44 シルバーの名を継ぐ者
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「えっ!? ここに描いてあるのが見えませんか?」
「ああ、そうなんだよ。……年のせいかな」
手紙を顔に近づけて懸命に見ようとしているが、どうやらグレゴリーには何も見えていないようだった。
「どうした?」
ふたりの様子に気付いたハイゼンが、怪訝な顔で声を掛けてくる。
「この手紙の隅に、絵が描いてあるの」
エミリアーナはハイゼンに手紙を渡し、見て欲しいと促した。
「どれどれ……。ん? 俺にも見えんが」
「えっ? ハイゼン様も?」
「ハイゼンだ。……俺の目には、何も描かれていないように見えるな」
「ご、ごめんなさい。でもどうしてかしら?」
「ううむ。……おい! ママコルタ。ちょっと来い」
ハイゼンは後方に控えていたママコルタを呼びつけた。
「どうしました?」
「お前、この手紙の絵が見えるか?」
ハイゼンは、手紙をグイッとママコルタの顔の前に突き出す。
ママコルタは受け取り、しばらくじっと見つめていたがやがて頷いた。
「ええ、かすれてはいますが確かに見えますよ。ねぇ、エミィ嬢」
「なに!? 俺には見えないぞ」
「私にも理由は分かりませんよ。でも、彼女と違うからって嫉妬するのは止めてください」
「ぬうぅ……」
喉の奥から絞り出すような声で呻くと、ハイゼンは手紙を取り上げた。
「私とママコルタさんだけが見えるのには、何かしら理由があると思うの」
「そうですねぇ……。考えられるとしたら、神聖力が関係しているかもしれません」
「確か、お前の家門からは神官を多く輩出していたな?」
「まあ、そうなの? 側近と聞いていたから、てっきり武の家系だと思っていたわ」
「エミィ、彼の家門は文武両道の者が多いんだ」
グレゴリーが補足するように口を挟む。
「そうなのですか。ではママコルタさんも、武道を嗜んでいるの?」
「私はそれ程でもありませんよ。ただ、ハイゼン様はお強いですけどね?」
頭をガシガシかきながら、ママコルタが照れ笑いを浮かべた。
「ハイゼンさ……のことは知っているわ。侯爵家でもいつも護衛に付いてくれていたもの。
そうそう、指笛も教えてもらったわね」
懐かしそうに目を細めながら、エミリアーナは言う。
「そうだったな、つい先日のことのように思えるよ」
「エミィは侯爵家で本当に幸せに育てられたんだね。侯爵夫妻には感謝してもしきれないよ」
グレゴリーは優しく、彼女の頬に手を添えた。
「俺は君が幸せに暮らせているなら、帝国に連れ戻すのは諦めてもいいと思っていたんだ」
ハイゼンは真剣な表情を浮かべ、エミリアーナに視線を向ける。
「聞いてませんけど!?」
ママコルタは目を丸くして、驚きをあらわにした。
「お前に言うと、うるさいからな」
「ひ、酷い……。でも、それでは皇帝陛下が納得しませんよ?」
「分かっている、だからこそ上手く隠すつもりだった。今更だけどな」
「どうして私に、そこまでしてくれるの?」
エミリアーナの問いに、ハイゼンは一瞬だけ視線を逸らす。
「君を混乱させたくなかった。
それに、侯爵家の家族と離ればなれになるのは、君にとって耐えがたいだろうとそう思った」
「そうだったのね。ありがとう、ハイゼン。それと、昨晩は取り乱してごめんなさい」
エミリアーナは、深く頭を下げた。
「気にするな、それは当然の反応だ。
結局この国へと連れて来てしまったけれど、俺は君の幸せが第一だ。それだけはどうか忘れないでくれ。
……ところで、手紙の謎は解けたのか? ママコルタ」
「そんな急に無理ですよぉ」
ママコルタはブンブンと両手を振りながら、困ったように言う。
「どんな絵が描いてあるんだい? エミィ」
グレゴリーが興味深げに手紙を覗き込んできた。
「ええと、お花のようなものとクローバーですね。それから、指輪も描かれています」
「エミィ嬢、それがハッキリ見えるんですか?」
「ええ、ちゃんと見えるわ。ママコルタさんはかすれて見えるって言っていたわよね?
