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姫様勘弁してよっ! ~異世界戦国奇譚~  作者: 木庭秋水
第二章
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第八十九話 強襲! 東の砦 ――潜入―― でござる

 今の今まで、この場にいない他の皆の事まで気遣えるほど余裕なんかなかった。それは傍目にも分かった。


 与平はまるで一歩前に進む度に逐一調査し直しているかのように、視線を上下左右に飛ばして、とても注意深く俺たちをここまで導いてくれていた。複雑な坑道の道程を、松明の明かり一つを頼りに案内してきたのだ。与平がいくら夜目が利くといっても、決して楽ではなかっただろう。


 だがこうして無事に着いて、ようやく心に余裕が出来たようだ。それで、そんな話題を振る気になったのだろう。


 作戦を皆に説明した折、俺は今回の作戦の配置にまで言及し指定した。


 東の砦の西――盆地北部に、伝七郎と源太。兵は騎馬で百。盆地南部に爺さん。兵は報告通りならば約四百。おそらくそのほとんどは槍兵で、騎馬兵は少々残っている程度だろうか。


 砦の東――街道と側道の合流点辺りに、信吾と又兵衛。兵は槍兵百に弓兵五十の計百五十。ここの部隊の最初の任務は牧羊犬だ。羊を西へと追う為に吠えてもらう事になる。しかし、三森敦信が又兵衛の言っていたような剛胆且つ優秀な将ならば、連合の兵のうち金崎の兵は、おそらくこちらへと向かう。その為の備えでもあった。


 あとは俺と与平の部隊で、槍兵五十、弓兵五十の砦奇襲部隊である。


 伝七郎と源太は盆地北部の森の中に潜伏している。爺さんの所にも、早馬として走ってくれた兵をもう一度向かわせた。爺さんらが隠れている場所を知っているのはあの兵だけなので無理をさせる事にはなったが、おかげで時間の無駄を最小限に抑える事が出来た。


 こうして、(あらかじ)め作戦の概要とこちらの要望を伝えておけば、爺さんならば細かい指示を出して動かすよりも、東の砦の状態に合わせて適切に動いてくれるだろう。


 信吾や又兵衛ももうすでに陣取っている筈だ。


 奴らは俺たちよりもだいぶ早く鷹見山の廃寺を出ている。というのも、布陣する位置が位置だけに最短距離で向かう事は出来ず、飯尾山を大きく回り込むようにして行かねばならなかったからだ。


 それに、である。俺の予想通り三森敦信がそこに向かったとして、それに対処する為の準備も必要だったので、奴らは三日前の晩俺がこの策を説明した後すぐに移動させたのだ。


 信吾らの本当の役割は羊を追い立てる犬の真似でも、向かってくるだろう三森敦信を討ち取る事でもなかった。


 ここで将を討ち取りたいと希望するには、俺たちの地力は足りなさすぎた。そんな無茶な事を要求して、大事な仲間を無駄死にさせる気は毛頭ない。


 奴らの本当の役割は、分断した敵兵の再合流を阻止する事である。


 移動に時間がかかるのは勿論の事、その為の準備が必要だったのだ。


 その背景を考えれば、先ほど与平は「皆が」と言ったが、その主な部分はこの信吾と又兵衛らの事を指しているのは明白だった。


「そっか。そうですよね。それで、俺たちの仕事がすべての始まりの合図――でしたっけ?」


 額の汗をしきりに拭う仕草をしながら、そう尋ねてきた。やや落ち着きがないように見える。


 酷く緊張した状態から解放されて、心にゆとりが生まれたようだった。


 こういう時、余計な事を考える余裕ができるとこうなる。極度の緊張下にあって、他事を考えられない集中している状態から少しだけ解放されると、考える余裕と解放されきらない緊張感からそうなるのだ。俺にも覚えがあった。


 いま与平の心の内では、様々な声が騒いでいる事だろう。


 不安と自信。それらの行き着く先である、失敗は許されないという緊張感。そして、何よりも忘れてはいけないのが忌避感に嫌悪感。


 なにせ俺がこいつらに強いてきたのは、宗教家に破戒しろという事に等しい内容だ。まして今回のは、その中でも特に酷い。


 与平は元猟師とはいえ、それはあくまでも元の話であり、今では立派に武人である。こちらの人間……、とりわけ武人たちにやらせるには、今回俺が提案した策は大変に抵抗がある物だと容易に想像できた。


