真田優斗編
アニキと講義に来たのは良かったのだが、さっきからだいぶ落ち着きがない。胸を前に置いて、机に預けてるが、それほど楽でなかったのか、背筋を伸ばそうとしてる。
ノートを書く手は動いている。きっとノートは取れているのだろう。だが、座り直しが多い。
「ABC理論というのはエリスが唱えたものでありまして」
授業の内容を聞くのに必死な俺と違い、アニキは教科書をめくったり、座り直したりしている。
時折ピクッと震えているが、寒いのだろうか。くそ、何で上着持って来なかったんだ。真横でアニキが寒がっているのに。
「クライアント中心療法はロジャースが唱えたもので〜」
ロジャースは良いんだよ。とりあえず、アニキを救いたい。口先まで「寒いのか?」と出たが、もし違ったらどうしようという心が引っ込めさせた。
さっきから何どもピクッとなっている。気にはなる。だがしかし、今は授業中。アニキが落ち着きないのはいつもの事じゃないか。
普段ならパソコン持って来てるはずだったのに。動揺してしまって忘れていた。それもこれもアニキが可愛いのが悪い。
「これで授業終わります」
教授と言葉で俺はノートを閉じて帰る準備をする。そういえば、コイツ、荷物持って来てるし帰るのだろうか。どうするのだろう。
「優斗、帰ろ?」
アニキは、そう言って立ち上がろうとしていた。あまりにも頼りない立ち方だった。ふらふらしながら寄って来る。ゾンビ映画の真似でもしてるのだろうか。こいつ、今日テンション高かったもんな。
ダン!!!!!!!!!
「落ちた」
俺は息をのむ。間に合わなかった。見ていたのに気付けなかった。机に体を派手に打ち付けたような音がした。俺は、とっさにアニキを支える。
周りは「大丈夫か?」とか「こんな美少女いたか?」とか「この子抱いたら気持ちよさそう」なんていう下世話な音まで耳に入って来た。俺は、落ちた輝奈子の肩を支えて歩かせようとする。ダメだ。明らかに、目線が合わない。ふらふらすぎる。目は開いているのに、どこも見ていないような感じだった。
「アニキ、大丈夫か?」
「あぅ……。あぁ……」
可愛い声のはずなのに心配が勝ってしまう。
周りの女性が寄って来た。
「大丈夫?何かできることは?」
「とりあえず、水か?こいつは俺が運べるが、コイツの荷物持って帰らないとな。俺の荷物も多いし」
アニキはどれほどの疲れを貯めていたのだろうか。
俺はコイツを背負うことにした。思ったよりも軽い体だった。なんて可愛らしい重量だろうか。運びやすくて良かった。とりあえず、コイツをどこか休めるとこまで連れて行かねぇと。
「水飲めるか?」と俺が聞いても「う……あ……」と声にならない声しか返って来なかった。可愛い寝顔と裏腹にあまりにも症状が重そうだった。何をしてやればいいのだろうか。これは、とりあえず教室から離脱かな。
俺の家まで連れて帰るか。アニキの帰り慣れた場所で、親御さんの手の及ばない所。アニキは器用に見えて不器用なのを知っている。
抱えた時、胸のふわふわが背中に当たって物凄く可愛いけど、今じゃない。とりあえず、寝かせる場所に。そう思って、ただ走る。
階段ってこんなに長かっただろうか。大学も広すぎるだろ。兎に角、早く寝かせてあげたかった。昨日まで男だったのが、急に美少女なったからそれも影響しているのだろうか。
あと、兄貴は何かと予定を詰めては「疲れたぁ」となることが多い。自分の体力考慮して詰めろよ。俺も人のこと言えないか。アニキはいつも気を遣い、神経を使い、とにかく人のために動こうと自分を犠牲にする事が多い。無理すんなよ。
走るたびに後でぽよんぽよんしてる美少女の感触、温もりが伝わってくるけど、今じゃない。なんか後ろの方で男同士の会話も聞こえるけど、無視しよう。
てか、股濡れてない?なんか手が少しだけ冷たい気がする。いや、今じゃない。とりあえず、早く帰ろう。美少女の吐息を首に浴びながら帰れるの約得だけど、それも今じゃない。
とにかく早く連れ帰って寝かしてやりたいのに、信号が阻んできた。
遅い、長い。早くしてくれ。今、俺の大事なアニキが大変なんだ。早く、苦しみから楽にしてやりたいんだ。
「ゆぅ…と?すまん。まだ、歩けん。重いと思うが…頼む」
「大丈夫だ。アニキといると落ち着くからなぁ。今日くらい任せろ」
弱っているアニキは久しぶりだった。アニキが流行り病にかかって熱が高い時も「死ぬんかな?」みたいな弱気が出ていた。
あと、アニキ、お前今めちゃくちゃ軽いぞ。全然負担じゃない。いくらでも背負えるぐらいだ。だから、心配せずに休め。
俺は走った。これまでにないほどに。玄関のドアが重い。早く開けよ。本当は蹴破りたかった。でもそれはできない。
俺はアニキを布団に下ろし、濡れタオルをおく。
辛いだろうが、耐えてくれ。今までに祈ったこともなんどもあっただろうが、どうかアニキを助けてくれ。




