第六話 異世界ってやっぱ異世界だね でござる
男には引くに引けない状況というものがある。不安げな瞳の幼女に蹴手繰りかませる奴は女にもてない。つか、男としてどうかと思う。
俺は女にもてた例はないが、チ○コをカッティングするつもりもない。つか、未使用で廃棄処分とか冗談ではない。
よって、あの状況の俺に選択肢は一つだった。大きく間違っていると他人は言うだろう。でも、俺の正義的にあれは引けないのである。
そうは言ってみるものの、引けないのだが、それでもそんな懸命なる言い訳を押しつぶすように、今度は言ってしまった言葉の重さが俺を襲う。
しかし、あの幼女に、そして、あの美少女……菊とか言ったな。お菊さんか? もとい、あの娘たちに死ぬ覚悟をさせるくらいなら、吐いた大言を吐き通して、重責でゲロ吐きながら足掻く方が遥かにマシである。ついでにババアも入れておいてやる。一応昔は女だった。だから、おまけだ。
先程から、言い訳となすべき事がシーソーのようにギッコンバッタンしている。どちらも上がって下がってを同じ場所で繰り返している。でも、もう俺自身、なすべきといっている時点で結論は出ているな。
「……武殿、このような所におられましたか。探しましたよ?」
「んあ? 伝七郎か。なにか緊急事態か?」
「いえ。……ただ礼を言いたくて」
「礼?」
「いえ。わからなくていいのです。ただ、私が礼を言いたかっただけですから」
陣近くの森の木の根元で俺が寝転んで唸っていると、奴が俺を見つけて、まるで悟りを開いた坊さんのような笑顔で、そんな訳分からん事を突然言い出す。
訳わからん。わからんが、わからんでも何も困りそうになかったので放置する事にした。
少なくとも俺の尻を狙っている訳ではなさそうだという事だけはわかったので、俺的にはそれで十分だ。ここは戦国時代じゃないけど、それに近いし、戦場だし、結構やばくね? と密かに戦々恐々としていたのだ。
つか、こいつの場合、イケメンの優男だから掘られる方か? まあ、いい。そういう考証は腐の分野であって、俺が踏み込んでいい場所じゃない。あれは魔境ぞ。入ると五分で肺が腐るという伝説の森に匹敵するだろう。五分で脳みそが腐る。
「よくわからんが、まあいい。それで、俺も協力するといった。おまえも協力して欲しいと言った。俺にどんな事を望んでいる? そりゃあ、この状況だ。千賀だったっけか? あの子の前で言ってたように、あの子たちを逃亡させるのを手伝えってのは分かる。けど、具体的にこれをしてくれってのは、もう決めてるのか?」
まず、ポジションの確認だ。これがはっきりしない事には手の出しようがない。
「武殿には私と共に知恵を絞ってももらいたいし、盛吉を一蹴できるほどの武芸達者なら、兵も率いていただきたいです」
「いや、そこはそれ……な? いや、もとい、別に兵を率いるのに必ずしも武芸に秀でる必要はないだろ? それに俺みたいなのがいきなり兵を率いようとすると、当たり前だが統率がうまくいかない。なぜなら、俺はまだ兵に信頼されていないからだ」
おーい。かなり無茶な事を言いやがりますよ? このイケメンは。
奴は迷うことなく言い切りやがりましたよ? いったい俺を何だと思ってんだ。 俺は化け物か? パラメータオール百のチートキャラなのか?
俺別に何かの武芸を修めている訳ではないし、あの槍なおっさんはただの偶然だ。おつむの方だって、どこにでもいるただのゲーヲタ高校生ですよ?
