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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第二章
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幕 平八郎(一) 会議が終わって

 話に決着が着いた後、北の砦攻略に辺り、小僧は姫様や菊をここ藤ヶ崎に置いていくと言った。託すると。


 そして、もしも何事かあったならばこの儂の首をもらうという。


 それを聞いた時、再び笑いがこみ上げてくる。が、なんとか堪えた。


 儂は心から満足していた。


 変わった儂の気配を察したか、伝七郎や、姫様を守っている者も先程から気配が和らいでいる。


 そのせいもあり、謁見の間は全体的に穏やかな空気に包まれていた。


 しかしただ一画、むしろこの時を待ちわびたとばかりに緊張感を高めている場所があった。


 そこには、小さな眉根に皺をつくって、小僧をじっと睨む一対の目があった。姫様である。その後ろでは菊が、そんな姫様に暖かな視線を注いでいた。


 ほほう。姫様にここまで甘えられるか……。


 今にも唸りだしそうにしている姫様を見て、そう思う。


 これ程までに姫様が感情をむき出しにして不平を漏らしたり我が儘を言うなど、相手が限られる。大したものだと言わざるをえない。


 そして何より……、菊だ。


 とても柔らかな表情を浮かべて、姫様の視線からなんとか逃れようと足掻いている小僧を見ていた。


 姫様にというならば分かるが、菊が男にこの様な表情を見せた事など、儂が知る限り今までになかった。


 最近益々母親の若い頃に似てきた。今の菊の顔……遠い昔に見た記憶がある。婚姻を結ぶ前、まだ幼なじみで恋仲だった頃に見ていた妻の顔にそっくりである。


 菊の浮かべている表情に、今は亡き妻の若かかりし頃を見ていると、同じく菊に気をとられて姫様を放ったらかしにしてしまっていた小僧が、更なる怒りを姫様にぶつけられていた。


 あれはもう、怒りがどうこうと言うよりも、癇癪である。


 小僧が姫様を千賀と呼び捨てにした時には少々驚かされ、また口を挟もうとさえ思った。しかし頃合をはかるべく黙って話を聞いていると、当の姫様は呼び捨てにせずに『姫様』と小僧が言っていた事がお気に召さなかったようだ。


 小僧は儂を糾弾する為に、敢えてそうしたのだろうという事は容易に想像がつく。しかし、そんな事は姫様には関係がなかったようだ。まるで重大な裏切り行為を働いたかのように怒っておられる。


 伝七郎といい、菊といい、そして姫様まで……いや、それだけではない。姫様をお守りしている部隊長らしき男とも小僧はやけに親しげに見える。出会ったであろう時期から考えると、これは異常だろう。


 そして、こうして異常だと言っている儂とて、今しがた此奴を認めたばかりである。皆の事をとやかく言えはしない。


 やはり、面白い小僧だった。


 そんな事を考えている間も、姫様の小僧への詰問は続いていた。すねる姫様に小僧は困惑しながら、どうしたものかと必死になっていた。そしてそれを見る他の者たちは、何事でもないかのように皆優しい顔で、その様子を見守っている。


 そこには新しい水島の姿が確かにあった。


 御館様が、臣下の腐敗ぶりを嘆いておられた頃の水島ではない。新しく生まれ変わろうとしている水島がそこにあった。


 込み上げてくるものがある。しかし威信に賭けて、それは堪えた。


 間違いなく水島は生まれ変わろうとしている。それが嬉しかった。


 そのような事を考えている内に、姫様と小僧の話は儂の事についてへと移っていた。どうやら姫様の目には、儂が小僧にいじめられているように映っていたようだ。故に、儂をいじめる小僧に抗議をして下さっていたのだ。


 ああ。今も本当にあの頃の姫様のままなのだなあと、富山にいた頃の記憶が甦ってくる。そして、再び胸が熱くなった。


 そんな幸せを感じながら、姫様に押されて困っている小僧の方に目をやってみる。そこには、先程まで儂とやり合っていた者と同じ人物とは思えない若者がいた。あの小僧が幼い姫様相手に、たじたじになっている。


