39 この国で、私は誰だったのか
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しばらくエミリアーナはゼンの腕の中で泣き続けた。
自分が存在していることで、リリーの叔父夫婦が殺害されてしまった可能性にいたたまれなさを感じていた。
「俺の服で涙を拭いても構いませんよ?」
「……汚れてしまうわよ」
「元々そんなに綺麗な服じゃないですから。さあ、拭いてくださいよ」
「うぐっ……、もういいから。確かハンカチを持っていたはずだわ」
彼はエミリアーナの顔に腕をゴシゴシ擦り付けるが、彼女に嫌な顔をされた。
エミリアーナはハンカチを探すため、手提げ袋をゴソゴソ探る。
「あっ、収穫祭の時の飴が出てきたわ」
「お、いいですね、ちょっと疲れたでしょう? 俺のはもちろん残してありますよね?」
「ちょっと待って。あったわ、はいどうぞ」
エミリアーナは袋の口を開くと、取りやすいように彼の方に向ける。
「俺の口に、お嬢様が入れてくれないんですか?」
「ふふっ」
拗ねた顔をする彼の顔を見て、彼女は吹き出してしまう。
「あ、笑いましたね?」
「ごめんなさい子供みたいで。はい口を開けて」
青色の飴をひとつ口に放り込んでやると、彼は満足そうに笑顔を見せた。
「女神様の思し召しなのかしら……」
エミリアーナは、自分の口にも黄色の飴をひとつ放り込む。
「そうかもしれませんね。俺が貴方に会えたことも」
「え?」
「いえ、何でもないです。それよりだいぶ落ち着きましたか?」
「あっ! ごめんなさい。私、貴方に抱きついたままで……」
エミリアーナは、慌ててゼンから身体を離した。
「別にこのままでいいのに……」
「何を言っているの!」
彼の言葉に、彼女は耳まで真っ赤になる。エミリアーナは動揺を必死に抑えようと、話を逸らした。
「そ、そういえば貴方は皇帝の命令で、私を探しにこの国に来たと言ったわね?」
「ええ、そうですよ」
「神殿で、ブラックストン夫妻のお知り合いにお目にかかったのは最近よ? 貴方はそれ以前から私のことを知っていたと言うの?
一体どうやって?」
「そんなに警戒しないでください。ちゃんとお話ししますから」
彼は後ずさるエミリアーナの両肩を掴む。
「女神の神託があったんですよ。かなり昔のことですが」
「神託?」
「ええ。偉い神官が女神像の前で、ウンウン唸って祈祷するんです。たまにですけど、女神様からのお言葉を賜るんですよ。
それで愛し子が誕生していることが判明したんですが、帝国中探しても見つからなかったんです。
カレンヌ王国にいるんですから当然ですよね」
彼はエミリアーナの手を引いて立ち上がらせると、彼女の服に付いた砂を払う。
エミリアーナは、自分のお尻の辺りまで彼がはたくのが恥ずかしくて、身を捩って逃げた。
ゼンは気にも留めず彼女を促し、またふたりで国境まで歩き出す。
「それで詳しく調べたんですが、国外に出国している可能性に気付きまして」
「でもそんな人は沢山いるでしょう? きりが無いわ」
「生まれた時期は分かっていましたから。すぐに出国したと仮定してある程度は絞り込めました。
それとキリトご夫妻は、検問所で貴方を荷物の中に隠していたのではないかと思われます」
「よく気付かれなかったわね?」
「俺もそう思いますよ。これも女神様のご加護ですかね」
ゼンは口の中の飴をガリガリと噛む。
「出国はご夫婦のみで、妊娠の事実が記載されていました。お嬢様は王国生まれだと誤魔化せると考えたのでしょう。
もうひとり子供が生まれたとしても、言い訳はどうにでもなりますからね。彼らは平民のように暮らしていましたから」
「確かに貴族と違って、平民の戸籍は曖昧なところがあるわね」
「人数が多いですからね」
エミリアーナも口の中の飴をかみ砕いた。
「それで貴方を探すのに余計に時間が掛かってしまいまして、今のこの状況ということです。大変だったんですよ、貴方を見つけるまで」
「そうだったの……」
「先ほどお話しした事情がありまして、真に愛し子かどうかまだ確かではありませんでした。神聖力もまだ発現していなかったでしょう?判明するまで、侯爵家に使用人として雇っていただいていたのです。
この時期に全てが明らかになりそうなのも、女神様の思し召しかもしれませんね」
エミリアーナは神妙な顔で彼の話を聞いていたが、ふと思い出した。
「ちょっと聞きたいのだけど、貴方『シルバーウッド』って言葉を聞いたことはない?」
「シルバーウッドですか? シルバーならありますが」
ゼンはエミリアーナに水を飲ませると、自分も口に含む。
「今は無くなってしまいましたが、シルバー公国という国がありましたよ?」
「そう、何か関係があるのかしら?」
「どうしたんです?」
彼女は顎に手を当てて考え込む。
「アイオロス達が言っていたのよ、シルバーウッドって知らないかって」
「へぇ。シルバー公国にシルバーウッド。……ああ、聖女はシルバー国で誕生するって言い伝えがありましたよ」
「そうなの?」
「はい、子供の頃に聞いた話ですが。シルバー公国は戦争で無くなってしまったそうです」
「そうだったの。貴方も知っている通り、カレンヌ王国は当時の文献を焼失してしまっているわ。
戦時中に国の一部が焼けてしまったから。