神聖力の強さに関係あるのかもしれないわ」
「おい、俺も会話に混ぜろ」
ハイゼンが割り込んでくる。
「何言ってるんですか。今はエミィ嬢と大事な話をしているんです。
……そうだ! この際ですからママコルタって呼んでくださいよ、ね?」
「どさくさに紛れて何を言っているんだ」
ハイゼンとママコルタの言い合いが始まると、部屋の空気が一気に騒がしくなった。
「もう! 分かったからふたりとも落ち着いて!」
「うん? クローバーと指輪……」
騒がしい3人を無視して、グレゴリーが何かを思い出すように呟いた。
「父様、どうかしました?」
「うーん……、ちょっと待っていてくれ」
彼は何かを思いついた様子で、足早に部屋を出て行った。
「そうだ。今朝早く、軍使鳥を使って侯爵家から手紙が届きましたよ」
ママコルタは懐から小さな封筒を取り出し、エミリアーナに手渡す。
「リリーさんからです」
「ありがとう! 早速読んでみるわ」
手紙には無事に侯爵家へ到着したこと、そして証拠となる書類を父親のレンブラントに渡したと、丁寧な文字で記されていた。
「良かった。ちゃんと無事に着いたみたい」
エミリアーナは安堵の表情を浮かべ、嬉しそうに笑った。
「貴方のそんな顔を見るのは、本当に久しぶりな気がしますよ」
ママコルタは微笑みながら、彼女の顔と手紙を交互に見つめる。
「そうだったかしら?」
「ええ。……ですよねぇ? ハイゼン様」
「ああ、そうだな。とは言っても、エミィはいつも忙しそうだったからな」
「お父様からは何と?」
「ええ、それなんですが――」
「お待たせしました」
グレゴリーが小箱を大事そうに抱えて戻ってきた。
「これをご覧ください」
そう言って差し出された箱の側面には、クローバーと指輪の形が、まるで細工職人が時間をかけて彫ったかのように、美しく切り取られている。
「グレゴリー、この箱は一体なんだ?」
ハイゼンが眉をひそめて問いかけると、彼は微笑みながら答えた。
「アンリエッタと交際していた頃、彼女から贈られた物ですよ、ハイゼン様。ご覧の通り、上の部分が蓋になっておりまして」
「へぇ。横の図形、さっきの手紙の絵とそっくりですねぇ?」
ママコルタが興味津々といった様子で、箱の装飾をじっと見つめている。
「父様、大切に取っておられたのですね?」
「もちろんだとも。私が生涯で愛したのはアンリエッタただひとりだよ、エミィ」
「まぁ! 素敵。羨ましい限りです。……でも、跡継ぎ問題はどうなさったのですか?」
「旦那様は生涯、未婚のままでおられましたよ」
タイミングよく、コッコがワゴンを押して部屋へと入ってくる。
「皆様、よろしければ私にもお話を聞かせていただけませんか?」
「おお、コッコか。茶を持ってきてくれたのか」
「はい。お菓子もございますので、どうぞお召し上がりください」
そう言いながら、彼は慣れた手つきで自ら香茶を淹れ始める。
「コッコさんは、母様と親しくしていたのですか?」
「ええ、よくしていただきましたよ。それと、エミリアーナ様。
どうぞ私のことはコッコと気軽にお呼びください。私はこの屋敷の執事ですから、畏まる必要はありませんよ」
「そうだよ、エミィ。彼の言う通りだ」
グレゴリーが頷いて後押しする。
「旦那様は、周囲のご親族や両親からの強い圧力にも屈することなく、独身を貫かれたのですよ」
「跡継ぎについては、親戚から養子を迎えれば済むことだからな」
「まったく、昔から変わらん奴だな、グレゴリーは」
ハイゼンが苦笑している。
「まあ、今はこうしてこの子がいますからな。お前さえ嫌でなければ、私の跡を継いでくれると嬉しいんだが」
「私がですか? でも務まるかどうか……。それに、グランデール家のこともありますし」
「慌てて答えを出さなくてもいい。よく考えて、お前が決めなさい」
ハイゼンは微妙な表情でふたりの会話を聞きながら、ふと視線を下げる。