 なるほど……と、思えた。


 すると、少々の悪戯心が湧いてきた。そしてその思いに任せて、儂は姫様の言葉に乗る事にした。


 当然小僧はそれに異議を唱えてくるが、まあ聞こえないふりだ。先程までの事を考えれば、このくらいの仕返しは許されるだろう。


 そんな儂の態度に考えを読んだのか、小僧はこちらをどうこうする事は諦め、再び姫様に向かって説き始めた。


 ただどうやら、意見の修正は諦めたようだ。あれはまるで、やられたままでは気が収まらん子供がやり返そうとしているかのようである。そして、儂のその推測は間違っていなかった。


 姫様が小僧にからかわれていた。


 まんまと小僧の思惑に乗ってしまった姫様。小僧はどうだとばかりに得意げな顔で姫様を見下ろす。負けた姫様はふくれっ面で、小僧を見上げながら見事なまでの捨て台詞を吐いて部屋の外へと走って行かれた。


 今、姫様の周りは暖かかった。


 それがとても喜ばしく、御館様がご健在の頃よりこのような水島であったならばという思いが胸を過ぎった。暖かな気持ちになりもしたが、同時にひどく悔しくもあった。


 だが、それでも不幸中の幸いだと思うほかあるまい。


 こんな事になって、姫様がどのようになっておられるか――なるべく考えないようにしてはいたが、それでもやはりとても心配だった。


 伝七郎や菊がいるからと考えていた。それは今考えても間違いのない事ではあるが、実際の所、儂の逃避でもあったのかもしれない。考えれば揺れるから、考えないように逃げていた――――のかもしれない。


 ましてこの様な不幸に見舞われた姫様に、追い打ちをかけるように裏切らねばならぬと覚悟をしていた身だ。命を失うよりはとましといえども、それが姫様のお心にどれ程の傷をつけ、影を落とす事になるかと考えれば、不安にならずにはいられなかった。


 しかし、こうして久方ぶりにお会いした姫様は姫様のままだった。沢山の愛情に包まれながら、哀しませたくないと奮闘する者たちに守られていたからに違いない。きっとそれ故に、姫様は安心して姫様でいられたのだ。


 むろん、幼子が無理やり父母から離されたのだ。何事もなかった場合とまったく同じという訳にはいかなかっただろう。だがそれでも、姫様はなんとか笑えていた。それは、この者たちの何よりの成果だった。


 この者らの想いに包まれる事によって、姫様はなんとか姫様らしくある事が出来たのだ。


 それで間違いないだろう。先程小僧に拗ねて甘えて見せていた事からも、それが容易に想像できた。惜しみなく愛情を注がれてきたからこそ、姫様も安心してあのように我が儘が言えた筈だ。


 きっと小僧は姫様と出会って以降、ずっと同じように接してきたに違いない。だから小僧に姫様と呼ばれた時、まるで捨てられたかのように感じて不安を覚えたのだろう。だから姫様は、小僧がそう呼んだ事が許せなかった。


 こんな状況だ。姫様が頼れるものは、自分に向けられている愛情だけだ。それだけが心の支えなのだから、それが失われたかのように思えてしまったならば、それは姫様にとって到底許容できなかったに違いない。