しかし、やっぱ個人戦闘能力が将器に繋がるんだな、こいつですら。こいつは結構頭が回る。そんなこいつですら、これって……。まあ、確かに数百人程度の小規模戦闘なら、完全に間違っているとは言えないが……。
「今現在はどういう部隊構成になっていて、それをどういう人物が率いていて、どう迎え撃つ策なんだ? それに現在この陣の持っている物資と現状の兵站はどうなっている? さっきおまえが千賀の所にいっている時に相手の兵数だけは聞いておいたが、戦力差四倍でやり合おうってのに無策という訳ではないんだろ?」
ネッツな知識と三つの国のお話やら野望的なシミュレーションゲームによる知識を総動員すると、結局物量万歳である。いなご作戦こそが最強の戦術なのだ。大兵力とそれを支える兵站。これに勝るものはない。
つまり、それに反する以上、無策で良い訳がない。しかし、奴は……。
「私たちには現在将はおりません。水島の臣は全員継直に付いてしまいましたから……。現状私がすべて統率しております。兵数は八十ほど。内訳は騎馬十弓二十槍兵五十です。物資は……正直乏しいです。ほとんど着の身着のままで逃亡しましたから……。矢などはそれぞれが持っているだけですので、実際のところ弓兵は足軽と変わりません。兵糧や水などは一日二食であと十日ほど。薪は森から取ってくればありますし、油などは一月分って所でしょうか? 大瓶を見つけてそれを持ってこれたので、若干のゆとりがあります。あとは……さくとへいたんというのはどういう意味ですか?」
っ!? な、なにっ? 策と兵站という言葉がない? そんな馬鹿なっ。
「ちょ、ちょっと待てっ。策と兵站がどういう意味とは、それこそどういう意味だ? 策というのは、事をより効率的に、容易になす為の手段であり、その具体的な方法だ。兵站というのは、人や物資の前線輸送等に必要な確保すべき補給線であり、また後方の支援組織との連絡線だ。これらがない戦争などありえない。こっちでは違う言葉になっているのか?」
ありえん。こんなのゲームですら基本中の基本。実戦においてはどちらも戦う前に万全でなければならないものである筈だ。つか、万全でないなら戦ってはいけない。そういうものだろう。それがないなど……。
「は、はあ。それに類するものはこちらではありませんね。基本的に私たちの戦とは、互いに全軍を並べて正面からぶつけ合います。力に勝った方が勝ちです。兵站というのは理解でました。こちらも類する言葉はありませんが、こっちはこちらにもある考えですね。戦場に運ぶ方法は考えます」
な、なんという脳筋ワールド……。それに、今の説明から兵站というものを誤解しているのがわかる。確かに運ぶ方法含めた前線の生命線の事だが、輸送方法それだけの意味ではないし、自軍から見ただけのものでもない。つまり、そういう意味でしか、こちらの世界にはないという事だ。
いや、ちょっと待て? 確かあの娘は……。
「なあ、伝七郎? さっき咲ちゃんが千賀の両親は姦計にかけられたと言っていたのだが……なのに策という概念がないのか?」
そう。さっきあの娘は確かにそう言った。姦計という概念があるのになぜ策がない?
「確かに咲殿言う通り、お館様方は姦計にかけられました。それと策? ですか?
さっき説明いただいたものがそれとどう繋がるのです?」
「いや、姦計も策の一つだろうよ。その名の通り誇れるものじゃないが、分類上は間違いなく策の一つだ。要は謀だからな。それに一般的には謀である以上、姦かそうでないかは、そのほとんどが立場の違いによる」
「んー。なるほど。完全には理解しきれていませんが、こういう事ではないかと今話を聞いていて思います。武殿の認識とこの世界の戦というものに対する常識とに差があるのではないでしょうか? 私もこれには常々疑問を持っておりましたが、古来からの慣わしとして、この世界では戦場に謀というものを持ち込んではいないのです。正面から力をぶつけ合う事こそが戦場の誉れとされております」
そんな馬鹿な……。有史以来、政治、戦争と謀は切っても切り離せないものである。あちらの世界の感覚から言って、これはカルチャーショックどころの騒ぎではないんだが。
つか、論理的にそんな事ありえるのか? そう問いたいが、現実にそうだと言われてしまってはどうにもならん。異世界ワールドの怖さを垣間見たな。
なんとなく、ずっとなんかがおかしいとは思っていたんだよ。隊列とか陣形とかばらばらだったり、なんか部隊の動き方が変だったり……。つまり、それ自体が答えだったんだ。ここには戦の真髄たる戦略・戦術論はおろか、ごく初歩的な策すらない。
策ってのは、基本どれも初見は必殺だ。これをかわすのは並大抵の事ではない。シンプルな策であればあるほど、その傾向は強いだろう。
まして戦場において策という概念のない世界では、戦術レベルの謀に抵抗する知識など、おそらくない。それはつまり、戦略レベルの謀には反応できる素地があっても、戦術レベルの謀にはとことん弱いという事だ。
そして、俺にはこちらの世界の流儀で戦争する気など鼻毛一本分もない。俺は齎された一筋の光明に頬が緩むのを禁じえない。だって、だってだ。それは即ち……。
「……。喜べ、伝七郎。もしかすると、もしかするかもしれん。なんとかなるかもよ?」
それは即ち、完全に詰みきった状況の俺たちに、助かる目が残されているという事なのだから……。