……次にアイオロス達と連絡が取れたら聞いてみるわね。教えてくれてありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
エミリアーナはゼンとにこやかに会話を終えるが、1番大事なことを聞いていなかったのを思い出した。
「ところで私は貴方が誰なのか、大切なことをまだ聞いていないわよ?」
「俺ですか? お嬢様、聞いたら態度を変えませんよね?」
「それは聞いてみないと分からないけれど、私の態度が変わるような身分なの?」
「じゃあ、言いません」
「なっ! 教えてくれてもいいじゃないの」
エミリアーナは頬を膨らませて、彼に抗議する。
「お嬢様が変わらないって約束してくれたら、お教えしますよ?」
「……やっぱり嫌な予感がするから止めておくわ」
彼女はプイとそっぽを向いて、スタスタと先を歩く。
「待ってくださいよ。俺はですね――」
「もう聞きたくないから言わないで!」
彼女は両手で耳を塞いで叫んだ。
「……お嬢様、待ってくださいって」
「お嬢様と呼ぶのは止めてください。エミリアーナでいいです」
「何で急に語尾が丁寧なんですか?」
「それは、怖い想像をしてしまったからです」
ゼンは一瞬キョトンとした顔をすると、ハハハと笑い出した。
「いいじゃないですか。お嬢様と俺の仲でしょう?」
「誤解される言い方をしないで。エンデルク殿下と同じことを言うのね。それに、エミリアーナと呼んでと言ったでしょう?」
「流石に呼び捨てにはできませんよ。それと、エンデルク殿下は俺のライバルですか?」
「一体何の話?」
「こっちの話ですよ」
ふたりは痴話げんかを繰り返しながら、国境へ向かって林の中を並んで進んで行く。
「……ねぇ、ゼン」
「何でしょう?」
「お母様も聖女だったのか、貴方は知っているの?」
ゼンは真っ直ぐに前を向いて歩く、エミリアーナの横顔を見つめた。
「それについては、俺より父上様からお聞きになった方がいいと思いますよ。俺達では推測の域を出ませんから」
「それはお母様が愛し子か聖女だったとしても、公表していなかったってことで合っているかしら?」
彼女は立ち止まると、じっと彼の目を見た。
「ええ、そう言われればそうかもしれませんね。ここ何十年かは帝国に聖女は誕生していませんから」
「聖女だったとしてもお母様は公表しなかった。または、出来なかった。
……貴方たち帝国は私をどうするつもりなのか、私は教えてもらえるのかしら?」
「それは――」
木の枝に止まっていた鳥達が、バサバサと一斉に飛び立った。
「おい! そこに誰かいるのか!!」
ハッと我に返りふたりは急いで大きな木の陰に隠れると、直ぐさましゃがんで側にあった草むらに身を隠した。
ゼンが口に人差し指を当てて、静かにしているようにエミリアーナに伝える。彼女はそっと頷いた。
「おっかしいなぁ。誰かの声が聞こえたと思ったんだがなぁ」
一人の赤髪の男が草むらを剣で捌きながら、こちらへ進んでくるのが見えた。
「おーい! どうした?」
「いや、声がした気がしたんだがなぁ。風の音か……」
黒髪の男が小走りにやって来て、赤髪の男の側に立った。ふたりでキョロキョロ辺りを見回している。
エミリアーナは恐怖で、ガタガタと小刻みに震えていた。
男達は平民が着るような服を着ているが、腰には長剣と短剣を携えている。庶民がする格好ではなかった。
「さっきの落石があった場所から国境方面に行くには、この林を抜けるのが一番早いからなぁ」
「ああ、そうだな。女連れじゃあ、たいして遠くまで行っていないだろうよ」
「もう少しこの辺りを探してみるかぁ」
最初に来た赤髪の男が周りの草むらを剣で薙ぎ払い、中を確認し始めた。
彼は少しずつエミリアーナ達の隠れている場所に近づいてくる。
「声がしたと言っていたよな? 俺も探してみるか」
もうひとりの黒髪の男も反対側を探し始めてしまった。
ゼンは隣で震えるエミリアーナの背中に、そっと手を添える。右手は剣の柄をすでに握っていた。
赤髪男はエミリアーナの前まで来ると、草むらをかき分けるため剣を振りかぶる。
彼女は声が少しでも漏れないように、口を両手で押さえてぎゅっと身体を小さく屈めた。
ザン! と音がして目の前の草が切り落とされると、もう一振り、男は木の側の草を薙ぎ払った。
「おーい。ここには居なさそうだな?」
黒髪が赤髪に声を掛けた。木の側に立っている赤髪は振り向いて、声をかけた黒髪の方を見る。
「……そうみたいだな。俺はもう少し探していくから先に戻っていてくれ」
「そうか? じゃあ、先に行くぞ」
黒髪は剣を鞘に戻すと、口笛を吹きながら来た道を戻っていった。
「……殺さないでくれ」
「それはお前次第だ」
黒髪に見えないように木の陰に隠れたゼンは、赤髪の首筋に短剣を突きつけていた。
「誰にも言わねぇから……」
「お前はどっちだ?」
「はぁ?」
「どちらに付いている?」
彼は赤髪の耳元で囁くようにボソボソと喋った。エミリアーナは、ふたりの会話がよく聞き取れなかった。
赤髪が声を荒げる。
「俺は命令されただけだっ。何も知らねぇ」
「そうか。じゃあ、ここで寝てろ」
ゼンは男を気絶させると、両手足を器用に縛り口には猿ぐつわをした。
「ゼン……」
「少し急ぎますよ、お嬢様」
彼がエミリアーナの手を取ると、ふたりは先を急いだ。
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