第4話 一夜明けて
……あの日、光輝が日本で起こっている異常現象『黒き門』に巻き込まれ、異世界のラインツェル大陸に飛ばされてから一夜明けた朝。
光輝自身は知らなかったものの、地球とラインツェル大陸の時間軸はほとんど同じであり、また彼が気絶していた時間も実は一時間もたっていないがために、彼が普段暮らしている体感時間とほとんど変わっていない。つまりラインンツェル大陸で過ごした時間と比例して地球の時間も過ぎていく。
日本の時期は夏。
猛暑とは言わないものの、気温はそれなりに高くなり日差しが朝から降り注いでいる。本来ならば健康的な人間はこの朝の日差しを浴びることで目を覚まし、すがすがしい一日を迎えることだろう。学生ならば今はちょうど夏休みの時期であるのだからなおさらだ。
しかしそうでない人間も存在する。健康リズムが崩れていたり、朝が苦手であったり、時間にルーズだとか、そういう理由ではないものでだ。
荒波光輝が部屋を借りて住んでいるアパート。
その一室に一人の少女――水里真央が部屋にただじっと座り込んでいた。昨夜は一睡もせずにここの住人であり、幼馴染である一人の少年の帰宅を待っていた。鍵は彼が持ち歩いていたものを発見したために、彼の持ち物すべてとともにもってきている。
睡眠不足と極度の不安からか、顔色は優れない。目の下にはくまができている。彼女の可憐な顔立ちと活発な性格はその影を潜めている。
「……光輝」
ただただ彼の名前を呼ぶ。その姿がかえって不憫に映る。
――一体、光輝はどこに消えてしまったのだろう?
今まではこのようなことは一度もなかった。自分を心配させるようなことはあっても、すぐに現れて憎めない笑顔で謝ってきた。その態度に不満を言っても口達者な光輝はすぐに真央を丸め込んで、そして弄ってくる。それにつられてついつい笑ってしまうこともあった。
とにかく、どんなことがあっても光輝はすぐにどこからともなく現れる男だ。困っている姿を見るのが好きだとしても、自分を不安がらせるようなことはしない。そう信じている。
……それなのに、どこにもいない。連絡さえしない。
「大丈夫、なんだよね? すぐに帰ってくるよね?」
事件に巻き込まれたとは考えにくい。
持ち物はすべて道路に落ちていた上に、クレジットカードさえも手をつけていない有様。光輝はそもそも両親がいない上に財産もそれほどないし、親戚の人もそうだろう。
そして彼自身も誰かに恨みを買われるようなことはしない…………はずだ。多分。ごめん光輝、これだけは完全に信じられないかもしれない。こんなこと言ったらあなたはきっと徹底的に否定するだろうけど。
でもやっぱり、ここまで大事になるほどの恨みをもたれることはない。それは保障できる。彼はたしかにふざけた行動やデリカシーのない行動があるものの、それは彼の一種のコミュニケーションのようなものだし、場を和ませる(?)ものである。その場っきりのことであってそれを理由に彼を事件に巻き込むようなことではない。
……だからこそ気になる。光輝自身の意思で行方をくらましたのではなく、かと言って事件に巻き込まれたわけでもない。ならば、一体彼がどこに、なぜ消えてしまったのか? 連絡の一つもよこさないのか? 荷物まですべておいていったのか?
「私は信じてるよ、光輝。あなたの帰りを、待っているから。私だけは……」
信じている。それは確かだ。ゆるぎないことだ。
それなのに自然と声が震えてしまう。意志が揺らいでしまう。
――もう荒波光輝という男は、ここには帰ってこないのではないか、と。
……違う。それは違う。
何があっても、誰がなんと言おうと、自分だけは疑ってはいけない。自分だけは信じなければならない。
頬を伝う涙のことなんて全然気にかからなかった。
ただひたすらに荒波光輝が無事であることを、信じたこともない神様に祈る。これ以上、彼を傷つけることは許されないことなんだから。
――――
朝の日差しがテントの中にまで入り込んでくる。朝日のまぶしさと、小鳥のさえずりで目を覚ます。……ということもなく、目を覚ますと見知らぬ天井が目に映る。(というかテント)。そして俺の体の上にまたがる女の子の姿があった。
これ、なんてエロゲ?
