幕 平八郎(一) 神森武 その三
だが、間違いない。
こやつはすべてを見通した上で儂に戦いを挑んでいる。若さゆえの激情に任せるままに、ただ突っ張っているのではない。
それはしかと感じ取れた。
その後も神森は、儂の誤りを説いた。だがそれまでとは異なり、明らかに儂の思いを汲んで行われる。自身の立ち位置と話の要旨は全く同じでも、明確にその筋書を変えてきた。
神森は変わらず儂の謀反を指摘し続ける。が、その口ぶりは、その謀反が”振り”であると見抜いていた。
それは断言できた。さもなければこのような言い方にはならぬ。
もっとも、それでも謀反には違いない。だから振りであろうとなかろうと、彼奴の指摘は正しい。それに、振りに留まるかどうかも未定なのだから。
神森はそれを正確に読み取った上で腹を据え、正面から理を説きに来たのだ。
この歳でその理を理解しているだけでも大いに異常なのだが――と思わずにはいられなかった。
無論こ奴の言葉に反論するだけならば如何様にも出来よう。だが儂自身は、その言葉を正しいと認めていた。
ただ儂は、それでもその道を行かねばならなかった。理に反しようとも。
そしてそれは、神森とて承知しているだろう。何せ”すべて”を分かって言っているし、やっている。それはほぼ間違いないのだから。
つまりこの者は、儂が容易に退かぬ事も承知しているのだ。
かといって、そんな儂を殺しに来ている訳でもない。いや、これは語弊があるか。これ程の人物なら、やむなしとなれば或いは殺す覚悟もしよう。
だが少なくとも”今”は、そのつもりではない。その筈だった。
となれば、退かぬと承知している儂を説得する方法を、こ奴なりに用意してきている筈である。
だが神森よ。儂が認める答えは一つしかないぞ。主はそれにきちんと気がついているか?
その疑問を控える事はできなかった。だから、一切を誤魔化さずそのままの言葉で問うてみた。
「……であるとして、主ならこれにどう決着をつける?」と。
これは儂にとっても正念場だった。
この答えですべてが決まる。儂はゆっくりと静かにそう問うた。が、この問いは下腹にこれ以上なく力が入った。
しかし神森は、儂のその問いに微笑みを浮かべる。
その表情に出ていた。儂の問いの意味が分からぬのでも、理解を誤ったのでもない。分かってなお微笑んだのだ、と。
そして、間髪を入れずに言ってのけたのだ。
「────理は説きました。ならば、次に我々が示すは力にございましょう」と。
「今貴殿が見たい物はただ一つ。刮目してご覧あれ。貴殿のあきらめたものを、我々が成してご覧に入れるっ」と。
期待に添う解答だった。
だが、それだけでは首を縦には振れぬ。
必要な言葉が足りない――その思いを込めて更に問う。如何にして、それをなすのかと。
神森は過たず、儂の聞きたかった言葉のど真ん中を射貫きに来ていた。もう間違いなかった。推測ではなく、この者は確実にすべてを理解している。
だから、今は願わずにいられなかった。今は亡き御館様に向かって、誓いをお主の言葉で宣べてくれ――――と。
そして儂のその祈りは、天に聞き届けられる。神森はついにその言葉を口にしたのだ。
「生き残らせて。姫様に仕える我々が、水島を生き残らせてご覧に入れましょう」
――――水島と言ったか。そうか、姫様と水島を生き残らせるか……。
誓いは立てられた――そう思った。
いや、確かに立てられた。それは間違いではない。
しかし神森の言葉は、そこで止まらず続いたのだ。
最後の最後で、神森は己が被っていた仮面を脱ぎ去った。素の顔を見せたのである。
そして神森は、『人』を説いた。後継者の力を信じろと。
それは神森がここに乗り込んできて以降、はじめて見せた若さだった。そして、それを隠さず晒しに来た。
若さ。確かに若さだった。が、それはとても心地よかった。
青々しく、とても熱い。そんな――若さを漲らせた主張だった。