ママコルタもそんな彼の横顔を、どこか心配そうに見つめていた。
「そういえばティオナ様からいただいたアクセサリーも、クローバーと指輪の形だったわ」
エミリアーナがネックレスと指輪を外して、テーブルの上にそっと置いた。
「これ、なんだかぴったり嵌まりそうですねぇ」
ママコルタが指輪を箱のくり抜き部分に押し込むと、カチッと音がして綺麗に収まった。
「あれ? これ、いけそうですね」
彼はネックレスを手に取ると、使用人に頼んで工具を持って来させた。渡された道具で、器用にチェーンを外す。
「はめてみるか?」
「ええ、お願いしますよ」
ママコルタがネックレスの飾り部分をハイゼンに手渡すと、彼はもうひとつの図形にそれを慎重に押し込んでいく。
カチッ。
再び音がして、今度は何かが内部で外れたような感触があった。
「ん? ここが、横に動くぞ……」
ハイゼンが小箱の反対側に手をかけるとそこがスライドし、彼は中から何かを引っ張り出した。
それは銀色に光るペンダントで、上品な布に丁寧に包まれている。
「これは……。母様の物ですか?」
エミリアーナが問いかけると、グレゴリーが静かに頷く。
「ああ、見覚えがあるよ。彼女がよく身につけていたものだ」
彼は手に取ってペンダントの部分を開ける。中は何かを入れられるような小さな空洞になっていた。
「確か、何かが入っていたはずなんだが……」
「綺麗なシルバーですねぇ。これは、いつ頃いただいた物なんです?」
「そうですな、もう20年近く前になります」
「そんなに年月が経っているのに、まるで昨日受け取ったかのように輝いているんだな。
普通なら黒ずんだり、くすんだりするものなんだが」
「手入れを怠れば、そうなりますからねぇ」
3人のやり取りを聞いていたエミリアーナは、ふとひとつの疑問に気づく。
「どうして私の持っているアクセサリーが、ぴったり嵌まったのかしら? 母様はこれまで予見していたというの……?」
「俺にも分からん」
「ですよねぇ。謎すぎて、もう無理です」
完全に思考を放棄したハイゼン達を横目に、グレゴリーは真剣な顔をして言った。
「何かしらの意図があったのでしょう。アンリエッタは謎かけのようなことを好む方でしたから。
……エミィ、これはお前が持っておくといい」
グレゴリーがペンダントを彼女に手渡す。
「ありがとうございます」
エミリアーナは嬉しそうに微笑みながら、ペンダントを両手で包み込んだ。
「そうだわ、父様。シルバーウッドという言葉に、何か心当たりはありませんか?」
「シルバーウッド? シルバーなら聞いたことはあるが……」
「シルバー公国のことだろう?」
ハイゼンが口を挟む。
「それも確かにございますが、シルバーと言われるとやはりアンリエッタの名前が思い出されます。
アンリエッタ・イエローライン・シルバー。彼女の本名です」
「それは本当ですか、父様」
「そうなのか!?」
「ええ。この国ではシルバーの名を隠していたようですが、愛する私には秘密を明かしてくれたんですよ?」
エミリアーナとハイゼンは、信じられないといった面持ちで互いの顔を見合わせた。
「なんの話です?」
「ママコルタ。あとで説明してやるから、少しだけ待ってろ」
「私は彼女がシルバー公国と何らかの関係を持っていたのではないか、とずっと考えていたのです。
ハイゼン様、城にはまだ記録が残っているのでは?」
グレゴリーは首を傾げる。
「城の書庫にある本はすべて読んでいるが、そのような記録は見た覚えがないな」
「まあ、すごいわ。全部読んだの?」
「フフン。まあ、暇だったからな」
エミリアーナに褒められて、ハイゼンは少し得意げな顔をしていた。
「まだあるではないですか、城の奥に。資格のある者のみが閲覧を許される、閉ざされた部屋が」
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