 それ故に怯え、怒ったのだ。


 姫様はまだまだ幼い。その思いをご自分で理解してなどいないだろうが、おおよそこれで間違いないだろう。


 これは裏返すと、小僧はそれ程までに姫様に信頼されているという事に他ならない。姫様がそのように振る舞われて、そこまで嫌だと感じる人物などごく限られているだろう。


 その内の一人に、まだ出会って間もない小僧が含まれている。


 これは十分尋常ならざる事だ。が、それが現実である。上辺だけでなく、小僧が本当に姫様を可愛がったが故に、そうなってしまったのであろう。


 やはり、これでよかったのだ――――。


 そう改めて思った。そして儂は、部屋を飛び出した姫様を追うべく腰を上げた。


 ふと見ると、伝七郎と護衛の者がすでに立ち上がり、姫様を追って部屋を出ようとしていた。


 儂が腰を上げたのに伝七郎が気付く。そして部屋を出たところで、もう一人の男と共に儂を待っていた。


 そして部屋を出たところで、伝七郎が声をかけてくる。


「平八郎様。お久しゅうございます」


 なんの遺恨もないと言わんばかりの清々しい笑顔で、伝七郎は静かに頭を下げてきた。


「伝七郎。本当に久しいな。息災だったか? それにしても主は変わったな。まだ最後に見て一年程だというのに……。真に立派な若武者になった」


「有り難うございます。それなりに色々ございましたので、多少は成長できたかもしれません」


 そう言って伝七郎は、浮かべていた笑顔を自嘲的なものに変えた。


 それはそうだろうと思う。これだけの事があったのだ。それが良いものか悪いものかは別にして、何も得るものなどなかったなどという事はあるまい。


「さもあろう。それはそうと姫様はどちらへ?」


「あちらの方へと走ってゆかれました」


 儂が問うと、伝七郎は北へと延びる廊下の先を指さした。


――――ふむ。庭の方か。


「では、参ろう」


 そう二人に声をかけ歩き出そうとしたところで、先程まで姫様の護衛をしていた者もが声をかけてくる。


「その前に、遅ればせながらご挨拶だけでもさせて下さい。この度新たに将として抜擢され、家臣団の末席に身を置く事になりました犬上信吾と申します。以前は御館様のお取り立てにより、館の雑用係として働かせていただいておりました。未熟の身ではございますが、今後ともよろしくお願い申し上げます」


 そう言ってその者は深く頭を下げ、丁寧な挨拶を寄越してきた。


 ほぉ。雑用から将へとな……。


 その言葉に若干の驚きを覚え、伝七郎の方を見る。だが、本当の事のようだった。まったく言葉を足す様子すらない。


 血で縛られていた以前と、こんな所からしてもうすでに違うのだな……。


「そうか。信吾……、でよいかの?」


 と先程の若者に問いかける。


「はっ」


「では、信吾。水島にいた者ならばすでに知っているとは思うが、儂は永倉平八郎。だが、だ。まだ気を抜いてはならぬぞ? 儂はまだ姫様の軍門に降った訳ではない。まだ『敵』なのだ。そう考え、油断なく姫様をお守りせよ」


「はっ」


「ふふ。平八郎様も相も変わらずのようで。この伝七郎も安心致しました」


 儂が信吾にそう伝えると、伝七郎は楽しげに笑ってそう言った。儂もそれに釣られて、かすかに頬が緩む。


 だがその直後、伝七郎はすっとその表情を引き締め、儂の目を真っ直ぐに見据えた。そして、儂に対して誓いを立てるように宣言する。


「しかし私は、必ずや永倉平八郎を姫様の軍門に降してみせます」


 静かなれど熱い決意を持って、儂にそう誓ってみせた。


 …………やはり、相当に成長している。もはや私の知っている若武者の伝七郎ではない。一人の将――佐々木伝七郎だった。


 喜びが込み上げてくる。だが儂は、それを見せてはならんだろう。


 かつて儂を育てて下さった方々のように、儂が伝七郎ら若者に対してしてやるべき事、伝えるべき事、そしてとるべき態度がある。今度は儂の番なのだ。


「応よ。見事なし遂げてみせよ」


 大様(おおよう)に頷き、伝七郎の前に立ちはだかる。


「はっ」


 伝七郎はそれに軽く頭を下げ、短くも鋭い返事を持って応えてきた。


 それを見届け、緊張していた空気を緩める。


「さあ、いつまでも姫様をお一人にしていてはいかん。後を追うぞ?」


「「はっ」」


 儂がそう声をかけ廊下を歩き出すと、二人も儂の後ろについて歩き出す。


 この時、久方ぶりに将としての己を思い出した気がした。

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