嫌いではなかった。未熟者が変に斜に構えて、済まし顔で何かを悟った気でいる姿よりもよほど好ましく、また人物として信用ができた。
神森のこの態度の変化には少々驚かされた。が、端的に言って感心もした。ここまで、これを隠しきって演じてみせたのだから。その能力と人間性に更なる関心を持ったというのが正直な所だった。
いきなり神森に名前を出された伝七郎の方へも、視線をやってみた。しかし伝七郎は、儂の予想に反してまったく動揺していなかった。これまでにも感じられた事だが、儂の知っている伝七郎とは、やはり大きく変わっていると改めて思わされた。
かつての伝七郎であれば、こんな形で持ち上げられたならば、絶対に動揺を見せた筈だ。
だが今の伝七郎には、そんな素振りがまったくなかった。これは、その言葉を受け入れられるだけの覚悟がすでにできていたという事に他ならない。そして、この神森を心から信頼してもいるのだろう。だから変に動じる事もなく、大地に根付いた大樹のように微動だにする事ないままいられるのだ。
すばらしい成長だった。
これは、明らかにこの神森との出会いのせいだろう。
固く結ばれた信頼関係……。これは、他の何ものにも代えがたい。
神森の説く『人』は、この伝七郎を見れば否定のしようがなかった。
この、人の有り様、および人と人との絆というものは、歳を重ねれば重ねるほど否定したくなる。日々それを否定する材料ばかりが増えていくからだ。そして、信じるものではなく利用するものに変わっていく。
が、人が人以外のものに決してなれぬように、『人』も『人』以外の何かに変わる事はない。
なんのかんので確かに存在する。そしてどう時代が動こうとも、その存在と有り様は不変なのだ。
正義をなすのも悪事をなすのも――――。
仁義をなすのも、悪意憎悪を生むのも――――。
すべてが人であり『人』だ。そして、神森が自身の人を明かして見せたのは誠意だろう。儂との間の人間関係の醸成に他ならない。
若者がたどり着き説いた答えは、儂が望んだ容易ならざる答えを更に超えてきたのだ。
若者は、力の限りに理を説き儂に挑んできた。だが若者は、最後の最後でその理をあっさりと捨てる。そして、その代わりに『人』を説いた。
実に青臭い話だった。だが、それでよかったのだ。
現に儂は、この戦い儂の負けだ――と思っているのだから。
笑いがこみ上げてきた。いかなる戦いであれ、敗れてこれ程心地よいと思った事など未だかつてない。
そしてとうとう我慢できなくなり、儂は大笑した。
いきなり笑い出した儂に驚き、姫様はびくりとしたかと思うと、後ろに控える菊に飛びつく。そして、やや潤んだ瞳を大きく見開いてこちらを見ていた。
おお。これはいかん。驚かせてしまったようだ。
儂は姫様に小さく頭を下げ、詫びる。そして笑いの発作も治った所で、神森に問い直した。この一連の話を”どこ”に落とすつもりなのかと。
すると神森――――いや、小僧は自分の事は武と呼べと言いつつ、迷いなくそれに答えてくる。
さもあろう。ここまで用意周到に備えていた者が、その程度の事を考えていない訳がない。
――――己らの力で、継直に奪われた北の砦を落としかえす。
小僧は、儂の目を見据えてそう言った。
その結果を持って、自分らの実力を認めろと。そしてそのあかつきには、儂に姫様の軍門に降れと。
あくまでも自分達ではなく姫様の。これは男の情けだろう。
それにしても不思議な小僧だった。若さを見せたかと思えば、老練な気の遣い方もする。
だがいずれにせよ、十分に期待するに足る男だった。
故に、儂は小僧のその申し出を承諾した。
もしその言葉通りに北の砦を落としたならば、藤ヶ崎を姫様に譲り、儂自身も姫様の軍門に降ろうと。
これならば御館様もご承知下さるに違いない――と、”儂自身”がようやく己を説得する事が出来たが故に、だ。