で縁もゆかりもない女童をあれは守る気なのだ。


「いえ。誰が聞いてもそうとしか聞こえぬ話でございますが、少なくとも本人はそう申しておりました。私に菊殿にたえ殿、そして姫様を前にそう言いました。そしてその後の付き合いから、まず本当だと確信しています。その考え方、知識、そして知恵……、そのすべてが異質なのですよ。思考一つとっても、あきらかにこの世界の常なるものとは異なります。私も殻を破ろうと懸命に足掻いておりますが、正直殻の三つや四つ破っても同じ境地に辿り着ける自信がありません」


「…………」


「異世界からやってきた。その言葉が嘘か真か――本当のところは結局武殿本人にしか分からないでしょう。なにせ異世界ですから。そんなものの存在を知っている人物が他にもいるとは、とても思えません」


「だろうな」


「ですが、その知勇で私たちを救ってくれた事は、紛れもない事実です」


「なる程な」


「はい。あの方は、姫様を守る為に天が遣わされた人なのです。少なくとも私たちにとっては。……そうですね。さしずめ鳳でございましょうか。いや、彼はまだ若いので鳳雛と呼ぶべきかもしれませんね」


 鳳? 鳳凰の鳳か? 霊泉の水を飲み、竹の実のみを食し、梧桐(あおぎり)の枝にとまるという瑞鳥――その雄の方……だったか。


「不幸にも姫様は、この度揃って両親を失い、身一つでこの乱世に放り出されました。しかしそれに時を合わせるようにして、強力な守護者が天より遣わされてきたのです。まるで、聖天子の誕生を知らせるという鳳凰の伝説そのもののようではございませんか?」


 秋空を気持ちよさそうに舞う鳶を見上げながら、伝七郎は憧れるように、だが少し悔しそうにそんな話をした。


 異世界のう……。そんな奇っ怪なものが本当にあるのかどうか、それは確かに誰にも分からん。無論、儂にも分からん。だがあの小僧が才気あふれる者で、剛胆であり、なおかつ味方である事だけは確かだという事か……。


 話を聞く限り、姫様にとっても、そしてこの伝七郎にとっても、もうすでに特別な者であるようだな。それだけは、これまでの皆の言動で感じ取れた。


 そしてそんな儂の予想を裏付けるように、伝七郎は更に言葉を繋いだ。


「正直、三島盛吉と八島道永率いる追手に迫られた時はもう駄目だと思いましたよ」


「…………」


「最悪姫様だけでも逃がしてみせると、覚悟さえ決めたのです。そうしたら、天から鳳の雛が転がり落ちてきましてね。そう言えば、落ちてきた勢いで、三島盛吉は討ち取られていましたよ」


 話ながら思い出したのか、伝七郎は先程一瞬見せた表情を隠し、なんともおかしそうに「ふふふ」と笑った。


 それは何というか……。盛吉の奴めも災難だったのう。まあ、相応しい最後か。


 因果応報とはよく言ったものだ。


「その一件に始まって、武殿はその類い希なる知恵で、姫様どころか我々までも守り切ってしまいました。信じられますか? 武殿がはじめて指揮を執った道永との戦い……、私たちは死者を一人も出さなかったのです。一方的に三倍近い道永の兵を葬ったのですよ。武殿は『あれは偶然。出来すぎだ。二度とできん』などと言っておりましたが、私に言わせれば一度でも出来れば十分ですよ。十分すぎる程に異常です」


 確かに。その一度で姫様を救ったという事実だけが重要だ。もう一度出来るかどうかは問題ではない。それにあの調子では、同じ事は出来ないかもしれないが、それに近い結果は何度でも出しそうだ。或いは違う方法で何とかしそうである。


 それは『同じ事は出来ない』という事になるのだろう。そのぐらいの虚言、あの小僧ならば平気でしそうだ。


「まあ何にしても、だ。あの小僧がどれ程の知恵をもってお前らを救ったかは、儂には分からん。が、お前がそれ程に言うならば、それは本物なのだろう。だがな、伝七郎……」


「はい」


「先程お前は、あの小僧が本物だと言ったな?」


「はい」


「ならば、それと共に戦ったお前らも、また本物よ。もっと胸を張れ。仮にお前の言う通り、あの小僧の力に寄るところが大きかったとしよう……」


「はい」


「しかしその鳳の雛が天から落ちてくるまで、姫様を守り切ったのは誰だ? お前らではないのか? あの小僧が姫様を守り切った事と同様に、それもまた事実ではないのか? 違うかの?」


「……いえ」


「だろう。伝七郎、誇れ。お前も姫様を守ったのだ」


「はいっ!」


 儂の言葉に本当に納得したのか――それは分からない。知るのは伝七郎のみだ。だが伝七郎は、話を始めてから一番良い顔で返事をした。

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