幕 平八郎(一) 神森武 その一
正直驚いた。まさかそのまま姫様を先頭に置いて、真っ正面から道を空けろなどと迫ってこようとは……。
つい今しがた、青い顔をして館に駆け込んできた兵からそのように報告を受けた。
姫様を名乗る女童を立てた百人を切る一団が、町の南門にやってきたという。その一団の先頭には女童と娘、そして三人の若い男の姿があったとか。
その三人の若い男のうちの一人に主君を立ち惚けにさせるとは何事かと大喝され、確認する間もなく門を押し通られたとの話だった。
まず間違いなく本物の姫様の一行だろう。とすると、やったのは伝七郎か? いや、少なくとも儂の知っているあの者ならば、このような事はやれまい。となると、例の男の仕業か?
如何せん姫様や伝七郎の顔を知っている者は限られる。今我が陣営に残っている者では、次郎右衛門くらいか。そしてその次郎右衛門は、ここにはいない。
知ってか知らずか、それをうまく利用された格好だ。
だが、これをやるには少なくともいくらかの確信が必要だったろう。最低でも二つ――儂がこの場にいる事と、儂に姫様を退ける気があっても姫様を襲う気がない事。これに確信が持てていなければ、とても出来まい。
いや、確信があっても中々やれる事ではない。
儂がここにいる事は言うに及ばず、儂が何をしようとしているのかまですべて読まれている。正直まさかという思いを禁じ得ないが、そう考えるのが妥当だった。
しかもその上で、儂を臣下として扱ってきた。
酸いも甘いも経験してきた者がやるならば、優秀な者だとまだ素直に賞賛できよう。
だが、そんな者が同行しているとは聞いていない。
つまり伝七郎か、それと歳が変わらぬ者がやったという事になる。これは驚きを通り越して、正直恐ろしくも感じた。そのやり口と肝の座り方があまりにも歳に不相応すぎる。
しかし恐ろしく感じた反面、興味もかき立てられた。この後どうするつもりなのだろうか。
儂を臣下として扱うというならば、それでもいい。儂の計画とは相容れぬが、話によってはそれを受け入れる事も吝かではない。
だが、あの者らはきちんと『最後』まで道が見えているのか? そうする事によって姫様がどうなるのかをきちんと理解しているのか?
もし理解していないのならば――――、このような暴挙に出た責任はとらせねばならぬ。もしそうであるならば、到底許す事は出来ぬ。
そう思う一方で、ただただ彼奴らが本物であってくれと願わずにいられなかった。
だがその思いは胸にしまう。
「……者ども、支度せよ。その後館の前に整列。姫様をお迎えする」
そして皆の者にそう指示を出し、謁見の間を出て自室へと向かった。
姫様迎えるに相応しい姿に着替える為に。
この藤ヶ崎の水島館自慢の八脚門の前に、二百を下らぬ兵を並べる。彼奴らの二倍以上の兵数だ。
これを見た彼奴らの反応で、どこまで承知でこのように振る舞っているのか――それが分かるだろう。
儂自身も藍色の素襖を纏い、御館様をお出迎えするがごとく館の前に立って待った。
しばらくすると、町の方からこちらへ向かってくる一団が見えた。
姫様だった。横から伝七郎に手を引かれているようではあるが、本当に姫様を先頭にしてやってくる。
姫様の横には見知らぬ男の姿もあった。例の男だろう。後ろにいる巨漢の男は、おそらく護衛の長かなにかに違いない。また同じく、姫様に一歩下がって菊の姿もあった。
そしてその後には連れてきた兵らが続いている。その更に後ろで、藤ヶ崎の兵らがいくらか遠巻きにしながらついてきていた。
先頭を歩く姫様のお姿を目にし、思わず胸にこみ上げてくる物があった。がしかし、それはなんとか耐える。
これからの話によっては、儂は鬼にならねばならない。たとえ姫様を悲しませる事になろうとも――――。
そう何度も何度も自分の役目を確認していた。だが一行が近づいてくるにつれ、そのらしくない表情に気が付いた。
ん? あれはどうした事だ?