 いくら俺という人間に慣れた者たちでも、そんな物にまったく何も思う所もなく従える訳ではないのだ。


 それでも従ってくれるのは、ただ俺を信じて色々と抱き込んでくれているだけに他ならない。


 だから俺は、最低限の礼儀として自信のないような事は言えなかった。それは、逆に俺が抱き込んで越えてみせなくてはいけない物だろう。


「ああ、そうだ。俺たちが勝利の始まりだ」


 故に、心の中で感謝の言葉を添えつつ、堂々とそう応えてみせる。


「うーー、よしっ。じゃあ、始めましょう。板を切って外します。よろしいですか?」


 与平は両手で軽くぱんっと己の頬を張って気合いを入れ、そう言った。抑えこんでも抑えこんでも、ふとした拍子に生まれようとする物を、無理矢理押さえ込んで殺すように。


 それは見ていて分かった。もっとも俺が与平を見てそう思っただけだから、もしかしたら違うかもしれない。だが、多分間違ってはいない筈だ。


 覚悟を決めても決めても、何度でも甦ってくる。あれは厄介だ。


 そしてそれが分かっていればこそ、見て見ぬふりをする。それに負けるほど、与平は弱くない。にもかかわらず、それを口にするのは男の礼節に反する。


 だから俺が次に言うべき台詞など一つだった。


「ああ、始めよう。――――お前らもよろしく頼む。そして、俺たちは勝つ!」


 与平の言葉に一言応えた後、俺は振り向き兵らにそう檄を飛ばした。


「「「「「おうっ!」」」」」


 まだ整いきらぬ荒い呼吸に混じり、意思のこもった目をして応えてくる兵たちの声は、低く坑道に響いた。




 ギリギリ……コンコン……。


 (のこぎり)を引く音と(のみ)の入る音が、交互に小さく響く。


 大きな音を立てないように細心の注意が払われている為、作業は思うようにはなかなか進まない。


 それでも作業を始めてから三十分程だろうか。その頃には人間が一人通り抜けられるかという穴が、坑道の出入り口を塞いでいる板壁に開けられようとしていた。


 それは、荷を下ろして人と荷物を別々に通過させれば、十分用が足りると思える穴だった。


 一人ずつその穴を通って外に出る。そしてバケツリレーの要領で、中から荷物を受け取っては、また次の人間が外に出てくる。


 それを繰り返した。


 そして外に出た人間は、皆同じ行動を取った。かくいう俺自身もだ。


 外に出た途端、皆が皆新鮮で冷たい夜の空気を胸一杯に吸い込んだ――――。


 それのなんと旨い事か。


 廃寺を日暮れ前に出て、そろそろ午後九時とか十時あたりか。こちらの言い方をすれば亥の刻辺り。そろそろ砦の連中も眠りにつく頃である。


 新鮮な空気に飢えていた。


 熱く湿った空気……、土臭い空気……、かび臭い空気……。もういい加減うんざりしていた所だった。その思いは皆同じだったようだ。


 そんな皆の様子を軽く楽しんだ後、俺は砦の方を振り向き確認する。


 とりあえず、ここまでは順調に進んでいるようだった。砦は実に静かなもので、何も起きていないかのように沈黙したままである。夜闇に紛れ、シンとそこにあった。


「おしっ。全員出たか?」


「はい。いつでもいけます」


 与平に確認する。すると奴は、兵たちの最後方を見て、そう返事をしながら頷いた。


 先程大きく外気を吸っていた連中も、もうすでに武器を担ぎ壺の山を背負い直している。いつでも出発できる準備が整い終わっていた。


「よし。じゃあ、最後の確認だ。俺たちはこのまま最短距離を進み、柵に穴を開け中へと侵入する。中に入ったら、与平の隊は武器庫と兵舎を目指す。俺たちは館と食料庫だ。いいか?」