(……マテマテマテマテマテ。落ち着け、落ち着け俺。冷静さを失うな。戦場では冷静さを失った者から死んでいくんだ)
「光輝さーん。朝ですよ、起きてくださーい!」
俺の心境を知らないのか、少女――確か昨夜マリーと名乗っていた女の子が起こそうと俺の体を揺さぶる。健気である。是非とも妹として迎えたい、家にお持ち帰りしたいくらいである。
……そこまで考えて思考が正常化する。
そうだった。そういえばここはもはや日本ではないのだった。今までは俺を起こすような存在は幼馴染みである真央しかいなかったために少し混乱してしまった。
もう少しこのまま眺めていたい気持ちはあるのだが、世話になっている身としては迷惑をかけてはいられない。
「ああ、おはようマリー。わざわざありがとな」
「いえいえ。これも私の仕事ですから、気にしないでください」
俺が体を起こすと文句一つ言わずに無邪気な笑顔を見せてくれる。ひょっとしたら本当に本心で言ってるのかもしれない。それほどまでに裏表のない表情であった。
「光輝さん。レイ副隊長より、本日から私があなたのお世話係に任命されました。これからのことについてもお話がありますので、私についてきてください」
「……これは頼もしいな。ならお言葉に甘えるとしようかな」
本来ならば年下の女の子にお世話されるというのも複雑ではあるが、せっかくの好意を振り払うこともない。
それに、個人的に嬉しいものもあるしな! 妹というか、年下のチームメイトのような存在だ。大事にしよう。
「これからよろしく頼む」
「こちらこそ。それじゃあ、まずは朝食といきましょうか」
マリーに続いて俺もテントをでる。
……しかし、昨日も思ったことだが彼女は本当に年齢に反して大人びている。後ろを歩いていて、このような小さな背中に迷いがないということが感じられる。
兵士ならば昨日のような戦場に立つ機会もあるだろうに……こうも堂々としている姿には賞賛さえ覚える。もし俺が戦いに赴いたとして、今のように平然としていられるだろうか……?
――――
「それじゃあ、今は神童さんはここにはいないんだな?」
木製のキャンプテーブルで食事をとりながら、マリーとはなしている。
ちなみにメニューはパンとシチューのようなものと飲み水が並んでいる。……意外と旨いからびっくりだ。俺って結構野性的なのかな?
「はい。神童隊長は今日の朝早くにルミエール王国の首都、アルミナに帰還なされています。ゆえに指揮権は全て第三騎士団副隊長であるレイさんに一任されていて……」
「それまでの間、連絡があるまでは現状維持。帝国への警戒に備えよ――ってことですよ」
「副隊長!」
マリーの話に便乗するように、レイが話に加わってきた。重責に押し潰されているような様子は、一切ない。いや、性格的にそのような人間ではないか。
上司の来訪にマリーが挨拶をかわそうとするが、レイがそれを制する。
「そのままでいいですよ。どーせ面倒でしょう?」
……これでいいのか副隊長。大丈夫なのか第三騎士団。
役職にとらわれないというか、適当というか……神童さん、頼むから早く帰ってきてくれ。
「それよりも、ミーもいますから、彼に説明を」
「あ、はい。まずはじめに確認して起きたいのですが……光輝さんは別の大陸からきたんですよね?」
「あ、ああ」
どうやらマリーには異世界から来たとは説明していないらしい。いきなりそのようなことを言っても信じられないだろうから、当然と言えば当然ではある。
……この様子だと、「ユーラシア大陸から来ました」なんて言っても通じないだろうな。
「ラインツェル大陸のことはどれくらい知っていますか? 別の大陸から来たと言っても、それなりに知識はありますよね?」
「……えーとね」
……それなりの知識もないです。さも当然と言わんばかりに話しているが、そんな常識俺には通用しない。
言いよどむ俺の姿に疑問を感じたのか、マリーは首をかしげる。さて、何と言ったらよいか……
「……残念ながら荒波さんは頭が残念な人でしてね。まともに知識を蓄えることもできてないみたいです。なので最初から詳しく教えてあげてください」
見かねたレイが助け船を出す。……しかし、もうちょっと上手い言い訳がないのか? 誰の頭が残念だって!? 馬鹿なのと知識がないのは違うだろ!
「……あ、そうだったんですか。すみません光輝さん」
哀れみの目で俺を見つめるマリー。どうやら彼女の中で俺は頭が残念な人となってしまったようだ。……いや信じるなよ!
俺を気遣うその優しさが痛い! やめて、俺のライフはとっくにゼロよ!
「それと、荒波さんの故郷では魔法の概念も存在していないようなので、そこのところもお願いします」
「そうなんですか!? わかりました。
それでは、まずこの大陸のことから説明していきます」
マリーは表情を真剣なものへと変え、俺の顔をじっと見つめる。……真面目な顔も可愛いな。
さて、二人の会話から察するにどうやらここでは『魔法』という存在も決してファンタジーなものではないようだ。だとしたらなおのこと俺も習得しなければならない。この世界で生き残るための術を……!!