姫様は小さな口をくっと噤むようにして、地面ばかりを見ながら歩いていた。
まるで何かを堪えているかのような表情をしている。
伝七郎に手を引かれて素直について歩いてはいるものの、足運びもその表情通りだ。あまりにも姫様らしくない。
偶に横を歩く男を見上げては、きっとまなじりを決している。そして男が自分の方を見ていないのを確認すると、再び頭を垂れる。そんな事を何度か繰り返していた。
歩く姿がご立腹のようでもあり、哀しそうでもあり。なんとも言えない複雑なご様子だった。ただ、下唇を噛み尖らせた口とその重い足取りが、昔姫様がお拗ねになった時に見せていた仕草そのものだった。
それからしばらく待つと、姫様は館の前に到着なされた。
儂の姿を見た姫様は、先ほど遠目に見た拗ねたような表情をぱっと明るくされる。これから造反せねばならぬかもしれぬ身には、堪える笑顔だった。
心をぐらぐらと揺らされた。が、それに負ける訳にはいかない。
まだ、方針は変更されていないのだ。心を引き締め直す。
一方伝七郎と菊を見れば、どこかに表情を置き忘れたかのような無表情でこちらを見ていた。
それを見て、儂は心底嬉しかった。少なくとも、安易な事を考えてやってきた訳ではなさそうだと分かったからだ。
そして、例の男である。
驚いた事に、彼の者は立ち並ぶ兵らをうっすらと笑みを浮かべて見ていた。そして儂の顔に視線を向けてきた時には、鋭く挑むような光がその目に宿っていた――――。
それを見て、儂も悟る。これを計画したのは伝七郎ではなく、この男だと。
まだ若い。どう見ても伝七郎や菊と同じくらいの年頃の小僧である。
にもかかわらず、この肝の据わりよう……。
なんとか表情は隠しきったものの、正直驚嘆した。
儂の背には二百の完全武装の兵がいる。そしてあの笑みである。どう見ても、その意味が分かっていない訳がない。
分かっていて、なお笑っているのだ。彼奴らの倍以上の『敵兵』が目の前にいるにも関わらず……。
確かめたかった。どこまで承知で、その笑顔を浮かべているのか。そしてどこまで保てるのか。
儂は手札を一枚切った。
彼奴らを手勢に襲わせる為に合図をした”ような”仕草をしてみせた。
すると彼の男ではなく、姫様の直後に立ち護衛をしていた者が即座に反応した。躊躇う事なく、手にした槍をこちらへと向け構える。それに合わせるように、姫様の後ろにいた兵らも瞬時に戦闘態勢をとった。
菊は抱きしめるように姫様の後ろから腕を回す。後ろから掻き抱かれた姫様は、きょとんとした表情で辺りを見回していた。
護衛として、兵として、すばらしく優秀な反応だった。技量うんぬんではない。何よりも大事な、姫様を守るという意思において、この者らは『兵』足り得た。
だがお前らはどうだ? 『将』足り得るのか?
彼の若者と伝七郎は、若干焦ったようだ。姫様を挟んで、若者は左手を横に振り、伝七郎は右手を横に振っている。二人の視線は、儂を凝視したままだった。
だが、その意識はこちらを向いていない。はっきりと分かる。
その意識の向かっている先は、彼奴の味方――素早く戦闘態勢に入った姫様の護衛の者らだった。
そして後ろの将兵らは、若者と伝七郎の『思い』に即座に反応し、その指示に従っている。
期待以上の反応だった。
二人の歳でこの用兵は、驚異的とすら言っても良い。
特にあの若者の方。
姫様が富山を出られてまだ半月ほど。つまりこの者は、それだけの時間であの者らの心をこれ程に掴んだという事になる。
これは大変な事だ。
兵は人なのだ。将は兵を兵として見ざるを得ないが、実際は人なのだ。
それを理解する将は残念ながら少ない。しかし、兵をきちんと使いこなすにはその人心を掌握せねばならない。それができていない軍勢など、ただの烏合の衆同然である。そんな軍勢は弱い。
だが、目の前の者たちは『強い』とすぐに分かる。
そんな事を考えている間にも、二人の『思い』に応えるように、まずは姫様の後ろで護衛をしていた者が、そしてそれに続いて兵たちが順次戦闘態勢を解いた。
見事なものだった。
いったい何者だ? これ程に短期間で将と兵の心を掌握するなど……。
少なくとも水島の者ではないだろう。流石にすべての兵らに関してまで把握している訳ではないが、少なくとも将やその子息にこの様な者はいなかったと思う。
この男……、若いが決して油断をしていい相手ではない。……面白い。実に面白い。
彼奴を見ていると、自然と口角が持ち上がる。
そんな儂を見て、彼奴も再び攻撃的な笑顔を作った。
伝七郎らのこの行動――おそらくはこの男の考えた事であろうが、少なくとも甘い事を考えてやってきた訳ではなさそうだ。それはこのやり取りだけでも十分に確信できた。
後ろの兵らに跪くよう合図を送る。
今から戦うこの目の前の男に、儂は感謝せねばならん。
――――兵らに『攻撃』の合図を出さずに済んだのは、この男の成果である。
儂は、それを認めよう。