第七十四話 お仕事大変です しかし部屋に戻るとそこには…… でござる
その後、俺と伝七郎は別れてそれぞれに作業に入った。
まず最初に三人衆と又兵衛を呼び、事の経緯を俺たち二人で説明をした。そしてたとえ一夜だけしか猶予はなくとも、兵たちにゆっくりと休養を取らせるよう指示をし、翌朝の出陣に備えるように伝える。申し訳ないとは思ったが、やむをえなかった。
話を聞いた将たちは憤ったが、皆存外冷静に己が役目を模索する。各所に指示を出すべく、話を聞いてすぐに散っていった。
しかし又兵衛は俺の依頼もあり、俺に同道する為に残ってくれている。その代わりに、聞いた事のない名前であったが、その人間を自分の元に寄越してくれ――と彼の部隊に伝えてくれるよう信吾に依頼していた。おそらくは、俺が彼の同道を依頼したので自分の代わりに部隊に指示を出す人間を呼んだのだろう。
俺はその又兵衛を連れて、爺さんの代わりにここ藤ヶ崎を守っている者の元へと向かった。
又兵衛に同道を依頼したのは、その場で本当に助かるからだ。
伝七郎の名前も勿論使うが、それだけではどうにも弱い。いかんせん本人も「いささか名前が通っている」と表現していたように現状の伝七郎の藤ヶ崎での立場は、あくまでも人物と背景が明瞭である『余所者』なのだ。俺においては、言及するまでもない。
その点、又兵衛は違う。爺さんが降れば伝七郎との立場の差は比較にならないものとなるが、現状では藤ヶ崎側の百人隊長で、大将永倉平八郎の副将山崎次郎右衛門の腹心という、これから交渉しなくてはならない相手から見た明確な立場があった。
そんな人間が一緒にいると、俺一人ではどうにも壁がある内容も、すんなりと円滑に通る事が多くなる。それ故に同道を依頼したのだ。
事実、交渉はつるりと円滑に進み、仕事は随分と捗った。
とりあえずこれで、投降兵たちがおかしな動きをしないように十分に目を配ってもらえる。
これは今回に限って言えば、かなりやっかいな依頼内容だった。
なにせ通常ならば、投降した兵など牢に放り込んでしまえばよいのだ。
その後ゆっくりと使える者を選抜するなり、教育するなりすればよい。
あるいは、もっと根本的な解決方法もある。このような手間などかけず、身一つで放逐という手も、通常ならば藤ヶ崎を守る者たちは考慮に入れる事が出来た。
だが、今回はそれができない。理由は俺がそれをしないように依頼したからだ。それで良いならば、そもそもこんな面倒な事はしていない。軟禁程度にとどめ、且つ丁重にもてなしてもらわなくてはならなかった。
当初この投降兵らを使った策を計画した段階では、こちらがこんな事になっているとは思わず、大きく目算が狂った事が原因だった。ここ藤ヶ崎に余裕がある事を前提に、俺は策を立てたのだから。
かといって今更方向を修正するのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。今後得られる予定の旨みが、当然なくなる。ここまで先行投資した手間も無駄になり、パアだ。更に、今抱えている捕虜の解放までの労力もかかる。冗談ではない。
ならば別の案をと考えれば、選択肢としては投降兵を全員殺すというのもある。しかしこれは一つの方法ではあるが、最悪の愚行である。
これが考慮しうる選択肢となり得るのは、密偵などの闇から闇へと葬れる存在が相手の時のみである。こんな大人数を相手に、しかも投降兵相手にやるなど、正気ではない。大暴挙と言えた。
故に『全員殺処分』というのは、選択肢として一応存在するというだけの意味しか持ち合わせていない。
セーブロードができるゲームならば一度は選んでみてもいいかもしれないが、現実でそれをやるのはあまりにも愚かがすぎた。今後の事を考えれば、できる筈がないのである。
よって、その面倒を押し通さなくてはならなかったのだ。
それに付随して、直接の監視だけではなく館の警備体制の見直しも必要だった。いかんせん、ここには千賀がいる。警備は厳にしなくてはならない。
まず千賀がいる区画への通行を著しく制限し、偽装のため途中にある門の数も通常の一つから三つに増やす。そしてその一つ一つを事実上関所のようにし、普段よりも堅い警備体制を敷いてもらう事にした。むろん見回りの人数自体も増員する。
千賀の侍女らにも、俺たちが戻るまで決して区画から出るなと伝えておかないといけないだろう。不便を強いるが仕方ない。
これだけでも十分負担が増えるのだが、その他にも千賀のいる区画以外の警備も強化しなくてはならなかったし、投降兵らを軟禁する為の部屋の準備とその監視体制の構築も必要である。他にも部屋割り、もてなしの準備――――話し合っておくべき事はいくらでもあった。
結局それらの交渉と手配が終わったのは、真夜中近くの事だ。戻ってきてからぶっ通しで働き続けても、これだった。
俺は又兵衛と別れ、ついこの間まで自分に割り当てられていた部屋を目指した。俺たちの部屋はそのままになっていると、この館の者に聞いたからだ。
道中廊下から空を眺めると、星々がこれでもかと言わんばかりに瞬き輝いている。この美しい光景ももういい加減見慣れてきたのだが、それにしても星が綺麗だった。
ふと、なぜだろうと考える。立ち止まり、もう一度空を見上げた。
ああ、なるほど。
その理由はすぐにわかった。
夜空には、星々だけがキラキラと瞬いている。そろそろ新月なのだ。
大地に光源の少ないこちらでは、夜の闇の深さは月の存在によって大きく変わる。そのせいか、星々も更に美しく輝いて見えていた。
油の明かりを頼りに仄暗い廊下を歩く事しばし、自分の部屋の近くまで来た。廊下の角を曲がり、昼間なら奥の方に部屋の入り口が見えるという場所に差し掛かる。
すると部屋の前でもぞりと動く人影が見えた。小さい? いや、あれは屈んでいる。
こんな状況下である。警鐘を鳴らすように心臓が脈打った。
ちっ。今は武器になる物を何も持っていない。つか、もしあってもないよりマシって程度か。相手がそれなり以上の使い手ならば、今の俺の技量では勝ち目がない。やっぱり多少はみんなに鍛えてもらう必要があるな……。逃走経路は……問題ない。
そこまで考えた時、影はもぞりと動き、そっと立った。こちらを見ている様子だ。今から人を連れてくる時間はもうない。
いつでも逃げられる準備だけはして、覚悟を決める。そして、強く問うた。
「何者だっ!」
そして、手にした油皿を翳すように持ち上げる。
するとその影は突然発された大声に驚いたのか、「きゃっ」と短い声を上げた。
ん? 今の声は……。
「お菊さん?」
うっすらと届く油の明かりの先には、胸を押さえながらも楚々立つお菊さんの姿があった。
彼女はこちらにそっと歩み寄ってくる。そして少し怒ったような素振りをして見せた後、微笑みを浮かべてこう言った。
「もう。急に大声出すから吃驚しました。武殿、夜遅くまでお疲れ様です」
2015.6.22 描写修正
夜空に煌々と輝いている筈の月は大きく欠け、ほとんど失われていた。そろそろ新月なのだ。大地に光源の少ないこちらでは、夜の闇の深さは月によって大きく変わる。そのせいか、星々も普段より更に美しく輝いて見えたのだった。
を変更。