「はい。了解です」


 俺の確認する言葉を、真剣な顔をして聞く与平。こうしている時のこいつは、紛れもなく一人の将だった。


 俺と与平の隊は槍兵と弓兵がそれぞれ二十五ずつで編成されており、その兵らによって夜襲最初のとっかかりである火計が敢行される。油を撒き直接火を付けるなり、火をつけた油壺を投げるなりして、対象を炎上させるのだ。


 俺の隊は主郭にある館と食料庫を狙う。与平の隊は副郭の武器庫と兵舎だ。


 それぞれのメインターゲットは、館であり、武器庫である。この二つを機能不全にできたならば、策としてはとりあえず成功だった。指揮系統と武器が失われるのである。丸裸の上、指揮系統を失った烏合の衆ならば、どれだけ数がいても怖くはない。


 ただ、同時に狙う食料庫と兵舎まで消し炭にできたならば大成功である。敵が軍を保つ為に必要な水と食料、あるいは敵兵そのものが炭になってくれるならば、当然それに越した事はないのだ。故に余裕があれば、狙わない手はない。


「あと、俺らが今いる場所と目標物の配置的に、俺が担当する館が燃え上がる方が早いだろうが、もしそちらの着火段階でまだこちらの方で火の手が上がっていなかったならば、少し待ってくれ。先に指揮系統を始末しておきたい。手違いで順番が逆になるのは避けたい。対応される危険は少しでも減らしたいからな。だが、待つのは四半刻まででいい。待ってもこちらで火の手が上がらなければ、こちらを無視してそちらの仕事を始めてくれ。あと万が一敵に見つかった場合だが、その時は迷うな。さっさと火を付けてしまえ。ここまではいいか? 与平」


「はい。大丈夫です」


 一旦言葉を切って確認する俺に、与平はしっかりと頷いて見せた。


「よし。なら次だ。砦に火が付くと信吾と又兵衛の隊が砦東の側道から攻め込んでくる。砦内もこの時には大混乱しているだろうから、それに巻き込まれないように注意しろよ? あと、壺も大量に投げ込まれるだろうから火勢も上がる。気をつけろ。」


「はい」


「風はこの通り、山おろしの風が吹いている。もし火に巻かれそうになった時には風上側に逃げろ。冷静さを失って炎に背を向けると死ぬぞ。逃げる先に敵がいる事を忘れるな。と、ええっと、あとは合流地点の話だな。一応少しでも最後の仕上げをする伝七郎らの負担を減らしたい。だから俺たちは、火を付けた後も混乱しているだろう敵を叩く為にここに残る。いつでも撤退が出来るようにした上でな。場所は副郭西側の通路。間違えるなよ?」


「了解してます。打ち合わせ通りで変更なしという事ですね?」


「そういう事だ」


 俺の長い確認にも、与平は自信を持って応えた。


 さっきのこいつではない。もう大丈夫なようだ。


 ただこれは、己の能力に対する自信だろうか?


 勿論それもあるだろう。与平はそれがないような、芯のない男ではない。だがそれは、自分が失敗さえしなければ間違いなく成功すると思っているからこその自信だろう。


 では、なぜそう思うのか。


 そんなもの答えは一つしかない。様々な思いの末に、やはり俺を信じようと決めてくれたのだ――――。


 少々気恥ずかしくは思ったが、その事に胸が熱くなった。自分が認める人間に信用されるという事は、やはり嬉しい。


 だが今は、そんな思いに浸っている余裕はなかった。まだ俺たちには、そんな時間は与えられていない。


 故に今ひととき、その思いを忘れる事にする。


 冷静に、冷徹に。人の生き死にを数字で計る――そんな存在へと戻る。


 そして、俺は口を開いた。


「では、始めよう」


 その言葉に与平は頷いた。


 そして、行動を開始した。


 俺たちは、まず砦を囲う柵へと忍び寄っていく。


 その柵の向こうには、すぐ側に大きな建物があった。その建物は、今はまだ静まりかえっている。


 だがそれは、俺たち神森隊のメインターゲット――主郭の館である。その静寂が終わるのも時間の問題だった。

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