第九十五話 決戦の地に向けて でござる
「ありがとさん。よくわかった。少々風向きが怪しかったが、無事予想通りの展開に収まってくれたようだな。とりあえずは一安心と言ったところか」
「はっ」
信吾から話を聞き、俺は口にした言葉以上に胸を撫で下ろしていた。
俺たち自身がそうであったように、窮鼠猫を噛むという事は起こりうる。そしてそれが起こった時には、勝利が敗北に、敗北が勝利に容易に変わりうるのだ。
西の盆地は決戦の地の予定だ。
そこまでの戦運びに綻びはない方がいい。もっと言えば、そこに至った時点で決着がついている方がいいに決まっているのだ。
孫子は戦わずに勝つ事が最上と説いた。俺もその意見には大いに賛成だ。無駄に人命、資金、資源を使う事なく、相手が負けを認めてこちらに下ってくれるなら、それは確かに最上の勝ち方だろう。
できればその意見を積極的に採用したいところだが、残念な事に今の俺たちにはそれを望めるだけの国力はない。
なので次善の策として、勝負前に勝負をほぼ決めておくという手段をとったのだ。
その計画から多少ずれてもなんとかするだけの余裕はあるが、計画通りに事が進めば進むだけ楽に勝てるのである。それを望まない訳がなかった。
勝てない戦は避ける。勝てる戦はより楽に勝つ――――国を生き残らせ、強くする為の鉄則だ。
信吾の話で、俺たちは今着実に勝利への道を歩いている事が確定した。それを喜ばない理由などなかった。あとは、最後の最後まで油断せずに詰め切るだけである。
「それで武様? この後俺たちはどう動けばいいんです?」
「俺とお前の隊を合流させて、槍隊は俺が引き取る。お前は弓隊すべてを率いてくれ。そして前衛を信吾の隊にやってもらって、俺の隊を本隊とする。そしてお前の隊は遊撃隊――つまり俺の指揮系統から切り離して、お前の采配で自由に攻撃と撤退をする隊として運用する」
与平はたまにこくりこくりと頷きながら、俺の説明を真剣な顔をして聞いている。その様子を見ながら、俺は話を続けた。
「多分俺の隊や信吾の隊は、伝七郎と爺さんの挟撃を受けて逃げる敵を待ち構える役目になると思う。武器を持たない敵を相手に、遠距離攻撃可能な部隊まで待機させるのはあまりにももったいない。だからお前には俺たちとは別に動いてもらい、得意の斉射で臨機応変に伝七郎や爺さんを掩護してやって欲しいんだ」
この後、俺たちも西の盆地へと向かう事にはなっている。
一応殲滅戦が予定されているからだ。
殲滅戦とまでいうと少々オーバーかもしれないが、これと言って助ける意思はなかった。手間だから無理に殺さないだけだ。必要ならばいくらでも殺す。そういう戦を予定していた。
多分運が良いいくらかの敵兵が、なんとか投降の意思を示す事に成功するだけであろう。
そして、その戦の主役は伝七郎だった。奴が西の盆地の大将だ。
俺たちの役割は、あくまでも補助要員である。もしくは待ち伏せ要員と言ってもいい。逃げる敵を囲むなり、あるいは待ち伏せをして逃がさない役割だった。
先の信吾の話だと、西の盆地に今いる敵は連合軍ではなく継直の軍――種田忠政の部隊だ。
計画通りで何よりだった。
きっちり落とし前をつけてやる。最低でも、うちのガキを泣かせた分の百倍くらいは泣かせてやる腹づもりだった。
「わっかりました。要は永倉様や伝七郎様が奴らを始末しやすいように、奴らの勢いを削いだり誘導したりすればいいと。そういう事ですね?」
与平はにっこりと良い笑みを浮かべながら、その口調からかけ離れた結構辛辣な台詞を吐く。
しかしそれこそが、俺が言いたい事がよく分かっている証拠だった。
「ああ。『そういう事』だ」
俺も多分与平と同じ顔をしている事だろう。自重していないのだから、まず間違いない。そして『そういう事』の部分をわざと強調して言ってやった。
与平は他に何も問わず、ニィッと笑った。途端に良い笑顔が悪い笑顔になる。
「了解しました。任せて下さい」
そして、自信満々にそう言ってのけたのであった。
