37 逃走の果てに、知るべきこと
いつもご覧くださって本当にありがとうございます。
「暗いですから,足下にお気を付けください」
先導するレーモンは灯りを持った手を高く掲げると、前方を確認する。
彼らが歩いている通路には、所々にしかロウソクが灯されていない。短時間で慌てて準備したようだ。
エミリアーナが上を見上げると天井の壁の隅にはクモの巣が張っていて、滅多に使われていないことを物語っていた。
「レーモン、エイシャ達のことお願いするわね?」
「はい、お任せください。日が昇りましたら、護衛とともに子爵家にお送りする予定でございます」
「何もなければ良いのだけど……」
「子爵夫妻もこちらへ護衛を伴って向かわれるようです。ですからそこは安全かと思われます」
今日の襲撃事件はすでにハウスマン子爵家へ報告されていた。エミリアーナ達は薄暗い通路を足早に進んで行く。
「ここから外に繋がっております」
前を歩くレーモンが、取っ手を掴んでゆっくりと捻ると、ズズズズと重そうな音を立てて、壁の一部が動き出した。
「この壁は中からしか開かないようになっております」
「へぇ……、どういう絡繰りなんです?」
ゼンは興味があるようで、取ってを弄ったりペタペタと壁を触ったりしている。
「壁の中に幾つか歯車が設置されていまして、この取っ手が引き金になっております」
「だから、中からしか開かないのですね」
リリーも壁をじっと見つめているが、完全に外からは見えないように設計されているようだった。
「外を確認して参りますので、こちらで少しお待ちください」
細身のレーモンは、細く開けた壁の隙間からスッと外へと出る。
壁の向こう側は生け垣とツタで上手に囲ってあり、パッと見ただけでは判別できないようになっているようだ。
「これいいわね? お父様に実家の屋敷にも造ってもらおうかしら?」
「そうでございますねぇ、お嬢様」
エミリアーナはリリーとふたりで壁のツタをグイグイ引っ張っている。
「そういえばリリー。私の呼び方がお嬢様に戻っているわよ?」
「そうでございました。しかしこちらの方がしっくりくるんですよねぇ」
「それは困ったわね。じゃあこの際、貴方もエミィに変えたらどう?」
「それは嬉しいですが、旦那様がお許しになるでしょうか?」
「大丈夫じゃないかしら? 貴方は家族のようなものだもの」
リリーは本当ですか、と嬉しそうに顔を綻ばせる。
「では、エミィ様。何だかお友達の名前を呼ぶようで、ちょっとだけ恥ずかしいですね?」
「ふふふ、私達は親友だもの。それでいいのよ」
エミリアーナはリリーの手をぎゅっと両手で握る。
「……何をふたりで呑気なことを言っているんですか。緊張感がないなぁ」
「ふふ、ごめんなさい。でも何かあれば貴方が助けてくれるんでしょう?」
「それはそうですが……」
「それにほら、私達服を着替えたでしょう? すぐに気付く人はそういないわ」
エミリアーナとリリーは、平民が旅をする時によく着ている動きやすい服装に着替えていた。
「きっと無事に着くわ、リリー。私、ずっと貴方の無事を女神様に祈っているから」
「はい、エミィ様」
サクサクと草を踏みしめる音がして、レーモンが壁の隙間からそっと顔を覗かせる。
「ダッドリーが指示して、屋敷の反対側でボヤ騒ぎを起こしたようです」
「怪我をした人はいなかったかしら?」
「ええ、ご心配には及びませんよエミリアーナ様。少し騒ぎになっておりますから、今のうちに」
エミリアーナは唇を引き結んで頷くと、リリーを強く抱きしめた。
彼女と手を繋いでなるべく音を立てないように、そっと外へと静かに踏み出した。
すでに辺りは真っ暗な闇の中で視界が悪く、足元が覚束ない。レーモンに付いて少し進むと、幌付きの馬車が待っていた。
「さあ、どうぞ奥へ」
ゼンの手を借りてエミリアーナが荷台に乗りこむと、山積みの荷物の陰に3人で隠れるように小さく固まって座った。
レーモンははぁとひとつ息を吐いて、寂しそうな顔を見せる。
「エミリアーナ様、皆様どうかご無事で……」
「ありがとうレーモン、お世話になりました。またいつか必ず会いましょうね?」
エミリアーナは彼に小さく手を振る。
馬車がゆっくり静かに動き出すとレーモンは執事の礼をして、深く頭を下げたまま彼らを見送った。
舗装されていない道を、ガタゴトと進んで行く。しばらく進むとまた停車した。
エミリアーナがそっと外を覗くと、木で出来た屋根の無い小さな馬車が見える。男がひとり退屈そうに手綱を持って立っていた。
「私がご一緒するのは、ここまでのようですね」
「……リリー、本当にひとりで行ってしまうの?」
「コウィの街まで行けばアイオロスという男が待っています。
領主のムールさんとは知り合いらしいですから、きっと彼らが侯爵邸まで送ってくれるはずです。
それから必ず軍使鳥を飛ばすように伝えてください」
「ええ、必ず伝えるわ」
エミリアーナは少しだけ震えている彼女の手を両手で包むと女神に祈った。
彼女の手の平から発せられた仄かな光が、3人の身体を伝って白く包み込む。
