幕 伝七郎(一) とある異界の男との出会い その四
姫様が会見を承諾した事を伝える為に、武殿の元に急いで戻る。
たえ殿と菊殿は姫様と共に準備が整うまで待機している。二人も当然共に会見に臨むつもりだろう。菊殿は万が一に備えて薙刀も用意するつもりのようだ。
そして、彼らの元に到着すると、こちらもまた妙な事になっている。
咲殿は何か理解できないものを前にしたような不思議そうな顔をしているし、武殿はなにやら高笑いをしていた。
しかし、彼は本当に余裕だな。よくこの状況でそんな態度でいられるものだと感心せざるをえない。少なくとも、その肝の太さは間違いなく本物のようだ。
「お待たせしました。武殿。姫様がお会いしたいとの事です。よろしいでしょうか?」
私が気を取り直しそう伝えると、彼はニヤリと笑い、
「ああ。いいぞ。お会いしよう」
とだけ答えた。彼もすでに答えを持っているのだろう。なんとなくそんな気がした。
「妾が千賀であるぞっ」
姫様が精一杯威厳を見せようとしている。懸命に胸を張ってのご挨拶である。そっくり返ってしまわないか少々心配だ。漂っているのが威厳ではなく、愛らしさだと感じてしまうのは不敬だろうか?
「……おい。伝七郎。貴様俺をおちょくってるのか?」
「は?」
「いいかっ! よく聞けっ!! 普通トリップのお約束として、必ず美女がくっついてくるもんだ。しかるにっ! なぜ、俺だけ槍なおっさんだわ、姫がやっと出てきたと思ったら美女じゃなくて美幼女なんだ? 俺をロリ……いやペドにしたいのか?」
姫様に気を取られていたら、隣で武殿がわなわなと唇を震わせ、姫様を指差しながら叫んでいる。ろり? ぺど? さすがに異世界から来たというだけあって、彼の言葉には理解できない単語が混じる。
ただ、なにやら彼が激高し、不条理を訴えているのはなんとなく理解できた。
「ろ、ろり? ぺど? よくはわかりませぬが、武殿落ち着いてくだされ。姫様の御前です。無礼はなりません」
とにかく彼を落ち着かせないとまずい。菊殿は姫様を庇って薙刀を構えているし、たえ殿は菊殿の背に隠れる姫様の前に仁王立ちだ。
さすがの武殿もまずいと思ったのか、すぐに詫びてくれた。
「あ、あー。コホンッ。ちょっと俺自身もさっきから予想外の出来事の連続で忍耐力の限界だったんだ。悪気はない。すまなかった」
この機を逃してはならない。これはこのままなかった事にしてしまうに限る。
「そ、そうですよね。武殿も世界を跳ぶなどという奇天烈な経験直後。少し疲れがたまっていたのでしょう。姫様? ここは一つ不問にされて、話をお続けになってはいかがでしょうか?」
「う、うむ? でんしちろーがそういうなら、そうするぞ、よ?」
ほんと素直な姫様でよかった。驚き涙目になった眼をくしくしと擦りながら、姫様はそう言ってくれる。菊殿も不承不承ながら刃を引いてくれた。たえ殿は大層気に入らないようだったが、文句を言いながらも、話をおさめる事には納得してくれているようだ。
「で、目通りはいいが伝七郎? どういう方向に話を持っていきたいんだ? ぶっちゃけ、ここを去るにしろ、おまえらに協力するにしろ、時間が惜しい。そして、ともすればそれが致命傷になりかねん。さっさと方針決めるのがお互いの為だと思うが?」
話がとりあえずおさまると、武殿は前置きもなく、そう切り出した。やはり間違いない。彼には、はっきりと先が見えているのだろう。ならば……。
「話が早くて助かります。では、武殿には協力願いたいと私は考えております」
「姫様、かの御仁の出自は先程申し上げた通りです。また先ほど、敵将三島盛吉を鎧袖一触にして討ち取り、我が軍を助勢してくださりました。さほど長く話せた訳ではありませんが、先見の明を合わせ持つ智謀の人でもあろうと感じてもおります。この切所を乗り切るには今は一人でも姫様を守る、力ある者が必要です。ご決断いただけますか?」
特にたえ殿が感情的に反応し、反対する前に畳み掛ける。
菊殿は表情を隠そうとしているが彼女も驚いているのだろう。私が彼に拘り、なんとしても話をまとめようとしている事に。ただ彼女は余程でないと口を挟まない。今は状況が状況なので気を必要以上に張っている感があるが、本来とても慎み深く、他人を立てるお人だ。
ここはたえ殿さえ抑えきってしまえば話は纏まる筈。そう思い、畳み掛けたのだが、そのたえ殿は武殿ではなく、私をじっと見ている。
やれやれ、さすがに年の功か。彼女は彼女が見た彼ではなく、私の判断を信じようと言ってくれているのだろう。|他人≪ひと≫の信頼というものは重いが、なんと心地よいものだったのだろうな。自然と|頭≪こうべ≫が下がる。
「んー、む? よくは分からんが、かみも、り? は妾を、たえやでんしちろーやきくを、みんなを助けてくれるのかや?」
たえ殿とそんな無言の会話を交わしている間に姫様が武殿に少し近寄って、彼にそう問うていた。
なんともったいない。姫様は姫様なりに真剣なのだ。その横顔が幼子らしからぬ表情をしている。嬉しい反面、この姫にこんな顔をさせている事が守役として口惜しくてならない。
「……はっ。きっと姫様を守る力となってくれましょう」
「あー、武でいい。た・け・るだ。」
「うむ。たけるは妾たちを助けてくれるのかえ? かかさまのところまでつれてってくれるのかや?」
しまったっ! 武殿に気をとられすぎて、お館様方の事を頼んでおく事を失念してしまった。まずい。まずすぎる。今、それを姫様に知られては、この幼い姫が精一杯耐えているものが耐えきれなくなる。
気づいてくれと願わずにはおれなかった。そして、彼を見た。
彼は姫様をじっと見ていた。そして、笑った。
「ん。俺は部下にはならん。俺の育った環境もあって、今更誰かに奉公する事はできないだろう。だけど、協力はしようじゃないか」
気がついてくれた……。まだ姫様が両親の事を知らない事も、我々がそれをわざと言ってない事も。彼はあきらかに気がついていた。そして、問わなかった。言わなかった。
「妾はむずかしい事言われてもよくわからんのじゃ~。つまり、助けてくれるのかや?」
姫様は武殿の言葉の意味が分からず癇癪起こしている。武殿の目の前まで走って行き、彼をじっと見上げて同じ質問を重ねる。
彼はそんな姫様を見て、笑みを更に深くした。その目が武殿に会って以降、最も優しい目をしていた。あぁ。まず一つ、私は賭けに勝ったのだ。そうはっきりとわかった。
「……いいだろう。助けてみせようじゃないかっ!」