「では武様、我々もそろそろ次の準備に取りかかろうと思いますが、よろしいですか? もう間もなく木村殿もこちらへと参るでしょう。木村殿の到着次第、すぐに西へと向かえるようにしておきます」
そのやり取りを黙って聞いていた信吾が口を開く。与平と俺の話が終わるのを待ってくれていたようだ。
三森敦信がこの砦から東へと撤退した場合、種田の部隊と完全に分断する為に、一部の兵を主道と側道の合流点に残しバリケードを築いて、又兵衛自身はこちらへとやって来る事になっている。
無論、奪い返したばかりのこの東の砦を含めた指揮を執る為にである。
「ああ、頼む」
「はっ。ではいくぞ、与平」
「あいよー」
信吾の進言を認め、改めて頼む。この二人ならば、適切な準備をしておいてくれるだろう。
俺の承認を得ると、二人はすぐに兵たちの元へと向かっていった。
兵たちは各々思い思いに一息吐いて、心と体を休ませていた。
地面に直接座り込んだり仰向けに寝っ転がったりしている者たちも、腰に差した竹の水筒に手を伸ばし喉を潤している者たちもいる。
「おらおら、お前ら。そろそろ次の仕事だ」などと信吾が大きな声を出している。二人はそうして声をかけながら、兵たちの間を歩いて行った。
それを聞いた兵たちから「もうかよっ!」とか「うお~っす」とか、実に兵らしくない閉まらない応答が返ってきていた。
その返事から察するに、元々俺らと共に戦ってきた者たちだろう。これでもいざ仕事が始まると、ビシッと仕事をする者たちだった。
思わず苦笑が漏れそうになるが堪える。
号令をかけられた兵たちは立ち上がり、尻にいた土を払ったり、手に持っていた水筒を腰に戻したりしていた。
そうこうしている内に、又兵衛が隊を引き連れてここへと到着する。
「木村又兵衛他二十六名、ただいま到着いたしました」
「そっちはうまくいったか?」
「はっ、滞りなく。私と犬上殿が砦へと突撃を開始しますと、三森敦信は我々の方へと向かってきましたがなんとかそれを後ろへと反らす事にも成功し、以降は犬上殿と別れ私の部隊は合流点へと戻りました。後は計画通りに合流点東に馬防柵と炎の壁を築いて、現在二十名の兵が保全しております。また三森敦信は我々を貫いた後、こちらを振り返る事なく国元の方へと兵を走らせました」
「完璧じゃないか。ご苦労様」
「はっ」
へぇ、思いきりが良いな。腹が据わっている。判断も的確だ。三森敦信、本当にやっかいな敵のようだ。
それにしても俺の確認の言葉に、又兵衛は直立不動で過不足のない簡潔な答えを返してくる。
やや堅物ぎみではあった。しかし思った通り、彼は本当に出来る人物のようだった。
「さて、それじゃあ俺たちも西へ向かうとするか。こんな巫山戯た真似をしてくれた奴らに、きっちりと落とし前をつけてもらわねばな。継直の糞野郎にも、この際きっちりと叩き込んでくれる。俺らに手を出すという事がどういう事か――教育の時間だ」
「ごもっともですな。少々やりすぎた悪たれは、しっかりと叱ってやる事が肝要かと」
俺の言い回しに付き合って、又兵衛も持って回ったような言い回しで返してきた。意外にも、結構お茶目なところもあるようだ。
思わず俺は吹いた。
「はは。なるほどな。では、ちょっくらお説教をしにいってくるとしよう。又兵衛、ここは頼んだ」
「はっ。お任せ下さい、神森様」
又兵衛は律儀に頭を下げて、そう返事をする。
それを聞いて、(ああ、そう言えばまだ言ってなかったか……)と思い出す。
「そうそう、又兵衛。俺の事は武でいいよ。以降そう呼んでくれ。俺も普通に話す」
それを聞いた又兵衛、いつもの生真面目な表情のままもう一度頭を下げた。
「はっ。ではご武運を。武様」
「応っ!」
そんな又兵衛に見送られ、俺は信吾や与平の方へと向かった。もうそろそろ準備も整っている事だろう。
なんとか無事に、千賀やお菊さんとの約束も果たせそうだった。
これで今回の一連の騒動も終幕である。いよいよ大詰めだった。
そうである為にも、最後の最後まで気を抜く訳にはいかない。いつかのようにやらかす事だけは勘弁願いたかった。