「エミィ様には驚かされてばかりです、本当に」
「そうだわ。これを貴方に渡すのを忘れていたわね」
「これは……?」
「この前エイシャ達とお買い物に行ったでしょう? その時に貴方に贈ろうと思っていたの。これでみんなでお揃いね?」
エミリアーナはアクセサリー店で購入したブローチを、彼女の手に持たせる。
リリーが彼女に抱きつくと、ふたりでひとしきり泣いた。
彼女は泣き顔を見られたくなかったのか、頭を下げると勢いよく荷台から飛び降りた。
「では、私は行きますね? ゼン、お嬢様をお願いします。……さあ、行って」
彼女が御者に指示すると、再びゆっくりと馬車は進み出す。
リリーは泣きながら、エミリアーナ達が見えなくなるまで手を振っていた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
心配そうに覗き込むゼンに、涙を拭いながらエミリアーナは黙って頷く。
思えばリリーと離ればなれになるのは、今回が初めてだった。
「……必ずまた帰って来ましょう」
彼はそう言って戸惑いがちに彼女の髪を撫でる。彼の大きな暖かい手は心地よく、エミリアーナは少し眠ってしまった。
◇◆◇◇◆◇
ガタンと大きな音をたてて、馬車が揺れる。
エミリアーナがハッと目覚めると、隣でこちらをじっと見つめているゼンと目が合った。
「おはようございます。少しは眠れましたか?」
「ごめんなさい。私、いつの間にか眠ってしまったのね?」
外から御者の困ったような声が聞こえてくる。ゼンは直ぐさま馬車の外に飛び出した。
「どうしました?」
「落石が道を塞いでいるんですよ。これ以上進むのはちょっと厳しいだろうなぁ……」
「もう少しで国境なんですがね……。これは歩くしかないでしょう、お嬢様」
彼女がすでに明るくなった外を覗くと、御者の言う通り大きな石に道が塞がれていた。
ゼンは荷台を覗き込むとエミリアーナに手を差し伸べる。彼女が荷台から降りると彼は御者に幾らかのお金を渡していた。
「少し歩きますよ?」
ふたりは御者にお礼を言って、塞がれた街道を避けて林の中へ向かってテクテク歩き出した。
ゼンはエミリアーナの前方を警戒しながら歩く。
「お嬢様、足下に気を付けてくださいね?」
「ねぇ、ゼン。私、聞きたいことが沢山あるの。貴方、一体何者なの?」
「俺はただの侯爵家の使用人ですよ?」
「もう! ふざけないで。そういうことを聞きたいのではないの」
エミリアーナはまともに取り合わない彼に腹が立ち、口を尖らせ抗議する。ゼンはそんな彼女を見て焦った表情をした。
「すみません、揶揄ったつもりはなかったんですが」
「……じゃあ、教えて」
「帝国の皇帝の命を受けて、俺は『時の女神の愛し子』の貴方を探しに来ました」
「皇帝!? それに時の女神ってどういうことなの?」
「貴方は帝国が崇拝する時の女神の愛し子であり、覚醒していずれ時の聖女となられます。
カレンヌ王国ではその時代の文献は戦争によって消失してしまったようですから、ご存じないのも当然ですが――」
「今の私は、女神様の愛し子ということ?」
「ええ、そうです。まだ覚醒しておられないので、髪の色も完全には変わらなかったでしょう?」
「でもなぜ帝国なの? 私の生まれはカレンヌ王国で、今まで一度も帝国に行ったことはないのよ」
エミリアーナは不思議そうに首を傾げる。
「いえ、貴方は帝国生まれの帝国人ですよ」
「……」
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「頭がおかしくなりそうだわ。私が帝国人?」
「ええ。貴方の本当のご両親は別にいらっしゃいます。彼らは――」
エミリアーナは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。ゼンが慌てて駆け寄ってくる。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「両親が別にいるって、本当なの?」
「……少しあちらで休みましょうか?」
彼は失礼しますよと彼女を軽々と抱き上げると、近くの石の上に座らせた。
渡された飲み水が入った容器を受け取り、エミリアーナはグッと一気に喉に流し込む。
「落ち着きましたか?」
「ええ、少しね。でもさすがに驚いたわ。バートのいざこざで、大抵の事には動じない自信があったのだけど」
「まあ、そうですよねぇ」
彼は立ったまま申し訳なさそうな顔をして、頭をガシガシかいている。
「もうこれ以上お話しするのは止めましょうか?」
「……いいえ、自分のことだもの。続きを聞かせてくれる?」
「分かりました、歩けますか?」
「ええ、行きましょう」
ふたりはゆっくりと立ち上がると、再び国境方面に向かい歩き出した。
「それで? 私の両親は一体どこの誰なのかしら?」
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!
もしよろしければ、ブックマークや★評価をいただけると嬉しいです。今後の励みになります!