――――
同時刻。ルミエール王国首都、アルミナ。
アルミナのさらに中央部にそびえ立つ巨大な城。外観だけではなく、その城内も豪華な装飾が施されており、この城――アルミナ城がただの城ではないということを象徴している。
それもそのはず。ここには数多く存在する中から選ばれた騎士達、そしてその主のみだけが存在を許されているのだから。
城の大広間におかれているテーブル。そのテーブルを囲むように数人の騎士が椅子に座っていた。
「さて……いったいこの度はなぜ王は我々をお呼びになられたのかな? 私の方には未だに詳細が来ていないのたがね。諸君は何か聞いておられらかな?」
先に口を開いたのは白衣のように白く長い服を羽織っている、やせ形の男性――レイア・コリンズ。緑色の髪もまた特徴的だ。
ルミエール軍第五騎士団隊長を務めている男である。
騎士と言うよりもむしろ科学者、あるいは錬金術師のような見た目、そして口調である。
「いいえ、私も何も聞いてはおりません。
……しかしながら、この度の召集は神童隊長の提案により受諾されたとお聞きしておりますが?」
黒髪ボブの髪型。まだ若い騎士、ルミエール軍第四騎士団隊長、エルサ・ランドールが視線を神童へと向ける。その鋭い視線はとても普通の女性のものとは思えないものだが、神童も臆することはない。
「その事については、王が参られてから皆の前で話させてもらう。少なくとも下らぬ案件ではないのだから、エルサもそれほど不満に思わないでくれ」
「……ふん」
年下の女の子をなだめるようにさとす神童。はぐらかされたことが不満なのか、それとも子供のように扱われるのが不満なのか、あるいはそれ以外の理由か、エルサはそっぽを向いてしまう。
そんな彼女を見て神童は安堵のため息をついた。
「……神童隊長ほどのお方がわざわざ我々隊長全員をお呼びにすること。並大抵のことではないというくらい、全員理解していますよ」
「そう言ってくれるとありがたい。信頼してくれて感謝する。――ソフィア」
「信頼を勝ち取ったのは神童隊長自身です。感謝されるいわれはありません」
丁寧な口調で応じるソフィア・ロックウェル。赤髪のポニーテールとその落ち着いた物腰、何よりもその絶妙なプロポーションが真っ先に目に着く。
彼女は第二騎士団隊長を務めている女性であり、女性では初めて戦闘部隊の隊長に選ばれた実力者である。
「……しかし、竜也。部隊の方は大丈夫なのか? 仮にも帝国との境界線であるアムールに隊長不在の部隊をおいて。そこで何か一大事があったというならば、副隊長のレイをこちらに派遣し、お前はアムールに留まるべきだったんじゃないか?」
「いや直人。確かにあの場で起こったことが今回の議題ではあるが、お前が考えているような内容ではない。それに、私自身から話をしたほうがよいとおもったのでな」
茶髪の少年騎士――六道直人の疑問に神童は的確に答える。彼は第一騎士団隊長であり、神童のよき好敵手である。また、現在の隊長のなかでは最年少にあたる人物だ。
各隊長達がそれぞれの意見を出していくなか、突如大広間の扉が開かれ、老年の白髪の男性が姿を現した。
「皆静まれ! まもなくフローラ女王陛下が参られる!!」
ルミエール軍総司令、リーガル・ホールトンである。
彼はその見かけに反した響き渡る声をだして隊長達を諫める。その声に応じ、騎士達も表情を変えた。
それを確認し、ホールトンは扉の横側に立って臣下の礼をとる。
程なくして一人の女性が扉より姿を現した。
王家の王冠と白いドレスに身を包んだ、神秘的な雰囲気を醸し足す女性。腰まで届く勢いの紫色のストレートロングヘアー。
――――ルミエール王国女王、フローラ・クィンシーである。
「皆さん、今日は集まっていただきありがとうございます」
「「「ははっ!」」」
「陛下の命とあらば」
「我々はいついかなるときでもかけ参じましょう」
ホールトン以外の騎士達も主の姿を確認し臣下の礼をとっている。
そして彼女、フローラの許しを受けて全員が姿勢を正した。
「それでは神童隊長。……まず、あなたから報告をお願いします」
「わかりました」
フローラより命を受けた神童が立ち上がる。
六人の騎士と女王。この者達こそ、ルミエール王国の中枢を担い、そして荒波光輝の処遇を決断する者達である。